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2009-03

追いコン

 7日の夜は武道部追いコン。
 事前にここでプレッシャーをかけ、さらにはじめに私が話をするという異例の追いコンであったが、終わってみれば、非常に特別な追いコンとなった。卒業生もそうであるが、在学生がこんなに多く涙を流した追いコンは初めてだろう。

 心配していた「一人一言」。在学生もよく出来ていた。とりわけ、面と向かって直接プレッシャーをかけられ、その日の御礼メールで、「期待しておいて下さい」と自らハードルをあげるという暴挙に出た幸美さんは、とても見事なスピーチだった。私が在学生の「一人一言」で涙を流したのは、初めてである。
 
 卒業生もそれぞれ印象深い話をしてくれた。今回の卒業生は9人。みなそれぞれに精一杯の努力をして、この追いコンの日を迎えることができた。
 
 今日、ここに立てることに、感謝の気持ちで一杯です。

 前に立ったとたんに号泣し、一つずつ言葉を慈しむように語り出した豊川くん。武道部員にとって、この日、この場所に立てることは特別のことなのである。技科大で武道部を卒業まで続けることは難しい。自分自身を変え、成長し続ければ誰でも出来るのだが、それまでの自分を頑なに守ろうとする人にはとても難しい。武道部では、そういうハードルを設定してあるのである。 
 彼も相当苦しんだが、黒帯になった頃からどんどん成長し、この場に立つことができた。心から祝福したい。
 期待していた荒川くんも、さすがだった。

 みんな95%くらいは回りのお世話になっているのだ。自分で努力できるのはせいぜい5%に過ぎない。その5%で自分が手を抜いちゃ、いかん。ごちゃごちゃ言ってないで、精一杯努力しろ!

と後輩を叱咤した。そして、

 久しく試割をしていないが、これまで自分は瓦を14枚しか割ったことがない。どうしても一枚残ってしまった。それが自分の課題であった。
 何枚割ったとしても、最後の一枚が割れないと、その先は見えないのだ。
 単なる思い込みかもしれないが、今日、ここに立っている自分は、最後の一枚が割れたかな、と思う。

 また、自分が絵実子さんと裕子さんにあこがれて稽古してきたことを告白し、武道修行における「あこがれ」の重要性を語った來原さん、部長としての成長を示した宇野さん、武道部メソッドの有効性を示す体験談を語ってくれた竹井くん、その他の卒業生、それぞれによい一人一言だった。

 OB・OGもそれぞれの思いを、涙ながらに語った。やはり長年一緒に稽古してきた者として感慨深いものがあったのだろう。
 さらに、翌日友人の結婚式が神戸であるにも関わらず、そのドレスをひっさげて大阪から裕子さんが来てくれた。荒川君と來原さんの演武を見にきたのだという。彼女の話はいつ聞いても「武道っていいなあ」と思わせる。武道は人に生きる力を与えるものだということを強く感じさせてくれるのである。
 私自身も、武道を、そして彼(女)らをもっと信じようと思った。

