ホーム > 武道部 アーカイブ

武道部 アーカイブ

祝! 学生表彰

 やっと日付が追いついた。

 荒川君が、今年度の学生表彰で表彰されることが正式に決まった。一昨年の來原さんについで、武道部では個人として2人めである(昨年は武道部が部として表彰されたので、武道部としては3年連続ということになる)。
 成長度という点で双璧をなす荒川君と來原さんが、ともに学生表彰されて卒業してゆくことは、武道部にとっても私にとっても誇りである。

ちょっと反省

 ちょっと反省している。
 実は昨日の歓送会に、実務訓練(本学では学部4年生の1~2月の2ヶ月間、企業にインターンシップに行くことになっている)から帰ってきた学生が参加していた。私は彼に「実務訓練で何やって来たん?」と聞いた。すると彼は、「細かいことは社外秘ですが、携帯電話のこの部分の製品に関係する仕事です」とか、仕事の内容を話し出した。
 もちろん私はそんな話が聞きたかったのではない。また、入部したての部員ならまだしも、もう2年もたつ学生が、先の言い方で私が「何を」聞いているのかが分からないはずがない。つまり彼は、わざと中心を外したのである。
 しかし私は最近優しく(甘く?)なったので、こう言った。「そんなこと聞いてるんじゃないんですよ。あなたが実務訓練で、何を学んできたかが聞きたいんです」。それでも要領の得ない答えしか返ってこなかった。

 彼は何も学んで来なかったのである。
 もちろん本当は、いろいろなことを感じたり、考えたりしたはずだ。しかしそれが自分の中で詰められていない。すなわち「学び」になっていない。少なくとも聞かれたその場で詰められないということは、何も学んで来なかったのと同じである。そう認識しなければならない。詰めが甘い学びでは自分は変化せず、何度も同じことを繰り返してしまうからである。

 詰めるとは言葉にすることである。自分が感じたことを、ぎゅーぎゅー絞って言葉にする。その絞りが甘いと学びが甘くなる。だから武道部では、「ぐーたら手帳計画」で毎日日誌を書いているし、審査や研修会の後は、必ず「一人一言」を行うのである。この絞りの甘い者の言葉は甘い。誰でも言えるおざなりのことしか言えない。逆に絞りきった人は、その人でなければ言えないこと、その人が言うから価値のあることが言えるのである。これが「自分の言葉」である。
 だからこれらは武道部にとって、とても大切な稽古なのだが、最近「一人一言」の内容が甘いと感じる。それは武道部全体の空気が甘いということである。
 この甘さは、部員や私の人生において命取りになるだろう。気を引き締めないといけない。

 武道部で何かを学んだのであれば、武道部に入らなければなれなかった自分になっていなければならないし、実務訓練で何かを学んできたのであれば、行く前とは違った人間になっていなければならない。そして何より、そのことを自分が認識していなければならない。そうでなければ、武道部にいる価値も、実務訓練に行った甲斐も、何もないのである。

 微妙な感覚を言葉にすることは難しい。そのときは言葉にできなくても、その経験があとで生きてくるということもいくらでもある。当然だ。しかし、そのことを認めることと、経験をぼんやりとやり過ごすこととは全く違う。経験を言葉によって絞りきった者だけが、それでも残る言葉にできないものの意味を知るのではないだろうか。
 私は文学者であるから、詩人が言葉をどのように信じているかを、ある程度は知っている。そして何に苦労しているかも。もちろん詩人と同様の格闘を求める訳ではないけれど、私たち普通の人間が経験を言葉によって学びにかえることと、詩人が言葉を紡ぎ出してくることとは、本質的には違わない。そうやって絞り出された言葉であればこそ、人の心に届くのである。

 明日、武道部の追いコンがある。今年は9人が卒業する。武道部にとって追いコンは特別な行事である。研究と武道部の稽古時間を数年に渡って両方確保し続けることは、相当の覚悟がないとできない。つまり、武道部で卒業まで稽古を続け、追いコンで追い出されるというのは、とても大変なことなのである。数々の障害を乗り越えて、武道部をやりきった部員だけが、後輩から、誇りと尊敬とあこがれをもって追い出される。だから、「一人一言」も、他のときとはひと味違うものが多い。
 「武道部でいろんなことを学びました。それを社会に出てからも生かして、これからも頑張っていきます」とか、「私はあまりいい部員ではありませんでしたが、皆さんは私を反面教師として私のような部員にならないように頑張って下さい」などといった、おざなりなスピーチは武道部では許されない。すぐさま「いろんなことって例えば何?」とか「そんなこと聞きたくない」といったツッコミが入る。だから毎年、卒業生からは、自分が武道部から何を学んだか、自分にとって武道部とは何であったか、後に残る在学生への自分のメッセージが熱く語られる。在学生からは、武道部と先輩への思いが語られる。

