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2011-09
魯山人『個性』を読む
北大路魯山人の『個性』を読んだ。
字でいえば、習った「山」という字と、自分で研究し、努力した「山」という字が別に違うわけではない。やはり、どちらが書いても、山の字に変わりはなく「山」は「山」である。違いは、型にはまった「山」には個性がなく、みずから修めた「山」という字には個性があるということである。みずから修めた字には力があり、心があり、美しさがあるということだ。
魯山人ほどの人が型の重要性を理解していないはずはない。この文章も型に対する陳腐な理解ではなく、型の恐ろしさを十分知り尽くしている人間の言葉と解すべきだろう。
型から入り、それに徹することによって自ずから型から抜け出し、個性は出てくるのであるが、その際重要なのは、自ら修得しようという「精進」である。
習うな、とわたしがいうことは、型にはまって満足するな、精進を怠るなということだ。
この「精進」への執念がなくては、型から抜けられない。
型を抜けねばならぬ。型を越えねばならぬ。型を卒業したら、すぐ自分の足で歩き始めねばならぬ。
ではこのためにどうすればいいか。最初にまず徹底的に「型にはまる」ことである。型に徹するためには、それまでの自分を一端全部捨てねばならない。これは極めて困難である。武道の修行を初めれば、誰でも「型通りに動く」ことがいかに困難かがすぐに分かる。
だが「型にはまって満足する」人とは、実はこの「はまり」が中途半端な人なのである。徹底して「型にはまった」人は、その徹底によって自ずと型を越え出て行く。なぜなら「自分の足で歩」くことができる人でなければ、型にはまりきることができないからである。
それまでの自分の「自然」と、型の要求する「自然」は最初は矛盾する。型通りに動いたり、考えたりすることは、普通の人間には最初、とても「不自然」なのである。自分の動きと型の要求する動きが齟齬したとき、中途半端な人は、自分の動きを大切にする。そういう人こそが、いつまでも型から抜けられないのである。
もちろんうまく型にはまれたとしても、途中で「精進」を忘れてしまっては、やはり型から抜け出せない。そういう人は、一応、「正しい」ことができるから逆に始末が悪い。
型にはまって習ったものは、仮に正しいかも知れないが、正しいもの、必ずしも楽しく美しいとはかぎらない。個性のあるものには、楽しさや尊さや美しさがある。
大切なのは「楽しさや尊さや美しさ」であって、「正しさ」ではない。「正しさ」なんて、誰でも辿り着ける。
しかも、自分で失敗を何度も重ねてたどりつくところは、型にはまって習ったと同じ場所にたどりつくものだ。そのたどりつくところのものはなにか。正しさだ。
魯山人は、自分で試行錯誤を重ね、精進を重ねれば、「楽しさや尊さや美しさ」が生まれ、さらには、型など習わずとも「正しさ」に辿り着けると考えていたようである。やはり天才だったのかも知れない。
さて、個性については、魯山人はこう述べている。
それでは、個性とはどんなものか。
うりのつるになすびはならぬ――ということだ。
自分自身のよさを知らないで、ひとをうらやましがることも困る。誰にも、よさはあるということ。しかも、それぞれのよさはそれぞれにみな大切だということだ。
それぞれにそれぞれのよさがあり、無い物ねだりをしてはいけないということである。
こうも言っている。
牛肉が上等で、だいこんは安ものだと思ってはいけない。だいこんが、牛肉になりたいと思ってはいけないように、わたしたちは、料理の上に常に値段の高いものがいいのだと思い違いをしないことだ。
だいこんがだいこんであることのよさを忘れず、型に囚われず、自ら修めようとする志をもって試行錯誤に励んだとき、楽しさも美しさも個性も自ずと生まれる。そう魯山人は言っているのである。あるいは逆に、それが生まれるまで「精進」せよ、ということか。
久しぶりに学生に混じって……
- 2011-09-29 (木)
- 日記
最近は、見ていることが多かったが、昨日の稽古は、久しぶりに学生に混じって一緒に稽古した。
分かれての形稽古は、基本の形、撃砕第一、転掌、四向鎮に分かれていたが、全部渡り歩いた。基本の形を先頭で本気になってやるのはほんとうに久しぶりである。気持ちよかった~。
昨日はとりあえず基本の形を必死にやろうと思って稽古に行った。一から稽古するためである。やっているうちにいろいろ分かってきたし、自分の動きもよくなってきた。そして白帯も必死にやっているので、一緒にやっていてとても気持ちよかったのである。次回もがんばろう、と思う。
これもin加賀とin奥三河の好影響である。さすがに今回のインパクトは、すぐには消えない。このままどんどん盛り上がってゆくだろう。
ちょっと心配なのが、両者に参加した者と参加しなかった者との温度差である。奥底から出てくる気合いが全然違うのである。前者に引っ張られて全体がいい感じになってくれることを願う。
卒業生の展久くんも加賀以来、土曜日の稽古に来ている。熊本の岩崎くんもきっと向こうで盛り上がっているはずだ。
んっ???
