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2009-02

尚志館メンバー歓送会

 尚志館お手伝いメンバーで、この3月に卒業する武道部員の歓送会があった。とくに來原さんと三浦さんは、尚志館創設当初からのメンバーで、6年間に渡って尽力してくれた。その時小学1年生だった道場生も、この3月に小学校を卒業し中学生になる。二人同様、もちろん既に黒帯である。
 2人が尚志館に与えてくれたものも多いし、2人が尚志館から得たものもたくさんあるだろう。尚志館に来た期間は短かったが、もう1人の卒業生である菊池君を含め、それをぜひ今後に生かしてもらいたいと思う。

藤原正彦氏講演会

 武道部の稽古終了後、部員十数名と、藤原正彦氏講演会「これからの日本」に行った。
 『国家の品格』で述べられていたことと基本的に同じような内容であったが、藤原さんらしい歯切れのいい話が生で聞けて、とてもよかった。やはり本で読むのと、生で聞くのとは違うものである。
 今回は講演会のあと尚志館の稽古があったので、感想会が開けなくて残念だったが、部員たちも面白く拝聴したようだ。
 一つ残念だったのは、「これからの日本」という演題なのに、聴衆に、まさに「これからの日本」を背負う若者が少なかったことである。

審査&打ち上げ

 宿題をためていた小学生みたいだけど、ちょっと遡っていくつか書いておきたい。
 まずは、2月14日の武道部の審査と打ち上げ。

 今年度2回目の昇級審査を行った通算では19回目の昇級審査である。今年度入った部員にとっては、勝負どころとなる審査であった。緊張しすぎていつもより動きが悪い部員もいたが、全体的にはかなりよい出来だったと思う。先頭をゆく池尾くんと加藤さんは順調な成長を見せていたし、黄色帯軍団から抜け出した東くん、先頭軍団に追いついた石井くんは、とりわけよかった。その他も、着実に成長している部員も多かった。やや崩れかけている部員も少しだけいた。稽古中のメッセージをうまくキャッチしてくれていないようだ。だがこれをきかっけにまたやりやり直してくれることを期待している。
 もうすぐ新しい新入部員も入ってくるし、その後には演武会も控えている。全員一丸となって成長あるのみだ。ただしその前に、3学期の定期試験が待っている

 夜は、恒例の打ち上げ。これまた恒例の武道部メソッド「一人一言」もやった。みんなだいぶ慣れてきたようだが、特に色帯のスピーチがものたりない。感じたことをうんと考え抜いた言葉でなければならない。すぐまた追いコンがあるので、それに期待することにしよう。

 何人かは、今日の自分のパフォーマンスについて、歓談タイムに個人的に質問にきた。これも毎回のことであるが、ほぼメンバーが決まってきた。これは性格の問題ではなく、学ぶ技術の問題であるから、ぜひとも皆に上達してほしいものである。

 また嬉しいことに、高専連携プロジェクト「術者教育としての課外活動の可能性の提示と教育メソッドの開発」のメンバーである函館高専の山田誠先生が、打ち上げに参加して下さった。同じ日に高専学会シンポジウムが本学で開催されており、そちらの終了後、ご訪問いただいたのである。参加いただいただけでなく、なんとみんなの前でお話をして下さり、「一人一言」のお手本を実践して下さった。

 「人柄のいい優秀な技術者が欲しい」と大企業のトップの方が言われていた。「優秀なだけではダメだ」と。
ではこの「人柄のいい」とは何か?
これはコミュニケーション能力の一つである。
ではこれをどこで身に付けるか?
そう考えたとき、課外活動は非常に大きい意味を持っているのではないか。

 いつものように微笑みながらそう述べられた先生は、二杯ほど焼酎を飲まれ、にこやかに終バスで去って行かれた。CIMG2244.JPG
 30分ほどのご滞在であったが、私を含め後に残った部員たちは、「一人一言」のやり方、そして「人柄のいい」とは、山田先生のような方をいうのだということを、しっかりと学んだのである。
 山田先生、恐るべし。

