- 2011-05-13 (金) 8:47
- 日記
現象学研究会のメンバー、神山睦美さんに『小林秀雄の昭和』(思潮社)を頂いた。先だって、鮎川信夫賞(詩論部門)を授賞された本である。
神山さんらしい粘り強い思考が展開されている。
私にとって小林秀雄は「神」であるが、神山さんにとってはそうではないようだ。だからあの時代の中で、小林が何を感じ、何を考え、何を考えられなかったのか、その時代において小林の思考が届かなかった場所に足を踏み入れたのは誰か、ということを時代を追って考えられている。
「神」になった小林からさかのぼって見てしまう私にはない視点が盛り込まれていてとても勉強になった。受賞が「詩論部門」というのもいいと思う。
神山さんといえば、私が院生の頃初めて書いた論文に感想を下さった方である。当時私のまわりでは、罵詈雑言の嵐だった。特に院生の合評会はひどかった。
文体が軽すぎる
論文の文体ではない
時代遅れの思想である
主人公と作家を混同している
こんな論文を載せたら雑誌のレベルが下がる
なんでこんな論文書いたん?
当時はまだ「論文の文体」なるものが確固として存在すると信じる人が多かったし、思想的にはポストモダン全盛期だったので仕方ない。それに今から見ると、自分でもひどいと思う。しかしもちろん私はいい加減に書いた訳ではない。批判の矛先は、全部自分が意図してやったことだったからである。ただ力がなくてうまく表現できなかった。それは認めます。はい。
編入してすぐ、先輩同輩問わず院生たちから罵詈雑言を浴びせられ、先生(堀師匠ではない)にも呼び出されて教育的指導を受ける中、竹田師匠と神山さんだけが「そんなことないよ」と言ってくれた。竹田師匠はこう言ってくれた。
中森くんが拘っている問題と言いたいことは自分にはよく分かる。それはこうこうこういうことだろ?でもこの言い方だとそれはうまく伝わらないよ。
まさしくこうこうこういうことだった。
神山さんは「ビビッドな文体だ」と言って下さった。
そのお陰で私は研究を続けることができたのである。
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