というわけで、とってもよい追いコンとなりました。

 ただ残念だったことが3つある。
 1つは、OB・OGの話が長すぎたこと。彼らは、何時に会全体を終わらせるつもりだったのだろう。その考えがなかったとしても、会場を出なければならない最終時間は決まっているのだから、残り人数と残り時間を考えれば、自分に許された最大時間は簡単に分かるはずだ。しかも自分より上位の者が後に控え、特に今回は裕子さんもわざわざ来てくれているのである。幹事も途方に暮れていた。それにも気づかなかったのだろうか?
 結局、会の途中で会場を出なければならなくなった。
 感傷的になり過ぎて全体が見えなかったのだとしても、分かった上で自分の感傷に溺れたのだとしても、いずれにせよ、武道修行者としてあるまじきことだ。少なくともそんな先輩を心から尊敬する後輩は一人もいないはずである。翌日のお礼メールで、幹事が時間配分のまずさについて謝ってきた。もちろん仕切りの責任は幹事にあるが、今回ばかりは、3年生にそれを求めるのはちょっと酷だと思う(甘いかも知れないが)。やはり先輩がきちんと配慮してやってほしい。
 もちろん上に書いたように、彼(女)らの気持ちは十分わかる。話自体はとても胸を打つよいものであった。それだけに、今回のことはとても残念だった。普段の稽古にこの甘さが出ていないか、もう一度よく見つめてほしい、と思う。
 2つめは、OBたちだけと二次会に行った卒業生がいたこと。これまた気持ちはよく分かる。だが最後のチャンスに、後輩を連れて行ってあげてほしかった。私は今回の卒業生は、自分の稽古はとてもよく出来たと思っている。だが一つだけ物足りないものがある。それが「先輩学」なのである。先輩として後輩をどう導くか。教師でも、師匠でもない先輩だからこそできるコミュニケーションがあるのである。それをしてもらった後輩は、今度は自分がそれを出来るようになってほしい。そういう伝統をきちんと構築してほしいと、各学年が揃ってきた頃から言い続けてきたのだが、やはり最後の最後でもそうだったかと、とても残念だった(OB・OGにも求めているのだが)。
 3つめは、その他の卒業生が在学生を連れて二次会に行ったが、行かなかった在学生が多くいたことである。
 これまた最後なのに、もったいないと思う。もっとどん欲に「人間」を求めようよ、みなさん。
 しかし逆にいうと、上に書いたように、先輩が後輩との繋がりをきちんと築かなかったということでもある。連れて行った卒業生が、在学生の少なさを残念がっていたので、「後輩たちが一緒に行きたいと思わなかったのだから、お前に人望がなかったのかもね」と言ったら、「そうかもしれません」と言っていた。

 そんなこんなでいろいろ複雑な追いコンだった。
 ただ追いコン自体の空気は、最高の追いコンだったことは間違いない。

卒業ミニ演武会

 7日午前中は、卒業記念ミニ演武会。

 例年在学生が団体で卒業生に演武を見せ、卒業生が一人ずつ形の独演を行う。
 在学生演武は驚くほどよかった。これは、卒業生への感謝の心と、「これからの武道部は自分たちが守ってゆくので、安心して卒業して下さい」という気持ちを卒業生に伝えるためのものである。それが十分に伝わってきた。自分たちだけで頑張って稽古したのだが、それに加えて、卒業生に対する感謝の心が、本番での演武を最高のものにしたのである。とくに杖の形はよかった。「これなら安心して卒業できる」と卒業生たちも喜んでいた。

 卒業生独演も、これまたよかった。これは、卒業生がそれまでの武道部における自分の武道修行の全てを、形の演武によって在学生に伝えるものである。言葉はない。誤魔化すことはできない。今、ここで演武している形がその人の全てである。

 豊川くんの三戦は彼の人生そのものであった。
 來原さんの制引鎮は貫禄があった。
 荒川くんの十三手は迫力があった。

 豊川くんは、入部前から大変な苦労をしてきて、必死で生きてきた青年である。大袈裟でなく、彼の人生は武道によって救われたのだと思う。それが見事に現れていた三戦だった。
 來原さんは、入部当初から、当時監督だった絵実子さん(尚志館館長)に憧れており、制引鎮はその絵実子さんの得意形である。2006年の全国大会では、毎回泣きながら特訓に耐え、その制引鎮で優勝した。その後もずっと彼女は絵実子さんの背中を追い続けてきたのである。その意味で制引鎮は彼女の武道人生の象徴である。それを示すに十分な形だった。
 荒川君は十三手。彼の武道に対する熱い思いのこもった、迫力のある形だった。あの迫力は荒川君でなければ出ないだろう(姿勢がよくなればもっといいね秊。
 それ以外の卒業生も、自分に出来る精一杯の形をやったように思う。とても嬉しかった。

 その後は、鶴岡監督の十八手。そして絵実子さんと裕子さんのツイン十三手。この2人はほんとうに仲がいい。まるで双子のようである。さらに私も独演をした。6年間で初めて私にお願いをした來原さんのリクエストに答えて、制引鎮。
 その後、私と絵実子さんと來原さんで3人制引鎮。私と裕子さんと荒川くんで3人十三手。どちらも一つになれて、とても気持ちがよかった。
 ありがとう。
 最後は、全員での追い突き。これまた全員が一つになったとてもいい追い突きだった。 
 さらに今年は余興として、豊川くんと荒川くんに在学生が挑戦するという、自由組手を行った。まあこれはあくまで余興である。

