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2010-10
台風と神戸バニラフロマージュ
- 2010-10-30 (土)
- 日記
30日。
昨日は大阪に宿泊。今朝現象学研究会のため東京に行く予定だったけど、台風情報を見て、昨夜のうちにホテルをキャンセル、新幹線も豊橋までに変更した(結局今朝、現象学研究会は中止になった)。
という訳で新大阪駅にむかう。昨日持って行く手土産にいいものをネットで探して、ちょっと気になったのがあったので買って帰る。
それがこれ↓
神戸バニラフロマージュ
コンディトライ神戸
http://ko-kobe.jp/index.html
これは美味しい~!
賞味期限が翌日までなので、誰も食べなかったら1人で全部食べねば、と思っていたのに、一瞬で無くなりました~
さてケーキの余韻もつかのま、尚志館の稽古に行く。台風が去っていったので尚志館は稽古ができた。ほとんどのメンバーは11月3日の市民館祭の演武の稽古。残ったタテチーと砕破の稽古。タテチーは素直なので、言われたことがそのまますぐにできる。トヨカワくんが何度も転がされてました~
稽古後の夕食はひさしぶりにさんまへ。いつものように技の稽古が始まる。お店の方も笑顔で許して下さる。いつもははやめに切り上げるように気をつけているのに、久しぶりに長時間話をしてしまいました。
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神戸女学院岡田山祭
- 2010-10-29 (金)
- 日記
29日。
神戸女学院の岡田山祭に行く。もちろん「鹿カレー」を食べに行った訳ではなく、ウチダ先生と合気道部・杖道会の演武を拝見に行ったのである。
午前中は、通常の「お稽古」を拝見。そう、確かに「お稽古」とおっしゃった。私は普段「稽古」と言っている。「お」はつけない。さすが神戸女学院。
よく考えたら、私は他大学の学祭に行くのは、生まれて初めてである。大学生時代も、出不精の私は、どこの学祭にも行かなかった。
それはさておき、そのお稽古を拝見している途中でウチダ先生が登場。お稽古に参加される。
午後から演武会本番。武道部の演武会とは全く違う雰囲気のもので、非常に勉強になった。演武会の最後にウチダ先生による説明演武。30分ほどされたが、時間の長さを感じさせない、面白いものだった。
その後、学生さんが模擬店で買ってこられた焼きそばをお裾分けして頂き、しばし歓談。
大学教育として武道教育を行うことの意味、武道がコミュニケーション教育として非常に有効であること、武道の指導の仕方等々、非常に有意義であった。
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ヒトゲノム解読への道
- 2010-10-28 (木)
- 日記
テーラーメード・バトンゾーン教育プログラムの一環で、榊学長の「ヒトゲノム解読への道~新しい生命科学への挑戦」と題した講演があった。
教職員、学生もたくさん聴講。普段学長の研究の話を聞く機会がないので、特に学生には非常によかったと思う。学生にかなり配慮した講演内容であった。もちろん私も興味深く拝聴した。
その後、スーパーリーダー塾「トップと語る会」という懇談会があったようで、出席したニシクボくんが終了後、その様子を話しにきてくれた。非常にいい経験をしたようだ。
学長に限らず、いろんな先生方にこういう講演をやっていただければ、学生のモチベーションや夢が大きくなっていいのではないだろうか、と思う。
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亀仙グッズ
- 2010-10-25 (月)
- 日記
亀仙流を日々修行している私ですが、そんな私を応援してくれる方々から、いろんな亀仙グッズを頂きます。
アロハシャツと半ズボン、Tシャツは前に紹介しましたが、今回はこれ。
亀巾着です。
常人歩人さんから頂きました~
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変革のとき 桃山
- 2010-10-24 (日)
- 日記
24日。
名古屋市立博物館へ、「変革のとき 桃山」を見に行く。本当は11日に行く予定だったのだが、アクシデントがあり行けなかったのである。
それほど人も多くなく、桃山の美と技を堪能。前回の大学院の授業(都市空間論)で桃山の「金色」の話をしたので、再確認できて丁度よかった。
聚楽第図屏風もよかったが、今回私が興味を引かれたのは、聖龕(せいがん)、「雨雲」などの茶碗である。ついつい「香炉にしたら……」と思って見てしまう。
ついでに「猿猴庵の本」を何冊か買って帰る。前に出たのは持っているかもしれないけど。
