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2009-03

野村克也『ああ、監督-名将、奇将、珍将』

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)

発売元: 角川グループパブリッシング
価格: ¥ 740
発売日: 2009/02/10

 私が野村監督の本を読むのは、野球の「思想」を語ってくれるからである。「武道の思想」を考えている私としては、とても参考になる。「武道の思想」は、優れたアスリートやビジネスマンたちの考え方と、多くの共通点を持っていると私は考えているが、中でも「日本野球」は非常に「武道的」である(もちろん今回のWBCチームが「サムライジャパン」と呼ばれていることとは全く関係がない)。そのことを確認させてくれるのが、野村監督であり、落合博満監督監督であり、野茂英雄さん、イチロー選手なのである。
 本書も、「人間的成長なくして技術的成長なし」など、これまで何度も読んできたことが書かれてあり、基本的には「確かめ読書」であったが、今回興味深かったのは次の文章である。

 なぜ確固たる理論と知識を持った監督がいなくなったのか。その理由は、昔に較べていまの監督の野球に対する取り組みが、現役のころから甘いことに起因しているように思う。研究心や向上心に貪欲さが感じられないのである。
 長嶋のような天才以外、プロに入ってくるような選手の素質は大差ないと私は思っている。ということは、持てる素質を開花させ、かつそこにプラスαを加えられるかどうかが、プロとして生きていく条件となるわけだ。
 現役のころから私は、数々の選手を見てきたが、よくこう思ったものだ。
 「素質を見込まれてプロに入ったのに、どうして努力しないのだろう」(116頁)

  
 私も、学生の「持てる素質」をいかに開花させるかということに奮闘しているが、自分が潜在的に持っている素質(可能性)を鍛え、具現化させようとする意識の希薄化は、最近の傾向だと思っていた。ところが野村監督が現役のころからそういう選手がたくさんいたと言うのである。まあ言われてみれば当たり前のことかもしれない。むしろ優れた素質のある選手に限って言えば、昔の方が才能だけでやっていたのかも知れない。
 武道の思想の一つは、この自分の「持てる素質」をいかに発揮するかに関わっている。優れているかどうかは関係ない。人それぞれが持っている「自分の素質」を、最大限に発揮するための思想と技術が、武道にはある。嘉納治五郎の「心身最有効使用道」という武道の定義を私は基本的に支持している。
 その意味でも、「持てる素質を開花させ」ようとする意識と努力を、一つの「技術」として語ってくれる野村監督の本は興味深いのである。

高専連携プロジェクト全体会議

 豊橋技科大高専連携教育研究プロジェクト「技術者教育としての課外活動の可能性の提示と教育メソッドの開発」の第2回全体会議を行った。今回はメンバー以外に、2名の高専の先生が参加して下さった。
 各メンバーの報告をもとに、ディスカッション。新しい発見があったり、自分の活動の意味を再認識したりで、有意義な議論が展開された。あまりに白熱し、予定時間を1時間半以上もオーバーしてしまったほどである。
 山田先生の「私は元気だ!」論も刺激的だったし、江本先生が報告してくれた、部活顧問へのヒアリング調査では、自分との類似点と相違点が浮き彫りにされて、とても興味深かった。江本先生の言うように、「経験」のある先生が当たり前のようにやっていることを別の者が意味づけたり、メソッド化して取り出すことには、大きな意味があると思う。

 今回の議論で、学生への接し方、指導(指示)のタイミングと方法なども非常に参考になったが、もう一つ気づいたのは、考え方(発想)の違いである。三崎先生は私に比べて、極めて楽観的である。楽観的という意味は、現状を肯定し、それをさらに良い方向に進めようという意志が強いということである。私は欲深すぎるのかも知れないが、ついつい現状に否定的になり、「もっと、もっと」と求めてしまう。それが学生を悪い方向へ導くことのないように、注意しなければならないと、思った。
 