 というわけでミニ演武会見事に終了。
 最高のミニ演武会でした。

事務連絡:既に卒業している人で、映像希望者は中森まで直接メール下さい(武道部卒業生に限ります)。

祝! 学生表彰

 やっと日付が追いついた。

 荒川君が、今年度の学生表彰で表彰されることが正式に決まった。一昨年の來原さんについで、武道部では個人として2人めである(昨年は武道部が部として表彰されたので、武道部としては3年連続ということになる)。
 成長度という点で双璧をなす荒川君と來原さんが、ともに学生表彰されて卒業してゆくことは、武道部にとっても私にとっても誇りである。

高専連携プロジェクト

 2日から4日まで、有明高専へ焼山先生と打ち合わせに行ってきた。豊橋技科大の、高専連携教育研究プロジェクト「高専から技科大に継続する日本語(国語)コミュニケーション能力の向上に向けた教育プログラムの開発と、それに基づくオリジナルテキストの作成」という長いタイトルのプロジェクトである。
 技術者教育において、コミュニケーション能力の向上が言われているが、その中心は英語である。しかし、日本語(国語)のコミュニケーション能力を鍛えることは、技術者としても、人間としても、とても大切である。
 技術を生かすのは人間である。そしてコミュニケーションは、人間の欲望本質である。コミュニケーションがうまく出来ない技術者が、真に人間を幸福にする技術を開発し、生かすことを私はうまく想像できない。
 もちろんここでいうコミュニケーション能力とは、たんに愛想がいいということとは違う。人間にとって、コミュニケーションというのは、自分と他者に自己自身を開くという意味である。それは自己肯定と他者承認の欲望に基づくものであるが、もう一つ、「共感」ということも含め、他者と自己の融合という問題も考えている。
それをバタイユは『エロティシズム』において、「連続」と「非連続」というタームで論じているように思うのだが、それについては、また別の機会に述べたい。(もちろん焼山先生とこのような話をしてきたのではないので、念のため)。

ちょっと反省

 ちょっと反省している。
 実は昨日の歓送会に、実務訓練(本学では学部4年生の1~2月の2ヶ月間、企業にインターンシップに行くことになっている)から帰ってきた学生が参加していた。私は彼に「実務訓練で何やって来たん?」と聞いた。すると彼は、「細かいことは社外秘ですが、携帯電話のこの部分の製品に関係する仕事です」とか、仕事の内容を話し出した。
 もちろん私はそんな話が聞きたかったのではない。また、入部したての部員ならまだしも、もう2年もたつ学生が、先の言い方で私が「何を」聞いているのかが分からないはずがない。つまり彼は、わざと中心を外したのである。
 しかし私は最近優しく(甘く?)なったので、こう言った。「そんなこと聞いてるんじゃないんですよ。あなたが実務訓練で、何を学んできたかが聞きたいんです」。それでも要領の得ない答えしか返ってこなかった。

 彼は何も学んで来なかったのである。
 もちろん本当は、いろいろなことを感じたり、考えたりしたはずだ。しかしそれが自分の中で詰められていない。すなわち「学び」になっていない。少なくとも聞かれたその場で詰められないということは、何も学んで来なかったのと同じである。そう認識しなければならない。詰めが甘い学びでは自分は変化せず、何度も同じことを繰り返してしまうからである。

 詰めるとは言葉にすることである。自分が感じたことを、ぎゅーぎゅー絞って言葉にする。その絞りが甘いと学びが甘くなる。だから武道部では、「ぐーたら手帳計画」で毎日日誌を書いているし、審査や研修会の後は、必ず「一人一言」を行うのである。この絞りの甘い者の言葉は甘い。誰でも言えるおざなりのことしか言えない。逆に絞りきった人は、その人でなければ言えないこと、その人が言うから価値のあることが言えるのである。これが「自分の言葉」である。
 だからこれらは武道部にとって、とても大切な稽古なのだが、最近「一人一言」の内容が甘いと感じる。それは武道部全体の空気が甘いということである。
 この甘さは、部員や私の人生において命取りになるだろう。気を引き締めないといけない。

