- 2009-06-10 (水) 22:04
- 授業
今日の3時間目は、
だった。
この本は今の学生、特に工学部の学生にとっては難解である。 ここで語られている概念装置の話、「正しさ」ということ、古典としての読み、踏み込んで読むということ、「本を読むからには信じてかかれ」など、非常に面白いのであるが、工学部の学生にとっては、普段教えられている価値観や方法論と全く違っているので、非常に理解が難しいのである。
それゆえぜひ読ませたい本であり、毎年1学期に読む4~5冊の中に必ず入れている。毎年ほぼ8割の学生が難解だというが、必ず2割くらいの学生が、一番面白かったという本である。
さて今日の範囲は、第Ⅰ章「読むこと」と「聴くこと」と。
いつものように学生のプレゼンが始まった。タイトルは「情報の階層と再構築」。へえーと思って聴いていると、
誰がひいても同じ演奏になるような、そういう最大公約数的な、底の浅い平板な理解では、とても正確な理解などとはいえない。(28頁)。
という箇所を引用して、
では正確な理解を得ようとするとなぜ個々人で違いが生じるのか?
と問題提起をした。ほうほう、と思って聞く。
そのためにはまず「情報の階層」を考えなければならない。情報には階層があるのである。云々。
ふむふむ、と思って聞いている。すると、
理解するとは、得られた情報を自己の中で再構築することである。
それで?
その組み合わせは、nCr=n!/r!(n-r)! n:認識した情報の数、r:再構築に用いる情報の数である。
えっ-? びっくり仰天している私をよそに、彼は最後までプレゼンを遂行した。そして「古典としての読み」は、あなたの「情報階層論」ではどう説明しますか?」という学生の質問には、
それについては、分布密度関数で考えれば分かりやすいです。グラフがこうなって・・・
私には何の事やらさっぱり分からんかった。だが彼のプレゼンと質疑応答は、純粋に面白かった。この「情報階層論」をもっと詳しく聞きたい、と思わせるものだったのである。
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