中森康之ブログ
想像力2
- 2010-07-07 (水)
- 日記
想像力と言えば、こんなこともあった。
先日の武道部合宿。稽古を終えて打ち上げの店に到着した時の事である。
体育館からお店まで何台かの車に分乗し、残りはバスで移動した。店の前と横に駐車場があった。私が乗った車が到着した時、先発組が3台ほど着いていただろうか、立っている部員も10人は越えていたように思う。ところが、私が乗った車が到着した時、誘導した者は一人もいなかった。私は助手席に乗っていて、横の駐車場の入口に立っていた卒業生の目を、「そっちはまだ空いてるか?」という気持ちで見た。
彼は微笑んだ。
仕方ないので駐車場の中を指差した。「そっちまだ入れる?」という気持ちを込めて。
彼は微笑みながら頷いた。車は入って行ったが、彼は立ったままだった。彼やその他の部員が一斉に動きだしたのは車が駐車場の奥まで行って、スペースが空いていないことが分かり、車がバックし始めてからである。空いていたのは他の店舗のスペースだった。結局その駐車場を出て、店の前の駐車場にとめた。
その場には他にも卒業生がいたが、学生も含めて、後から何台来て、それをどこにとめたらいいかを、事前にシュミレーションするという想像力が欠如していたのであった。シュミレーションしてスペースが足りなければ、お店の人に他の駐車場がないかを聞かなければならない。車が到着してからでは遅い。特に卒業生は私といつも一緒に行動していながら、私が普段やっていることを見ていないのだろう。自分だって誘導された経験があるはずなのに。たぶんすっかり忘れているのだろう。私もいつだれにそうしたかなんて覚えていない。そういう状況ではいつでもやっているからである。
そして駐車スペースのシュミレーションと誘導については、第一回寺子屋の懇親会で同様のことがあり、社会人としてその程度のことが出来ないようでは困ると卒業生のY君が苦言を呈した。今回その場にいた何人かは、その寺子屋懇親会にいたメンバーである。
事が起こってから動くのでは遅すぎる。起こる前に想像力を働かせて、気を利かせて、行動できないようでは、武道はおろか社会人としても覚束ないと思うのだが、彼らの会社ではそうではないのかしら。
それにしても武道の修行と称して、彼らは普段一体何の修行をしているのだろう。
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想像力
- 2010-07-06 (火)
- 日記
今日は三年次編入の学力入試。本学のメイン行事の一つである。
同僚からこんな話を聞いた。
朝のバスは当然のことながらぎゅうぎゅう詰め。もちろんほとんどは受験生。彼らは、
「俺の友達、旧帝大の編入受けまくってるんだよ~」「俺もいろいろ受けてるよ~」などなどいろいろ楽しそうに話していたそうな。
受験生諸君、その時間のそのバスに乗っている受験生以外の人間は、かなりの高い確率で大学関係者であると考える程度の想像力を持たれた方がよろしいかと思う。
面接がある系の受験生かどうか知らないが、面接で、「やあ、先ほどはどうも。」なんてことになったらどうするんだろう?それでも、
本学の志望動機は?
貴学は大学院教育に重点をおき、高度な技術者養成を使命としておられ……
なんてやりとりをするのだろうか?
もちろんそれを逆手にとって、わざとバスで種を巻いていたとしたら、それはそれでよい。ただ私はそこまでのテクニックを駆使できる学生にあんまり会ったことがないだけである。
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武道部初合宿!
