- 2009-12-30 (水) 11:55
- 日記
信じられない光景を見た。
アイスクリーム屋さんでお金を払おうとしていたとき、後ろから別の店員さんに話し掛ける声が聞こえた。
(客)これ交換してくれん?
(店)あっ、落とされましたか?
(客)いや、こいつがこっっちの茶色いやつの方がええ言うもんで。
「こいつ」とは小学生1、2年生くらいの子ども。喋ってるのはお祖父さんか、お父さんか微妙なところである(一応お父さんということにしておく)。
(店)チョコですか?
(客)うん。
要するに、さっきアイスを買って行った(ちなみにシングル・コーン)のだが、席に戻ったところ、その男の子が
やっぱ茶色いのがいい
と言ったのだろう。そこで交換してくれと言ってきたのである。
まだ口をつけていないので大丈夫だと思ったのだろうか?
もちろん返されたものを元に戻せないし、別の客に出せる訳がない。案の定、店員さんは受け取るやいなやごみ箱に捨てた。その背中は、
あなたの理不尽な申し出によって、私はこれを捨てないといけないんですよ
と主張しているようでもあり、単にぶっきらぼうに、対応マニュアルに従っただけのようでもあった。いずれにせよこちらを振り返った店員さんは、元のにこやかな笑顔でチョコアイスを渡した。
このお父さんは、自分の行動によって、子どもに何を教えたのだろうか?もちろん教育的な意図はなかったのだろうが、良かれあしかれ、結果的に親の言動はいつでも子どもに何かを教えてしまうことを知らない訳ではあるまい。
それはそうと、一度誰かが買ってしまえば、返品しても別の客に出せないのが分かっているものを、どうして口を付けていないという理由で交換できると考えるのだろうか?
おそらくその子は、どちらにしようか決めかねていたのだろう。ぐにゅぐにゅ口ごもっている間に父親の勢いに押されたのかもしれない。あるいはそれが欲しくて注文した後で、急に、やっぱりチョコアイスが食べたくなったのかもしれない。
しかしよく考えた結果であろうが、迷っていて勢いに押されたのであろうが、急に気が変わったのであろうが、一度買ってしまった後ではそれは取り消せない。自分でその責任をとらなければならない。
もうそういう価値観はなくなってしまったのか?
今頃言ってももう遅い。それを食べなさい。
ほとんどの親は今でもそう子どもを叱っていると信じたい。
私は何も悪質商法に騙されて契約してしまった商品のクーリング・オフを認めるなと言っている訳ではない。あくまでアイスの味の話である。
だが子どもにとってアイスは人生上の大問題である。一つの味を選ぶということは、その他の全ての味を捨てるということである。しかも店員さんに聞かれるまでのタイムリミット内に「決め(断定し)」なければならない。そして一度決めたら、後で気が変わろうとも、その責任をとらねばならない。子どもはこの人生上の重要な事柄を、アイスで学ぶのである。
後で気が変わったからといって交換したり、迷ってるからといってダブルを買ってやる親は、その子が人生上の大切なことを学ぶ機会を奪っているのである。
アイスで大切なことを学ばなかった子どもは、大人になったとき、平気でドタキャンをするかもしれない。
あの時はそう思ったけど、気が変わったんだから仕方ないでしょ。
おそらくこの人には、これがいかに自分の信頼を損ねる行為であるかが理解出来ない。なぜならその人にとってはドタキャンこそ「自分に正直なこと」だからである。そしてそれを「いいこと」として育ってきた。別のアイス食べたいなら無理してそれを食べなくていいよ、と。
また、アイスで人生を学ぶことを奪われた子どもは、こんなこと言い出すかもしれない。
結婚式当日の朝になって、
ママ、僕やっぱ別の人がいいや。
あら、そう。よかったわ。まだ式あげてないから大丈夫よ。
ママ、僕二人とも好きだから、どっちか一人を選べないよ。
いいじゃない、両方と結婚すれば、ね。