「すっと、はいれる」境地

 先日、春風亭小朝師匠がテレビでこんな話をしておられた。
 人間国宝の柳家小さん師匠が、ある寄席で30分の落語をやった。ところが子どもが前を走り回って、ジュースの缶が転がって、大騒ぎだった。
 小さん師匠の声は聞こえない。それなのにマイペースでずっとやってらっしゃる。そして、15分経過したあたりからだんだんその音が静かになって、20分くらいから笑いがおき始めて、25分で爆笑になって、最後は万雷の拍手で舞台を降りられた。それを見ていた小朝師匠は鳥肌がたち、「どういうことなんだ、これは」と思われた。そして師匠がお亡くなりになる直前に、お聞きになった。

(小朝師匠) どうしても聞きたいことがあるんですけど。
         師匠、こういうことがあったんですけど。
(小さん師匠)ああ、あったかもしれないなあ。
(小朝師匠) 師匠、ああいう時どうなさるんですか。
       師匠の声全然聞こえてなかったんですけど。
(小さん師匠)いや、そんなのは簡単なんだよ、話に入っちゃ
       えばいいんだから。

 「つまり、目の前にいる登場人物しか見えてない。だから何にも音が聞こえない。誰が騒いでいようが、何をしてようが見えない。すっと話に入って、30分喋って、降りてきた。結果的にお客さんがついてきて、万雷の拍手だった。」(小朝師匠)というのである。

 「だからねえ、凄いですねえ」と小朝師匠はおっしゃったが、ほんとうに凄いことだと思う。これぞ私がいつも主張している武道の心であり、芸事の境地なのである。

 最良の結果を得るために、結果ではなく、目の前のプロセスに集中する。

 これが武道の思想であり、芸道の思想である。そして、一つ前のエントリーで書いたように、優れたアスリートの思考法なのである。言い換えれば、これは、

 「結果」を「目的」とせず、あくまで「結果」と思える強靱な思考力

である。小さん師匠も、笑わせようとせず、話に入り込むことに集中した。小朝師匠がおっしゃったように「結果的に」お客さんがついてきて万雷の拍手となった。もちろん笑わせるために落語をするのであるが、落語の最中はそれを目的としないというのである。

 最良の結果を得るために結果を忘れる。

 武道に見られるこの逆説の思想を、私は一般化して「逆説の武道」とよんでいるが、この逆説を信じることはなかなか難しい。実行するとなるとなおさらである。だがもう一度、平井伯昌コーチが北島康介選手にしたアドバイスを思い出そう。

 勇気をもって、ゆっくり行け

 金メダルを取りたければ、早く泳ぎたければ、ゆっくり泳げ。そして北島選手は、見事に実践した。この常識外れの逆説こそ、論理的思考と現実の間に横たわる逆説なのである。

 武道においては、この心を形稽古で養う。形は様式美のためにやるものではない。もちろん他にも大切なことはあるが、形稽古の意味の一つは、この「すっと、はいれる」境地に立てる心を養うことにある。
 私もいつかその境地に行けるのだろうか?
 教室に行き、すっと話に入り、だんだん学生が集中してきて、最後は万雷の拍手で教室を出て行く。
 そんな日がいつか来ればいいのになあ、と思う。
 そのためには、三戦、三戦、なのである。

 補足)三戦とは、剛柔流空手のもっとも大切な形です。

野茂さんに学ぶ

 昨日の朝、稽古前にいつものように、モーニングを食べながら読んでいたスポーツ新聞に興味深い記事が載っていた(中日スポーツ2月7日)。
 オリックスが野茂英雄テクニカルアドバイザーを招いて、投手捕手全員(2軍からも数名参加)を集めたミーティングを行ったというのである。初めに野茂さんがマウンドでの心構えなどについて話をし、その後質疑応答の時間となった。ところが、である。なんと誰一人質問せず、約10分で解散したというのである。企画したコーチは「雰囲気にのまれてしまっていた」と言ったとある。
 プロの、しかも投手が雰囲気にのまれて質問できないなどということがあるのか、とちょっと思った。もし本当たとしたら、プロの世界にもそういう気質が浸透してきたということなのだろう。もちろん実際のその場の雰囲気や事情が分からないのでこのミーティングについては何とも言えないが、少し一般化して考えると、とても面白い。
 というのも、「先生」と呼べる強靱な精神力でも書いたが、最近質問できない学生が増えているらしいからである。プロ野球選手を学生と一緒にしては大変失礼だが、桑田真澄さんや工藤公康さんが、よく「(若手が)聞きに来たら何でも教える」と言っているのを聞いたことがある。それを聞く度に私は、最近の若手選手は聞きに行かないということか、と思っていた。もっとも昔はどうだったかは知らない(昔は聞きに行っても「お前に教えて活躍されたら俺の給料が下がる」といって絶対教えなかった人もいたという話を読んだことがある)。

