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2011-12
現研翌日
- 2011-12-11 (日)
- 日記
ホテルをチェックアウトしてそのまま東京駅へ。
昼過ぎに豊橋について、家によって研究室へ。
そこでまた書類書き。
なぜこんなに書類が多いのかなあ。
こんなことをしていたらダメになるので、昨日の現象学研究会のメモを見ながら、あれこれ考える。そうすると元気が出て来た。
現象学研究会
- 2011-12-10 (土)
- 日記
久しぶりの現象学研究会。
テキストは、フッサール『ブリタニカ草稿』。
フッサールとハイデガーの現象学理解の違いが決定的になったと言われているものである。
2人で話し合ったとき、それぞれ何を感じていたのだろう。
そうして、ハイデガーの文章を経て、最終的にフッサールが第4草稿を書いたとき、フッサールは何を感じていたのだろう。
また、それを見たハイデガーは何を思ったのだろう。
あらためて人間の「あはれ」を感じた。
弟子は本質的に師匠を裏切る。
裏切ることによってのみ、師匠の思想なり技術なりを伝承することができる。
しかし本質的に裏切ることができるところまで師匠を理解できる弟子は稀であろう。
だから私は、その「あはれ」を底流にもたない師弟関係を信じないのである。
あまりに忙しすぎて
- 2011-12-09 (金)
- 日記
このブログは日付を遡って書いていることも多いけれども、たまに何をしていたか分からない日がある。今日だ。ほぼ日手帳も忙しすぎて数日空白になることがある。
ほぼ日手帳と記憶が空白の日は、何をしていたか分からない。
多分高専連携プロジェクトのメンバーの全体会議出張書類や当日のプログラムやら、その他書類を一日書いていたのだろう。
こういう日が続くと困るので、ブログを書いている訳である。
1年次入学生と3年次入学生(続)
昨日、1年次入学生の1年生と3年次入学生の3年生にかなりの違いを感じるようになったという話を書いた。なぜこのようなややこしい言い方をしているかというと、1年次入学生でも、2年生、3年生となるにつれて3年次入学生と馴染んでゆくからである。しかしそれでもここ数年、3年生、4年生になっても、1年次入学生だと分かるようになってきた。これも興味深い問題である。
さて、今日は国文学2、村上春樹『海辺のカフカ』。
ここでも、やはり1年生と3年生の違いを顕著に感じた。何度もいうが、良い悪いではない。しかし違う。
たとえば、『海辺のカフカ』は、うちの学生にとって、非常に難物で、最初はみんな文句を言っていた。
作者が何を言いたいか分からない。それは作者の責任である。結論を明確にすべきである。自分が書くとしたら、まず結論を先に書く。
などなど。
しかし、このような主張は、高専卒生の3年生ではなく、ほとんどが高卒の1年生から出たものである。これも大変興味深い問題である。
もちろんこれは最初の反応であって、ディスカッションを重ねるうちに、様子は変わってくるのであるが、それにしてもじっくり考えたい問題である。
さて授業の方は、「文学」の表現とはどういうものかを私が時々説明しながら、みんなであれこれ読み解いている。毎回3人ずつプレゼンをしているが、大分読みが深まってきた。これは1年生も3年生も同じ。
授業も半分ほど過ぎたが、最初の頃のようなことは誰も言わなくなった。もちろん読みについては、いろいろ意見がでる。そして工学部の学生たちは、私にはない視点と発想を持っている。これが面白いのである。
この調子でどんどん読み解いてほしい。
1年次入学生と3年次入学生
- 2011-12-07 (水)
- 授業
今日は日本語法2Cと大学院の都市空間論。
今まであまり感じなかったのだが、去年くらいから、1年次入学生の1年生と3年次入学生の3年生にかなりの違いを感じるようになった。今年はかなり顕著だ。もちろん良い悪いを言っている訳ではなく、授業への姿勢や考えていること、その人が持っている空気の質感が大分違うように思う。
これまでも多かれ少なかれその違いはあったのだが、カリキュラムの都合で、私の授業は3年生がほとんどで、1年生はまずいなかった。それが今年から新カリになって、ほぼ半々となった。それが大きいのだろう。
もうひとつ、何も言わないと彼(女)らは固まって、しかも、毎回同じ席に座る。だからそこにそれぞれの空気感が出てしまうのである。