- 2010-07-05 (月)
- 武道部
7月3日(土)から4日(日)。武道部初の合宿を行った。何年も前からやりたいという声はしばしばあがったが実現せず、今回創部以来初めての合宿となった。
参加人数34名。日程はちょっと変則。
3日(土)午前中 技科大武道場で稽古
夕方 宿泊施設集合 尚志館組は尚志館へ。
夜 尚志館組合流。懇親会。
4日(日)9時~16時 宿泊施設体育館で稽古
17時 懇親会。その後現地解散。
大成功だった。最高の稽古ができた。今の武道部でこれ以上の稽古は出来ない。帰宅報告メールもそういう思いで溢れていたように思う。私たち尚志館組到着前の懇親会も楽しかったようだし、合流してからの懇親会も楽しかった。今回の合宿は、武道部員の心にずっと残り、伝説の合宿として長く語り継がれるだろう。
白帯や色帯は、武道の稽古ができて、そして武道部で稽古できて幸せだと感じたはずだし、黒帯は全体の雰囲気が素晴らしく、技の上達も素晴らしかったことを感じたはずだし、指導者クラスの黒帯は、なぜそうなったのかをしっかり見届けたようである。それぞれの段階に応じて、それぞれ感じるべきものを感じ、学ぶべきものを学び、そして技術的にもしっかりと上達した。それは今後の彼(女)らの人生の様々な場面で生きるはずである。
クリハラさんはクラウチングスタートの稽古が印象に残ったらしい。帯の色ごとに、クラウチングスタートで短距離走をしたのであるが、呼吸を合わせる、号令をかけるタイミング等々、その時説明していた全ての要素が含まれていて、それがはっきりかつ楽しく受け取れる稽古だったと。私の側から言えば、そういう訳の分からないことを突然言い出しても、「何を訳の分からんこというとんねん」と思わず、「やってみよう!」と素直にやる部員だからこそうまくいく稽古なのである。
それはともかく、こういう稽古は、その時、その場の流れの中で行われる稽古であり、別の人が別の機会に同じ事をやっても全く意味が変わってしまう、とクリハラさんが言った。つまりマニュアル化は出来ないし、自分がそのまま真似をしてもダメであると。
その通りだと思う。その時その場にいてしっかり感じて受け取らなければ分からない。「この前の合宿で、こういう稽古をして、 それにはこういう意図があった」という話を聞いて、それを取り入れても、それは全く別物なのである。
だからこそ、黒帯の人たちはみんな忙しい中、遠くから集まって来てくれるのだろう。丁度このエントリーを書いているときに、夜行バスで帰った卒業生から、帰宅メールが来た。そのまま仕事にいくそうである。お疲れ様です。
その場にいてそれを受け取った人は、自分が指導するときは全く別のことをやるだろう。メニューは全く違うが、伝えていることは深いところで同じなのである。これをよく逆にしてしまう。メニューは同じであるが、その意味は全く違うという具合に。
私が徒弟制度を推奨しているのは、それがメニュー(マニュアル)を伝えず、その感覚と意味を伝える指導法だからである。時間がかかるし、ものにならない弟子も出てくるだろう。しかし、ものになった弟子は本物、というのが徒弟制度である(もちろんだからと言って武道部が徒弟制度をそのまま採用している訳ではない)。
技術の向上を強調していたエミコさんも今回本領を発揮してくれた。この前まで気合いがいまいちだったので、私は「気合いだ~、気合いだ~」と言っていたのであるが、そうすると気合いが入ればそれでいいと勘違いしてしまいがちになる。そこで彼女は、気合いが入ればいい演武ができると思ったら大間違いだよ、と伝えた。もちろん口で、ではない。杖演武の具体的な指導で、である。それによって杖の演武が見違えるようになった。そして懇親会で「今回は、気合いだけでなく、技術的にも向上しましたね」と言ったのである。
ユウコさんも先週の特訓の成果が出て非常に良い状態だったし、ヒガシくんやヌッチャンも、イワサキくんの指導でかなりよくなった。書き出すと全員のことを書かないといけないので、フクモトくんとナカタくんのことを最後に書いておく。