 さて、この記事を読んで率直に思ったのは、やはり「もったいないな~」ということである。何ともったいないことか。オリックスの選手はどうか知らないが、うちの学生の場合は、自分の頭の中で手を挙げない理由を見付けて、それを正当化している場合が多い。しかし私はそんな後付けの理由には興味はない。ただシンプルに「もったいない」と思うだけなのだ。チャンスは何度もあるわけではないのである。

 同じチャンスは二度とない

 私はこれまで何度もチャンスを逃してきた。だからそのことを学生に力説している。ミーティングのような場合、自分で考え抜いていないから質問することがない場合もあれば、聞きたいことがあるのに勇気がなくて聞けない場合もある。だから私は、授業や武道部ではそれらの能力を育てるメソッドを模索し、「武道部メソッド」にもいくつか取り入れているのである。
 
 この記事でもう一つ面白かったのは、担当のコーチが、今回の雰囲気を見て、再度の開催に否定的だった一方、野茂さんは「彼らには絶対に伝わっています」と断言したと報じていることだ。私はここに野茂さんの凄さを感じた。通常こういうことがあると、教える側の人間は、「学ぼうとする気がない」とか何とか、聞く方の心構えや能力を否定しがちである。記事のニュアンスでは、担当コーチのコメントが、「こんなんやったら何回やっても同じや」といったニュアンスを伝えている。
 だが、野茂さんは、「絶対に伝わっています」と断言している。私は。自分はここまで人間というものを信じているだろうか、と反省した。

 その後、昨夜であるが、このエントリーを書こうと思っていると、さらに興味深い記事を見付けた。
一つは、野茂さんの指導が「あまり参考にならない」と発言した選手のことである(Yahoo!ニュース、2月7日17時0分配信 夕刊フジ)。

 「野茂さんからフォークの握りを教えてもらったけど、このタマを投げる人間はそのような握りは誰でも知っているし、試してもいる。その中で、自分に最も適した握りを使う。はっきり言わせてもらえば、野茂流がすべて正解とはいえないでしょうね」(某投手)

 誰がどのようなニュアンスで、どのような意図を持って言ったのかなどは分からない。だがやはりこのような思考法に私はよく出会う。そしてこの時もやはり「もったいないなあ~」と思う。もしこのことを本気で信じていたのだとしたら、その選手は超一流にはなれないだろうなあと思うからだ。
 「野茂流がすべて正解とはいえない」。当たり前である。そして教えている野茂さんがそのことを一番よく知っているはずだ。そして「自分に最も適した」、その人流の個性的なやり方を身に付けさせるためには、自分のやり方を徹底的に教える他ないということも。
 この考え方は、現代の教育学ではあまり評判がよくないが、武道や芸事、つまり技術の伝承の世界では当たり前のことである。これについてはいずれきちんと書きたい。
  ともあれ、

 「誰でも知っているし、試している」握りで、あれだけのフォークボールを投げ、活躍できた秘密をこそ私は知りたいのである。

 もし、誰も知らない秘密の握りがあり、その握りをすれば誰でも野茂さんと同じフォークが投げられるというのであれば、そんなものに私は興味がない。
 そもそも野茂さんに教えてもらった握り方を既に知っていた場合、「そんなこと知ってる」と思ってしまっては、もう次がない。「自分は知っているし、試したこともあるのに、なぜ自分は野茂さんのようなフォークが投げられないのか」と考えるほうが自然だろう。そしてさらに指導してもらいたければ、言われた握りで目の前で投げて見せれば、次のアドバイスに繋がるはずだ。その中からこそ、自分流が見つかると思うのである。
 教えられる側が自分から門を閉じたらそこで指導は終わりである。そしてそのことを叱ってくれるのは、親と小学校、せいぜい中学校の先生までであろう。門を閉じられた指導者は、「また望まれればいつでも来ますよ」と心の中で呟いて静かに去ってゆくのみである。
 もちろん野茂さんが自分にとって不必要な指導者であると本気で思うなら、指導を拒否するべきである(くどいようだが、この記事の選手がどう考えているかは分からない)。

