- 2009-11-02 (月) 16:56
- 日記
尚志館の子ども(中1)がこんな質問をした。
ある日突然、「ああこういうことだったのか!」と分かるのは何故ですか?
尚志館では心得や論語の一節を、毎回声に出してみんなで言う。
心得とか、それまで意味も分からずただ言ってただけだったけど、ある日突然、「ああ心得の一つめってこういう意味だったのか!」と分かったことがある。どうしてそういうことが起こるんですか?
いつそんなことがあったの?
うーん、3年生くらいかな。
どうしてかは分からない。でも「学ぶ」とはそういうことだよ。そういう経験がいっぱいあるといいね。
私が教職の授業を受けていたとき、意味が理解できない文章を暗唱させることほど意味のないことはない、そんなことをするから国語嫌いが増えるのだ、と何度も聞かされた。まず意味を理解させることが肝要だと。
尚志館で行っているのは素読ではない。ほんの短い一節を一回みんなで声に出して言うだけである。
でもたまにそういうのが自分の中に種として残っていて、ある日自分の経験によって、それが突然芽を出す。子どもたちの中にしっかり生きているのである。 この子は小学1年生から空手を始めた。意味がよく分からないまま心得や今月の言葉を言い、3年たって始めてその意味が分かった。そしてその経験がどういうことなのかをこれまた3年間ずっと不思議に思い続けていたのである。そうして何かの雑談のとき、ふと私に聞いてみたのである。
どうしてそういうことがあるの?(この不思議な感覚は何なの?)
この子は何年もの時間をかけて、ゆっくり、しっかり学んでいる。
本当に子どもたちから学ぶことが多い、と改めて思った。
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