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武道部 アーカイブ
限界線
- 2009-06-07 (日)
- 武道部
尚志館館長が古傷を少し痛めたらしい。大したことはないようなので安心した。
私は稽古中の怪我は指導者の責任であると教えられてきたし、教えても来た。そして稽古中に怪我をしてはいけない、と。ほとんどの怪我は油断が原因であるし、稽古中に道場生が油断をするのは指導者の責任であることは間違いないからである。
館長自身もそう考えているので、非常に反省していた。僅かな油断があったのは確かだろう。だが今回は、ただの油断ではないと思う。
このブログでも何度か書いたように、今回の演武会のテーマは「全身全霊」であり、出演者は卒業生や招待演武者も含め、みな自分の限界にチャレンジしている。そこにチャレンジし続けた者だけが出演できる演武会を目指しているのである。
館長も例外ではない。むしろ、トップレベルのチャレンジをしている。もともと痛めた箇所は、大昔の組手試合で痛めた箇所で、疲労が蓄積したり、無理な動きをすると再発することは、館長自身がよく分かっている。だから長い間再発していないにもかかわらず、今でも毎回の稽古で、細心の注意を払ってケアしているのである。それが今回痛めたということは、自分の限界を超えて稽古していたということである。もちろん自分の限界はよく分かっていたはずだが、そのギリギリのところでチャレンジしているうちに、ちょっとだけ限界線を越えてしまったのである。
幸い大した怪我ではない。本人は「一週間で治す」と言っていた(彼女は「治る」とは言わないのである)。だから敢えて言えば、今回だけは、そして館長に限って言えば、むしろよかったと思う。そういう限界線ギリギリでチャレンジしないと得られないものがある。怪我の直前に見た形は非常によかった。彼女はこれからも限界ギリギリでチャレンジするだろう。そして露ほどの油断もすることなく、もう痛めることもないだろう。そこまで追い込むのは、大会で優勝を重ねていた頃以来である。だかもうそのころとはレベルが違う。久しぶりに、いや最高に感動する形を見せてくれるに違いない。
感動といえば、尚志館で見せてくれた幸美さんのヌンチャクは「かっこいい~」と思った。茶帯であれだけ振れれば大したものだ。彼女の素晴らしいのは、実行委員長の仕事もさることながら、稽古中に指摘したことを次の稽古までに必ず修正してくることである。指摘と言っても、「杖、下手やのお~」とか「もっと、ブンッと振れ」といった程度である。彼女はそれをレベルアップしてくるのだ。だから次の稽古ではさらにハイレベルの課題を出し、その稽古ができるのである。彼女のヌンチャク試割は、演武会の必見演目の一つである。
他の出演者たちも、みなそれぞれギリギリのチャレンジをしている。石井くんも池尾くんも大畑くんも、ここのところかなり上達してきた。東くんは最後の壁にかなり苦しんでいるが、あと一歩のところまで来ているだろう。白帯もかなり頑張っている。
私もこの前の土曜日に、ようやく二つの課題が克服できたので、演武できることになった。感覚は掴んだので、あとはいつでも出来るように稽古あるのみである。
出演者のみなさん、怪我だけは絶対にしないようにしてくださいね~。
演武会リハーサル
- 2009-06-05 (金)
- 武道部
演武会の会場リハーサルがあった。
今年は例年のように時間に追われることなく、むしろ余裕があった。初めてのことである。それがよかったのか悪かったのかは、当日になれば分かる。
新入部員は毎年、この会場リハーサルの後、演武会モードになる。舞台に上がれば、「こんなところで自分が演武するんだ~」と、気合いが入るからである。もちろん色帯以上も、改めて気合いが入る。
各自の演目、舞台での立ち位置も、ほぼ確定した。つまりは、各自の役割がほぼ確定したということである。あとは、各自がそれぞれの場所で、それぞれの役割を確実に、かつ精一杯果たすだけである。それは舞台上だけではない。当日までの準備、当日の受付から客席の案内から、撮影から、全てである。
もちろん自分のことだけを考えていては、それは叶わない。他の部員のこと、全体のことに気配りができていなければ、自分の役割は果たせないのである。