 もう一つの興味深い記事は、野茂さんがその翌日、特別フリー打撃に登板したというものだ(nikkansports.com)。ミーティングでは自分の思いが伝わったと信じ、その翌日には自分の投球で自分のメッセージを伝える。もちろん他にも自分にできることを淡々とこなしているのである。

 実をいうと野球選手でもない私が、現役時代の野茂さんから一番学んだのはこの点なのだ。野茂さんは、自分のパフォーマンスを、「打たれたから悪い」、「抑えたから調子がいい」などと結果で判断せず、質で判断していた。「今日は打たれたけど内容は悪くなかったから大丈夫」などというコメントを何度も聞いた。

 自分のパフォーマンスの質を自問自答によって問い、それに基づいて今やるべきことを判断し、淡々と、かつきちんとやる。

 これは私が知っている超一流のアスリートに共通するシンプルな思考法である。イチロー選手も同じ思考法をもっている。アスリートとは言わないと思うが、将棋の大山康晴名人も同じ思考法を講演で述べておられた。もちろんこのような思考法は誰でも知っているのだろう。だが私や学生にとっては、その実践はとても難しいのである。だから、私は、この

 だれでも知っているこの思考法を、どうやったら実践できるのか

 を考えている。今回の野茂さんに関するいくつかの報道も、そんな野茂さんの方法が垣間見られて、とても興味深かったのである。

補足)
 新聞記事を拠り所にして何かを述べることはかなり難しい。どのくらい信憑性があるのか、ニュアンスがどうだったのか、真意はどうだったのか、発言の意図は何だったのか(わざと嘘をつくこともいくらでもある)などなど、分からないことだらけだからである。それでも敢えて書くのは、私の興味が、考え方の本質にあるのであって、具体的な事象それ自体にあるのではないからである。極端にいうと、ミーティングの話がプロ野球球団であろうと、どこかの大学のサークルの話であろうとかまわない。もちろん誤解があったり、不足の事柄があった場合はぜひご教示願いたいと思っている。

与えられた条件の中で

 今日の1限のテーマは、

 短いやりとりで、なぜあの人は信頼されるのか?

 私は、許された条件で精一杯の努力をするのが苦手だ。すぐ「もっと時間があったら」とか、「もっと場所が広かったら」などと思ってしまう。コミュニケーションでも同じで、自分の思っている自分はかなり複雑なので、とても5分や10分では相手に分かてもらえないと思っている。だから初めから諦めモードで、当たり障りのない自分しか出さない。そして心の中で、「本当の自分はもう少し違った人間なんですけど」と思っている。昨日書いた「嘘の三郎」である。自分はいつでも自分を誤魔化し、人に嘘をついている、そう思って生きてきた。

 以前の私はそうだった。でもこういう考えは間違っている。5分でも10分でも1分でも、そこにその人自身は自ずと現れてしまうものなのである。だったら与えられた時間で、自分にできる工夫をする方がいい、そう思うようになった。

 与えられた条件の中で、自分にできることを精一杯やる

 ようやくこんな簡単なことが分かってきた気がする。考えてみると、最近は「~だったらなあ」と思うことがあまりなくなった。無い物ねだりをしても仕方ない。「5分で説明して下さい」といわれれば、「はい、5分でね」と思うし、「このメンバーで演武をして下さい」と言われれば、「はい、このメンバーでね」となる。そしてその条件の中で、現実に何ができるかを考えるのである。

 将棋の棋士の本を読んでいても、野球の監督の本を読んでいても、「今ある戦力でどう戦うかが大切だ」と書いてある。確かに「いま飛車があったらなあ」とか「イチロー選手が自分のチームにいたらなあ」などと思っても仕方ない。
 もちろんそんなことは知っていた。でも、そんな簡単なことが、つい最近まで、私には出来なかったのである。

