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研究 アーカイブ
田坂英俊編著『備後俳諧資料集』第十二集
- 2009-04-06 (月)
- 研究
田坂英俊編著『備後俳諧資料集』第十二集をご恵与頂いた。
第十二集は、『木海発句集』の翻刻、小森可卜の新資料の翻刻を主眼としたものであるが(まえがき)、それ以外にも、尾道の俳人茂兮の俗称等が明らかにされたり、田能村竹田との交流を伝える新資料が掲載されているなど、とても興味深い。
私個人の興味から言えば、さらに、亀台写「俳諧三病之事」、麦二の「梅室入門証」などがとても興味深かった。
田坂さんや、福井の齋藤耕子さんなど、長年に亘って地方俳諧の資料を丹念に発掘、紹介して下さる研究者は、俳諧研究においてとても貴重な存在であると思う。私などは、ただただその御学恩を蒙るのみである。
残念なのは、こういう貴重な資料集は、そのほとんどが、私家版かそれに近い形で出版されることである。仕方ないとはいえ、勿体ないなあ、と思う。
高専連携プロジェクト全体会議
- 2009-03-26 (木)
- 研究
豊橋技科大高専連携教育研究プロジェクト「技術者教育としての課外活動の可能性の提示と教育メソッドの開発」の第2回全体会議を行った。今回はメンバー以外に、2名の高専の先生が参加して下さった。
各メンバーの報告をもとに、ディスカッション。新しい発見があったり、自分の活動の意味を再認識したりで、有意義な議論が展開された。あまりに白熱し、予定時間を1時間半以上もオーバーしてしまったほどである。
山田先生の「私は元気だ!」論も刺激的だったし、江本先生が報告してくれた、部活顧問へのヒアリング調査では、自分との類似点と相違点が浮き彫りにされて、とても興味深かった。江本先生の言うように、「経験」のある先生が当たり前のようにやっていることを別の者が意味づけたり、メソッド化して取り出すことには、大きな意味があると思う。
今回の議論で、学生への接し方、指導(指示)のタイミングと方法なども非常に参考になったが、もう一つ気づいたのは、考え方(発想)の違いである。三崎先生は私に比べて、極めて楽観的である。楽観的という意味は、現状を肯定し、それをさらに良い方向に進めようという意志が強いということである。私は欲深すぎるのかも知れないが、ついつい現状に否定的になり、「もっと、もっと」と求めてしまう。それが学生を悪い方向へ導くことのないように、注意しなければならないと、思った。
やはり課外活動という実践の場は、「人間力」(社会人基礎力といってもいい)養成の場として、とても有効だと思う。ついでに言うと、指導者の「人間力」(指導力)養成にとっても非常に有効である。そのノウハウを指導者個人の経験だけにとどめるのは、勿体な過ぎる。ご本人がその実践の意味に気づいておられないことも多い。可能な限り個々の試みを共有財産にしたい。プロジェクトメンバー以外にも、多くの方に参加していただけると嬉しい。
その後、こんぴらさんへ参拝。「こんぴらさん-海の聖域 パリ凱旋帰国展~応挙、帰る~」を見て、私も帰る。
詫間電波高専現代GPシンポジウム
- 2009-03-25 (水)
- 研究
詫間電波高専の現代GPシンポジウムにご招待いただいた。
「ものづくり」による地域連携プログラム-学生・教職員・地域一体となった理科離れ対策・地域活性化・高齢者対策-
最終報告「ものづくり」による地域連携からネオクラスター創出 新たな取り組みへ
内容の濃い発表が目白押しで、とても勉強になった。責任者の三崎先生は、周りを巻き込むパワーと、チャレンジを継続・展開させる見通しを持っておられる。発想も実にユニークである。濃い仲間と、趣味的に、思いつきや気分次第でやりたがる性癖のある私には、とても刺激的だった。
三崎先生はよく「それをやること自体が面白くなければ続かない」とおっしゃるが、これこそ「遊び」の本質そのものである。つまり三崎先生が一番遊んでおられるのだ。
もちろんみんなで楽しく遊ぶためには、それ相応の苦労が必要である。誰よりも楽しんでいる三崎先生は、誰よりも苦労をしておられることもよく分かった。が、たぶんご本人にとっては「普通」のことなのだろう。
今回のシンポジウムには「夢」があったと思う。これまでの取り組みも刮目に値するが、これが今後継続・発展してゆけば、一体どうなるのだろう、ぜひ見たい、そう思わせるものだった。だから参加していてとても元気になったのである。この試みが続く限り、今後さらに詫間電波高専から、優秀なだけでなく「魅力的な」人材が輩出されるだろう。豊橋技科大にも是非来て下さいね。
