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2011-01

形講習会

30日。形特別講習会。
今年は砕破。
礼が終わった瞬間にシークレットテストがあることを告げる。これに合格した者のみが今年の講習会に参加できるのである。チャンスは1回。

ええっ~

というような大げさは反応もなく、早速開始。といっても特別難しいものではない。形のある部分の基本的な分解ができるかどうかだけである。

全員異様に気合いが入っていて、出来た。本来は両手でやる技なのだが、通勤中に負傷したクリハラさんも、片手でやってうまく出来た。

全員無事合格。

ということで、講習開始。

最初のいい流れに乗ってしまい、今回はかなり難しくなってしまったようで、エミコさんとトシヤスくんしかうまくできなかったようだ。
が、エミコさんは一人別次元に行ってしまったかのような出来。突き手のイワサキくんが異次元に吸い込まれていくように見える。

豊橋に来て10年。10年前の覚悟が、今大きく花を咲かせようとしているのかもしれない。

でもまたすぐに元に戻るかもね~~

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永平寺の日々

 29日。
稽古後武道部の総会。せっかく集まっているのでということで、この前永平寺で買ってきたDVD『永平寺の日々』をみんなで見た。といっても私は実は病院に行っていて間に合わなかったのだが。

 最初に、新しい修行僧の入山シーンがある。2月半ばを過ぎた雪の中、8名の志願者が朝7時15分に山門に並ぶ。しかし迎えの人は出てこない。50分後、案内してきた和尚に木版を叩くことを許可される。約1時間後、ようやく先輩の修行僧が現れる。そしていくつかやりとりが行われる。それがいわゆる体育会系だったで、とても驚いた。が、それはともかくそこで先輩の修行僧が何度も確認したのは、二つのことである。

あなたの修行は永平寺でなければならないのか?
あなたは永平寺の厳しい修行に耐える覚悟があるのか?

 修行の最初において、「自分の修行の場はここ以外にはない」ということと、「ここでの修行に耐え切る」という二つの覚悟を求められるのである。修行を始めればすぐに、自分の覚悟が甘すぎるものであったと気づくのであるが、それでも最初にその覚悟なき者は修行を開始する資格がないということである。
 なぜか。
 自分の修行の場は「ここ」以外にないという覚悟がないもの、つまり、逃げ場がある者は、本当に苦しい時に逃げるからである。
 小川三夫さんも講演会で、鵤工舎でなくても、他でもやっていける人は採用しなかったと話されていた。その理由が、「逃げ場がある人は、本当に苦しい時に逃げるから」ということであった。本当に苦しい時に逃げる人の仕事には魂が入らない。だから逃げ場がない人しかものにならないのである。

 本当に苦しいとき、逃げずにその場で踏ん張って突破するには、自分自身が変わらなければならない。今までの自分では通用しないなら、自分を変えるしかない。この主体変容こそが、修行におけるブレークスルーであり、快楽なのである。

 もちろん「なぜ永平寺でなければならないか」「なぜ鵤工舎でなければならないか」ということに、論理的な根拠はない。だからそんな説明は求められない。ただ、自己の主体を変容させブレークスルーする覚悟があるかどうか、それだけが見極められるのである。

 現代の学校教育は、この主体変容についての最初の覚悟という、学びにおいて最も重要な契機の喪失の上に成り立っている。そしてあまりにもそれに慣れすぎた現代人は、学校以外の多くの学びの場においても、それを忘れたままにしてしまっているのかも知れない。
もちろん学校においても、それを取り戻す契機はたくさん存する。いくらでもかけがえのない「自分の」師に出会うことができる。ただ学校というところは、それがなくても入学し、卒業できるようになっているだけである。

 現代における武道修行の意味の一つは、ここにある。武道を修行することは、人が何かを学ぶことの意味を取り戻す、そういう効用もあるのだと思う。自分の主体を後生大事に抱えている人は、技もかからないし、ブレークスルーも望めない。だから武道の快楽も味わえない。
もちろん武道を始めるときには、そこまでの覚悟は求められない。たまたま近所に道場があったとか、大学にサークルがあったとかで始める人がほとんどだろう。私だって、あまりに体力が衰えてきたときに、たまたま親戚のおっちゃんがやっていたから、その道場に行ったに過ぎない。
だが武道の修行には、どこかの時点で、自分の師はこの人以外にはおらず、自分の修行の場はここ意外にはない、と思うときが必ずあるのである。