 私が追いコンが武道部にとって特別な行事であると思ったのは、第一回追いコン、初代部長、荒川留美子さん(旧姓沖野さん)のときの追いコンだった。留美子さんと私は、2人で武道部を作ったのであるが、はじめは頼り無いところもあり、部員も不安に思っていた部長が、追いコンのときには、全部員が彼女を自分たちの部長だと心の底から認めていたのである。その空気が全体を支配していた。そういう追いコンだった。
 
 「人づくり」武道部は、入部してどのくらい自分が成長したかが重要である。追いコンはそれを自分や他の部員が確認する場所なのである。だから特別なのだ。

 その意味で、入部時必ずしも模範的ではなかったにも関わらず、見事に成長し、副監督として武道部を支えてくれた荒川幸弘くんが卒業し、バーゼル大学(スイス)にポスドクとして赴任する。彼は7年間武道部で修行した。また6年間誰よりも地道に努力を続けた來原央さんが卒業し、就職する。この2人に尊敬とあこがれを持たない部員はいない(いるとしたら、努力せず適当に過ごしている部員である)。2人が部員に何を語り、部員が2人に何を語るのか。とても楽しみである。
 もちろん他の卒業生も、それぞれの事情を抱えながら精一杯頑張ってきた。彼ら(彼女ら)が何を語ってくれるのか、楽しみで楽しみで仕方ない。

 ところで、冒頭で書いた反省。私は何を反省しているのか。
 実は、追いコンを楽しみにする反面、危機感も持っていたところだったから、つい冒頭のようなやりとりをしてしまったのである。だが場所は歓送会。楽しく送り出すという空気を壊してはいけない場である。そういうことに対して、いつまでたっても、私には全く学びがないのである。すみませんでした、絵実子館長。

尚志館メンバー歓送会

 尚志館お手伝いメンバーで、この3月に卒業する武道部員の歓送会があった。とくに來原さんと三浦さんは、尚志館創設当初からのメンバーで、6年間に渡って尽力してくれた。その時小学1年生だった道場生も、この3月に小学校を卒業し中学生になる。二人同様、もちろん既に黒帯である。
 2人が尚志館に与えてくれたものも多いし、2人が尚志館から得たものもたくさんあるだろう。尚志館に来た期間は短かったが、もう1人の卒業生である菊池君を含め、それをぜひ今後に生かしてもらいたいと思う。

審査&打ち上げ

 宿題をためていた小学生みたいだけど、ちょっと遡っていくつか書いておきたい。
 まずは、2月14日の武道部の審査と打ち上げ。

 今年度2回目の昇級審査を行った通算では19回目の昇級審査である。今年度入った部員にとっては、勝負どころとなる審査であった。緊張しすぎていつもより動きが悪い部員もいたが、全体的にはかなりよい出来だったと思う。先頭をゆく池尾くんと加藤さんは順調な成長を見せていたし、黄色帯軍団から抜け出した東くん、先頭軍団に追いついた石井くんは、とりわけよかった。その他も、着実に成長している部員も多かった。やや崩れかけている部員も少しだけいた。稽古中のメッセージをうまくキャッチしてくれていないようだ。だがこれをきかっけにまたやりやり直してくれることを期待している。
 もうすぐ新しい新入部員も入ってくるし、その後には演武会も控えている。全員一丸となって成長あるのみだ。ただしその前に、3学期の定期試験が待っている

 夜は、恒例の打ち上げ。これまた恒例の武道部メソッド「一人一言」もやった。みんなだいぶ慣れてきたようだが、特に色帯のスピーチがものたりない。感じたことをうんと考え抜いた言葉でなければならない。すぐまた追いコンがあるので、それに期待することにしよう。