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エキスパート(みよし市立北部小学校)
- 2010-10-22 (金)
- 授業
22日 愛知県エキスパート派遣事業で、みよし市立北部小学校へ。
昨年度まで「その道の達人」だったのだが、今年度から「エキスパート」になったのである。
という訳で、俳句のエキスパートとして参上。
二本の立派な石碑が迎えてくれた。
いいですね〜
授業では、初めて電子黒板なるものを使った。
デジカメを忘れたので携帯で写真をとってると、
わー、写真とってる〜
しかも携帯だ〜
もちろん授業の前にとったんですよ〜
非常に元気で明るい子どもたちで、授業がとてもやりやすかった。しかも挨拶もきちんと出来る。
もっと達成感のある授業にできればよかったのだが、その点がちょっと心残り。
でも最後に嬉しい感想を一杯もらった。
一時間(45分)で小学生が達成感を持てる俳句授業教材を開発した方がいいかも。来年度以降も要望があったら本気で考えよう。 今年度はあと一校。次も小学校である。
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俳文学会第62回全国大会3日目 最終日
- 2010-10-18 (月)
- 研究
18日 最終日 文学遺跡調査。
最近はバスでの団体行動がなくなった。いつからなくなったのか記憶にないけれども。
今回は四国大学の凌霄文庫へ。
参加者は少なかったけれども、その分充実した調査ができた。それにしても調査なれしている方の嗅覚は非常に鋭いものがある。次々に面白い資料を発掘してくる。武道関係の伝書も少しあり拝見した。
午後からは藍染め体験。こちらは電車の時間があり失礼した。とても残念である。
今回は岡山経由で帰ることにした。岡山までTさんと一緒。久しぶりにゆっくりと話ができた。岡山からののぞみはそれぞれ指定席がとってあったので、岡山で別れる。私は乗車券を徳島から一本でとってあったので、岡山で新幹線のe特急券を受け取るべく発券機に並ぶ。先頭の人がなにやらトラブっていて異常に時間がかかっている。ようやく諦めて次の人に。その人も「なんでや?」といいながら何度か操作。おいおい、時間がないよ~。
ようやく私の番に。スムーズに発券。いざ改札へ。こっちもひっかかっている人が多く、三台向こうの改札口からようやく入れた。私の乗るべきのぞみは何番線?と思って電光掲示板を見る。ない!! もう消えていたのだ。咄嗟に東京方面のホームへ駆け上がる。が遅かった。のぞみの最後3両ほどを見送った。そういう訳で、次ののぞみの自由席で帰った。
PPTファイルがないことに始まって、最後はのぞみに乗り遅れた学会であった。
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俳文学会第62回全国大会2日目
- 2010-10-17 (日)
- 研究
17日。二日め。
朝一で、徳島県立文学書道館へ展示「俳人の書」を見に行く。ホテルから歩いて10分ほどのところ。ささっと見て研究発表会場へ。
最初の研究発表に間に合った。拝聴。今回の大会は留学生が頑張っている。
昼休みは編集委員会。
午後から研究発表。
私の発表は一番最後。題して、
『俳諧十論弁秘抄』についてー美濃派研究の可能性、例えば環境問題
昨夜完成したPPTのスライドを全部使うと、どう考えても時間内に終わらない。急ぎ足で発表。
まず『俳諧十論弁秘抄』が支考自身による十論講の講義録であることを説明し、現在確認できている諸本を紹介。その後、内容について説明した。
この本、支考の俳論を実に端的に解説してくれているのである。中でも私が長年主張してきた、支考の虚実論は心の働かせ方であるということを、はっきり語ってくれている。曰く、
虚実の二論は心法にあり。
その他、「諷諫」「滑稽」「時宜」「人和」などこれまで私が解読してきた支考俳論用語も、実に的確にに解説してくれる。
「時宜」は「人和」なり。
「諷諫」則「媒」也。
などなど。
いい加減、「虚実」を「虚構と真実」だなどという過った解釈をし続けるのはやめなければならない。「詩歌・連俳といふ物は、上手に嘘をつく事なり」(『二十五箇条』)の呪縛から逃れよう! と訴える。
それに囚われているかぎり、支考の俳論の本質、そして「諷諫」「滑稽」「時宜」「人和」などの意味、相互の関係が全く理解できないからである。
さらには支考俳論の俳諧史的展開が見えて来ない。
例えば、支考が説く俳諧が「心の俳諧」であり、「虚実は心法である」ということが理解できれば、それが蝶夢の「まことの俳諧」へと受け継がれてゆくことがみえてくる。それは文芸に限定されない、普通の人が日常を生きる人間の道としての、「心の俳諧」である。ということで蝶夢の俳諧観についても簡単に説明した。
その他、十論講の様子が少し具体的に分かる、『為弁抄』の性格が明確になるなど、本書の意義についてもいくつか説明。
