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授業 アーカイブ

1年次入学生と3年次入学生

今日は日本語法2Cと大学院の都市空間論。

今まであまり感じなかったのだが、去年くらいから、1年次入学生の1年生と3年次入学生の3年生にかなりの違いを感じるようになった。今年はかなり顕著だ。もちろん良い悪いを言っている訳ではなく、授業への姿勢や考えていること、その人が持っている空気の質感が大分違うように思う。

これまでも多かれ少なかれその違いはあったのだが、カリキュラムの都合で、私の授業は3年生がほとんどで、1年生はまずいなかった。それが今年から新カリになって、ほぼ半々となった。それが大きいのだろう。

もうひとつ、何も言わないと彼(女)らは固まって、しかも、毎回同じ席に座る。だからそこにそれぞれの空気感が出てしまうのである。

そこで、これまでもたまに他の授業でもそうしていたが、できるだけばらばらに座るように指示し、しかも一度座ったことのある席に座ることを禁止した。そうすると私も学生も毎回違った気色に見えるので、とてもいいのである。

選択授業の選択

 先週から後期の授業が始まって、履修登録はまだ締め切られていない。締め切りまで2回ほど授業がある。私が大学生の頃も同様のシステムになっていた。1回めに授業に出てみたものの、やっぱり別の授業がいいということがあるからである。当時はシラバスなどは形ばかりのもので、何年も前のまま、しかも2行程度のものが普通だった。シラバスなんて書かない先生もたくさんいた。だから1回目の授業に出ないと、その授業で何をやるのかさえ分からなかったのである。
 しかし、私と私の周りの友達は、2回めから出る授業を変更することはほとんどなかった。だいたいなんとなくの情報はあったし、自分の直感で、なんとなく面白そうな授業をとったからである。もちろん失敗もしたが、それはそれで得るものも多かった。

 それに比べれば、今は、毎回の授業内容や達成目標、評価基準などが明記されている。各段の情報量なのであるが、年々、2回目からの移動が増えているような印象である。私の授業からいなくなる学生もいれば、2回めからやって来る学生もいるのであるが、その数が多いのである。これは、

 可能な限りの情報を集めて、比較検討した上で、間違いのない選択をしたい。

 というマインドの現れだと思う。2、3年前に聞いた話では、友達で手分けして授業に出て、後で情報を持ち寄って検討するという強者もいるらしい。何をそれほど真剣に検討しているかというと、その授業が自分の将来にいかに役立つかということである場合もあるだろうし、どれが一番楽に単位をとれるかという場合もあるだろう。そのあたりは知らん。

 今日の授業でも、先週はいなかった学生が朝の挨拶で、

 今、履修登録期間中なので、どの授業をとるかをのんびり決めています(ので今日はこの授業に来ました)。

という学生がいた。今日はもう2回めの授業なんですけど……ね。みなさんにそこまで真剣に検討していただけるとは、教師名利に尽きるというものである。しかし私の経験からいうと、そうやって受講をお決めになった学生が、なんとなく面白そうだと思って(さしたる動機もなく)最初からいた学生より、より熱心に、より真剣に授業に打ち込んでくれる確率は極めて低いのである。

 「なんとなくの直感」を信じましょうよ。少なくともそこには自分がこれまで生きてきた人生が詰まっているのだから。
それが信じられなくなると、情報を集めて比較検討したくなるのであるが、でも結局最後に決断するのは自分の「なんとなくの直感」によってでしかないんだから。

 あくまで私の印象でしかないが、2回め以降移動する学生が増えているのだとすると、この「なんとなくの直感」を信じられない学生が増えてきているということなのだろう。

 そういう話をたまに学生にすると、「でも後悔したくない」と言う。少なくとも可能な限りの情報を集めて、しかるべき根拠をもって決めたら、失敗したときにショックが小さいのだそうだ。ほんとうかな? それって、失敗したとき、自分の外の何かのせいにできるということなのではないのかな。それによって自分を守ることができるということなのか? 変なの。

 しかし残念ながら、後悔するかしないかの分かれ目は、どれを選択するかということ自体にはほとんどないのである。授業なら、その授業の半年間を自分がどう過ごしたかにかかっているからである。

 先日NHKのETV特集で、「名物社長の採用面接~中国水ビジネスの風雲児」という番組をやっていた。面白いことがたくさんあったのだが、今回の話題でいうと、

 うちに来てくれるなら内定を出したい。

という社長に対して、

 御社が第一志望ではあるけれども、他にもまだうけているところがあるので、全部出揃ってから検討したい。

と答えた学生が何人もいたことである。それでも決断を迫る会社に対し、ある者は辞退し、ある者は入社を決断した。

 これって、選択の授業を決めるときのマインドと全く同じである。もちろん気持ちは分かる。しかしその選択がよかったかどうかは、その時点では分からないし、ずっと先にも結局は分からない。ただ分かっているのは、なんとなくでも決めた以上、自分はその人生を歩む以外にないということである。

