ホーム > 研究 > 先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず

先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず

  • 2009-07-17 (金) 16:25
  • 研究

 蝶夢の『蕉門俳諧語録』にも引かれているが、李由・許六『宇陀法師』に次のような文章がある。

 連衆を撰みてすべし。先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず。歴々の門人に俳諧の手筋通ぜぬ人多し。其人と終にいひ捨てもなし。

 仲間を選べ。芭蕉は、自分の「志」を理解しない人とは生涯、一緒に俳諧をしなかった。身分の高い門人に芭蕉俳諧の「手筋」(本質やその技法)を理解しない人が多かった。そういう人とは、芭蕉は、即興の読み捨て俳諧さえもしなかったのである。

 芭蕉ほど生涯のうちにその俳風を変えた俳人はいない。それゆえ、ついて行けない弟子もたくさんいた。弟子に対して実に細やかな配慮を見せる芭蕉であるが、俳風やその志においては容赦がなかった。ついてこれない弟子はどんどん置いていかれ、新しい弟子をどんどん受け入れた。それゆえ、弟子の間で芭蕉の理解の相違もあった。芭蕉から聞いたと言って、芭蕉の教えを語る支考を、「自分は芭蕉先生からそんな話は聞いてない。だからお前は嘘つきだ」と越人が批判したのも、そういうことである。
 だが、一方で、弟子を型にはめることはなかった。むしろそれを嫌った。其角は芭蕉の初期からの弟子であるが、特に晩年、芭蕉と其角の俳風は全く異なる。しかし、芭蕉は其角を批判するどころか、きちんと認めていた。
 『俳諧問答』にこういう話がある(これも『蕉門俳諧語録』にある)。
 芭蕉と其角の俳風があまりに違うので、困った許六は芭蕉に直接こう訊ねた。「其角は師の高弟ですが、その師弟の考えがこうも違っていては、信頼できません。どういうことでしょうか?その疑問に答えて下さい。一体、師は何を教え、弟子の其角は何を学び得たのですか?」(「師ト晋子ト、師弟は、いづれの所を教へ、習ひ得たりといはむ」)。
 芭蕉はこう答えた。
 自分と其角の俳風は、「閑寂」と「伊達」という違いがある。しかしこれは、それぞれの「すき出たる相違」、つまり、自分の「好き」(数寄)なところ、つまり個性の現れの相違に過ぎないのである。そして、

 師ガ風、閑寂を好でほそし。晋子が風、伊達を好でほそし。此細き所、師が流也。爰に符合スといへり。

 自分は、「閑寂」を好んで「ほそし」。其角は「伊達」を好んで「ほそし」。この「細き所」が私の流儀であり、その点で、私たち師弟は一致しているのである。

 つまり、個性の現れ出たその出方は全くことなるが、本質的な部分で、其角は師である芭蕉の教えをきちんと受け止め、その血脈を継承しているのである。

 其角が芭蕉に入門したのは、14,5歳の頃と言われている。そのとき芭蕉、32歳前後。以後、芭蕉が没するまで師弟関係は続く。

 学問も、説の違いなど大した問題ではない。志の通ずる人と文学を語り合うことほど楽しいことはない。武道も然り。志を同じくする人と稽古しているときほど、幸せなことはないのである。

ホーム > 研究 > 先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず

カレンダー
« 2025 年 1月 »
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最近の投稿
最近のコメント
カテゴリー
アーカイブ
リンク
中森康之研究室
武道部
俳文学会
現象学研究会

ページトップに戻る