 やはり課外活動という実践の場は、「人間力」(社会人基礎力といってもいい)養成の場として、とても有効だと思う。ついでに言うと、指導者の「人間力」(指導力)養成にとっても非常に有効である。そのノウハウを指導者個人の経験だけにとどめるのは、勿体な過ぎる。ご本人がその実践の意味に気づいておられないことも多い。可能な限り個々の試みを共有財産にしたい。プロジェクトメンバー以外にも、多くの方に参加していただけると嬉しい。

 その後、こんぴらさんへ参拝。「こんぴらさん-海の聖域 パリ凱旋帰国展~応挙、帰る~」を見て、私も帰る。

詫間電波高専現代GPシンポジウム

 詫間電波高専の現代GPシンポジウムにご招待いただいた。

 「ものづくり」による地域連携プログラム-学生・教職員・地域一体となった理科離れ対策・地域活性化・高齢者対策-
 最終報告「ものづくり」による地域連携からネオクラスター創出 新たな取り組みへ

 内容の濃い発表が目白押しで、とても勉強になった。責任者の三崎先生は、周りを巻き込むパワーと、チャレンジを継続・展開させる見通しを持っておられる。発想も実にユニークである。濃い仲間と、趣味的に、思いつきや気分次第でやりたがる性癖のある私には、とても刺激的だった。
 三崎先生はよく「それをやること自体が面白くなければ続かない」とおっしゃるが、これこそ「遊び」の本質そのものである。つまり三崎先生が一番遊んでおられるのだ。
 もちろんみんなで楽しく遊ぶためには、それ相応の苦労が必要である。誰よりも楽しんでいる三崎先生は、誰よりも苦労をしておられることもよく分かった。が、たぶんご本人にとっては「普通」のことなのだろう。
 今回のシンポジウムには「夢」があったと思う。これまでの取り組みも刮目に値するが、これが今後継続・発展してゆけば、一体どうなるのだろう、ぜひ見たい、そう思わせるものだった。だから参加していてとても元気になったのである。この試みが続く限り、今後さらに詫間電波高専から、優秀なだけでなく「魅力的な」人材が輩出されるだろう。豊橋技科大にも是非来て下さいね。
 学生さんが焼いてくれたクッキーとパウンドケーキもとても美味しかった。
 お茶サービスロボのお二人と記念写真をとる。みっちゃん・とよさん、どうもありがとう。CIMG2556.JPG

 その後の情報交換会で、豊橋技科大出身の滝くんに会う。滝くんは私が技科大に赴任した年に、サークルリーダーズ研修会で仲良くなった学生で、ガンダムの本を借りた仲である。今、八代高専に務めているという。何だ岩崎くんの同僚だったのか。しかも知里さんの研究室の先輩だという。何だ、何だ、そういうことだったのか。
 懐かしく話しているうちにお開きの時間になった。

与えられた条件の中で

 新入生勧誘活動計画の報告に幹部がやってきた。具体的なことについては部長に任せてあるので、僕は新歓活動の武道的な意味について話をしただけだが、話の流れで、最後に

 具体的なことは、みんなでいろいろ工夫してやって下さい

 と言ったら、広報担当副部長がビラについて、

 工夫しようにも、スペースがありません
と言った。ちょっと驚いて、

 これ以上できないところまでやってみたのか?

すると、

 いや、まだそこまでやってません

と笑って言う。
 武道部では、リーダーは仕事を抱え込まず、部員に振ることになっている。リーダーは全体の調整とスケジュール管理をやらなければならないからだ。もちろんその話は何度もしてあるので、自分も、自分以外の部員もできずに、どうしようもなくて困っているのかと思ったら、どうもそうではないらしい。
 昨年のビラも、担当の部員がギリギリまで努力し、その上で卒業生がアドバイスをして作った。そのことは第1回研修会でも詳しく説明してあるので、彼も知っているのだが、その段階までもまだやっていないと言う。要するに、ちょこっと自分でやってみた程度なのであった。

 やる前から言い訳をしたり、状況のせいにする人に未来はない。そういう人は、失敗したとき必ず自分以外のせいにする。スペースが小さ過ぎた、時間が足りなかった、人手が足りなかった、忙しかった、体調が悪かったなどなど。
 このような発想は、武道から最も遠い。