 何人かは、今日の自分のパフォーマンスについて、歓談タイムに個人的に質問にきた。これも毎回のことであるが、ほぼメンバーが決まってきた。これは性格の問題ではなく、学ぶ技術の問題であるから、ぜひとも皆に上達してほしいものである。

 また嬉しいことに、高専連携プロジェクト「術者教育としての課外活動の可能性の提示と教育メソッドの開発」のメンバーである函館高専の山田誠先生が、打ち上げに参加して下さった。同じ日に高専学会シンポジウムが本学で開催されており、そちらの終了後、ご訪問いただいたのである。参加いただいただけでなく、なんとみんなの前でお話をして下さり、「一人一言」のお手本を実践して下さった。

 「人柄のいい優秀な技術者が欲しい」と大企業のトップの方が言われていた。「優秀なだけではダメだ」と。
ではこの「人柄のいい」とは何か?
これはコミュニケーション能力の一つである。
ではこれをどこで身に付けるか?
そう考えたとき、課外活動は非常に大きい意味を持っているのではないか。

 いつものように微笑みながらそう述べられた先生は、二杯ほど焼酎を飲まれ、にこやかに終バスで去って行かれた。CIMG2244.JPG
 30分ほどのご滞在であったが、私を含め後に残った部員たちは、「一人一言」のやり方、そして「人柄のいい」とは、山田先生のような方をいうのだということを、しっかりと学んだのである。
 山田先生、恐るべし。

第2回研修会

 昨日は、学内企業説明会で武道場が使えなかったので、第2回研修会を行った。内容は、
 1)厳しさについて
 2)人の心を動かすのは何か
 3)稽古の心構えについて
 4)プチプレ大会

 私の話はできるだけ少なくし、素晴らしい映像をいくつか見せた。
 それぞれ感じるところがあったのであろう。空気がとてもよかった。途中から参加した監督も、その空気を感じ取って、「ノートを書く手が震えた」と言っていたし、映像を見ているとき、そしてプチプレのとき、何人か心の中で涙を流していた。もちろん腹の底から笑う場面もあった。

プチプレとは、1人ずつ教壇に上がり、今回の研修会で感じたこと、考えたことなどをプレゼンすることである。帯の下の者からやることになっている。2kensyu.JPG通常通り、帯順に、プレゼンのレベルが上がって行った。もちろん逆転しているところもあったかもしれないが、大丈夫。もうすぐ行われる審査で、現在の正しい順序になるのである。
 次からの稽古がとても楽しみである。

みんなで講演会

 来月、『国家の品格』でお馴染みの藤原正彦氏の講演会が大学の近くである。例によって武道部員に声をかけて出かけることにした。
 武道部は、大学の課外活動として、技術者としての「人間力」養成を掲げている。道場での稽古以外に、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力、企画力養成など、いろいろやる(詳しくは現在作成中の「技術者教育としての課外活動の可能性」のサイトを見て下さい)。

 少し前には、世界一小さい歯車で有名な樹研工業の松浦元男氏の講演会に行った。経営者向けの講演だったが、事前に学生を連れて行く許可を得ていたので、武道部員にむけて、「技術とは何か」「技術の質とは何か」「技術をどう生かすか」「マーケットをどう捉えるか」「技術者としての発想法、考え方」といったお話もして下さり、大変有難かった。
 部員たちもいろいろ感じたらしく、講演会後の感想会(お茶会)では、色々な感想や意見が出て面白かった。
 その前には、夜回り先生こと、水谷修氏の講演にも行った。このときも大変面白く、とても勉強になった。

 さて、こういう機会が訪れたとき、部長を通じて全部員と常時参加卒業生に連絡がいく。もちろん参加は任意であるが、連絡をもらたったとき、色々な思考がある。

1)顧問(部長)からのお誘いなので、内容には関係なく行く。
2)内容をよく吟味し、面白そうだから行く。
3)顧問(部長)からのお誘いなので行きたいが、どうしても外せない用事があるので行かない。
4)内容をよく吟味した結果、面白そうなので行きたいが、どうしても外せない用事があるので行かない。
5)内容をよく吟味した結果、自分には面白くなさそうなので行かない。
6)手帳をみて、空いているので行く。
7)みんな行くので行く。
8)面倒くさいから行かない。
9)その他

さて、この中で、武道修業に向く思考と向かない思考はそれぞれどれでしょうか?