 武道部で何かを学んだのであれば、武道部に入らなければなれなかった自分になっていなければならないし、実務訓練で何かを学んできたのであれば、行く前とは違った人間になっていなければならない。そして何より、そのことを自分が認識していなければならない。そうでなければ、武道部にいる価値も、実務訓練に行った甲斐も、何もないのである。

 微妙な感覚を言葉にすることは難しい。そのときは言葉にできなくても、その経験があとで生きてくるということもいくらでもある。当然だ。しかし、そのことを認めることと、経験をぼんやりとやり過ごすこととは全く違う。経験を言葉によって絞りきった者だけが、それでも残る言葉にできないものの意味を知るのではないだろうか。
 私は文学者であるから、詩人が言葉をどのように信じているかを、ある程度は知っている。そして何に苦労しているかも。もちろん詩人と同様の格闘を求める訳ではないけれど、私たち普通の人間が経験を言葉によって学びにかえることと、詩人が言葉を紡ぎ出してくることとは、本質的には違わない。そうやって絞り出された言葉であればこそ、人の心に届くのである。

 明日、武道部の追いコンがある。今年は9人が卒業する。武道部にとって追いコンは特別な行事である。研究と武道部の稽古時間を数年に渡って両方確保し続けることは、相当の覚悟がないとできない。つまり、武道部で卒業まで稽古を続け、追いコンで追い出されるというのは、とても大変なことなのである。数々の障害を乗り越えて、武道部をやりきった部員だけが、後輩から、誇りと尊敬とあこがれをもって追い出される。だから、「一人一言」も、他のときとはひと味違うものが多い。
 「武道部でいろんなことを学びました。それを社会に出てからも生かして、これからも頑張っていきます」とか、「私はあまりいい部員ではありませんでしたが、皆さんは私を反面教師として私のような部員にならないように頑張って下さい」などといった、おざなりなスピーチは武道部では許されない。すぐさま「いろんなことって例えば何?」とか「そんなこと聞きたくない」といったツッコミが入る。だから毎年、卒業生からは、自分が武道部から何を学んだか、自分にとって武道部とは何であったか、後に残る在学生への自分のメッセージが熱く語られる。在学生からは、武道部と先輩への思いが語られる。

 私が追いコンが武道部にとって特別な行事であると思ったのは、第一回追いコン、初代部長、荒川留美子さん(旧姓沖野さん)のときの追いコンだった。留美子さんと私は、2人で武道部を作ったのであるが、はじめは頼り無いところもあり、部員も不安に思っていた部長が、追いコンのときには、全部員が彼女を自分たちの部長だと心の底から認めていたのである。その空気が全体を支配していた。そういう追いコンだった。
 
 「人づくり」武道部は、入部してどのくらい自分が成長したかが重要である。追いコンはそれを自分や他の部員が確認する場所なのである。だから特別なのだ。

 その意味で、入部時必ずしも模範的ではなかったにも関わらず、見事に成長し、副監督として武道部を支えてくれた荒川幸弘くんが卒業し、バーゼル大学(スイス)にポスドクとして赴任する。彼は7年間武道部で修行した。また6年間誰よりも地道に努力を続けた來原央さんが卒業し、就職する。この2人に尊敬とあこがれを持たない部員はいない(いるとしたら、努力せず適当に過ごしている部員である)。2人が部員に何を語り、部員が2人に何を語るのか。とても楽しみである。
 もちろん他の卒業生も、それぞれの事情を抱えながら精一杯頑張ってきた。彼ら(彼女ら)が何を語ってくれるのか、楽しみで楽しみで仕方ない。

 ところで、冒頭で書いた反省。私は何を反省しているのか。
 実は、追いコンを楽しみにする反面、危機感も持っていたところだったから、つい冒頭のようなやりとりをしてしまったのである。だが場所は歓送会。楽しく送り出すという空気を壊してはいけない場である。そういうことに対して、いつまでたっても、私には全く学びがないのである。すみませんでした、絵実子館長。

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