あと1ケ月、武道部は、全員が一つの理想に向かって、それぞれがそれぞれの役割を精一杯果たしながら進んでゆく。
演武会は私たち武道部の「夢」である。
演武会チャレンジ
- 2009-05-12 (火)
- 武道部
演武会の準備が着々と進んでいる。
この土・日に演武会出演チャレンジがあった。
チャレンジしたのは5名。3名は試割、1名はヌンチャク、1名は形である。
演武会の演武には、武道部の基準がある。例えば試割なら、瓦何枚といった具合に。もの(瓦とかブロックとか)によっても、性別によっても、キャリア、段によっても違う。
もちろん普段の稽古で、大体どのくらいできるかは分かっているのであるが、限界にチャレンジするという意味と、自らその演武を獲得するという自覚のために、今回はチャレンジをクリアできればその演目を獲得できることにしたのである。
まず土曜日に4名がチャレンジした。
ヌンチャクはすんなりクリア。
次に試割。結果は2名クリア、1名クリア出来ず。クリアしたうちの1人は瓦。枚数は合格ギリギリであったが、迫力がかなりあった。演目獲得(祝)。もう1回、枚数チャレンジが出来る。
もう1人も、「こんなのできるの?」という皆の心配を余所に見事クリアした(ものは当日のお楽しみです)。こちらは逆にもっと迫力がほしい。
クリアできなかった者は、本人の希望により今週の土曜日に再チャレンジする(これで最後)。なぜ失敗したかを本人が気づいて改められればクリアできるだろう。しかしそれはかなり難しい。だが本人にとっても、他の部員にとっても、いい勉強になるだろう。本人が土曜日までに、どこまでできるかに期待したい。
さて日曜日にもう1人チャレンジした。こちらは卒業生のみの特別稽古会でのチャレンジ。かなり厳しいハードルを設定した(しかも前夜急に言われてのチャレンジだった)が、見事にクリア。他の者には知らせてなかったので驚いたと思うが、このチャレンジは、その場にいた全員の心を動かした。私も感動して、見ていてちょっと涙が出た。まさに今回のテーマ「全身全霊」に相応しい(可能性を持った)演武だった。
このチャレンジを見ていた卒業生は、自分自身の演武をもう一度見直し、これまでとは見違えるものにしてくれるだろうと確信している。帰宅報告メールには皆、その意味のことを書いてくれていた。
だがこの演武に関しては、まだ確定ではない。可能性を示したが、演武会でやるレベルにはほど遠いからである。もちろん演武会までには素晴らしいレベルに仕上げてくるだろう。彼女はそういう人間である。彼女だけではない。あの場にいた卒業生たちは全員、そういう期待には応えてくれるメンバーなのである。とても楽しみである。
これ以降は、特別なチャレンジ日は設定していない。誰がいつやるかの予告もしていない。毎回の稽古が全員のチャレンジだからである。
次のチャレンジは明日。色帯の部員は、おそらく心と技の準備をしているだろう。色帯もまた、そういう期待に応えてくれる部員たちだからである。
全身全霊
- 2009-04-30 (木)
- 武道部
昨日の続きをちょっと。
全身全霊は、気合いとは違う。一所懸命とも違う。全身全霊は、これまでどのような生き方をしてきたか、普段どのような生活をしているか、どのような価値観を持って生きているか、何を目指して生きているか等々、その人の存在全てを含んでいる。
例えば前日夜中まで飲んでいて、演武会当日だけ必死にやる。それで、「自分は全身全霊で演武しました」と言われても、誰でも違和感を持つだろう。当日全身全霊の演武ができるかどうかは、むしろ、それまでどれだけ準備をしてきたかが、ほぼ全てである。何も演武会だけではない。日々の稽古も同じである。その日の稽古を全身全霊でやるには、それ以外の時間をどう過ごしているか、が大切になってくる。授業もあれば、研究もある。仕事もバイトもあるかも知れない。そのような事全てを含めて、自分の存在があるのである。
全身全霊は、それまで自分が生きてきた人生をかけて、今の自分の全存在をかけて、はじめて結果として現れることもある、そういうものなのである。
