第16回身体運動文化学会「心と身体の統合性を探る」に出席した。
午前中は研究発表、午後は基調講演とシンポジウム。
研究発表も興味深いものがあったが、何と言っても私のお目当ては、基調講演とシンポジウムであった。
基調講演 :佐藤雅幸氏「イップスにみる心と身体の関係~スポーツにおける心と身体の統合性~」
シンポジウム:「中国思想における心と身体の関係」
土屋昌明氏(コーディネーター)、加藤千恵氏、鈴木健郎氏
「イップス」については恥ずかしながら全く知らなかったので勉強になった。
シンポジウムの方は、道教の専門家によるお話で、非常に興味深かった。と同時に、心や気の話を、道教の専門家でない聴衆に語ることの難しさと戸惑いが感じられ、その点でも大変共感できた。この学会には様々な専門分野の方がおられるので、どこに焦点をあてていいかに戸惑われたのだろうと思う。
「気」とか「宇宙」については、どのあたりで共通理解が成立しているのかよく分からない。私も一般向けの講演で芭蕉の思想を説明するとき『荘子』の話をするし、学生に武道の話をするとき「宇宙」や「気」の話をするが、どのような語り口でどこまで説明すればいいのかが、とても難しいと感じるからである。
さて、道教の修行の話を聞いていると、武道における修行論と非常によく似ていると感じた。
顔回が言った、「どうか心斎について教えてください」。
仲尼(孔子)が答えた、「あなたは志を一つにしなさい。耳で聴くのではなく、心で聴きなさい。さらに心で聴くのをやめて、気で聴きなさい。耳は聴くだけであり、心は符合させるだけである。気は虚のままで物の現れを待つものである」。(『荘子』人間世篇 加藤氏レジュメより)。
気を(身体じゅうに)充満させて、きわめて柔らかな嬰児のようでありなさい。(『老子』第十章 加藤氏レジュメより)
しかし、武道において、道教の影響が色濃くあったという話を知らない(私が知らないだけかも知れない)。そもそも道教は、日本文化や日本文学において本質的にどのような形で享受されていったのだろうか。だいたい私は、「道教」と「老荘思想」がどう使い分けられているのかもよく知らない。また話を聞く限り、道教における「心」と、西行や芭蕉、あるいは武道における「心」という言葉の意味が違うようである。そういうことも含めていろいろ勉強したいと思った、刺激的なシンポジウムであった。
大変興味がありながら、恐れ多くて近寄れなかった分野なので、これを機にちょっとだけでも足を踏み入れてみたいと思った。