そこで、これまでもたまに他の授業でもそうしていたが、できるだけばらばらに座るように指示し、しかも一度座ったことのある席に座ることを禁止した。そうすると私も学生も毎回違った気色に見えるので、とてもいいのである。
思想と文化のある本屋さん
- 2011-12-06 (火)
- 日記
私は思想と文化のある本屋さんが大好きだ。
店全体がそれを持っている場合と、個別の売り場が持っている場合があるが、たいていはどちらもあるか、どちらもないかである。
どのような本をどのような順で並べてあるか。それがその本屋さん(売り場)の見識であり、思想であり、思いである。そして文化である。個々の商品自体はどこの本屋さんも同じだ。だからどの本を仕入れ、どの本をどう並べるかが、全てを物語っているのである。
そういう思想と文化が感じられる本屋さんにいると、時を忘れてしまう。逆の場合は、少し気持ち悪くなる。おそらくそういう本屋さんは、本を愛していないからである。本に対する愛のない本屋さんは居心地が悪い。
この前東京に行った時、久しぶりに丸善の丸の内本店に行った。ここはそういう思想と文化を持った本屋さんだった。
大学時代大変お世話になったジュンク堂も私は大好きだ。特に専門書をおいてくれていたサンパル店には大変お世話になった。ジュンク堂は、このサンパル店に代表されるように、社長さんの強い意志が感じられる。そして、店員さんにプロ意識と誇りを感じる。
もちろんその他にもいくつかお気に入りの本屋さんがある。そういう本屋さんがあることが、とても幸せである。
鷹狩り2
(昨日の続き)
放鷹術実演の後は、公開講演会。
講師:二本松康宏氏(静岡文化芸術大学准教授)
演題:鷹狩りの文化と伝承ー三河吉田藩と小鷹野をめぐってー
「王朝の鷹狩り」から「三河吉田藩の鷹狩り」まで、通史的にざっくり概観された。また、鷹狩りの文化史的意味、「野」という領域の意味に言及された。非常にわかりやすくて面白い話だった。鷹匠の身分など、初めて知ったことも多かった。
その後、昼食会。
田籠善次郞鷹師(諏訪流放鷹術保存会第十七代宗家)とお話しながら会場へ。
鷹の育て方、性質、鷹匠の修行法などについてお聞きする。
聞けば聞くほど、人間と一緒である。
食事会でも、興味深いお話をお聞きする。
若いお弟子さんが多かったが、とても真摯に取り組んでいるのがよく分かったし、しっかりと自分の考えをもって修行されている。なにより、屈託がなく、明るかった。そうでないと鷹が馴染んでくれないのだろう。
田籠鷹師は、ここでも面白いお話をして下さった。
若い頃、鷹をつれて遊びに行ったら、師匠に全て見抜かれたというお話。
鷹の顔を見れば、何をしてきたかが全て分かるのだそうだ。
人間は嘘をつくが、鷹は嘘をつかない。
田籠鷹師はこうもおっしゃった。
自分の師匠の言葉は宝の山だった。あちこちに宝石をばらまいてくれた。私はそれを全部集めて持って帰りたいと思ったが、なかなか全部拾いきれなかった。
正確ではないが、そのような意味のことをおっしゃった。
自分の正直な思いであり、またお弟子さんにも語っておられるのだろう。
私にも覚えがある。
師匠の教えは、自分の能力に応じてしか受け取れない。しかしその100分の1も受け取れていないことだけは分かる。だから歯がゆい。しかし自分がレベルアップするしかそれを受け取る方法はない。宝石のように、集めて袋に入れて持って帰ることはできない。言葉だけを覚えていても意味がない。メモしても、録音してもダメなのである。
受け止めきれない膨大な教えを慈しみながら、今自分に受け止められる教えを真正面から誠実に受け取る以外にない。そうやって、時間をかけて少しずつ少しずつ進んで行くしかない
師匠もそうやって師匠になった。
だから師匠はいつでも本質的に、待っていてくれる存在なのである。
鷹狩り
12月3日。
三河・鷹丘 鷹狩りのふるさと
放鷹術実演、講演会
に行った。
豊橋市西小鷹野にある鷹丘小学校。
土曜の午前中だったので、武道部の稽古を休みにして、総勢29名で見に行った。
大学院(修士)時代の恩師からご案内を頂いた。
豊橋に住んでいるのに、このイベントについて全く知らなかったので、ほんとうに有り難かった。
豊橋に鷹丘地区というのがあり、そこが昔小鷹野と呼ばれていたというのを初めて知った。もう10年以上住んでいるのに恥ずかしい。
さて、朝から暴風で中止かなと思いつつ出かけた。
予定を変更して体育館の中で実演。
精悍な顔つきですね
準備中
鳩!
