- 2010-03-13 (土) 7:11
- 武道部
小林秀雄の「私の人生観」を思い出してさっと読み直した。びっくりである。第2回寺子屋で話したことがたくさん出てくる。若い頃大好きで、講演のCDも時々車で聞いている(実はもうほとんど全て覚えている)小林秀雄であるが、「私の人生観」は長らく読み返していなかった。
第2回寺子屋でカトウさんが、「先生方の形や技をよく見ようと思って頑張って見るけれども、いくら見てもよく分からないんですけど」と質問した。
よく見ようとするから見えないんですよ。武道は「ぼーっと見る」んです。
そう言って、武蔵の「観の目」「見の目」の話をした。それについて小林秀雄はこう書いている。
武蔵は、見るということについて、観見二つの見ようがあるということを言っている。(略)観の目強く、見の目弱くみるべし、と言っております。見の目とは、彼に言わせれば常の目、普通の目の働きかたである。敵の動きがああだとかこうだとか分析的に知的に合点する目であるが、もう一つ相手の存在を全体的に直覚する目がある。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目がある、そういう目は、「敵合近づくとも、いか程も遠く見る目」だと言うのです。「意は目に付き、心は付かざるもの也」、常の目は見ようとするが、見ようとしない心にも目はあるのである。言わば心眼です。(角川文庫P113)
そしてこう続ける。
見ようとする意が目を曇らせる。だから見の目を弱く観の目を強くせよという。
よく見ようとすればするほど、その「意」(意識、欲望)が目を曇らせる、だから、「ぼーっと見る」のである。空手には形があるが、形の目付は、「敵合近づくとも、いか程も遠く見る目」である。敵が近くにいるのに、なぜ「いか程も遠く見る目」なのか。ここに人間の心身の秘密がある。
この「ぼーっと見る」ことは、何も武道に限ったことではない。超一流の野球選手も、ボールを凝視することなどないはずだ。私の少年時代は、「ボールをよく見ろ」と教えられた。これはウソである。ウソと言って悪ければ、「よく見る」方法と一緒に教えなければ、返って害となる。
それはさておき、その武蔵の観法が、
我事(わがこと)において後悔せず(112)
であると小林はいう。その解説はこうである。
自己批判だとか自己精算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。(略)そういう小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味合いがあると私は思う。昨日のことを後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日のことを後悔しなければならなぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れるような道をどこまで歩いても、批判する主体の姿に出会うことはない。別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというおめでたい手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。
ごちゃごちゃ頭で考えたり、反省したり、後悔したり、ああ自分は駄目だ駄目だと思ったり。そういう「小賢しい方法」では決して出来るようにはならない。また、そういう人の目は曇っている。
本当に知るとは、行なうことだ(101)
「阿含経」にこういう話があると小林は紹介している。
ある人が釈迦に、この世は無常であるか、常住であるか、有限であるか、無限であるか、生命とは何か、肉体とは何か、そういう形而上学的問題をいろいろ持ち出して解答を迫ったところが、釈迦は、そういう質問には自分は答えない、お前は毒矢に当たっているのに、医者に毒矢の本質について解答を求める負傷者のようなものだ。どんな解答が与えられるにせよ、それはお前の苦しみと死とには何の関係もないことだ。自分は毒矢を抜くことを教えるだけである、そう答えた。(101)
ところで小林は、「私の人生観」を「観」の考察から始めている。「観」は仏教思想であるとして、次のように述べる。
観というのは見るという意味であるが、そこいらのものが、電車だとか、犬ころだとか、そんなものがやたらに見えたところで仕方がない、極楽浄土が見えて来なければいけない。(88)
仏教でいう観法とは単なる認識論ではないのでありまして、人間の深い認識では、考えることと見ることが同じにならねばならぬ、そういう身心(ママ)相応した認識に達するためには、また身心相応した工夫を要する。そういう工夫を観法というと解してよかろうかと思われます。(89)
そしてその観法は、画家にも詩人にも通じるとし、次のように述べる。
西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その貫道するものは一なり、と芭蕉は言っているが、彼の言う風雅とは、空観だと考えてもよろしいでしょう。(104)
空観とは、真理に関する方法ではなく、真如を得る道なのである。現実をさまざまに限定するさまざまな理解を空しくして、はじめて、現実そのものと共感共鳴することができるとする修練なのである(105)。
やっぱり小林秀雄はいいですね。私が、「囚われず、偏らず、心身を開いて「空」にし、即レスする」と言っているのは、まさしくこの事なのであり、その日々の営みが「観の目」であり、「我事において後悔せず」なのである。さらに驚くのは、「脇道」として語られている話である。
先日、ロンドンのオリンピックを撮った映画を見ていたが、そのなかに、競技する選手たちの顔が大きく映し出される場面がたくさん出て来たが、私は非常に強い印象を受けた。カメラを意識して愛嬌笑いをしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手の顔も行動を起こすや、一種異様な美しい表情を現わす。むろん人によりいろいろな表情だが、闘志というようなものは、どの顔にも少しも現われておらぬことを、私は確かめた。闘志などという低級なものでは、とうてい遂行し得ない仕事を遂行する顔である。相手に向かうのではない。そんなものはすでに消えている。緊迫した自己の世界にどこまでもはいって行こうとする顔である。この映画の初めに、私たちは戦う、しかし制服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手たちだけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに制服する、自己を。かようなことを選手に教えたものは言葉ではない。およそ組織化を許されぬ砲丸を投げるという手仕事である。芸であります。(122)
「闘志などという低級なもの」はなく、相手も「すでに消えている」。ここで語られているのは、最高のパフォーマンスを発揮する超一流のアスリートの境地であるが、実はこれは武道の極意というべきものでもある。というより、諸芸の極意であり、日常生活(人生)の極意であるといっていいだろう。私の言っている、「囚われず、偏らず、心身を開いて「空」にし、即レスする」というのもこれに他ならない。
ところで、メンバーの1人から「先生、最近だいぶ変わられましたね」と言われた。自分ではあまり気づいていなかったのだけれど、たぶんそうなのだと思う。「囚われず、偏らず、心身を開いて「空」にし、即レス」できていると思われる具体的な出来事がたくさん起こるようになったからである。
志の通じる人と一緒に修行することの意味は、師と弟子が一方通行ではないということである。弟子がその時師を求めるように、師もまた弟子を求める。お互いに刺激を受け、新しい境地が開拓される。芭蕉と蕉門の弟子たちを見ているとそのことがとてもよく分かる。芭蕉も、それぞれの時を得て、必要なお弟子を求め、出会うことによって、芭蕉になり得たのである。
芭蕉と一緒にするのは烏滸がましいが、私もまた寺子屋で学んでいる1人なのである。
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