フクモトくんの約束組手の相手は学生ではないので、仕事の都合でなかなか稽古に参加できない。それでも彼は、一人で約束組手の稽古を続けていた。いない相手を想定して、一人で約束組手をやっていたのである。相手がいないからといって手を抜かず、黙々と必死にやっていたので、見ていて非常にかわいそうに思っていた。相手方は今回の合宿も突然参加できなくなったので、いよいよ決断しなければならず、稽古中にみんなに「どうする?」と聞いたら、ツルオカくんが「ナカタはどうですか?」と言った。本人に「できる?」と聞いたら「出来ます」と答えた。何をどういう順番でやるかも分かっているし、できると。じゃあ、ということでやってみる。できた。ということで、ナカタくんはチャンスをものにしたのである。
チャンスを掴むというのはこういうことなのだろう。もし彼が自分の出番はないと思って、きちんと準備をしていなかったら、このチャンスを自分のものにすることは出来なかった。少なくともいつ声がかかってもいいくらいに、きちんと準備をしていたのである。
劇もとてもよくなった。演武会は毎年お楽しみ企画があり、昨年は吹奏楽団とのコラボを行ったが、今年は、武道部員によるお楽しみ劇である。劇の稽古が一番生き生きしているのではないかと思うくらい、熱の入った稽古をしているが、部員たちの色々なアイデアが盛り込まれていき、みんなで作ってる感が満載である。もちろん素人の寸劇であるが、きっとお楽しみいただけるはずである。
合宿幹事のユキミさん、演武会実行委員長のヒガシくん、懇親会幹事補助のニシクボくんはじめ、多くの部員の働きによって、武道部初の合宿は大成功に終わった。
いよいよ演武会は、2週間後である。
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デモ実験
- 2010-07-03 (土)
- 研究
午前中、「人間力」プロジェクトに使うための機器のデモ実験を行った。「こういうことをやりたい」と伝えたら、やったことがないので出来るかどうか分からない、とりあえずデモ機もって行きますということで、メーカーの方がデモ機を持ってきて下さったのである。
期待通りには行かなかったが、しかしいろいろ面白かった。工学部の先生はこういうことを毎日やっているのかと思うと、やみつきになるのもよく分かる。
今後どのように展開するか全く分からないが、楽しみだ。いろいろ考えて試してみたい。
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第14回黒帯の稽古会
- 2010-06-27 (日)
- 武道部
6月27日は第14回黒帯の稽古会 in 豊橋。
育休のチサトさんを除いて全員参加。嬉しい限りである。今回はお初尽くしであった。
一つめのお初は稽古場所。大学の体育館がとれなかったので、午前中と午後とで場所を移動。午前中は雨の影響か湿気が凄くて、床がしめっている。というか濡れている。最後の方はつるつるで危なかった。
昼食をとって別の体育館へ。こちらは床は大丈夫だったが、少し暑かった。もちろんそれを除けば良い場所である。
二つめのお初は、私自身がこんなに動いたのはたぶん初めてではないかというくらい動いた(忘れてるだけかも知れぬが)。今回は演武会の演目を中心に稽古したが、黒帯の稽古会メンバーがやる演目のほとんど全てをやって見せた。あれっ、そういえば四向鎮だけやらなかったような気が。ごめん、全然気づかなかった。エミコさんから「レベルアップしましたね」という帰宅メールが来たので喜ぶ。もちろん自分の演目も稽古。まあまあ良い感じになってきた。
三つめのお初は、懇親会の場所。私は初めて行ったお店である。いつもとはまた違った雰囲気でよかった。
四つめのお初は、その懇親会で何人かに苦言を呈したこと。黒帯の稽古会は、今日はいい稽古会だったね、とみんなが言って、私もそう思い、全員が幸せ気分で帰れることを目指しているので、懇親会で誰かに苦言を呈するなどということはこれまで一度もなかった。しかし今回だけは、「今言わないと」ということがあったので言った。
そんなこんなでいろいろあったが、稽古会はとてもいいものだったと思う。今回見ていることが多かったニシノくんが、最後に驚くほどの動きを見せていた。苦労して努力して壁を乗り越た分、人間的に成長したのだろう。それがそのまま技に出たのである。
稽古会も懇親会も何事もなく終了。何もないのが当たり前のようになっているが、幹事の見事な準備と捌きあってのことである。また、忙しい中、稽古会のために全国から集まってくれるメンバーあってのことである。本当に感謝したい。
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「って、この人誰ぇ???」って!!!
