- 2011-06-18 (土) 23:42
- 研究
HNKというところに講演に呼んで頂いた。NHKではなくHNK。ヒューマンネットワーク高専の略称だそうである。会員は高専の卒業生の方々。
高専賛美の講演が3本続いた後、高専~技科大生の身体は危機に瀕しているというお話をする。もちろん高専~技科大に限ったことではないが、とりあえず私の身の回りで起こっていることから話を始める。ということで、予期せぬ事態が起こったとき、心身のパフォーマンスが著しく低下するという例をいくつか紹介した。危機的状況において固まる心身しか持っていないのは、心身の危機である。それは、平時においては、「察する感性」の感度の問題、つまりはコミュニケーション能力の問題として顕在化する。
もちろん私も、高専・技科大の卒業生が大変優秀であり、産業界で活躍しておられることを認めるにやぶさかではないし、心から応援している。しかし学生の持つ、自分の専門以外の人と積極的にコラボレーションしようという意志、他者や外界とコミュニケーションしようという意欲、危機対応的心身という点において、心から心配していることもまた事実である。
私が「人間力」という概念で考えているのはそのようなことである。「人間力」は、「人間が豊かで幸せな人生を送ることができる能力」であるが、具体的に言えば、「高度な技術を習得するための器として必要な力」、「専門以外の人と協働(コラボレーション)し、専門能力(技術)を生かす力」、「いかなる状況においても、自分の持つ能力(技術)を最大限に発揮(output)する力」であり、「危機察知」と「危機対応」の力、「危機的状況において心身のパフォーマンスを最大化させる力」である。
これはまさしく武道修行が目指すところである。だから武道部ではみなさんこの能力向上にむけて日々修行をしているのである。しかしそれでも、例えば福島第一原発の現場にいる人が全員武道部卒業生だったら、今回の事故に際し、批判されることのない迅速かつ正確、適切な対応ができただろうか、と心配になる。だから武道部員は卒業後も修行を続けているのである。
現場で極めて高い専門能力を発揮(output)する人材を輩出することを使命とする高専~技科大では、それが可能な心身の養成を真剣に考える必要がある。もちろん多くの関係者はそれを真剣に考えていることを私は信じて疑わない。講演でも、高専機構の理事の先生から、「機構もそれはちゃんと分かっていて、いろいろやってるよ」とお叱りをうけたほどである。
ところでこのような心身の危機は何によってもたらされるのか。一つは、「子どもを危険から遠ざける」大人の配慮によってである。私が住む団地の滑り台は最近使用禁止となった。砂場と直結している、子どもの指が入る隙間がある、手すりが○㎝以下である、滑り台のアーチが○度以上である、等々多数の項目において専門業者から「危険」という判定を頂いたからである。
朝夕は通学路の横断歩道に旗を持った大人が立っている。しかし、子どもたち自身に安全を確認させて、本当に危険な時だけ手を出す光景を残念ながら見たことがない。私が見たことがないだけでたぶんそういう方はたくさんおられるだろうと思うけれども、そうでない方もたくさんおられるのである。危険から子どもを守ることは大切だが、危険を察知する感度もまた、大人が必死で守らねばならない子どもの大切な能力であるはずだ。
危機感度の高い心身を疎外するもう一つの原因は、均質化して、定量化して、効率を考える論理的思考である。これを俗に「科学的」思考という人もいる。これが危機感度の高い心身の獲得を妨げるのは、リスクと責任をとらないからである。
俗流「科学的」思考はリスクも責任もとらない。なぜか。誰がいつどこで考えても正しい答えになる思考だからである。そのようなものにリスクもなければ、責任も生じない。失敗もないし、誰からも責められない。だから安心であるが、ただそのような場所では、人は危機感度の高い心身を獲得することはできないのである。
1+1=2という答えにリスクも責任もない。
アンケートで100人中90人が「気持ちがいい」と答えた椅子を、「90%の人が気持ちがいいと答えた椅子です」とセールスすることにリスクも責任もない。
しかしそんなアンケートも何の定量評価もない椅子を、「これはとても気持ちがいい椅子です」と断定することにはリスクも責任も伴う。しかしそこからしかほんとうに気持ちのいい椅子は生まれないのではないだろうか。定量評価が目指す「万人が気持ちいい椅子」とは、誰1人それをほんとうには気持ちいいと感じることのない不幸な椅子のことである。だから「人間工学で作ると座り心地が悪い」(宮本茂紀VSビートたけし「達人対談」『新潮45』2011年2月)と言われてしまうのである。
高専や技科大の学生たちは、イノベーションを起こせる高度な技術者を目指している。論理的には、論理的に正しい思考からはイノベーションは起こらない。真にイノベーティブな技術者をめざすなら、リスクと責任をとって、自分の感度を頼りに断定することから始めなければならない。そこからしかコミュニケーションは始まらないし、危機感度の高い心身の獲得もないのである。高専や技科大は、学生がそれを獲得できる環境を用意しなければならない。
というようなことを講演では話す予定だったが、後半は時間切れとなった。
最後に小川師匠の師匠のことば、
自分だけで勝手に生きていると思っていると、ろくなことになりませんな。こんなこと仕事をしていたら自然と感じることでっせ。本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから、肝心の自然や自分の命がわからなくなるんですな。(西岡常一『木のいのち、木のこころ』)
自然や自分のいのちの分かる人間に私もなりたい。