 与えられた状況の中で発揮できた力だけが自分の力の全てである

というのが武道の覚悟だからである。足場が悪かった、体調が悪かった、いきなり襲われた、酒を飲んでいた、手を怪我していた等々の言い訳には何の意味もない。もうちょっと背が高かったら、目がよかったら、足が上がったら、と無い物ねだりをするのも同じである。

 だが、幸い彼は、

 もうちょっと頑張ってみます

と言った。もうちょっと頑張る人には希望がある。これまでの彼の稽古には、上の話に象徴される彼の生き方が出ていた。だから上記のような話をした。そして最後にこう付け加えた。
 「ついついそう考えてしまう」「ついそうやってしまう」「自分の性格ではそういうことは無理だ」などというのは、性格ではなく技術の問題である。「自分を変える」というのは、性格の問題ではなく、武道の技術の話なのである。

 さてさて、どんなビラが出てくるか楽しみだ。

続・結婚式北海道ツアー

3月20日
 朝はゆっくりとモーニング。時計台に行って、またのんびり。
昼、スープカレー。昼過ぎに出発、洞爺湖へ。やや寒。羊蹄山がクリアに見える。とても美しい。早めに夕食。
 達人養成ネックレスについて解説。みな驚き、喜ぶ。身体は実に面白い。早めに寝る。

3月21日
 朝食後函館へ。昼前到着。会場へ直行。着替えて、司会の方と演武の打ち合わせ。
 13時、披露宴(祝賀会)始まる。いきなり新郎の挨拶から始まるのは初めての経験。みなの祝福の気持ちがとても感じられる、いい会だった。
 スピーチ、演武ともなんとか役割を果たす。最後の形のとき、前にカメラマンがしゃがみ込んでいたので、仕方なくやや斜めに前蹴りを出すというハプニングがあったが、全体としてはよい演武だったと思う。
 16時過ぎ終了。ホテルへ行ってチェックイン。17時から二次会。ロビー集合のはずが、部屋でぐずぐずしているうちにおいていかれる。そうとは知らずロビーで待っていたので、少し遅れて店に到着。教え子の結婚式で二次会に呼んでもらったのは初めてなので、嬉しい。
 二次会で予想外の展開があったが、ここでは書けない(そのうち公表できる日がくるといいと思う)。
 8人ほどで三次会へ。活イカを食べられる店に行く。ホッケの刺身を初めて食べた。楽しみにしていた活ボタンエビもあったので注文。美味。

3月22日
 7時半に新郎新婦をお見送り。朝市で朝食。小雨。ベイエリア散歩。昼ラーメン。その後ケーキ。夕食、またホッケの刺身。雨強まる。近所のホテルの大浴場によってから宿泊ホテルへ戻る。夜、大変盛り上がる。

3月23日
 雪。朝市で朝食。知り合いの店に行って買い物。五稜郭へ。僕はタワーへは登らず、2Fでお茶。空港へ。1人見送って、残った者でトラピスチヌ修道院へ。空港へ戻って、16時発。

 かくして長いツアーが終了。

結婚式北海道ツアー

 札幌。
 昼過到着。やや寒。小雨。昼食、二条市場。小樽散歩。ルタオにてお茶。夕食、ジンギスカン。
 10時、11時半に相次いで後続組到着。閉手形と開手形の違い、三戦と転掌の関係などについて語り、はやめに寝る。

フッサール『現象学の理念』(立松弘孝訳)


現象学の理念
発売元: みすず書房

久しぶりにフッサールを読んだ。『現象学の理念』は、院生の頃通っていた古本屋のタグがついているので、もう20年近く前に買ったのだと思う。奥付も1988年 24刷となっている。挟まれていた「通信用カード」の切手の部分に「差出有効期間昭和65年2月10日まで」とある。昭和がまだまだ続くと思われていた時代に刷られた本である。ちなみに翻訳本の初版は1965年、本書に収められた『五講義』は1907年に行われた。