こらっ、ヨウヘイ!
マエチンゴ~ル
- 2011-09-28 (水)
- 日記
怪我から復帰後得点を重ねているマエチンが、今日も得点。
2011年ヤマザキナビスコカップ2回戦第2戦。
vs.ベガルタ仙台。
(動画は削除されました)
今でも同じことを繰り返すマエチン。
これからも応援しています~
おでこ?
- 2011-09-27 (火)
- 日記
この前の日曜日の朝、電子レンジの扉の角に思い切りおでこをぶつけた。血がいっぱい出た。なかなか止まらなかった。
恥ずかしい……。
武道やってるのに。
塩田剛三さんか誰かは、部屋中に包丁かなんかをつるして修行していたと聞いたことがある。全くもって恥ずかしい。
そういえば私が子どものころ、父親はよく頭を打っていた。そんなとこ似なくても……と思う。しかし、そんなとこ似なくても……と思うところほど似てくるのである。ほんと。
そんなことをしみじみと思い出している私のおでこの傷をみた家族は、こう言った。
そこ、おでこか?
頭ちゃうの?
私たちはその部分にふさふさ髪があるので、私たちの認識では、そこは「頭」やで~。
そうやそうや。
ここは「おでこ」や!
メガネの修理
- 2011-09-25 (日)
- 日記
めがねの蔓が劣化して折れそうだったので、いつもの眼鏡屋さんへ。
このメガネ屋さんについては、前に少しブログに書いたことがある(こちら)。該当箇所だけ引用する。
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なんせ私は、この上なくメガネを愛しているメガネ屋さんを知っているからである。値段もデザインも二の次である。私はこの人からメガネを買いたいのである。そしてこの人にメガネをかけてほしい。フレームの調整をするときに何度かメガネをかけてくれるのだが、これがこの上なく気持ちいい~のである。
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フレームの調整でめがねをかけてくれるとき、その蔓の通り道があるのだという。そこをうまく通ったフレームは合っている。そこをふわ~っと通ってかけてくれるので、とても気持ちいいのである。
さて、今回。
修理に出す必要があるという。しかも1週間ほどかかる。一日でもめがねがないと困るし、実は、視力の関係で、来月あたりに新しいめがねを買うつもりだったのでちょっと困った。
そこで、お店でちょっと特殊な方法で修理をして頂いた。そして新しいめがねを買うことに。いろいろ見ていると、
これはいいですよ。私らが見ても、よくこんなめがね作ったな、と思うくらいの出来です。蔓の塗りも全然違うし、しっかりしている。
というめがねを紹介されたので、それを来月買うことにした。
今までのとは全く違う、ものすごく太いめがねである。
かけたらどんな感じになるのだろう。
って、もちろんかけてはみたんですけどね。でも自分ではよく分かりません~
第4回愛知県観光交流サミットin奥三河(2)今井彰氏講演
23日。
第4回愛知県観光交流サミットin奥三河 午後。
午後は特別記念講演。
〔特別記念講演〕
今井彰氏「日本人の底力~夢を叶えた仕事人達」
作家・元NHKエグゼクティブプロデューサー
『プロジェクトX~挑戦者たち』チーフプロデューサー
準備中
涙が出そうになった。そして勇気と元気がでた。このような講演をきけて幸せだ。そう思った。
一緒に行った武道部員と卒業生もみなそう感じたようだ。彼(女)らは全員、技術者とその卵である。講演が終わったときの彼(女)らの顔はとても明るかった。ほんとうに来てよかった、という表情をしていた。そしてこれから自分も頑張ろうというやる気に満ちた顔だった。
その予感は講演前からあった。始まる前に購入した本を、講演前にみな一心不乱に読み始めたのである。今勉強中の学生。来年就職が決まっていて期待と不安の中にある学生。今会社で技術者として働いている卒業生。いろいろな思いを抱えてここにやってきた若い技術者(とその卵)たちの心に、今井さんの言葉が、そっと、そして確かに触れた。もちろん私の心も鷲掴みにされた。
今井さんの話から私が受け取ったのは、日本を支えてきた日本の技術者たちの、「夢」と「誇り」と「技術力」の素晴らしさである。そしてそこに現れたリーダーたちの「人間」としての魅力である。