 もう一つ、コミュニケーションにおいては、そこに自分が現れることに対するとまどい、恥ずかしさ、照れ、不安などの心理的防衛が働いてしまうことが多い。

 私はそんな話をした。学生たちも、自分のバイトの体験などを話し、いつものようにディスカッションした。
 他の授業もそうだが、この授業もとても楽しい。

 だがこの授業、特に3学期には強敵がいる。それは蒲団である。8時半に間に合うためには、寒くて暗いうちに、蒲団から出なければならないのである。
 授業は、2月の末まで続く。みなさん頑張りましょう~

第2回研修会

 昨日は、学内企業説明会で武道場が使えなかったので、第2回研修会を行った。内容は、
 1)厳しさについて
 2)人の心を動かすのは何か
 3)稽古の心構えについて
 4)プチプレ大会

 私の話はできるだけ少なくし、素晴らしい映像をいくつか見せた。
 それぞれ感じるところがあったのであろう。空気がとてもよかった。途中から参加した監督も、その空気を感じ取って、「ノートを書く手が震えた」と言っていたし、映像を見ているとき、そしてプチプレのとき、何人か心の中で涙を流していた。もちろん腹の底から笑う場面もあった。

プチプレとは、1人ずつ教壇に上がり、今回の研修会で感じたこと、考えたことなどをプレゼンすることである。帯の下の者からやることになっている。2kensyu.JPG通常通り、帯順に、プレゼンのレベルが上がって行った。もちろん逆転しているところもあったかもしれないが、大丈夫。もうすぐ行われる審査で、現在の正しい順序になるのである。
 次からの稽古がとても楽しみである。

太宰治『ロマネスク』

 3学期2限は太宰治を読んでいる。昨日は『ロマネスク』。
 娘に惚れられたくて、仙術を使って津軽いちばんのよい男になった「仙術太郎」。しかしそのよい男とは、天平時代のよい男であった。参考にした仙術の本が古すぎたのである。
 しかも太郎はもとに戻れなくなってしまった。太郎が使った仙術の奥義は、「面白くない、面白くない」と何百ぺん繰り返し、無我の境地にはいりこむものだったからである。

 修業をして喧嘩が強くなった「喧嘩次郎兵衛」。しかし彼は実際に喧嘩をする機会が得られないまま、男をあげてしまう。そして自分が喧嘩に強いことを認めてもらいたかったのだろう、「おれは喧嘩が強いのだよ」と言って、喧嘩の仕方を説明しながら妻を殺してしまう。彼は本当の強さは手に入れられなかったのである。
  岩に囁く
  頬をあからめつつ
  おれは強いのだよ
  岩は答えなかった

 「ひとに嘘をつき、おのれに嘘をつき、ひたすら自分の犯罪をこの世の中から消し、またおのれの心から消そうと努め、長ずるに及んでいよいよ嘘のかたまりになった」「嘘の三郎」。「人間万事嘘は誠」とうそぶく。
 最後は、三人が居酒屋で出会い、酒を飲みながら語らう。「いまにきっと私たちの天下が来るのだ」「私たちは芸術家だ」。
 ちなみに私は、最後の場面で「三聖吸酸図」を思い出した。

 プレゼン担当の学生2人は、基本的にほぼ同じ読みをしていた。キーワードは「本当の価値」と「堕落」。それをもとに、

 三人ともホンモノにはなれなかったようだ。
 でもそもそもホンモノ、ニセモノとは何なのか?
 太宰は、なぜこの「三つ」(仙術、喧嘩、嘘)を描いたのか?
 太宰は、ホンモノになれなかった三人を決して否定的に描いていない。
 理想のホンモノから見ると、間抜けな三人だが、むしろ現実に生きてる人間ってこういうもんではないのか?