学生さんが焼いてくれたクッキーとパウンドケーキもとても美味しかった。
お茶サービスロボのお二人と記念写真をとる。みっちゃん・とよさん、どうもありがとう。
その後の情報交換会で、豊橋技科大出身の滝くんに会う。滝くんは私が技科大に赴任した年に、サークルリーダーズ研修会で仲良くなった学生で、ガンダムの本を借りた仲である。今、八代高専に務めているという。何だ岩崎くんの同僚だったのか。しかも知里さんの研究室の先輩だという。何だ、何だ、そういうことだったのか。
懐かしく話しているうちにお開きの時間になった。
那谷寺・百万石の大名展
- 2009-03-11 (水)
- 研究
今日は那谷寺に行った。
石山寺と同様、実際に行くのは初めてだったので、奇岩遊仙境にはびっくりし、感動した。やはり自然の力は偉大である。
その後はちょっと足を延ばして金沢へ。兼六園で夕顔亭を見た後、県立美術館に行き「百万石の大名展」。さすがに加賀百万石である。初めて見たものも多く、面白かった。
丁度今日から、国宝「古今集巻十九残巻(高野切)」が展示されていた。昨日から幻住庵、石山寺、那谷寺という芭蕉ゆかりの地の調査をしていたので、その締めくくりのここでも誹諧歌に出逢えて、ちょっと感動し、豊橋へ帰る。
幻住庵・石山寺
- 2009-03-10 (火)
- 研究
幻住庵に行った。
蝶夢が建立したという石碑の調査である。幻住庵には、俳文学会第58回全国大会(2006年)の文学遺跡踏査でも連れて行って頂いたのだが、その時は私自身がその石碑のことをよく分かっていなかった。
駐車場に車を止めて、とくとくの清水のせせらぎと鶯の声を味わいながら、ゆっくりと登っていった。やはり、いい。
「芭蕉翁幻住庵舊跡」と刻まれた石碑はすぐに見つかった。だが裏面・側面とも摩耗していて読めない。これなら前に来たときも見たし写真もとったが、表面以外読めなかったので、それ以上の興味を持たなかったのである。
だが今回は、この石碑の調査に来たのである。これが蝶夢建立のものかどうかを確認しなければならない。保勝会の馬場さんがわざわざ幻住庵まで来て下さり、説明を聞く。馬場さんが持ってきて下さった本(昭和40年刊)のコピーによると、この石碑の裏面には「明和九年壬辰十月十二日僧蝶夢勧落陽湖南道弟建立」と刻まれていたとある。当時は読めたのだろうか。「裏面」と書いてあるが、側面についての記述はない。私の目には、側面は文字が彫られていることは分かるのだが、裏面はそれすらも分からない。側面は、目のいい人なら、あるいは工夫をすれば今でもたぶん読めるだろう。学内の研究室に頼んで、写真の画像処理をしてもらおうかな?
ともかく、実物から分かったのは以上である。たぶんこの石碑でいいのだろうと思うが、もう少し詰める必要がある。
ちなみに、この石碑建立の「由緒文」が書かれた木額が昭和55年に近津尾神社の倉庫から発見されたそうだが、現在は所在不明だそうだ。
さて、幻住庵の後、石山寺に行った。7年ぶりにご本尊如意輪観世音菩薩さまが御開扉されている。しかも間近で見せて頂けた。何ともいえない安心感があり、包まれるような感じがする。いいものを感じさせていただいた。
石山寺の「石」も実際に見るのは初めてだ。やはり写真と実物は全く違う、と改めて感じた。
高専連携プロジェクト
- 2009-03-05 (木)
- 研究
2日から4日まで、有明高専へ焼山先生と打ち合わせに行ってきた。豊橋技科大の、高専連携教育研究プロジェクト「高専から技科大に継続する日本語(国語)コミュニケーション能力の向上に向けた教育プログラムの開発と、それに基づくオリジナルテキストの作成」という長いタイトルのプロジェクトである。
技術者教育において、コミュニケーション能力の向上が言われているが、その中心は英語である。しかし、日本語(国語)のコミュニケーション能力を鍛えることは、技術者としても、人間としても、とても大切である。
技術を生かすのは人間である。そしてコミュニケーションは、人間の欲望本質である。コミュニケーションがうまく出来ない技術者が、真に人間を幸福にする技術を開発し、生かすことを私はうまく想像できない。
もちろんここでいうコミュニケーション能力とは、たんに愛想がいいということとは違う。人間にとって、コミュニケーションというのは、自分と他者に自己自身を開くという意味である。それは自己肯定と他者承認の欲望に基づくものであるが、もう一つ、「共感」ということも含め、他者と自己の融合という問題も考えている。