- 2010-06-23 (水)
- 日記
ぎゃはっ!
常人歩人さんのブログに登場してしまいました。
「この人誰ぇ???」って、私だよ、私(^0^)v
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奈良高専剣道部、合同稽古
- 2010-06-19 (土)
- 武道部
木寺先生率いる奈良高専剣道部が技科大に出稽古に来られた。迎えるは、松田先生率いる豊橋技科大剣道部(と我が武道部)である。
合同稽古と言っても、実際の稽古は両剣道部で行い、武道部はそれを見学していたのである。
武道部の創部当時、剣道部と武道部が毎週水曜日、並んで稽古していたことがある。同じ武道場で、剣道部が板側、武道部が畳側を使用していた。畳側にぎゅうぎゅう詰めになって、その場基本しか出来なかったことを懐かしく思い出した。その後剣道部のご厚意で、水曜日は武道部が全面使用できるようになった。
さて、両剣道部の合同稽古は、見ていて大変勉強になった。また考えさせられることもたくさんあった。しかし今回は学生の稽古である。懸命に竹刀を合わせて、試合や稽古をしている学生を見ていると、私も燃えてきて、久しぶりに組手がやりたくなってきた。初めて会った者同士が、こうして全力でぶつかれるのは、ほんとうにいいことである。
木寺先生の常歩剣道(逆説の剣道)もご披露して下さった。私がいうのも失礼な話だが、非常に自然で気の落ち着いた滑らかな剣道であった。また、一方の松田先生の地響きのような発声(気合い)が、私は大好きである(私の印象では、それを学ぼうとしている部員とそうでない部員がいるようだ)。
稽古はあっという間に2時間が過ぎた。非常に充実したいい稽古だった。こういう出稽古はとてもいいものだ。武道部員も感じることがたくさんあったはずである。また機会があったら是非やりたい。今度は武道部員も入れて、剣道部とのコラボ稽古をやろう。きっと面白いはず。
稽古後すぐ、奈良高専剣道部ご一行は帰途につかれた。私は尚志館へGO。
木寺先生、奈良高専剣道部の皆さん、松田先生、豊橋技科大剣道部の皆さん、お疲れ様でした。
また来てね~
木寺先生のブログに、武道部員も入った記念写真があがっているので、こちらは両剣道部だけのを
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第6回三十六手特別講習会
- 2010-06-13 (日)
- 武道部
三十六手特別講習会。
このところいろいろ考えてきたが、ようやく自分の中で定まったので、それを披露する。何回かみんなと一緒にやる。感覚はこれでいい。ただまだ自分でも自然に動けるようになっていない。稽古が必要である。
今日の稽古は今までとは違う疲れ方をしたという感想が来た。今までと体と精神の使い方が違っていたのだろう。私自身はこれまでとほとんど同じなのでそうでもなかったが。
今度の演武会で、私としては初めての団体形をやるので、とても楽しみである。
講習会終了後は、マスターの元へ。
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演武会リハーサル
- 2010-06-09 (水)
- 武道部
6月9日。
第6回演武会リハーサルを市民文化会館で行った。
恒例の約1ヶ月前リハーサルである。
今年の招待演武の一つ、日本拳法の武田先生もおいでになり、ご挨拶。中日文化センターの子ども会場へ。
エミコさんの号令で、集合写真を撮る。
いつも当日はばたばたしていて、集合写真を撮る余裕がない。そういえば前からエミコさんはそれを言っていた。私がうかつにも聞き流していたのである。
第6回めにして初めて舞台で撮影した集合写真は、なかなかいいもので、実行委員が当日配布のプログラムに使った。
その写真を見ると、私がいかにそういう気配りが出来ないかが思い知らされ、恥ずかしくなる。
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珈琲修行
- 2010-06-07 (月)
- 日記