 幸い武道の師に入門することは、職業には関わらない。一部の特殊な人を除いて、武道は職業と直結していないのである。武道は、普通の人が誰でもできる、日常生活における修行の場である。どの仕事をしている人でも学生でも、そのままで武道の修行ができるところが頼もしい。むしろ日常生活を離れて武道の修行は成り立たない。

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寺田ヒロオ『もうれつ先生』

 寺田ヒロオ『もうれつ先生』を読んだ。
内田樹先生の最終講義後のパーティーで、関川夏央さんが紹介されておられたので、早速注文したのである( 関川さんは、純粋すぎたという寺田ヒロオさん自身のことも話されたが、非常に感銘をうけた)。関川さん曰く、

主人公の赤鬼は、少年漫画なのに必殺技を持たない。基礎を大切にして子どもを教育してゆく。

とても面白かった。私より上の世代の人たちは、こういう漫画を読んで育っていたんだなあ、と改めて思った。

なんせもうれつ先生は、もうれつに「凄い」のである。もうれつ先生に興味をもった子どもが、先生が寝ている蒲団をめくっても先生がいない。なんともーれつ先生、めくられた掛け蒲団に隠れることができるという凄技をもつ。しかも蒲団も枕も柔道の投げ技で投げて押し入れに片付けてしまう。
タネを明かされて、

なあんだそれくらい ぼくだってできるよ

という子どもに対して、

そうかな やってごらん

と微笑むもーれつ先生。もちろんできない。

むずかしいだろう

と先生。

どうしたらうまくできるの

と聞く子ども。

あしをうごかさないでちぢむのさ おさえているからやってごらん

といってやらせる。

ほらうまくできた

と子どもにやらせてあげる。もちろん自分だけではできない。

かんたんにはできないさ なんでもれんしゅうしだいだ

といって、もうれつ先生は、子どもたちが練習している横で、何事もなかったかのように御飯を食べる。

まず凄い技を見せてあこがれ(学びのモチベーション)をもたせる。
補助してやって子どもに体感させる(感覚を実感させる)。
そしてあとは自分で試行錯誤の稽古をさせる(先生はほうっておく)。

という教育のプロセスが見事に描かれている。

さらに子どもたちが聞く。

先生! いつから柔道をおしえてくれますか

きょうからでもいいよ

そう、もーれつ先生は何でも素早いのである。初めて渋茶警察に指導に行ったときも、ひととおり説明しながら警察官を次々投げ飛ばすと、

いかがですか これで猛烈のせつめいはおわります ではしつれい ごめん!

と行って走りさってしまう。

つかまらないのが猛烈流のとくい技さ

と言いながら。柔道でもつかまらない、普段の行動でもつかまらない。これが猛烈流なのである。説明が終わったら、さっさと帰る。用もないのにいつまでもそこにいない。
内田先生が武道家は用がないところに行かないと言われているが、時間においても同じである。
何でも「間に合わせる」。これが武道で重要なことである。物においてもそうだし、時間においてもそうである。「柔道は人の道、自然の姿だ!」。もちろん普通の人には、もうれつ先生は、「せっかち」な人に見えるのである。

さて、柔道を習えることになって柔道着に着替えた子どもたちは、いきなり乱取りをはじめようとする。

まてまてまだはやすぎる。
まずうけみのれんしゅうだ

といって見本を見せる。ここでももうれつ先生は、一番簡単な受け身から、スーパー受け身までいろいろ見せてくれる。

あまりの凄さに子どもたちが、

す、すごいや! もうたくさん! やめて!

