- 2010-11-06 (土) 23:52
- 日記
6日。
昨日の竹田・橋爪対談に引き続き、日本文学協会第65回(2010年度)大会、国語教育の部に出席。テーマは〈文脈〉を掘り起こす―ポスト・ポストモダンと文学教育の課題―
今日は西研さんの登場である。事前にメールや電話でちょっと話していたので、非常に楽しみにしていたが、予想をはるかに超えて面白かった。
何より、期待通り、西さんが、他のパネラー、この大会のテーマ、そして日文協に対して、真正面から真摯に向き合い、自分の言葉で語ってくれたことが嬉しかった。基調講演では、特に須貝氏との違いがかなり明確だったが、それでも粘り強く対話を続けられ、最後の最後で、あっ、と思う通路が見えた。それは 須貝氏が、
西さんは分かり合うことの大切さを説いておられるが、私はそれを否定する訳ではなく、それと同時に、分かり合おうとする時に必ず生じる、分かり合えないことの大切さも大切にしたいのだ。それが私が今日、ずっと言いたかったことなのだ。
とおっしゃった時である(発言は私の記憶と印象によるものなので間違ってたらスミマセン。正確な発言は、後日発行の「日本文学」をご覧下さい)。
初めは非常に対立的に見えた両者だが、お互い真摯にディスカッションを続け、最後の最後にちょっと光明が見えかけた、そんなシンポジウムだった。
欲求不満になりがちなシンポジウムが多い中、このシンポジウムは大成功だったと思う。勝手なことを言わせてもらえば、日文協にとって非常に良かったのではないだろうか。聴衆も非常に真剣に聴いており、質問もたくさん出た。それほど刺激的で、深く考えさせてくれるシンポジウムだった。もちろんそれは3人のパネラーの、人柄と思想によるものである。
そして個人的には、やっぱ西さん凄いわ~と再認識したシンポジウムだった。
最近の私のテーマは「上機嫌」。先日お会いした内田樹さんもいつでも上機嫌。竹田師匠は講演も飲み会も上機嫌。西研さんもこのシンポジウムの状況でさえも上機嫌。ついでに私にこんなことばっかりやらせている?(というか、ほんとうは勝手にやってるんですけどね~)常人歩人さんは、治療中も上機嫌。
やはりツワモノはいつでも上機嫌なのである。