もちろん優れた武道家なら、いつでも出したいときに出せる。しかし私たち凡人は、ただ必死にやって、結果として出てくるのを待つしかないのである。最初は自分では出せない。自分のコントロールを越えて、出てくる、のである。しかしそれを繰り返すうち、自分で出せるようになってくる、はずである。
比喩的に言えば、自分が今持っている殻を破らないと全身全霊は出てこない。自分の全存在をかけるためには、自分の殻を後生大事にもっていては、かなわない。それまでの自分をその都度捨てなければならないのである。
ボクシングのチャンピオンであり続けたければ、一度チャンピオンベルトを返還して、挑戦者と同じ場所に立って、防衛戦に勝って、またそれを自分で奪うことを繰り返すしかない。手放しては獲得する、この繰り返しだけが、チャンピオンであり続ける条件である。この連続には、無数の断絶が含まれているのだ。もし試合前に一旦チャンピオンベルトを手放すことを拒否したら、その時点でその人はチャンピオンである資格を失うのである。
自分が変わるためには、まず捨てなければならない。新しいものが得られることが保障されていない段階で、である。この順序を間違えると、役に立つことしかしない、つまり、この稽古が何の役に立つのかを納得しなければやらない修行者になる。何のために勉強するのか?というのと一緒である。少なくともそういう修行者が上達することはあり得ない。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
この逆説が信じられた人だけが、溺れなくてすむのである。
稽古前にはそれまでの自分を一旦捨てる。必死に稽古して、稽古が終わったら、結果として、なんとか紙一重で新しい自分を獲得できていた。その繰り返しが出来たら最高である。
もちろんこれは単なる精神主義ではない。武道は、武術という身体の技術を通してそれを行うのである。
道場はそのための空間である。自分をさらけ出して、自分の存在をかけて稽古する場所は、特別な空間、敢えて言えば神聖でなければならない。だからみんなで掃除もするし、出入りの時には一礼もする。そこを特別な空間にするかどうかは、そこにいる人の心次第である。
もう紙一重のところまで来ている部員が何人かいる。だがこの紙一重が難しい。風船を膨らまして破裂させる瞬間には、それまで以上の力が必要なのと同じである。だがここで一踏ん張りしなければ、風船はしぼんでしまう。
勿体ない!
多分次回には爆発させてくれるだろう、と信じている。
逆に、とても心配な部員もいる。今一番心配しているのは、f、y、m。
演武会プログラム
- 2009-04-29 (水)
- 武道部
7月11日の武道部演武会のプログラム案がほぼできた。今回のテーマは「全身全霊」。今どきの若者の「全身全霊」を感じてもうらおうというものである。技科大吹奏楽団とのコラボもある。
プログラム案は大枠がほぼ出来上がったので、あとは細かい詰めと、演武者の決定である。今までは、演武内容と演武者を同時に決めていたが、今回は、全て第一候補者があがっているだけで、まだ決定していない。それは、今回のテーマと関係がある。
「全身全霊」というのは、口でいうのは簡単だが、実行はとても難しい。自分の限界にチャレンジし続けた者だけが、時に「全身全霊」の領域に入ることができる。テクニックの巧拙とは全く別のことなのである。
頭ではチャレンジしようと思う。心でも思っている(と自分では思っている)。だが、実際に動くと、すぐ心が折れる。あるいは集中しきれない。それでは全身全霊の領域にはほど遠い。
武道部の最近の課題は、この全身全霊であった。全身全霊で稽古できない部員が年々増えてきたのである。在学生だけではない。卒業生も私も同様である。つまり武道部全体が、全身全霊を忘れつつあるのである。それでは困る。そこて今回勝負に出て、これを演武会のテーマとしたのである。
今回の演武会が全身全霊の演武会にならなければ、武道部に未来はない。もちろん部員にも私にも未来はない。
だから今回は、自分の限界にチャレンジし続け、全身全霊の領域に足を踏み入れた者だけが舞台に立てる、そういう演武会にしたい。何度も言うが、巧い下手ではない。だから色帯も黒帯もない。それぞれが自分の全身全霊を出し、会場中を全身全霊の空間にできるかどうかである