と言い出す始末である。もうれつ先生、かなりお茶目な人である。

ところで、これまでの引用からも分かるように、この漫画、ひらがながとても多い。もちろん読点は打っていない。恥ずかしながら私はしばしば戸惑った。古典を最初に習ったときに、どこで区切っていいか分からないという感覚に似ているのであるが、これって、子どもの言語感覚を磨くのにとてもいいのではないだろうか。

それ以外にも、普通の人の普通の感覚がうまく表現されていたりと、とても面白い漫画だった。
関川さんに感謝である。

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とんでもない予測と・・・

25日。
 テーラーメイド・バトンゾーン教育プログラム・平成22年度第7回テーラーメイド・バトンゾーン講演会。

【テーマ】
『とんでもない予測とまじめな提案』
~2050年エネルギー問題と自動車の将来~

【講 師】  
渡邉 浩之氏(トヨタ自動車株式会社 技監)

 会議があったので途中から聴講。補助椅子を出すほどの盛況だった。学生たちも刺激されたのか、いい質問が続出。真正面からの答えは聞けなかったが、それは君たち若い人が自分で考えてね、というメッセージだったのだろう。

 終了後の座談会?に出席したニシクボくんが例によって研究室に来て感想会。

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明石焼

 23日。
 昨夜はポートアイランドのホテルに宿泊。
三宮で私の大好きな「たちばな」さんの明石焼を食べて、豊橋に戻った。
akashi.jpg
やっぱり美味しいですね~

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内田樹先生最終講義&パーティー

1月22日は内田樹先生の最終講義。

 utida.JPG

15時からであるが、例のごとく私は12時半頃到着。正門で守衛さんが挨拶してくださる。

こんにちは。内田先生の最終講義ですか?

いつもながら神戸女学院の守衛さんはすばらしい対応をしてくださる。帰りも、

ありがとうございました。お気をつけて。

とにこにこ笑顔で。実に気持ちがいい。そしてこれもいつもながら神戸女学院の空気はとても清々しいのである。その空気を吸いながら講堂につくと、すでに何人かそれらしき人が来ている。10分ほどそのあたりをうろうろしていると、なんと内田先生が登場。ご挨拶して、クリタさんと写真をとってもらう。
その後、内田先生、あろうことか「ここをこうして、これとこれは分けて」など、受け付けの準備を仕切り出した。そして準備が整ったところで、

ではどうぞ。

と自ら受け付けに立ってお出迎えをされた。この前の演武会でもちょっとその片鱗を見たが、最終講義者自らが受け付けの準備をし、その後も聴衆をお出迎えされている最終講義を私はこれまで見たことがない。内田先生の凄さを見た。

始まる頃には、800人収容できるという講堂は二階席まで超満員。立ち見も出た。自分の思い出話から静かに語り始められた最終講義は、ヴォーリズの建築、教育と信仰の話、リベラルアーツ、「愛神愛隣」の話へと展開し、最後に倍音を響かせた聖書の朗読で幕を閉じた。

見事な名講義だった。
 1時間強の講義が終わったとき、つまり朗読を終えて聖書が閉じられた瞬間、目の前の世界がぱっと明るくなった。パズルの最後の1ピースが見事に収まった。そして講義中に話されたヴォーリズの仕掛けによって、講堂から出た瞬間に自分が今うけたばかりの知的感覚が、具体的な身体感覚として追体験されたのである。神戸女学院の講堂でなければ出来ない、それを周到に取り込んだ講義だったと思う。さすが武道家である。

 終了後茶話会へ。これまたものすごい人で、外にも一杯溢れていた。ここでもあろうことか、気軽に本のサインに応じられていた。すばらしい。
 
 その後パーティー会場の宝塚ホテルへ。
このパーティーでも私は内田先生のパワーを知らされた。こんなパーティーは見たことがない。約230人という人数もさることながら、会場全体が内田先生への上質で上品な愛に満ち溢れていた。おそらく全員が、自分が、今、ここにいることを受け入れられていると感じだだろうし、その心地よさを味わったはずである。自分はここにいてもいいんだ、そう思わせる安心感。内田先生の本質なのか、神戸女学院の本質なのか、おそらくは両方だろうが、ともかく、気品と愛に満ちたパーティーだったと思う。教え子さんたちもとてもいい感じの方たちだったし、裏方の方々も大変素晴らしいと感じた。
 もうひとつ、スピーチされた方はもちろん、それ以外の方も、極めて個性的な方が多かった。これだけの個性を集めるのは並大抵のパワーではない。自分が大切にしているものをずっと守っている人だけが、同じものを大切にしている人を引きよせられるのだろう。