 答えは選んだ道自身にはない。その道を自分がどう歩いたかということの中にある。

 そのために学生諸君、選択授業の選択は、もっとシンプルに、「なんとなくの直感」ですぐに決めてくれたまえ。でないと本格的に授業に入るのが、ずいぶん遅くなってしまうのだよ。頼む。ね。

絵本の読み聞かせ

 久しぶりに授業ネタ。
1時限めの国文学1。先週齋藤孝さんの『読書力』(岩波新書)で大絶賛している絵本『ギルガメッシュ王のものがたり』『ギルガメッシュ王のたたかい』『ギルガメッシュ王さいごの旅』(岩波書店)について、

本屋さんを探したけど、どこにも売ってなかったのですが、誰かもってませんか?

と、ある学生がみんなに聞いたので、

僕もってるよ。来週持て来るよ。

ということで、今日持って行った。
ちなみに齋藤さん、次のように述べている。

楔形文字で粘土板に記されたギルガメッシュの物語は、ノアの方舟の原型とも言える話を含み込んだ壮大なものである。神話を構成する重要な要素に満ちている。友情と恋愛、英雄物語、生と死の物語、悪との戦い、旅など、物語の原型がほとんどと言っていいほど入っている。絵も素晴らしく、一枚一枚が壁画のようだ。色使いも美しい。ただ単にうまいというのではなく、神話の重みが伝わってくる荘厳さがある。……訳文も、文語体の迫力をところどころに生かしていて、申し分ない。とりわけ凄いのは、第三巻の『ギルガメッシュ王さいごの旅』だ。人生の問題が凝縮されていて、大人でも十分味わうことができる名作となっている。(116頁)

少し早めに教室に入って取り出すと、みんな興味深そうに寄ってきてくれた。そして集まって、「絵のクオリティーが高いよね」などと言いながら見てる。このあたり、この授業の学生は、身体レスポンスがとてもいいのである。

せっかくやから、読み聞かせやろうか。誰か読んでよ。

おおそれはいい、やろう、やろう、

と、これまたすぐ1人を残して聞く態勢に。身体レスポンスが最高である。
ehon2.jpg
読んでくれた学生がとても上手で、聞いているうちに、とても幸せな気分になった。学生もみんなとても喜んでいた。

その後、一人一言をやって、通常のディスカッションへ突入。今日は内田義彦さんの『読書と社会科学』(岩波新書)である。
これもいつもながら私が暴走したけれど、熱いディスカッションになった。

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学習エキスパート

 18日。
 豊明市立唐竹小学校に行く。
こちらはまだ昨日の雪が残っていた。
いつものように楽しく俳句の授業をした。

 中七・下五は決まっていて、いい上五が浮かばない子がいた。こういうとき、教師がおいてしまうとせっかくの作る喜びを奪うことになる。だからいくつかヒントになるようなことをいい、その子が閃くのを待つのである。しかし授業は時間が限られている。そこが難しい。今回ある子に、例えばこんなの、と例を出してしまった。しかしその子はそれを採用せず、終了時間がきても空白のままだった。その子は言った。

 自分で考えたいんです。

 余計なことを言ってしまった、と深く反省した。例を出さないで、もうちょっといいヒントがあったはずである。自分の力不足を痛感させられた。
 また頑張りますから許してね。

 終了後校長室でお話をしていると、「子どもたち、まだなんかいろいろやってますよ」と言って先生が入って来られた。子どもたちが、そのまま、ああでもないこうでもないと、俳句を作り続けているのだという。
 とても嬉しい日になった。

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エキスパート(みよし市立北部小学校)

 22日 愛知県エキスパート派遣事業で、みよし市立北部小学校へ。
 昨年度まで「その道の達人」だったのだが、今年度から「エキスパート」になったのである。

 という訳で、俳句のエキスパートとして参上。
 二本の立派な石碑が迎えてくれた。
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hikubu2.jpg
いいですね〜

 授業では、初めて電子黒板なるものを使った。
hikubu4.jpg
デジカメを忘れたので携帯で写真をとってると、

わー、写真とってる〜
しかも携帯だ〜

もちろん授業の前にとったんですよ〜

 非常に元気で明るい子どもたちで、授業がとてもやりやすかった。しかも挨拶もきちんと出来る。
 もっと達成感のある授業にできればよかったのだが、その点がちょっと心残り。
 でも最後に嬉しい感想を一杯もらった。

 一時間(45分)で小学生が達成感を持てる俳句授業教材を開発した方がいいかも。来年度以降も要望があったら本気で考えよう。 今年度はあと一校。次も小学校である。

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お薦めシートと来客と珈琲

 今日から国文学1はいよいよ「お薦めシート」開始である。これまでは、斉藤孝『読書力』(岩波新書)、内田義彦『読書と社会科学』(岩波新書)について、プレゼンとディスカッションをしてきたが、その成果を踏まえて、毎週、一冊ずつ本をオススメしてゆくのである。
 プレゼンは2名。それぞれに個性的なプレゼンだった。「お薦めシート」も初回だっだにも関わらず、味のあるものもあり、面白かった。
 次回以降も期待したい。