本気で、それこそ全身全霊でやろうと思えば、今すぐ誰にでもできる。今年入った新入部員にもできる。だからこれからの稽古の中で、その領域に届かない者は、演武会に出ることが出来ない。これまでは、全員参加でやってきた。でも今回は、惰性で出演する者は必要ない。
全身全霊でないものは去れ
である。だから私を含め、どの席も、誰にも、約束されていない。全身全霊が出せなければ、出せる人と交代するか、その演目自体を削除するかしかない。
幸い、先週の土曜日の尚志館の稽古中、幸美さんがその領域に一瞬足を踏み入れた。今のところ、在学生で足を踏み入れたところを私が見たのは彼女一人であるが、おそらく彼女は、これから何度も足を踏み入れることができるだろう。他の部員もそれにつられて、どんどん足を踏み入れることを期待している。次回の稽古の時に、第一候補を押しのけて割り込んできたり、まだ候補が挙がっていない演目の第一候補になる部員が多くいるようであってほしい、と思う。
もう一つ期待しているのは、卒業生である。卒業生が限界にチャレンジしている姿を在学生に見せることほど刺激的なことはない。
次回の稽古から、一人、また一人と、全身全霊の領域に足を踏み入れる者が出てくる。そういう稽古がしたい。
武道部員以外でこのブログを見て下さっている方は、ぜひ楽しみにしていて下さいね。
バーゼルからの便り
- 2009-04-07 (火)
- 武道部
スイスのバーゼル大学に赴任した荒川夫妻から、インターネットができる環境になったとのことで、メールがきた。2人とも元気で奮闘しているようです。
なれない言葉、土地、文化でいろいろ苦労も多いようですが、2人とも武道の心で、それに余裕をもって対応できているように見うけられました。この調子で頑張ってほしいと思います。
武道の心は、こだわらない心です。苦即楽。楽即苦。同じものでも、見方によっても、見る人の心によっても、見え方は変わります。こっちが変わらなくても、向こうが変わる。臨機応変というのは、その時その場の状況を、よりよい方向にもってゆくための心法だと思います。
あの2人なら何の心配もないでしょう。武道部が自信をもって送り出した武道修行者ですから。
与えられた条件の中で
- 2009-03-24 (火)
- 武道部
新入生勧誘活動計画の報告に幹部がやってきた。具体的なことについては部長に任せてあるので、僕は新歓活動の武道的な意味について話をしただけだが、話の流れで、最後に
具体的なことは、みんなでいろいろ工夫してやって下さい
と言ったら、広報担当副部長がビラについて、
工夫しようにも、スペースがありません
と言った。ちょっと驚いて、
これ以上できないところまでやってみたのか?
すると、
いや、まだそこまでやってません
と笑って言う。
武道部では、リーダーは仕事を抱え込まず、部員に振ることになっている。リーダーは全体の調整とスケジュール管理をやらなければならないからだ。もちろんその話は何度もしてあるので、自分も、自分以外の部員もできずに、どうしようもなくて困っているのかと思ったら、どうもそうではないらしい。
昨年のビラも、担当の部員がギリギリまで努力し、その上で卒業生がアドバイスをして作った。そのことは第1回研修会でも詳しく説明してあるので、彼も知っているのだが、その段階までもまだやっていないと言う。要するに、ちょこっと自分でやってみた程度なのであった。
やる前から言い訳をしたり、状況のせいにする人に未来はない。そういう人は、失敗したとき必ず自分以外のせいにする。スペースが小さ過ぎた、時間が足りなかった、人手が足りなかった、忙しかった、体調が悪かったなどなど。
このような発想は、武道から最も遠い。
与えられた状況の中で発揮できた力だけが自分の力の全てである
というのが武道の覚悟だからである。足場が悪かった、体調が悪かった、いきなり襲われた、酒を飲んでいた、手を怪我していた等々の言い訳には何の意味もない。もうちょっと背が高かったら、目がよかったら、足が上がったら、と無い物ねだりをするのも同じである。
だが、幸い彼は、
もうちょっと頑張ってみます
と言った。もうちょっと頑張る人には希望がある。これまでの彼の稽古には、上の話に象徴される彼の生き方が出ていた。だから上記のような話をした。そして最後にこう付け加えた。