「日本人の底力」とは、「人間力」溢れるリーダーのもと、「夢」と「誇り」と「技術力」をもった技術者たちが渾身の力を発揮したところにある。そう感じた。
リーダーについては『ゆれるあなたに贈る言葉』(小学館)にもこう書かれている。
プロジェクトXを通じて本物のリーダーたちの生き様を見てきた。個性や人生経験に裏打ちされたもので、表現は様々であったが、根底に流れる人間観、目標の見据え方、仕事へのこだわりなど、不思議に相似しているのである。
最後に問われているのは人間力である。人を包み込む情であり、自分を受け止めてくれる器の大きさである。鬼や仏にはなれないが、人間力を磨き上げることは可能だ。(88頁)
そして、そのリーダーについていった多くの無名の技術者たちは、高い技術力を持ち、高い志と夢を持ち、誇りを持っていた。それを可能にしたのが、「目の前のやるべきことをきちんとやりきる」という日本の多くの人が持っていた価値観ではなかったか。講演で紹介された「全島1万人 史上最大の脱出作戦~三原山噴火・13時間のドラマ~」における大島町役場助役秋田壽さんの言葉がそれを象徴している。
これまで30数年間、一生懸命コツコツやってきた。その積み重ねが、あの一晩で出た。
秋田さんは、「あの一晩」のために仕事をしてこられたのではない。それは目的でもなんでもなかった。見事な脱出は、たまたま出た、それまでの30数年間の「積み重ね」の結果に過ぎなかったのである。もしあの脱出作戦がなかったら、秋田さんは注目されることもなく真面目な助役さんとして定年を迎え、勤めを終えられたであろう。たまたま脱出作戦があったから、その一晩でそれまで積み重ねてきたものを発揮されたのである。
これが「日本人の底力」なのだと思う。その意味は、他にも秋田さんと同じような力をもっていながら、それを発揮する「あの一晩」には巡り合わずに退職された方が多勢おられたはずだということである。
「底力」は普段は底に潜んでいる。そして「いざ」というときに出てくる「力」である。「いざ」がなければ潜んだままである。この多くの潜んだ力を持っていたことが、日本の底力であり、「日本人の底力」なのだと思う。
私は日本文化論の授業で武道論を話しているが、それは日本の高度なもの作りを支えてきた価値観と、武道の価値観に同じ「思想」を見ているからである。先の秋田さんの言葉は、日本の武道修行の本質的な価値観と同じだと言ってよい。というのも、これがいきなり襲ってきた敵から我が身を守った武道家の談だったとしても何ら不自然ではないからである。
これまで30数年間、一生懸命コツコツやってきた。その積み重ねが、あの一晩で出た。
武道の修行においては、日常の日々の生活こそもっとも大切な稽古だと考える。それがいざというときに出る「底力」だからである。武道においては、いついかなる時でもその場で発揮できる「底力」しか意味を持たない。戦いはいつどこで始まるか分からないからである。派手で楽しい稽古は、(自己)満足感とピーク時のある程度のハイパフォーマンスを生むかも知れないが、「底力」を養成しないゆえに、武道では役に立たないと否定される。
武道における「底力」とは、同じことを毎日毎日一所懸命繰り返しやり抜く力の蓄積のことである。本物の武道家は、ひとたび「あの一晩」に巡り合ったなら、「出た」と言える「底力」を持つために、日々の生活を送っている。しかし何度も言うけれども、ほとんどの武道家は、「あの一晩」に巡り合わない。だからそれを発揮することもない。この、おそらく決して使わない「力」を養成するために何十年も修行を続けるのが武道の修行である。決して人を斬らないために剣を極めるという逆説が武道の価値観なのである。
私は毎年、日本文化論の授業の最後に、西岡常一棟梁の次の言葉を学生に贈ることにしている。
与えられた今の仕事を一生懸命やりなはれ。手を抜かずにちゃんとやってみなはれ。そうすれば見えてくるものがありまっせ。
彼(女)らは、個性を重視し、主体を大切にし、やりたいことを求め、「楽しみ」が強調される価値観の中で育ってきた。技術者教育においては、「これからの技術者はマネジメント能力が必要である」「これからの技術者は経営センスが必要である」「これからはイノベーションを起こせる技術者が求められている」「これからはグローバルな技術者が求められている」と繰り返し言われ続けている。もちろん私は、その全てを否定する訳ではない。ただ残念ながらそのような価値観からは、秋田さんの言葉は生まれないのではないかと危惧しているだけである。それはつまり、「日本人の底力」の「底」が割れるのではないかという危惧である。
