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寺田ヒロオ『もうれつ先生』

  • 2011-01-28 (金) 11:09
  • 日記

 寺田ヒロオ『もうれつ先生』を読んだ。
内田樹先生の最終講義後のパーティーで、関川夏央さんが紹介されておられたので、早速注文したのである( 関川さんは、純粋すぎたという寺田ヒロオさん自身のことも話されたが、非常に感銘をうけた)。関川さん曰く、

主人公の赤鬼は、少年漫画なのに必殺技を持たない。基礎を大切にして子どもを教育してゆく。

とても面白かった。私より上の世代の人たちは、こういう漫画を読んで育っていたんだなあ、と改めて思った。

なんせもうれつ先生は、もうれつに「凄い」のである。もうれつ先生に興味をもった子どもが、先生が寝ている蒲団をめくっても先生がいない。なんともーれつ先生、めくられた掛け蒲団に隠れることができるという凄技をもつ。しかも蒲団も枕も柔道の投げ技で投げて押し入れに片付けてしまう。
タネを明かされて、

なあんだそれくらい ぼくだってできるよ

という子どもに対して、

そうかな やってごらん

と微笑むもーれつ先生。もちろんできない。

むずかしいだろう

と先生。

どうしたらうまくできるの

と聞く子ども。

あしをうごかさないでちぢむのさ おさえているからやってごらん

といってやらせる。

ほらうまくできた

と子どもにやらせてあげる。もちろん自分だけではできない。

かんたんにはできないさ なんでもれんしゅうしだいだ

といって、もうれつ先生は、子どもたちが練習している横で、何事もなかったかのように御飯を食べる。

まず凄い技を見せてあこがれ(学びのモチベーション)をもたせる。
補助してやって子どもに体感させる(感覚を実感させる)。
そしてあとは自分で試行錯誤の稽古をさせる(先生はほうっておく)。

という教育のプロセスが見事に描かれている。

さらに子どもたちが聞く。

先生! いつから柔道をおしえてくれますか

きょうからでもいいよ

そう、もーれつ先生は何でも素早いのである。初めて渋茶警察に指導に行ったときも、ひととおり説明しながら警察官を次々投げ飛ばすと、

いかがですか これで猛烈のせつめいはおわります ではしつれい ごめん!

と行って走りさってしまう。

つかまらないのが猛烈流のとくい技さ

と言いながら。柔道でもつかまらない、普段の行動でもつかまらない。これが猛烈流なのである。説明が終わったら、さっさと帰る。用もないのにいつまでもそこにいない。
内田先生が武道家は用がないところに行かないと言われているが、時間においても同じである。
何でも「間に合わせる」。これが武道で重要なことである。物においてもそうだし、時間においてもそうである。「柔道は人の道、自然の姿だ!」。もちろん普通の人には、もうれつ先生は、「せっかち」な人に見えるのである。

さて、柔道を習えることになって柔道着に着替えた子どもたちは、いきなり乱取りをはじめようとする。

まてまてまだはやすぎる。
まずうけみのれんしゅうだ

といって見本を見せる。ここでももうれつ先生は、一番簡単な受け身から、スーパー受け身までいろいろ見せてくれる。

あまりの凄さに子どもたちが、

す、すごいや! もうたくさん! やめて!

と言い出す始末である。もうれつ先生、かなりお茶目な人である。

ところで、これまでの引用からも分かるように、この漫画、ひらがながとても多い。もちろん読点は打っていない。恥ずかしながら私はしばしば戸惑った。古典を最初に習ったときに、どこで区切っていいか分からないという感覚に似ているのであるが、これって、子どもの言語感覚を磨くのにとてもいいのではないだろうか。

それ以外にも、普通の人の普通の感覚がうまく表現されていたりと、とても面白い漫画だった。
関川さんに感謝である。

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