「ついついそう考えてしまう」「ついそうやってしまう」「自分の性格ではそういうことは無理だ」などというのは、性格ではなく技術の問題である。「自分を変える」というのは、性格の問題ではなく、武道の技術の話なのである。
さてさて、どんなビラが出てくるか楽しみだ。
名前憶えてね
- 2009-03-14 (土)
- 武道部
担当の学生が、武道部HPの「顧問の部屋」に、このブログのリンクを貼ってくれた。
が、
名前の漢字が間違ってる。入部してもうすぐ1年になるのに、まだ覚えてもらってなかったんだあ~
まあ、僕も荒川くんが茶帯のとき、「きみ、名前何だっけ?」と聞いたらしいから、仕方ない。
追いコン
- 2009-03-09 (月)
- 武道部
7日の夜は武道部追いコン。
事前にここでプレッシャーをかけ、さらにはじめに私が話をするという異例の追いコンであったが、終わってみれば、非常に特別な追いコンとなった。卒業生もそうであるが、在学生がこんなに多く涙を流した追いコンは初めてだろう。
心配していた「一人一言」。在学生もよく出来ていた。とりわけ、面と向かって直接プレッシャーをかけられ、その日の御礼メールで、「期待しておいて下さい」と自らハードルをあげるという暴挙に出た幸美さんは、とても見事なスピーチだった。私が在学生の「一人一言」で涙を流したのは、初めてである。
卒業生もそれぞれ印象深い話をしてくれた。今回の卒業生は9人。みなそれぞれに精一杯の努力をして、この追いコンの日を迎えることができた。
今日、ここに立てることに、感謝の気持ちで一杯です。
前に立ったとたんに号泣し、一つずつ言葉を慈しむように語り出した豊川くん。武道部員にとって、この日、この場所に立てることは特別のことなのである。技科大で武道部を卒業まで続けることは難しい。自分自身を変え、成長し続ければ誰でも出来るのだが、それまでの自分を頑なに守ろうとする人にはとても難しい。武道部では、そういうハードルを設定してあるのである。
彼も相当苦しんだが、黒帯になった頃からどんどん成長し、この場に立つことができた。心から祝福したい。
期待していた荒川くんも、さすがだった。
みんな95%くらいは回りのお世話になっているのだ。自分で努力できるのはせいぜい5%に過ぎない。その5%で自分が手を抜いちゃ、いかん。ごちゃごちゃ言ってないで、精一杯努力しろ!
と後輩を叱咤した。そして、
久しく試割をしていないが、これまで自分は瓦を14枚しか割ったことがない。どうしても一枚残ってしまった。それが自分の課題であった。
何枚割ったとしても、最後の一枚が割れないと、その先は見えないのだ。
単なる思い込みかもしれないが、今日、ここに立っている自分は、最後の一枚が割れたかな、と思う。
また、自分が絵実子さんと裕子さんにあこがれて稽古してきたことを告白し、武道修行における「あこがれ」の重要性を語った來原さん、部長としての成長を示した宇野さん、武道部メソッドの有効性を示す体験談を語ってくれた竹井くん、その他の卒業生、それぞれによい一人一言だった。
OB・OGもそれぞれの思いを、涙ながらに語った。やはり長年一緒に稽古してきた者として感慨深いものがあったのだろう。
さらに、翌日友人の結婚式が神戸であるにも関わらず、そのドレスをひっさげて大阪から裕子さんが来てくれた。荒川君と來原さんの演武を見にきたのだという。彼女の話はいつ聞いても「武道っていいなあ」と思わせる。武道は人に生きる力を与えるものだということを強く感じさせてくれるのである。
私自身も、武道を、そして彼(女)らをもっと信じようと思った。
というわけで、とってもよい追いコンとなりました。
ただ残念だったことが3つある。
1つは、OB・OGの話が長すぎたこと。彼らは、何時に会全体を終わらせるつもりだったのだろう。その考えがなかったとしても、会場を出なければならない最終時間は決まっているのだから、残り人数と残り時間を考えれば、自分に許された最大時間は簡単に分かるはずだ。しかも自分より上位の者が後に控え、特に今回は裕子さんもわざわざ来てくれているのである。幹事も途方に暮れていた。それにも気づかなかったのだろうか?
