先週から後期の授業が始まって、履修登録はまだ締め切られていない。締め切りまで2回ほど授業がある。私が大学生の頃も同様のシステムになっていた。1回めに授業に出てみたものの、やっぱり別の授業がいいということがあるからである。当時はシラバスなどは形ばかりのもので、何年も前のまま、しかも2行程度のものが普通だった。シラバスなんて書かない先生もたくさんいた。だから1回目の授業に出ないと、その授業で何をやるのかさえ分からなかったのである。
しかし、私と私の周りの友達は、2回めから出る授業を変更することはほとんどなかった。だいたいなんとなくの情報はあったし、自分の直感で、なんとなく面白そうな授業をとったからである。もちろん失敗もしたが、それはそれで得るものも多かった。
それに比べれば、今は、毎回の授業内容や達成目標、評価基準などが明記されている。各段の情報量なのであるが、年々、2回目からの移動が増えているような印象である。私の授業からいなくなる学生もいれば、2回めからやって来る学生もいるのであるが、その数が多いのである。これは、
可能な限りの情報を集めて、比較検討した上で、間違いのない選択をしたい。
というマインドの現れだと思う。2、3年前に聞いた話では、友達で手分けして授業に出て、後で情報を持ち寄って検討するという強者もいるらしい。何をそれほど真剣に検討しているかというと、その授業が自分の将来にいかに役立つかということである場合もあるだろうし、どれが一番楽に単位をとれるかという場合もあるだろう。そのあたりは知らん。
今日の授業でも、先週はいなかった学生が朝の挨拶で、
今、履修登録期間中なので、どの授業をとるかをのんびり決めています(ので今日はこの授業に来ました)。
という学生がいた。今日はもう2回めの授業なんですけど……ね。みなさんにそこまで真剣に検討していただけるとは、教師名利に尽きるというものである。しかし私の経験からいうと、そうやって受講をお決めになった学生が、なんとなく面白そうだと思って(さしたる動機もなく)最初からいた学生より、より熱心に、より真剣に授業に打ち込んでくれる確率は極めて低いのである。
「なんとなくの直感」を信じましょうよ。少なくともそこには自分がこれまで生きてきた人生が詰まっているのだから。
それが信じられなくなると、情報を集めて比較検討したくなるのであるが、でも結局最後に決断するのは自分の「なんとなくの直感」によってでしかないんだから。
あくまで私の印象でしかないが、2回め以降移動する学生が増えているのだとすると、この「なんとなくの直感」を信じられない学生が増えてきているということなのだろう。
そういう話をたまに学生にすると、「でも後悔したくない」と言う。少なくとも可能な限りの情報を集めて、しかるべき根拠をもって決めたら、失敗したときにショックが小さいのだそうだ。ほんとうかな? それって、失敗したとき、自分の外の何かのせいにできるということなのではないのかな。それによって自分を守ることができるということなのか? 変なの。
しかし残念ながら、後悔するかしないかの分かれ目は、どれを選択するかということ自体にはほとんどないのである。授業なら、その授業の半年間を自分がどう過ごしたかにかかっているからである。
先日NHKのETV特集で、「名物社長の採用面接~中国水ビジネスの風雲児」という番組をやっていた。面白いことがたくさんあったのだが、今回の話題でいうと、
うちに来てくれるなら内定を出したい。
という社長に対して、
御社が第一志望ではあるけれども、他にもまだうけているところがあるので、全部出揃ってから検討したい。
と答えた学生が何人もいたことである。それでも決断を迫る会社に対し、ある者は辞退し、ある者は入社を決断した。
これって、選択の授業を決めるときのマインドと全く同じである。もちろん気持ちは分かる。しかしその選択がよかったかどうかは、その時点では分からないし、ずっと先にも結局は分からない。ただ分かっているのは、なんとなくでも決めた以上、自分はその人生を歩む以外にないということである。
答えは選んだ道自身にはない。その道を自分がどう歩いたかということの中にある。
そのために学生諸君、選択授業の選択は、もっとシンプルに、「なんとなくの直感」ですぐに決めてくれたまえ。でないと本格的に授業に入るのが、ずいぶん遅くなってしまうのだよ。頼む。ね。