NHKクローズアップ現代「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」を見た。
前刀禎明さんがジョブズのやり方をこう語っておられた。
この商品、この製品はこんな機能があってこんなことができますよ」ではなくて、あくまでも「人々がそれをやって嬉しいかどうか」ということが重要なんですね。
いい言葉である。
私は、今乗っている車を買うとき、二つのディーラーに行った。まず日本メーカーが立ち上げたばかりの高級ブランドのディーラーに行った。買う気はなかったのだが、新聞に「最高級のサービスを体感して下さい」と試乗会の宣伝が出ていたので、体験させてもらおうと思ったからだ。説明した下さった方は、この車は「何が出来るか」、いかに最先端技術が満載されているかを熱心に力説された。
これがそのブランドやその方の特殊な傾向ではないことは、後日その親会社の方が勤務先に講演に来られたときに分かった。その方が語られた未来の車は、まさしく最新技術が満載されていて、「こんなことも出来たら楽しいですね」、「あんなことも出来たら楽しいですね」、というお話だったからである。「快適さ」とは、最新技術の謂いだった。
さてその後、もう一つのディーラーへ。対応して下さった方は、車の機能の話は全くされず、いかに自分がこの車を愛しているか、この車を運転しているときにどのくらい幸せ感が得られるかだけを楽しそうに話された。
運転していて、すっごく楽しいんですよぉ~。 この空間が、とっても気持ちいいんですよぉ~
って。
私が分かったのは、この方がとてもこの車を愛しているということだけであった。そして買うことにしたのである。
パンフレットを見て驚いた。「キーをささなくてもリモコンでロックと解除ができます」と自慢げに書いてあったからだ。そんなの今時どの車でもできるんじゃないのぉ~??? さっきのディーラーの車は、キーをポケットに入れたままでいいと言ってましたけど……。しかもキーがめちゃくちゃデカい。さらに追い打ちをかけるように、
ドアミラーもあんまり開閉していると壊れるかも知れないので、私は閉じません。
って言われたし。
そして私は理解したのである。それぞれの方が「大切にしているもの」が違うのだということを。そしてどちらを買うかということが、自分が何を大切に生きるのかという選択であるということを。
クローズアップ現代に話を戻す。
福田尚久さんがこういうエピソードを披露された。
アップルストアを開くとき、本社近くの倉庫の中に実物大のお店を何度も何度も作った。そのとき、テーブルのウッドの素材など一つ一つにこだわった。ドアノブを作るだけでも何億円かかかっていると思う。それくらいの数の試作を延々と続けた。
ドアノブ。そういえばこの前、尚志館メンバー食事会で、「世界一気持ちいいドアノブ」の話をしたのを思い出した。私が建築の院生に、「「世界一気持ちいいドアノブの研究」って学会で発表できるの?」と聞いたのである。一日に何度も触れ、家に帰ってきた時に最初に触れるドアノブ。これがとても気持ちよくって「家に帰ってきた幸せ感」が感じられたら、そんな家はとてもいいのではないか。だったら、家を設計する人はそれを研究すべきではないか。そして学会で「世界一気持ちのいいドアノブ」の研究があってもいいじゃないか。
尚志館メンバーの食事会だったので、それを契機に話は盛り上がったのだが、授業でこういう話をしたら、ある学部生に、
先生はそういうの感じるかも知れないけど、普通の人は感じませんよ。今の世の中大切なのは、効率とコストですよ。
と言われた。高専でそういう「勉強」をしてきたのだろう。しかし福田さんはジョブズの哲学をこう説明されたのである。
絶対にお客さんは分かってしまう。分かるから最善をつくさなきゃいけないんだ。人間の感性に対しての、人間に対してのリスペクトなんですよね。
人間(の感性)に対するリスペクトを欠いたものづくりは空しい。先の学生も、ほんとうはそのリスペクトを失ってはいない。なぜなら私の授業を選択しているということは、そういうことにほんとうは関心があるということなのである(でなければ私の授業は苦痛でしかない)。彼が私に先のように言ったとき、彼の中で何かが動き出したに違いない。私はそれを信じて疑わないのである。
「表現」という行為はそういう力を持っているからである。
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