大学院生の頃の話。
私は院生になり学会に入って、研究発表をするようになった。私の研究は、芭蕉の高弟、蕉門随一の論客と言われる各務支考の俳論である。しかし当時(いまでも)学会において支考の評価は極めて低く、研究する者もほとんどいなかった。そんな中、堀切実先生(現早稲田大学名誉教授)が、長年支考研究を続けてこられ、いわゆる第一人者であった。
「それまでの研究が何を明らかにし、何を明らかに出来ていないか。自分の研究はそれまでの研究に何を加えられるか」を明確にするのが研究(学問)のルールだと私は思っていた。だから必然的に私の研究発表は、堀切説を引用し、その達成と限界を指摘した上で、自分の説を提示し論証するという方法をとることになった。
私は論文や学会発表で堀切説を批判し、堀切先生も私の発表の質疑応答で自説を述べられた。もちろん私たちは、感情的に対立していた訳ではない。むしろ、研究に対するお互いの態度を信頼し合っていたと信じている。だから懇親会などでも親しく、かつ楽しくお話をして頂いた。
ところが、である。ある日、ある先生にこう言われた。
なぜ君は、堀切さんをそんなに目の敵にするんだ。彼の研究は優れているんだよ。
若かった私は、驚く他なく、この方が何をおっしゃっているのか理解できなかった。ただこの方と私は、信じているものが違うんだ、ということだけは分かった。堀切先生と私は学問というものを信頼し、この方は別のものを大切にしておられたのだろう。
それから数年して、全く別の話であるが、私のとても尊敬する先生が、学会でのちょっとした事件について話して下さった。
学問を私物化するからああいうことが起きるんです。学問を私物化してはいけない。学問はみんなのものだ。何かを「自分が発見した」などと傲慢になるからおかしなことになるんです。それまでの研究の積み重ねがあったから、自分の研究を進めることが出来たのだということを忘れてはいけません。
私はとても嬉しかった。学問は、みんなで少しずつ進めていくものである。学問の前では、人は謙虚にならざるをえない。またそうであるからこそ、従来の説を批判することができるのである。それを曖昧にすることは、学問の冒涜に他ならない。