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之を如何せん、之を如何せん

最近また小林秀雄の講演を繰り返し聞いている。その中で『論語』の次の一節に触れている。

子曰わく、之れを如何、之れを如何と曰わざる者は、吾れ之れを如何ともする未(な)きのみ。(『論語 中』210頁 中国古典選4 朝日新聞社より)。

引用の出典は「徂徠は「如之何、如之何」とは、自ずから反省するのをいうのではなく、どうでしょうか、どうしましょうか、と孔子に問いかける言葉であるとするが、そう限定する必要はあるまい」(210頁)と解説するが、小林は自問自答の重要さを説いている中でこの一節を引用している。しかしそんなことはどうでもいいことである。

自問自答せず師匠に質問ばかりするなどということはあり得ないからである。もしそんな弟子がいたら、そのような弟子こそ「吾れ之れを如何ともする未(な)きのみ」である。

静かに自分に問いかけるのも自問自答。
ああでもない、こうでもない、ともがき苦しむ。これも自問自答。

西岡常一棟梁もこの自問自答の重要性を説いておられる。

学びの基本は自問自答である。

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