それをバタイユは『エロティシズム』において、「連続」と「非連続」というタームで論じているように思うのだが、それについては、また別の機会に述べたい。(もちろん焼山先生とこのような話をしてきたのではないので、念のため)。
S氏
- 2009-02-04 (水)
- 研究
奥書に名前は出ていないが、『ゼロ哲』でお世話になった担当の編集者が、実家のある関西へ戻られた。今後は、家業を手伝いながら別の出版社で仕事をされるそうである。
彼はとても純真で、信頼できる編集者だった。お陰でとても楽しく、いい仕事ができた。
また一緒に仕事ができる日がくればいいと、心から思う。
「先生」と呼べる強靱な精神力
- 2009-01-19 (月)
- 研究
この前テレビをみていたら、ノーベル賞を受賞された益川敏英さんが、次のような意味のことを言われていた。記憶だけを頼りに書いてみる。
最近は、教授でも准教授でも「さん」と呼ぶ研究室もあるようですね。これは、学問には先生も学生もなく、対等に議論をするためです。若い方の考えみたいですけどね。
益川さんご自身の研究室ではなく、別の話の流れの中で一般論として話されたに過ぎない。そのことについて、特に意見を述べられた訳でもない。
教員のことを最近の学生が「さん」と呼ぶことについては、別に驚かなかった。私の勤務校は工学部であり、学生は教員本人がいないところでは「さん」と呼んでいるようだからだ。少し前に、ちょっと気になって学生に聞いてみたことがある。
「うちの学生って、本人のいないときは、先生のことを「さん」って呼んでる?」
「……。そう言われれば「さん」って呼んでますね」
「自覚してないの?」
「あんまり意識したことないです。みんな自然にそう呼んでいますね」
この時は、自分がどう呼んでいるかに対して、無自覚であることにちょっと驚いたが、それはさておき、このことは、益川さんの話とは違う。益川さんは、研究室における議論の場において、遠慮無く対等に議論をするために「先生」ではなく「さん」という呼称を選択する研究室がある、と言っておられるのである。
だが、「さん」と呼ばなければ遠慮して議論ができないほど、日本人の精神力は低下したのか?
普段は先生として敬意を払う。しかし学問上の議論となれば、一研究者として対等に議論を戦わせる。「先生」も学生もない。研究室であろうが、学会であろうが、そんなことは当たり前のことのはずである。「先生」と呼べばそれが出来ないなどということは、私には理解できない。それは学問に対する信頼の問題である。
このように言うと、逆に、「さん」と呼んでも十分尊敬しているのであって、「先生」と呼ばなければ敬意を払えないなんで信じられない、と言われるかもしれない。そう言われれば、そうですね。
私も師匠の竹田青嗣を「竹田さん」と呼んでいる(それは私が弟子入りした時に、まだ「教員」ではなかったご本人が「先生」と呼ばれることを嫌がったからだ)。
だから「先生」と呼ぼうが「さん」と呼ぼうがそんなことはどっちでもいい。ただ「対等の議論のために」という理由で「さん」と呼ぶのだとしたら、その精神は実に脆弱なものではないかと思うのだ。
話は変わるが、だいぶ前から、プロのスポーツ選手がガムを噛みながらプレーする姿がよく見られるようになった。ガムを噛むとリラックスでき、パフォーマンスが上がるというのである。それについて、誰かが、ガムを噛まないと力みがとれない身体しか日本人が持てなくなったということであり、それは日本人の身体能力が低下したということだ、という意味のことを書いていた。
その通りだと思う。
ガムなど噛まなくても力まずいいプレーが出来る。「さん」と呼ばなくても、学問上の議論が対等にできる。そんな逞しい精神をこそ私たちは身に付けなければならないのではないだろうか、と思う。
もう一つ付け足しておく。これもだいぶ以前からだが、携帯電話などを使って質問できるシステムが開発されているらしい。面と向かって直接先生に質問するのは、学生にとって非常に大きいストレスであるから、そのストレスを減らすシステムだというのである。
これで誰でも気軽に質問できる、というわけだ。
だがどのようなシステムであろうと、質問というのは、それによって自分の理解のレベルを晒すものである。自分を晒すリスクを負わないで、十分納得のいく答え(ハイリターン)だけ求めようとする精神は、ちょっとセコ過ぎるんとちゃう?と言いたくなる。
自分を晒す覚悟を決め、恥ずかしさやプレッシャーを乗り越えて質問できる人間を育てるシステムをこそ、私たちは作らないといけないのではないだろうか。
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