 『現象学の理念』を読んだのは、現象学研究会のテキストだったからだが、私がこの本をきちんと読んだのは、たぶん今回が初めてだと思う。
 でもやっぱりフッサールは、読んでいて勇気づけられる。もちろん難解なので分からないところはたくさんあるが、そんなことは全く気にならない。師匠の竹田さんに教えてもらった現象学の核と照らし合わせながら読んでゆくと、科学とは異なった「哲学」固有の方法である現象学、「真の認識批判学」(39頁)としての現象学を確立しようとするフッサールの意気込みが伝わってきて、とてもワクワクしてくるのである。

 このような純粋現象を研究対象とする可能性がある以上、もはやわれわれが心理学の立場に、すなわち超越的客観化を行なうこの自然的態度の科学の立場に立たないことは明らかである(68頁)
  
 われわれはすでに純粋認識の分野を確保したのであるから、これでいよいよ純粋認識を研究し、純粋現象についての学問、すなわち現象学を確立することができるのである。(69頁)

 そうしてこう宣言する。
 
 現象学は直観的に解明し、意味を規定し、意味を区別するという方法で研究を進めるのである。……現象学は客観化的科学を支配する諸原理たる根本概念や根本命題を解明するのであるから(……)、客観化的学問が始まるところで現象学は終結するのである。したがって現象学は〔客観化的科学とは〕全く違った意味での学問であり、全く別の課題と方法をもつ学問である。きわめて厳密な現象学的還元の内部での直観的・イデー化的方法は現象学の独専的私有財であり、またこの方法が認識批判の意味に、また一般に理性のあらゆる批判(したがって価値判断理性や実践理性の)に本質的に属している以上、これはまったく哲学固有の方法である。(86頁)

 ただ、本書の『五講義』を序論とする講義『事物論』について、フッサールは「それは一つの新しい出発であったが、残念なことに私の弟子たちには、私が期待していたほどには、理解もされず受け容れられもしなかった。確かにいろいろな困難があまりに大きすぎて、即座にそれらを克服することは不可能であった」と記しているという(編者序 6頁)。フッサールの落胆ぶりが伺われて、何とも切ないことである。

 さて、別の研究打ち合わせが終わってから現象学研究会に参加した。中身については、西研さんと竹田さんが丁寧かつ簡明に解説してくれたので、とてもよく理解できた。また、私が最近考えている感性の問題、武道における認識とその上達の問題、教育における発達の問題を現象学はどのように考えるかという疑問(直接そう質問した訳ではなく、要領の得ない質問になったが)、いつも通り竹田さんが答えてくれた。たぶん8割くらい理解できたと思う。残りの2割は私の問題意識が詰められていないことによるので、もうちょっと頑張って考えたい。
 
 もちろん竹田さんが解説してくれた、「いろんな「正しい」があるときに、それをどう考えるか。誰でも確かめられる認識の底板を確定する、つまりどこまで行けるのか(どこから先は物語になってしまうのか)をはっきりさせる」という現象学の基本的なモチーフが本書でもはっきりと示されていることは十分理解できた。そしてフッサールがその遂行過程で、一歩進もうとすると難問が立ちはだかり、それを一つ解決するとさらなる難問がまた現れるという状況に真正面から立ち向かっていることも。
 例えば、

 しかしその反対に自己所与性一般を否定するのは、一切の究極的規範を、すなわち認識に意味を付与する一切の根本規準を否定することである。もしそういうことになれば一切を仮象であると公言し、さらに仮象そのものをも仮象であると公言する不合理を犯し、その結果全面的に懐疑論の矛盾に陥らざるをえなくなるであろう。だが言うまでもなくこのような仕方で懐疑論者を論駁できるのは、根拠を見る者、すなわち見ること、直観すること、明証にまさに意味を認める者だけである。見ていない者、あるいは見ようとしない者、論じ立て論証もする反面、自分自身は相変らずいろいろな矛盾を犯し、しかも同時に一切の矛盾を拒否しようとする者、そういう輩はわれわれにもどうしようもあるまい。

 ここでもフッサールは、現象学が「根拠を見る者」であることを明言し、懐疑のための懐疑論を批判しているのであるが、これ一つとってみても、「確かにいろいろな困難があまりに大きすぎ」るようだ。

