- 2012-01-11 (水) 15:42
- essay
ある方こうおっしゃった。
人間は必ず間違うものだから、その前提に立って、ヒューマンエラーがあっても大丈夫なシステムを設計しなければならない。
そうだろうと思う。しかしその反対も考えなければならない。
機械は必ず壊れるものだから、機械が壊れても大丈夫な人間を育てなければならない。
これは対立でも矛盾でもない。お互いがそれを本気で目指している場所でだけ、かろうじて安全は保たれる可能性があるということである。「本気で」というのは、システムを設計者は人間を、教育者はシステムを十分にリスペクトするという意味である。人間は間違う必ず間違うものだ、ということの中に、人間に対する信頼が裏打ちされていていなければならない。逆もまた然りである。
そうして、それでも手に負えないと思われるものには、慎み畏れて、手を出してはいけない。それが人間の分をわきまえるということである。
自然は人間の手には負えないものである。
原発も人間の手には負えないものである。
分をわきまえなければならない。
自然を畏怖せねばならない。
当たり前の思想と感性を取り戻したい。
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