不覚!

 後に授業や稽古があるときは、にんにく入りの料理を食べないように気をつけている。
 だが今日、昼夜兼用ご飯に注文した和風きのこパスタに、にんにくが入っていた。しかも思いっきり。メニューに「にんにくマーク」がなかったのに……と思ったが、後の祭りだった。
 授業が全部終わっていたが、その後、武道部の稽古があったのである。
 もちろん全部食べた。
 誰も何も言わなかったが、たぶん臭かったと思う。自分でもちょっと臭かったし……。

 だが臭かったことは別に大した問題ではない。普段部員に、日常生活そのものが武道であるとエラソーなことを言っておきながら、ご飯の注文で油断してしまった。
 面目ない。不覚であった。部員の皆様方、お許しあれ。

 と、たまには謝っとこーっと。

心身の意識を写すということ

 今日は十三手特別講習会の最終回。昨日に引き続き、Rさん、岩崎先生、Tくんが特別参加した。
 ここで大変なことが起きた。Rさんが、ばんばん技を決めだしたのである。
 Rさんといえば、武道部の初代部長であるが、空手を始めて1年半で卒業、地元北海道で就職した。その後空手から離れていたが、今年の演武会を見て感じるところがあり、2年半ぶりに戻ってきたのである。8月以降、月に1回ほど北海道から稽古にやってくる。
 そのRさんが、ばんばん技を決めた。もちろん稽古中に技が決まること自体は、何ら不思議なことではない。だが彼女の動きは、明らかに質が違っていたのである。 
 みんなの驚きを余所に、
「先生のやっておられる通りにやろうと思って、真似てるんですけど……」と彼女。
「僕(わたし)も先生のやっておられる通りに真似てるんですけど……」とほぼ全員、心の中でつぶやく。
ということは? そう、
真似てるものが、違うのである。

 武道の稽古においては、師匠を真似るということがとても大切である。だが一体何を真似るのか? もちろん師匠の動きである。だがここにはカラクリがあるのだ。
 一口に師匠の動きを真似ると言っても、これがとても難しい。同じようにやっているつもりでも、全然違っている。よく見ているつもりでも、見えていない。
 ほんとうはよく見てはいけないのだ。よく見ようと意識すればするほど、大切なことは見えなくなってゆく。「観の目強く、見の目弱く」(『五輪書』)は何も立ち会いの話だけではないのである。ではどうすればよいのか。
 よく感じるのだ。
 武道の稽古においてお手本を見るとは、師匠が技を行っているときの心身の意識を、自分の感覚に写し取ることなのである。そのためには、心身を開かなければならない。

  師匠と同じ結果が出る心身の運用を、自分の感覚としてつかむ

 言葉による理解はこの過程を阻害するから、考えるのではなく、見るのでもなく、心身を開いて感じるのである。だがやっかいなことに、この感覚は、ただ感じたつもりになっているだけではダメで、実際に動いてみなければ、自分のものとすることができない。
 要するに、動きを真似るしか方法はないのだが、同じ真似るのでも、動き自体を真似ようとするのと、動きを可能にしている心身意識を自分に写しながら真似るのとでは、全く意味が違うということである。
 このカラクリに気づくかどうかが、とても大きい。武道が徒弟制度を基本とするのもこのためであるが、それについてはまた改めて述べる。
 
 さて、Rさん。彼女は、私の心身意識を真似ていたのである。その片鱗は、既に昨日示されていた。砕破の稽古中、私が最後の部分をやってみせた途端、突然彼女が「ああ~、ああ~」と独り言を言いながら何度もそこをやり出したのである。

 「昨日の砕破のあの部分をやったときに、何か、感じが分かりました」

 形稽古で大切なのは、この、自分の動きを支えている心身意識を感じるということである。武道の心身意識は普通の人の日常のそれとは異質であるから、それまでの心身意識で動きだけを真似しようとしても出来ない。習い始めた形がとても不自由なのはそのためである(最初から形を自由にやろうとする人は上達しない)。
 形稽古とは、それまでの日常の心身意識を、その流派で必要な動きを可能にする心身意識に作り替えるための稽古である。形稽古を繰り返すうち、心身意識が上書きされ、形の動きが自由に感じられるようになってゆく。形稽古で大切なのは、この感覚を感じるということなのである。これを私は、「自感自動」とよんでいる。「自分で感じ、自分で動く」。
 彼女は、形稽古で、自分の心身意識を「自感自動」し、約束組手で、師匠の心身意識を自分に写そうとしていたのである。