 初めて生の声を聞いた高橋源一郎さんや中沢新一さんなども同じ魂の持ち主だと感じだし、真面目に話されている茂木健一郎さんの姿には、TVとは別の茂木さんの本質を見た気がした。

 そういう非常に個性的な方々が、とてもその場に馴染んでいた。誰ひとり浮いていないし、目立っていない。それでいて、みんな個性的である。そして居心地がとてもいい。なんせ私なんて230人の中に、知り合いは2人しかいなかったんですからね。でもまったくそんなこと忘れていたし、純粋に心から祝福できた。

こういう良質の場を作り出せる力こそが、オープンマインドとハイ・スピリットなのであろう。

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学習エキスパート

 18日。
 豊明市立唐竹小学校に行く。
こちらはまだ昨日の雪が残っていた。
いつものように楽しく俳句の授業をした。

 中七・下五は決まっていて、いい上五が浮かばない子がいた。こういうとき、教師がおいてしまうとせっかくの作る喜びを奪うことになる。だからいくつかヒントになるようなことをいい、その子が閃くのを待つのである。しかし授業は時間が限られている。そこが難しい。今回ある子に、例えばこんなの、と例を出してしまった。しかしその子はそれを採用せず、終了時間がきても空白のままだった。その子は言った。

 自分で考えたいんです。

 余計なことを言ってしまった、と深く反省した。例を出さないで、もうちょっといいヒントがあったはずである。自分の力不足を痛感させられた。
 また頑張りますから許してね。

 終了後校長室でお話をしていると、「子どもたち、まだなんかいろいろやってますよ」と言って先生が入って来られた。子どもたちが、そのまま、ああでもないこうでもないと、俳句を作り続けているのだという。
 とても嬉しい日になった。

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雪の日

 17日。
 昨夜から降り続いた雪が積もっている。エフエム豊橋の渡辺さんの話(もちろんラジオ)では、豊橋中大渋滞がおこっているらしい。一部通行止めの道路も。確かにうちの前の道路も渋滞している。
 仕方ないので、午前中は映画を見に行くことにした。幸い今日は、前の出張の振休なのである。といっても、振休でほんとうに休んだことなんてない。今日も大学に行くのだが、まあこういう日は無理しないで、昼から行こうと思った次第である。
 映画館は歩いて行ける。喫茶店でモーニングを食べてから映画館へ。エフエム豊橋の前で、丁度番組を終えて出て来た渡辺さんモエモエに遭遇する。ちょっと立ち話。

 「武士の家計簿」を見た。

 映画が終わった頃にはもう道路の雪はとけていた。マスターのところによってから大学へ。
 14時50分から「榊プロデュース第10回プレステージレクチャーズ・平成22年度第6回テーラーメイド・バトンゾーン講義」を聴講。

【テーマ】
「The KAITEKI カンパニー」、「KAITEKI」社会を目指して
【講 師】  
小林 喜光氏(株式会社三菱ケミカルホールディングス 代表取締役社長)

 企業の方のpptのスライドって、やっぱり違いますね~

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センター試験

 15日・16日。

毎年のことであるが、センター試験の頃が一番寒い。
おまけに16日は吹雪。
試験の方は何事もなく無事終了したようである。
ほんとうによかった。
受験生の皆様、お疲れ様でした。

 今でも自分が受験したころのことを思い出す。
当時は共通一次試験と呼ばれていたが、それが知力ではなく体力勝負なのだと事前に誰も教えてくれなかった。しかし、二日めの最後、なんとそれが英語であったが、もう試験なんてどうでもいいくらい疲れて果てた。共通一次を乗り切るには、体力が必要なのだとあのときに分かったのである(が、二度めはなかったので、それ生かす機会は訪れなかった)。

 あの頃も寒かった~

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北陸行4福井高専2

 12日。
全体会議2日め。
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二日めも盛り上がりました。

みんなで記念撮影。
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昼過ぎに終了。
電車まで時間のあるメンバーと昼食。
ワタナベ先生と米原までご一緒。いろいろ面白いお話を聞かせて頂いた。

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