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うまくできて当たり前なんでしょうな。

  • 2012-03-14 (水) 17:34
  • 日記

このブログの最初期に「私の人生の書」として紹介した『木のいのち 木のこころ』(新潮文庫)での西岡常一棟梁の言葉。自省を込めて紹介しておきたい。

そうですか、小川が私に一度も褒められたことがないって言ってましたか。おじいさんも私のこと、一回も褒めてくれませんでしたな。怒るのは怒るんでっせ。口やかましい人だったですよ。しかし褒めませんでしたな。(97頁)

うまくできて当たり前なんでしょうな。……学校と違って、百点を取ったら偉いというのとは違いますのや、仕事は。百点を取るのが当たり前なんです。それと学校の先生と生徒みたいな関係とも違いますな。百点を取らせるために先生が頑張るということはないんです。
 褒めて励ますというのはあるんでしょうが、褒めておだてて仕事を覚えてもらわなならないことなんて何にもないんです。嫌なら覚えんでもいいんです。仕事を覚えるのは義務教育やないんです。途中で自分はだめやなと思うて辞めていく人はいます。だめやなと思うた時点で、もうあかんのです。その代わり辞めずに、覚えが悪くても覚えようという者にはじっくりつきあいます。だがこのときも、褒めたり、おだてたりはしません。
 徒弟制度なら五年の年季のうちに一人前になって、その後一年間、師匠のために働いて恩返しをしますな。早く一人前になるのは自分のためです。一人前というたら百点の仕事をこなすことですわ。それが八十点だったり、五十点ではいかんのです。一人前とはいえないんです。……仕事は結果に出るんです。「この寺は八十点の出来ですから合格です」というて一人前のお金をもらうのは間違っておりますな。そないなわけで褒めるということはないですな。(同)

「これでいいのか、間違ってないか」という気持ちをつねに持つことが大事です。
 それと人間というやつは、褒められると、こんどは褒められたくて仕事をするようになります。人の目を気にして「こんなもんでどうや」とか、「いっちょう俺の腕を見せたろ」と思って造るんですな。ところがそういうふうにして造られた建物にはろくなものがないんです。
 室町時代に入って道具が進歩してくると、そんな建物がぎょうさん出来てきますのや。華美に走りますな。そのために構造が犠牲になります。本来のするべきことを忘れてしまうんですな。歴史がちゃんと教えてくれてまっせ。(99頁)

そして最後にこうおっしゃっている。

職人は思い上がったら終わりです。ですから弟子を育てるときに褒めんのでしょうな。(100頁)

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