 ついでに今日は来客の多い日だった。授業後、学生も何人も来たし、営業マンも人も来た。だからどうということはない。ただそういう日だったというだけである。
 まだ18時なので、これからも誰か来るかもしれない。

 それともう一つ。今日淹れた珈琲(ネパール)はgoodだった。昨日マスターに、お湯を注ぐときに怖がらないようにというアドバイスをもらった。その成果が出たのだろう。出張でしばらく修行できなかったが、また再開である。

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最後の日本語学

 最後の日本語学の授業が終わった。
 今年度最後の日本語学であるが、この授業は、来年度は「日本語コミュニケーション論」という名前に変更されるので、文字通り最後の授業なのであった。
 毎年結構盛り上がる授業ではあるが、今年度は例年とはまた違った連帯感が生まれたようである。何度となくこの授業のメンバーで飲み会をやりたいという声が上がり、この度ついに実現する運びとなった。
 昨年までもそういう声が上がったことはあったが、実現したのは今回が初めてである。
 一般基礎(いわゆる教養)科目の授業でそのようなことになるのは、とてもいいことだと思う。もっとも古い先生にお聞きすると、昔はよく授業に出ていた学生と飲みに行ったとおっしゃっていたが。
 もちろん私も誘ってもらえた。どんな飲み会になるのか、楽しみである(その前に試験がありますよ~)。

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性と生、歴史とは何か、メタミステリー

 2限の『ノルウェイの森』、ようやくプレゼンが始まった。今日は2人。『ノルウェイの森』を読んで「胸キュン」になる学生と、高専時代はそうだったが今回読み直したらそうはならなかった、という二人。聴衆を交えて白熱した議論が交わされた。

なぜ何度読んでも胸キュンなのか?
読み終わった後、自分はしばらくご飯も食べられないのはなぜか?

高専時代面白かった小説が、今なぜそうでなくなったのか?
一体何か変わってしまったのか?
「僕」と自分の現在の距離感は何か?

 やがて議論は、今の自分の生き方から、「村上春樹における生と性」、「現代若者の恋愛のあり方」へと展開していった。
 非常に盛り上がった。これで年内は終了。年明けにまた『ノルウェイの森』で盛り上がりたい。

 3現は、先週の応答プレゼン、
長嶋有『猛スピードで母は』
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

 先週のプレゼンを受けたもので、先週のプレゼンとはまた違った、新しい視点で語られていた。 

 プレゼンは1人。
中井秀夫『虚無への供物』

前にも登場した『読書と社会科学』を「分布密度関数」で読み解いたである。今回は「メタミステリー論」。『虚無への供物』がなぜメタミステリーなのか。メタミステリーの魅力とは何か、この作品のどこが面白いのか、などなどについて。今回は何を言っているのか私にもよく理解できました。

ちなみに彼は、すでに『ドグラ・マグラ』についてもお勧めシートを提出している。

100%の恋愛小説

 2限は村上春樹『ノルウェイの森』。なんと新型インフルエンザの影響で、プレゼン予定者が授業に出席できない。今日の予定は一人なので、仕方なく全員ディスカッション。人数が少ないので盛り上がる。
 私も、『ノルウェイの森』のキャッチコピーである、「100%の恋愛」について、竹田師匠の『恋愛論』や、井上陽水の歌もからめて、熱く語った。あんまり熱く語ったので、学生がニコニコして聞いてくれた。
 学生同士のディスカッションも盛り上がった。来週からのプレゼンが楽しみである。
 3限はいつも通り。お勧めシート閲覧会のときに、「先生、これ読んだことがありますか?」と聞かれて、「読んでない」と答えたら、「一度読まれた方がいいですよ」と言われた。「分かりました。読んでみます」。
 実は私も読んだことがなくて、面白そうな本がこの授業では、たくさん紹介される。私自身がとても勉強にる、贅沢な授業なのである。

こっちも異変が

 1限の授業。村上春樹と同様、かなり減った。
 ここ数年、同じテキスト、同じ方法でやっていて、このようなことは初めてである。3学期に増えることもあった。
 私のテンションはむしろ上がっていたと思うのだが、授業の魅力がなくなったのだろうか。学生はやはり「単位がそろったからだ」だという。3学期の金曜1限(8時半~)がつらいということもあるだろう。
 
 だがそんなことはどうでもいい。それより、この授業は1冊の本を1年かけて読んでいるのである。3学期とらなかった学生は、3分の2まで読んで、やめたことになる。

 気持ち悪くないのか?

 授業後は気を取り直して、バスに飛び乗って、いざ鹿児島へ。

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