結局、会の途中で会場を出なければならなくなった。
感傷的になり過ぎて全体が見えなかったのだとしても、分かった上で自分の感傷に溺れたのだとしても、いずれにせよ、武道修行者としてあるまじきことだ。少なくともそんな先輩を心から尊敬する後輩は一人もいないはずである。翌日のお礼メールで、幹事が時間配分のまずさについて謝ってきた。もちろん仕切りの責任は幹事にあるが、今回ばかりは、3年生にそれを求めるのはちょっと酷だと思う(甘いかも知れないが)。やはり先輩がきちんと配慮してやってほしい。
もちろん上に書いたように、彼(女)らの気持ちは十分わかる。話自体はとても胸を打つよいものであった。それだけに、今回のことはとても残念だった。普段の稽古にこの甘さが出ていないか、もう一度よく見つめてほしい、と思う。
2つめは、OBたちだけと二次会に行った卒業生がいたこと。これまた気持ちはよく分かる。だが最後のチャンスに、後輩を連れて行ってあげてほしかった。私は今回の卒業生は、自分の稽古はとてもよく出来たと思っている。だが一つだけ物足りないものがある。それが「先輩学」なのである。先輩として後輩をどう導くか。教師でも、師匠でもない先輩だからこそできるコミュニケーションがあるのである。それをしてもらった後輩は、今度は自分がそれを出来るようになってほしい。そういう伝統をきちんと構築してほしいと、各学年が揃ってきた頃から言い続けてきたのだが、やはり最後の最後でもそうだったかと、とても残念だった(OB・OGにも求めているのだが)。
3つめは、その他の卒業生が在学生を連れて二次会に行ったが、行かなかった在学生が多くいたことである。
これまた最後なのに、もったいないと思う。もっとどん欲に「人間」を求めようよ、みなさん。
しかし逆にいうと、上に書いたように、先輩が後輩との繋がりをきちんと築かなかったということでもある。連れて行った卒業生が、在学生の少なさを残念がっていたので、「後輩たちが一緒に行きたいと思わなかったのだから、お前に人望がなかったのかもね」と言ったら、「そうかもしれません」と言っていた。
そんなこんなでいろいろ複雑な追いコンだった。
ただ追いコン自体の空気は、最高の追いコンだったことは間違いない。
卒業ミニ演武会
- 2009-03-08 (日)
- 武道部
7日午前中は、卒業記念ミニ演武会。
例年在学生が団体で卒業生に演武を見せ、卒業生が一人ずつ形の独演を行う。
在学生演武は驚くほどよかった。これは、卒業生への感謝の心と、「これからの武道部は自分たちが守ってゆくので、安心して卒業して下さい」という気持ちを卒業生に伝えるためのものである。それが十分に伝わってきた。自分たちだけで頑張って稽古したのだが、それに加えて、卒業生に対する感謝の心が、本番での演武を最高のものにしたのである。とくに杖の形はよかった。「これなら安心して卒業できる」と卒業生たちも喜んでいた。
卒業生独演も、これまたよかった。これは、卒業生がそれまでの武道部における自分の武道修行の全てを、形の演武によって在学生に伝えるものである。言葉はない。誤魔化すことはできない。今、ここで演武している形がその人の全てである。
豊川くんの三戦は彼の人生そのものであった。
來原さんの制引鎮は貫禄があった。
荒川くんの十三手は迫力があった。
豊川くんは、入部前から大変な苦労をしてきて、必死で生きてきた青年である。大袈裟でなく、彼の人生は武道によって救われたのだと思う。それが見事に現れていた三戦だった。
來原さんは、入部当初から、当時監督だった絵実子さん(尚志館館長)に憧れており、制引鎮はその絵実子さんの得意形である。2006年の全国大会では、毎回泣きながら特訓に耐え、その制引鎮で優勝した。その後もずっと彼女は絵実子さんの背中を追い続けてきたのである。その意味で制引鎮は彼女の武道人生の象徴である。それを示すに十分な形だった。
荒川君は十三手。彼の武道に対する熱い思いのこもった、迫力のある形だった。あの迫力は荒川君でなければ出ないだろう(姿勢がよくなればもっといいね秊。
それ以外の卒業生も、自分に出来る精一杯の形をやったように思う。とても嬉しかった。
その後は、鶴岡監督の十八手。そして絵実子さんと裕子さんのツイン十三手。この2人はほんとうに仲がいい。まるで双子のようである。さらに私も独演をした。6年間で初めて私にお願いをした來原さんのリクエストに答えて、制引鎮。
その後、私と絵実子さんと來原さんで3人制引鎮。私と裕子さんと荒川くんで3人十三手。どちらも一つになれて、とても気持ちがよかった。
ありがとう。
最後は、全員での追い突き。これまた全員が一つになったとてもいい追い突きだった。
さらに今年は余興として、豊川くんと荒川くんに在学生が挑戦するという、自由組手を行った。まあこれはあくまで余興である。
というわけでミニ演武会見事に終了。
最高のミニ演武会でした。
事務連絡:既に卒業している人で、映像希望者は中森まで直接メール下さい(武道部卒業生に限ります)。
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