などなどの議論があった。

 太宰のユーモラスな文体を私も堪能している。久しぶりに太宰を読み返してみて、やはり太宰の筆力には驚愕するほかない。もっとも、若いころは「暗い太宰」が好きだったが、最近は「明るい太宰」が何ともいえず好きである。

S氏

 奥書に名前は出ていないが、『ゼロ哲』でお世話になった担当の編集者が、実家のある関西へ戻られた。今後は、家業を手伝いながら別の出版社で仕事をされるそうである。
 彼はとても純真で、信頼できる編集者だった。お陰でとても楽しく、いい仕事ができた。
 また一緒に仕事ができる日がくればいいと、心から思う。

人は自分のレベル以上のものは見えない。だが……。

 人は自分のレベル以上のものは見えない。だが、自分のレベル以上の存在を感じることはできる。だから上達できるのだと思う。

 先週の水曜日の武道部の稽古で、紫帯(6級)が皆の前で形の一部をやった(撃砕第一)。

 どこが間違っているか分かりますか?
 分かる人、手を挙げて下さい。

 手が挙がったのは、緑帯(5級)以上であった。

 答えは「途中で引き手が緩む」。

 突きの時、引き手をきちんと引いて、引き手から神経を抜かないことは、入部した時から、基本中の基本として教えられている。だからおそらく全員が、引き手が大切であることは知っている。だが、実際に目の前で、それが疎かにされている動作を見ても、見えないのである。
 この、「知っている」と「見える」の間に非常に大きい壁がある。見えなければ、もうすぐ入ってくる新入部員の指導は出来ないし、何より、自分の動きのチェックが出来ない。自分の動きのチェックが自分でできなければ、上達はままならない。だから武道においては、見える人に見てもらうことが大切なのである。

 さて、「人は自分のレベル以上のものは見えない」のだが、一方で、人は自分のレベル以上のものを感じることができる。研究でも、武道でも、自分には理解できないが、「何か凄いなあ」という印象だけが残ることがある。もっと凄いのになると、凄いのかどうかも分からないが、ただただ強烈な印象だけが残る。この感度の鈍い人は、研究にも武道にも向かない。もっとも武道は、稽古によってまさしくこの感度を上げるので、最初のうちは鈍くても大丈夫である(研究も修業を積めば大丈夫でしょう)。
 例えば武道でいうと、私にも師匠の技の印象がいくつか残っていて、それを見た5年後とか10年後に、「これか!」ということがよくある。多分勝手な思い込みに過ぎないのだが、それでも自分の中では、

 あの時のあれはこれか!

なのである。この時は、とても楽しく気持ちがいいもんである。

 おそらく、稽古とは、見えるものをしっかりと見て、見えないものを敏感に感じる。そしてそれを稽古によって見えるようにする。その繰り返しなのだろう。 
 何もなく、全く手探りに稽古することは難しい。だが、その境地の存在を一度見せて貰えば、そこを目指すことがうんと楽になる。楽になると言っても、何十年もかかるのだが、それでも一度も見たことがない境地に行くのと、一度でも見たことのある境地を目指すのとでは、雲泥の差である。
 武道家が他人に技を見せないのもそのためだ。決して、「こうきたらこう受けて、このように攻撃する」などという、技の段取りを知られないためではない。技を見せるということは、その技を可能にしている境地を見せるということであり、一度見せてしまった以上、そこにはどんどん他人がやってくるということである。秘境の温泉と一緒である。
 だが、一個人としてではなく、技術の伝承ということでいうと、そうやって技術は発展してゆくのだ。だから、弟子には技を見せる。そうすると、弟子は必ずそこまでやってくる。そうしてその中の優れた弟子は、師匠を越え、さらに新しい境地に到達するのである。

 武道的には間違っているが、私は自分を成長させるためには、これが一番いいのではないかと思っている。つまり、自分のMAXの技をいつでも見せるのである。そして弟子がそこまで来る前に、次のレベルに逃げる。逃げ遅れて追いつかれたら、終わりというゲームである。いつまで続くか分からないが、このプレッシャーはとても楽しい。
 だがこんなことを楽しんでいる私は、武術家ではありえないのだと思う。もっとも、私の今いる境地など、誰でも一度見れば、あるいは見なくても来られてしまう、言ってみれば、団体旅行のバスで行ける程度の温泉に過ぎないのだから、ほんとうは見せるも見せないも何もないのである。

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