 もちろん今回の稽古では、他にも出来ている者もいたし、ほんとうは、多かれ少なかれ、誰でも感じていたのだ。だから、彼女が目の前でやって見せたとき、「これだ!」と分かり、驚き、彼女に引っ張られて、みんな心身が開かれていったのである。
 出来ていなかった者は、頭が、言葉が、自意識が、少しだけ自分が感じていることを、自分に隠していたに過ぎない。だがこの差は決して小さくはない。
 何人か、かなりショックをうけた。だがおそらくそのショックはあまりに大きすぎて、余計な雑念を一緒に吹っ飛ばしてくれたはずである。
 彼ら、彼女らの来年がとても楽しみである。

 実は、この講習会の後、もう一つ凄いことがあったのだが、あまりに凄すぎてここでは書けません~ 

全身全霊の武道部

 八代高専空手道部顧問の岩崎先生が、学生のTくんを連れて武道部の稽古にやってきた。課外活動の可能性を問う共同研究の一環である。北海道からは初代部長Rさんも参加した。高専生に、

 これが武道部だ!というのを見せたろ

という思いが全員にあったのだろう。とても気合いの入ったよい稽古であった。これだけのいい空気が作れたのは久しぶりである。T君もきっと感じてくれただろう。
 武道部の今のテーマは「全身全霊」である。

 心身を全開にし、自分のもっている力を全部出す。底の底から絞り出す。

 これがなかなか難しい。とりわけ普段理屈を重視している工学部の学生にとって、頭と心のリミッターを外すのは困難極まりないのである。もちろん1人ではとてもできない。
 だからみんなで一緒に稽古するのである。お互いがお互いの気を引き出しながら、全体が全開になってゆく。その時の空気は格別である。一度味わったら忘れられない。
 全身全霊の稽古はとっても気持ちがいいのである。

 昼からは、一年間の感謝の気持ちを込めて、武道場の大掃除。数年前から武道部が言い出しっぺとなって、いくつかのサークルを誘ってみんなで大掃除をしているのである。

 夕方は、岩崎先生、Tくん、Rさんと一緒に尚志館の稽古に参加。今日で年内稽古納めである。みんな元気よく声を出して、おしまい。
 今年は、道場生が一気に増え、5人が黒帯に昇段するなど、子どもも大人も成長しました。中でも今年一番成長したのは館長ですね。子どもたちも負けないように、来年もがんばりましょう。

 夜は、武道部のクリスマス会。恒例の木村さんのリンゴジュースで乾杯。おいしい。
 今年のアイテムはサンタさん変身グッズ。順番にサンタさんになって記念撮影。RサンタやY美サンタがとても人気でした。途中から参加の大阪のY子さんも、サンタになった。
 今年はほとんど全員参加の、大いに盛り上がったクリスマス会でした。

身体化された時間意識

 武道の稽古において、普段意識していないことに意識を向けることはとても大切である。とりわけ今武道部の課題となっているのは、身体化された時間意識である。
 遅いのだ。技が「遅い」のではない。その基盤であるはずの、身体の中を流れている時間が、とても遅いのである。
 これを早くするには、いままでゆっくり歩いていたのを、スピードアップするというのとは、ちょっと感じが違う。 
自分の身体に「沈殿」した時間意識を変えるには、新しい時間意識を上書き(再)インストールしなければならないのである。それは全く新しい時間意識をもった身体を獲得するということである。
 そのためには、意識してその時間感覚で動くことを繰り返し、「習慣化」しなければならない。
 目下、部員一人一人がそれにチャレンジしているが、何せ20年ほどかけて身体化された時間意識である。ちょっとやそっとじゃ上書きはできない。
 それでも前回の稽古では、4人ほど出来てきた。次回は何人になっているだろう?
 次回がとても楽しみである。

ホーム > 武道部 アーカイブ

カレンダー
« 2025 年 1月 »
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最近の投稿
最近のコメント
カテゴリー
アーカイブ
リンク
中森康之研究室
武道部
俳文学会
現象学研究会

ページトップに戻る