最後に、俳文学研究の今後の可能性の提案として、環境問題への可能性について提案した。
俳諧が心法であり、俳諧が普通の人が日常を生きる人間の道であるなら、その俳諧観を受け継いでいる膨大な美濃派の俳書群は、今までとは違った価値をもってくるのではないか。卑俗、低俗とマイナス評価されているそれらは、まさにそのことによって、当時の人の普通の感覚や思考パターンを反映しているとも言えるからである。
例えばこれから環境問題を考えようとするとき、社会システムや制度、政策、テクノロジーなど様々な観点が必要であるが、もう一つ不可欠なのは、その社会の中で実際に生活する、人間の意識であり、価値観の問題である。これからの環境社会に相応しい意識、価値観とはどのようなものか。それを明らかにするでなければ、真に有効な環境研究はなし得ないだろう。そして文学研究、とりわけ俳文学研究は、その点について役割を果たすことが可能ではないか。これまで、江戸時代の日本が優れた環境社会であったことは、社会制度、社会システムなどの観点から数多く指摘されているが、その中で実際に生きて生活していた人間の意識、感覚、価値観について、俳文学研究は多くの知恵を持っているはずである。 というようなことを言った。
最後に文学と工学の共同研究について、句碑の解読の事例を紹介して発表を終えた。2〜3分の超過で済んだ。
質疑応答は、十論講の聴衆の知的レベルと関心について。これは非常に重要な問題である。その場で考えを述べたが、今後もよく考えたい。
もう一つは、環境問題に関して。私のような考えが、むしろ俳文学研究をダメにし、環境問題もダメにするとは考えられないか?というもの。つまりそんなことを考えた文学研究はツマラナイ、と。サービス精神旺盛の質問だった。
それを承知の上で、私の考えはこうだ。
指摘されていることはよくわかる。しかし、文学研究が閉じられた世界で「文学」の研究に終始してきた、まさしくその意識と価値観、研究方法によって、支考は不当に評価され、蝶夢は無視されてきたのではないか?いわゆる「純粋な国文学研究」の観点と方法論でしか支考の俳論を見ることができなかったから、支考が「俳諧は何のためにするのか?」を繰り返さざるをえなかった理由が理解できなかったのではないのか。
支考は、俳諧そのものの存在意義と魅力を、俳諧に初めて触れる人に説いてまわった。外に向かって、その面白さ、意義を説かなければ、それを普及させられないと考えたからである。
「名人」(=天才)はそんなことをする必要はない。ただ「(俳諧の)道」に遊んでいればいい。しかしそうでない「上手」は、その「名人」が切り開いた「道」を普及させる役割がある。そう支考は考えていたのである。
俳文学研究にも「名人」と「上手」がいるだろう。私は俳文学会あげて環境問題に取り組めと言ったのではない。俳文学研究が環境問題など、他領域に道を開いておく必要があるのではないか、と言ったのである。
今の若い人の多くは、環境問題に関心を持っている。そういう人に、環境問題をやりたければ文学部に行って俳諧を研究しなさい、ということもあっていいはずである。何度も言うが、俳諧は普通の人が日常を生きる人間の道なのだから。
環境問題というのは非常に刺激的なトピックだったようで、その意味では大成功だった。もちろん私が本当に伝えたかったことが理解されるのは、まだまだ先の話である。
ただ、その後の公開講演のためにちょっと早く来て私の発表を聞いたという一般の方が、発表終了後、「工学などの分野に文学的なものを入れるのは非常に大事だと私も思う」と言いに来てくださった。
私の発表で62回全国大会は終了。その後堀切実先生の公開講演。
堀切先生とは支考俳論、虚実論の解釈も全く違うし、他にも違う点が多々ある、そんなことはどうでもいい。私は堀切先生の志を支持しているのである。だからこそ安心して批判できるのである。
終了後も、「虚実論はこれからもずっとやりますよ~」とバトル宣言された。嬉しい限りである。
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俳文学会第62回全国大会
- 2010-10-16 (土)
- 研究
16日から俳文学会第62回全国大会。
松山からバスで徳島へ。いきなりバスが遅れてきたが、無事到着。
昼食もすませて会場へ。
委員会に出席しようとしたところ、入り口で捕まって、発表会場へ連れていかれる。PCチェックである。無事プロジェクタと仲良くなってくれた。途中から委員会へ出席。
予定通り研究発表が行われる。
総会の後、懇親会。懇親会では、四国大学の学生さんが特別に阿波踊りを披露してくれた。
必然的に私の目は足に……。おお、外旋させてる~!
懇親会終了後はpptを完成させるべくさっさと部屋に戻る。
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