 ところで、あまりにも唐突だが、私が専門としている支考の俳論を読むとき、私はいつもフッサールを思い出す。支考というのは芭蕉の高弟、各務支考のことである。彼の主著『俳諧十論』も、それまでにない新しい領域を開拓しようという意気込みに溢れていて、用語、文章が非常に難解である。そしていろいろな理由から、現在でもひどく誤解されたままになっている。支考とフッサールは全く何の関係もないけれども、私はとてもシンパシーを感じてしまうのである。

 『俳諧十論』を、ぜひ余計な先入観を排して、多くの人に読んでもらいたいと思う。そのために、竹田・西両氏の「完全解読」にならって、そのうち注釈しようと前々から思っていたが、その気持ちがさらに強くなった。幸い、フッサールは竹田師匠の解説なくしては読み得ないけれども、支考の方は大体読めるので。

 そんなこんなのフッサールであった。

名前憶えてね

 担当の学生が、武道部HPの「顧問の部屋」に、このブログのリンクを貼ってくれた。
 が、
 名前の漢字が間違ってる。入部してもうすぐ1年になるのに、まだ覚えてもらってなかったんだあ~

 まあ、僕も荒川くんが茶帯のとき、「きみ、名前何だっけ?」と聞いたらしいから、仕方ない。

那谷寺・百万石の大名展

 今日は那谷寺に行った。
 石山寺と同様、実際に行くのは初めてだったので、奇岩遊仙境にはびっくりし、感動した。やはり自然の力は偉大である。

 その後はちょっと足を延ばして金沢へ。兼六園で夕顔亭を見た後、県立美術館に行き「百万石の大名展」。さすがに加賀百万石である。初めて見たものも多く、面白かった。
 丁度今日から、国宝「古今集巻十九残巻(高野切)」が展示されていた。昨日から幻住庵、石山寺、那谷寺という芭蕉ゆかりの地の調査をしていたので、その締めくくりのここでも誹諧歌に出逢えて、ちょっと感動し、豊橋へ帰る。

幻住庵・石山寺

 幻住庵に行った。
 蝶夢が建立したという石碑の調査である。幻住庵には、俳文学会第58回全国大会(2006年)の文学遺跡踏査でも連れて行って頂いたのだが、その時は私自身がその石碑のことをよく分かっていなかった。

 駐車場に車を止めて、とくとくの清水のせせらぎと鶯の声を味わいながら、ゆっくりと登っていった。やはり、いい。
 「芭蕉翁幻住庵舊跡」と刻まれた石碑はすぐに見つかった。だが裏面・側面とも摩耗していて読めない。これなら前に来たときも見たし写真もとったが、表面以外読めなかったので、それ以上の興味を持たなかったのである。

 だが今回は、この石碑の調査に来たのである。これが蝶夢建立のものかどうかを確認しなければならない。保勝会の馬場さんがわざわざ幻住庵まで来て下さり、説明を聞く。馬場さんが持ってきて下さった本(昭和40年刊)のコピーによると、この石碑の裏面には「明和九年壬辰十月十二日僧蝶夢勧落陽湖南道弟建立」と刻まれていたとある。当時は読めたのだろうか。「裏面」と書いてあるが、側面についての記述はない。私の目には、側面は文字が彫られていることは分かるのだが、裏面はそれすらも分からない。側面は、目のいい人なら、あるいは工夫をすれば今でもたぶん読めるだろう。学内の研究室に頼んで、写真の画像処理をしてもらおうかな?
 ともかく、実物から分かったのは以上である。たぶんこの石碑でいいのだろうと思うが、もう少し詰める必要がある。

 ちなみに、この石碑建立の「由緒文」が書かれた木額が昭和55年に近津尾神社の倉庫から発見されたそうだが、現在は所在不明だそうだ。

 さて、幻住庵の後、石山寺に行った。7年ぶりにご本尊如意輪観世音菩薩さまが御開扉されている。しかも間近で見せて頂けた。何ともいえない安心感があり、包まれるような感じがする。いいものを感じさせていただいた。
 石山寺の「石」も実際に見るのは初めてだ。やはり写真と実物は全く違う、と改めて感じた。

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