そういう価値観の中で育ったにも関わらず(本当は「育った故に」と言うべきである)、それが叶わず、自信をなくし、不安を抱える者も多い。それを隠すために、虚勢を張り、心を閉ざしている者もいる。しかしほとんどの者は、まさしく今井さんが渾身の力で制作された、『プロジェクトX』に出てくるような、名もなき技術者に憧れと誇りをもって技術者になろうとしたのである。そして今もなおその熱い「心」を持っていることを、私は信じて疑わない。
私は技術者教育に関わる者として、彼(女)らが、その「心」を生かし、夢と誇りと志をもって、自分の技術を発揮できることを心から願っている。そしてそれがまさしく「底力」となって、ほんとうにいいものを作ってくれることを願っているのである。そして、そこから「人間力」溢れるリーダーも生まれ、真にイノベーティブな技術者も生まれると信じているのである。
さて、講演終了後は、全員今井さんの御著書にサインをして頂き、しっかりと握手をしていただいた。その時のお言葉もそれぞれの心に響いたようである。
恒例の感想会。いつもの場所でいつも以上に盛り上がりました。
寺子屋番外編in加賀(1)(2)(3)(4)、愛知県観光交流サミットin奥三河、と立て続けにとびきりの経験ができた。
ほんとうに感謝である。特に小野くんは、これが人生の転機となったはずである。そうでなければ彼の人生は嘘だ。ここ数日、そのくらいもうれつに変化している。他の人も同じである。武道部、方寸塾は確実に今、地盤が動いている。もうちょっとでブレークスルーするはずだ。
それにしても、in加賀といい、in奥三河といい、参加できなかった人はとても残念である。事情があってやむなく参加できなかったのではあるが、ぜひ経験してもらいたかったと思う。特にくり坊には講演を聞かせたかった。
『プロジェクトX』をまた見たくなって、講演会の翌日DVDを2本見た。
移動中の車の中では、中島みゆきさんの「地上の星」が延々とリピートされている。
学生の車内、iPhoneも同じだと聞いた。
第4回愛知県観光交流サミットin奥三河(1)
- 2011-09-23 (金)
- 日記
新城で行われた第4回愛知県観光交流サミットin奥三河に、武道部員、卒業生と行ってきた。
お出迎え~
午前の部「奥三河民俗芸能紹介」を見る。
和太鼓「志多ら」1
和太鼓「志多ら」2
貝津田の棒の手1
貝津田の棒の手2
貝津田の棒の手3
河内の花祭り
下黒川の花祭り1
下黒川の花祭り2
武道部員は大分「おねむ」です。
大海の放下
支えるのはやはり「左」。
終了後はお食事。
五平餅~
とうもろこし~
Ust映像はこちら
MENE?
- 2011-09-22 (木)
- 日記
数人である喫茶店に入った。
珈琲フロート下さい~
コーラフロート下さい~
クリームソーダ下さい~
パインジュース下さい~
むむむ?
このコーラ、気が抜けてます……
この珈琲フロート、……
このパインジュース、……
このクリームソーダ、……
次々回し飲み。
……
コーラの気をここまで抜く方が大変ですね。
一日か二日放置したんですかね?
などといいながら誰かがメニューを見る。
むむむ???
んっ?どうしたん?
いや、そのぉ~~
「めね」えええ???
台風15号
- 2011-09-21 (水)
- 日記
台風15号がやってきた。
幸い自宅も大学もたいした被害はなかった。
私の周りでいうと、家の前の銀杏の木が倒れたり、停電・断水したり、信号もほとんど消えた、2年前の台風18号の方がひどかった(そのときの話はこちら)。
私の周りは幸いそういう状況だったが、ニュースによると、被害に遭われた方も多かった。
被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。
私のごく近くではこの程度でした。
ベンチが滑って行きました(右上)。
排水溝が詰まっている模様。窓の外に水が。
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