鳩!2
爪も鋭いですね。
目が合っちゃいました。
鷹自体も非常に刺激的だったが、印象に残ったのは、鷹匠の方と鷹との一体感、鷹匠の歩き方である。鷹が心から安心しているような宗家の歩き方がとても印象的だった。
実演の後は、講演会。
それについてはまた明日。
シンポジウム・問われる成人力
12月2日。
主催:日本経済新聞社、文字・活字文化推進機構
プログラム
基調講演 浅田 次郎氏(作家 日本ペンクラブ会長)
パネルディスカッション
パネリスト
浅田 次郎氏(作家 日本ペンクラブ会長)
近藤 誠一氏(文化庁長官)
雑賀 大介氏(三井物産代表取締役常務執行役員)
コーディネーター
八塩 圭子氏(フリーアナウンサー、学習院大学特別客員教授)
まず聴衆の層に驚く。
サラリーマンらしき年配の方がほとんどだった。
日経新聞主催だからなのか、文字・活字文化推進機構だからなのか、パネリストによるのか分からない。しかし、私がいつもいくシンポジウムとはちょっと違う人達だった。だからどうということもないけれども。
しかし私の隣の方は、浅田次郎さんの講演のときは少々お眠りになっておられたが、雑賀さんのご発言のときは、頷きながらメモをとっておられたので、ああ、そういう方面の方なのかなあ、と思った次第である。実は反対側の隣の方も、おきてはおられたが、ほぼ同様の反応だった。
浅田さんの基調講演はとても面白かった。
自分の本分を忘れてはいけない。
「分」をわきまえる。最近私もよく学生に言う。これは最近の日本が忘れてしまった日本文化の大切な価値観である。
その後、「希望的観測」という語を手がかりに、日本人の国民性について話された。日本人は「希望的観測」に基づいて行動してしまうのだそうだ。この語の初出や戦争の話など、小説家らしい、興味のわく話の展開だった。
そして教育の話。
明治維新は奇跡であり、これが成功したのは国民のレベルの高さゆえであった、という。リーダーの力量以前に、寺子屋の普及などによる日本国民の教育水準の高さが、あの明治維新という奇跡を成功させたのだと。中山道などの宿場には、今多くの記念館が建てられているが、そこには膨大な数の御触書が保存されている。つまりは、それだけみんな文字が読めたということであると言われた。なるほど。そして、
この教育制度について真の誇りを持たねばならぬ。
とおっしゃった。全く同感である。私の考えはまた改めて述べるとして、日本の教育思想とシステムは非常に優れたものだったのである。
しかし、今の成人力は、30年前の7掛け(8掛け)だという。つまり、今の60歳は、30年前の42歳程度、20歳は14歳程度であると。なるほど、なるほど。自分自身を省みて、そうかも知れぬ、と思う。反省せねば。
最後に印象に残ったのが、「節目節目で人間がやらなければならないこと」。『新撰組始末記』が出版されたのが1928(昭和3年)、明治維新から60年後である。ご自身の小説『終わらざる夏』も、終戦から65年後の出版。だいたいそういう節目で人間がやらなければならないことがある、そうおっしゃった。
さて、その後は、パネルディスカッション。90分という比較的長い時間をとってあったこと、さらにパネリストが成人力の高い方だったこともあり、非常に充実したいいシンポジウムだった。
浅田さんは、今日の入場者の学生の割合が3%ほどであることを指摘された。普段大学の講演に行っても、そこの学生はほとんどいないという。いる場合は、出席が授業の振り替えになっている場合、つまり単位となる場合であると。
それに対して、こういうシンポジウムがあると、アメリカでもデンマークでも、半分は学生だと、近藤さんが言われた。
その近藤さんが紹介された、デンマークの話はとても興味深かった。PISAの順位は低いけれども、国民の満足度はナンバーワンなのだそうだ。日本とは正反対である。
そのデンマークの教育は、徹底した教養教育であるという。
雜賀さんは、人のせいにしないことが成人力だとおっしゃった。それと、現実で苦労せよ、と。
それにしても面白かったのは、
浅田さん
「あの人は人物だ」というようなものが「成人力」であり、そういう人が減った。それは、儒教などによる「人間とはかくあるべきだ」という規範を日本が失い、それがないまま目先の利益を追うことに追われたからだろう。
近藤さん
デンマークが徹底した教養教育を行っているように、古典・歴史から学ぶことが重要であり、一見ムダに見えることがその人の教養を作り、自立の基となる。
雑賀さん
(企業としてどういう人が欲しいですか)部屋の中に閉じこもってパソコンばっかりやってる人はいらない。現実の中で、しっかり社会体験している人がほしい。現実を見て苦労していることが大切だ。
(海外留学は?)その前に、自分の中にしっかりしたものをもってから行って欲しい。自分が空っぽで行っても、洗脳されるだけ。
作家も文化庁長官も大企業の代表取締役常務執行役員も、世間で言われている「グローバリゼーション」も「効率化」も「コスト意識」も大切だとは言われなかった。いやむしろその前に、成人力が必要だと説かれたように思う。そういうシンポジウムだと言ってしまえばそれまでだが、これからの日本にも、産業界にも、そんなものは必要ない、必要なのはグローバルで効率・コスト意識の高い人材であるとは誰も言われなかった。そして冒頭でも述べたように、このシンポジウムの聴講は、ほとんどが産業界の方のようだった。しかも、年配の方が多かった。そしてうなずきながらメモをとられていたのである。
一体、誰がどこで、グローバルで効率的でコスト意識のある人材を求めているのだろうか?
代表の新しいノートPC
- 2011-12-02 (金)
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