- 2009-06-08 (月) 16:51
- 研究
重松清氏と鶴見俊輔氏の対談、「「師弟」から見た日本人論」(潮 2009年5月号)を読んだ。
(鶴見)ダメな教師ほど自分を模倣させようとするんです。
なるほど。その通りだ。
(重松)最近、「教え子」という言葉が死語になってきたと思うんです。「うちの生徒は」と言うけれど「私の教え子は」と教師が言わなくなった。「生徒」と言うと学校という組織のなかの構成要素ですよね。でも「教え子」と言ったら教師にとって大事な存在になるはずなんですが、いつの間にか教師は教え子と言わなくなった。
そうなのか、とちょっとびっくりした。この前喫茶店に入ったら学生がいて挨拶された。マスターが「知り合いですか?」と聞いてきたので、私は「教え子です」と答えた。だから私は普段「教え子」と言っていると思うのだが、しかし逆に大学生のことを「教え子」と言っていいのかな? それはともかく、「教え子」が死語になってきたと聞いて、ちょっとショックだ。
(重松)若い先生たちは教え子に語るべき自分の人生とか思いというものを持っていないから踏み込んでいかない。踏み込んでいかないから生徒が「教え子」にならなくて「生徒」のままでいる。
なるほど。私も、「語るべき自分の人生とか思い」を持ちたい、とずっと思ってきたが、恥ずかしがらずに語れるようになったのは、ここ数年のことである。
(重松)鶴見先生は--、弟子のほう、教え子のほうは自分の弱いところを知ることで師を求める。師のほう、先生のほうも自分自身の弱点を認めることでその言葉が説得力を持つ。師弟関係というのは、お互いに自身の「弱さ」「弱点」を自覚するところから始まる--とおっしゃいました。そういうことから言うと、日本は明治以降、ずっと自分たちの弱さを認めたくない、弱いと思われたくないということでやってきたのかも知れませんね。
これもその通りだと思う。自分の弱さを自覚していない師匠に弟子入りしたら、たぶん不幸なことになるだろう。もちろん自分の弱さを自覚しない弟子を取ったら、師匠も大変である。
(重松)お稽古事のお師匠さんはまず最初に所作・振舞いを教えますよね。野球のコーチがバッティング・フォームを教えるのも、フォームを固めておけばどんな球でも打てるわけです。だからそれは決して形式主義じゃないんだけれども、僕たちはそういうものを形式主義という名のもとに過剰に排してきちゃったような気がするんです。
私も以前は過剰に排していたが、今は過剰に推進している。もちろん形式主義ではないこと、その重要性が分かったからであるが、それについては今書いている本に詳しく書くつもりである。
(鶴見)私塾というのは「師の思い」が弟子に伝わるんですよ。幕末のころ、スコットランドに、やがて『ジギル博士とハイド氏』を書くスティーブンソンが学生でいたんです。……彼は当時は怠け者で、ただ大学生というだけなんです。そこに脱藩した日本人がやって来るんですよ。その日本人がものすごく勉強する。……その日本人は、なぜ自分が勉強するかというと、「自分たちの先生に吉田寅次郎という人がいて……」と。
(重松)松蔭ですね。
(鶴見)「先生は、捕らえられて処刑されるときも詩を吟じながら刑場に赴いた。先生のことを思えば怠けていられるか」って。
自分が怠けることは、先生に対して恥ずかしいという気持ちを持っていたのだと思うが、おそらく彼は、怠けず必死に勉強しても、なお先生に対して恥ずかしいと思い続けたに違いない。自分の存在自体が、先生の大きな存在に対して恥ずかしい、だから少しでもそれに近づけるように必死に努力する。努力すればするほど先生の大きさが分かってくる。もちろん師は師で、自分の弱点を知っているので、その弟子を見て自分が恥ずかしくなるのである。おそらくよい師弟関係とはそういうものだろう。
ついでに言うと、人は自分のためだけだと、最後の最後で踏ん張り切れないものである。ここで自分が諦めたら、それまで支えてくれた人に申し訳ない、ここで自分が最後の一踏ん張りができたら、あの人が喜んでくれる、そういう思いこそが、土壇場で人を強くするのだと思う。
(重松)こういう時代、インターネット全盛の時代だからこそ、たとえば正座をさせたりしたら、すぐに「権威主義だ」と言うんじゃなくて、「背筋を伸ばせば、能率も上がるよね」という発想が必要なんじゃないかと思いますね。
そのためには、まず教師や指導者が、呼吸が深くなる、能率が上がる姿勢がどういうものかを知らなければならないだろう。自分の心身の能力を最大限に発揮できる姿勢、体の使い方を知らず、いわゆる「気をつけ」などを良い姿勢だと思っていては、自分の語る人生や思いを伝えることは難しいかも知れない。
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