昼休み、マイポットを持ってマスターのもとへ修行に。
まずは、トーストとタンザニアをいただく。トースト、美味しい。エミコさんが目を付けた通りだった。
いよいよ修行開始。
1回め、お湯の量が多すぎ。
2回め、マンダリンを淹れる。急ぎすぎ。
引いてくる時はいいけど、向こうへ行くときに急ぎすぎです。ということは、遠いんでしょうね。もっと手前に持ってきてやって下さい。自分の姿勢はそのままで、物を動かすか、近寄るか、遠ざかるかです。
「行こう」とするから急ぐんですね。
うおーっ。姿勢といい、心法といい、いつも空手の時に自分が言っていることを言われる。
3回めはブレンド。なかなかいい。
マスターも味見してくれる。
いいんじゃないですか。ちょっとマイルドだけど、でも味はしっかり出てますよね。
といいながら、マスターも淹れる。
うん、中森さんの方が、マイルドですね。僕の方が、ちょっとコクがありますね。中森さんのは、何かしながら飲むのにいいですね、飲みやすくて。
飲み比べてみる。ものは言いようだ。
これが同じ豆で淹れた珈琲か?というくらい違う。淹れた人とポット以外、全て同じである。
でも、こっち(中森)の方がいいってお客さんに言われると、そうなんでしょうね。きっと別の人が淹れると、また別の味になるんでしょうね。どれもこの珈琲の味なんでしょう。でも、エッセンスは引き出したいですよね。
実にコクのある味わい深い言葉である。我が身を反省。
学問でも武道でも、教え子は同じにはならない。それぞれ違う。しかし単に違うだけではない。それぞれの個性のエッセンス(本質)を引き出した上で現れる違いでなければならない、そう言われたのだろう。それが西岡常一さんや小川三夫さんのいう個性なのだろうと思う。
マスターは、私の淹れた珈琲を決して不味いとは言わない。間違っているとも言わない。それもこの珈琲の味であり、私の味だと言う。
でも、エッセンスは引き出したいですね。
自分と目の前の珈琲のエッセンスを引き出せれば、私が淹れた珈琲とマスターが淹れた珈琲は、今とはまた違った味になるだろう。
マスターが言うように、「私は失敗した」と思ってはいけないのだと思う。これが、今の私が引き出した珈琲の味なのだ。失敗という発想には正解という前提がある。しかしマスターが私に伝えてくれたのは、
珈琲の味に正解はないんですよ。
ということなのだろう。ただ、今の自分がいて、目の前に珈琲がある。そこで出て来た味が、今の味なのだ。でも、自分の淹れた珈琲を飲んでみて、私は、もっとエッセンスを引き出してやりたいと思う。ここまでしか引き出してやれずにごめんね、と思う。そして次に淹れるとき、また目の前の豆と正面から向き合うのみである。マスターがいうのは、珈琲を淹れ続けるということは、おそらくその思いと現実の持続だけがあるのだということだろう。いつでも本番であり、いつでもそれがそれ以上でもそれ以下でもない現在の結果なのである。
やはり、教育と同じである。目の前に現にいる人間と向き合い、お互いのエッセンスを引き出そうとし、ここまでしか引き出してやれなくてごめんねと思う。そしてまた目の前の人間と向き合う。
最近、ある教え子のエッセンスを引き出してやれなくて、とても苦しかった。今、考えると、うまくエッセンスが引き出せなくて、あんまり難しくて、私は心のどこかで、ちょっと逃げていたのかも知れない。しかし、今日の修行でなんとなく感じがつかめた。
これからも逃げずに頑張ろう、と思った。私は何度も失敗したと思っていたが、そうではない、ということを今日マスターに教えてもらった。それがそのときの味なのですよ、と。傲慢になることも、卑下することもない、紛れもない「今、ここ」の味なのである。
小川さんもマスターも、だからいつでも自然体なのである。私もはやく、教え子の、ピュアなエッセンスを引き出せる自然体を身に付けたい。
大丈夫ですよ、だいぶいい感じですよ。あとは回数をこなせば大丈夫ですよ。
帰り際、マスターが笑顔で言ってくれた。
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