日本文学協会第67回(2012年度)大会に行く。
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国語教育の部
テーマ〈第三項〉と〈語り〉――ポスト・ポストモダンと文学教育の課題――
シンポジウム
喜谷暢史氏(法政大学第二中・高等学校)・十九日間の〈物語〉から〈小説〉へ――村上春樹『風の歌を聴け』再読――
丸山義昭氏(新潟県立長岡大手高等学校)・〈物語〉の〈語り〉、〈小説〉の〈語り〉――『走れメロス』を例に――
加藤典洋氏(早稲田大学)「理論と授業――理論を禁じ手にすると文学教育はどうなるのか」
討 論 司会 相沢毅彦・川嶋一枝
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一昨年の西研さん、昨年の竹田青嗣師匠に続いて、今年は加藤典洋さんの登場である。思えば院生時代、ポストモダン・テクスト論に走る日文協を横目に、自分のまわりの人たちに、特に竹田師匠の話を熱心に語っていた。「お前の話は10年遅れている」と非難されながら。ある人には、「こういう論文書いたら載せてくれるのに、それをやらないなんてバカだ」と言われた。
しかし当時の私に彼らを納得させられる力もなく、「お前ら10年後に同じ事言えよ」と思うのみであった。当然のごとく私は日文協には入らなかった。私が入会したのは、ずっと後、大学に専任の職を得てからであった。
そんな私にも、数年前委員という役割がまわってきた。委員にはシンポジウムで呼びたい外部の方などのアンケートが来た。私はどうせ無理だろうと思いながら、竹田青嗣や西研の名前を書いていた、と思う(ほんとうはよく覚えていない)。はっきり覚えているのは、内田樹さんである。内田さんが来て、レヴィナスの他者論をきちんと説いてくれれば、きっと通じる人もたくさんいるに違いないと思ったからである。私の意見がどのくらい効果があったのか知らないが、果たして内田樹さんはやってきた。それは2007年11月25日だった。だが内田さんは武道的感性によって、瞬時に場の空気を感じ取られ、対立を生まず、いい空気のシンポジウムにされた。その時のことをご自身がブログに書いておられる(こちら)。つまり内田さんは、「日本の文学研究は「主体が語る」という近代主義のパラダイムから「他者が語る」というポスト・モダンのパラダイムにしっかり移動中のようである」ことに「びっくり」されたものの、このブログに書いてあるような話を「したわけではない」のである。もっとも当日出席した私の記憶によれば、そういう話をされたと思う。しかし分からない人には分からないように、分かる人には分かるようされたのであった。それは内田さん一流の場の創造だった。
さて、それからしばらくして、一昨年、西研さんが登場された。このときは私は委員でもなんでもなかったので、全くの無関係であった。このときの西さんの素晴らしい講演についてはこちらに書いた。西さんは内田さんとはまったく違う仕方で、その場を作り上げられた。まさしく圧巻であった。
そして昨年は竹田師匠が登場。そのときの模様はこちら。竹田師匠はまた、竹田師匠でなければできない仕方で、シンポジウムを仕切られた。
西、竹田ときて、今年満を持して登場されたのが、加藤典洋さんである。
ちょっと長くなったので、続きは明日。
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