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授業 アーカイブ
村上春樹の小説は読み応えがない?
- 2009-12-03 (木)
- 授業
昨日、村上春樹を読む授業のことを書いたが、2学期にこう言っていた学生がいた。
村上春樹の小説は読み応えがない。
ほう、。通俗的ということか、深さが足りないと言っているのか、と聞いていると、
起承転結がハッキリしていない。例えば星新一のショートショートは、起承転結がハッキリしていて、最後にきちんと謎に答えて終わる。だから、読んだあとすっきりする。それに対し村上春樹は、謎がきちんと解かれていない。読んだ後もやもやが残る。作者がきちんと答えを出さず、読者に委ねている。だから、星新一などに比べて、村上春樹の小説は読み応えがない。
えっ??? それって「読み応え」の意味を間違ってるんじゃないの? 私は別に村上春樹と星新一を比べて云々する気はないが、起承転結がはっきりしていて最後に謎が全て解かれる小説が読み応えがある小説であるというのは。でも、なるほどそれで学生はミステリーが好きなのか、と妙に納得してしまった。
文学を読む楽しみって、その「もやもや」じゃないの?
と聞いたら、
でもはっきりした答えがほしいです。
どうもこの「もやもや」の責任は、作家の思考、あるいは力量不足と考えているようなのであった。
もちろんこう考える学生がほとんどなのではない。ときどき文学部的な発想を超えた意見が出てくるので私としてはとても刺激的である。しかもこういう学生とよく話してみると、結構面白かったりするのである。
でもこの「もやもや」の醍醐味も味わえるようになってね。なんせ人生は「もやもや」ばっかりなんだから。
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単位と村上春樹
- 2009-12-02 (水)
- 授業
12月2日。
今日から私の3学期の授業開始である(3学期は12月1日から)。2限は村上春樹。2学期の短編に引き続き、3学期は『ノルウェイの森』と『1Q84』を読む。
どのくらいの学生が来るかな、とちょっと期待をして教室に行ってびっくり。なんと激減である。前にこのブログで、2学期に激増したことを書いた(こちら)が、3学期になってもとに戻ったのである。来た学生に理由を聞いたら、やはりほとんどの学生は「単位が揃ったからだろう」ということだった。たぶんそうだろう。村上春樹をもう読みたくないという学生もいるだろうし、私の授業がもう嫌だという学生もいるだろう。でも、例年、3学期にこんなに減ることはない。単位が揃っても、2学期まで出たら3学期にやめる学生は少数だった。もちろん制度上は学期毎に分かれているのであるが。
とはいうものの、もとに戻っただけで2学期が異常だっただけである。しかし、いくら私の授業の魅力がないとはいえ、世界の村上春樹が単位に勝てないとは。
3限はやや増えた。例によって授業のハードさを説明したら数人出ていったが、結局空新しい受講生が2人。新鮮なプレゼンやディスカッションをしてくれることを期待している。
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成績付け
- 2009-11-26 (木)
- 授業
この二週間ほど苦しんだレポート採点や成績付けがようやく終わった。あとは入力するだけだ。
今回はレポートの回数が多い授業が多く、人数も多かったのでいつも以上に大変だった。
がレポートを読むのは、純粋に面白いし、自分の説明の足りないところ、新しい視点を教えられることも多く、勉強になる。何しろ全受講生と対話が出来るのであるから、私にとっては非常に大切なものである(ここでいうレポートは、毎授業の小レポート、感想文も含んでいる)。
レポートさえなければこの授業面白いのにと思っている学生も多いだろうが、私は私で、成績さえ付けなくていいなら、レポート読むのは面白いのにと思っているのである。
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技科大生再び
- 2009-10-14 (水)
- 授業
以前技科大生、恐るべし!で紹介した学生が、2学期応答プレゼンに登場した。応答プレゼンとは、前週にプレゼンされたお薦め本を読んできて応答するというものである。取り上げられた本は藤原正彦『国家の品格』、応答プレゼンのタイトルは、
日本的情緒と豊橋技術科学大学の基本理念に関する分析
前週のプレゼンで、大学の基本理念が話題に上げられていたのであるが、それにきっちり応答して見せたのである。
さすがである。
ちなみに実際の彼はとても人間的な笑顔を持っていることを申し添えておきたい(^^)
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村上春樹の人気
- 2009-09-02 (水)
- 授業
2学期が始まった。
水曜日は、1~4限まで、4コマ連続授業であるが、2限めの授業で大異変があった。2学期は村上春樹の短編を読む予定である(3学期は長編)。1学期は漱石だったが、2学期になってなんと受講生が激増。この授業では、異例の多さである。去年も2学期は春樹の短編を読んだのだが、ここまではいなかった。やはりノーベル賞候補と、『1Q84』の効果なのだろうか。
だが『1Q84』を読んだ学生は2人ほど。村上春樹を読んだことのある学生もほんの数人だった。みんな話題の作家を一度読んでみようと、受講したようである。
せっかくだから、2学期か3学期に『1Q84』を読もうと提案する。これまで村上春樹をほとんど読んだことのない工学部生が、どのように読むか、私としてはとても興味深い。楽しみだ。
3限めもやや増えていたが、授業のハードさを説明したら、新しい学生はほとんど出ていった(^^;
技科大生、恐るべし!
- 2009-06-10 (水)
- 授業
今日の3時間目は、
だった。
この本は今の学生、特に工学部の学生にとっては難解である。 ここで語られている概念装置の話、「正しさ」ということ、古典としての読み、踏み込んで読むということ、「本を読むからには信じてかかれ」など、非常に面白いのであるが、工学部の学生にとっては、普段教えられている価値観や方法論と全く違っているので、非常に理解が難しいのである。
それゆえぜひ読ませたい本であり、毎年1学期に読む4~5冊の中に必ず入れている。毎年ほぼ8割の学生が難解だというが、必ず2割くらいの学生が、一番面白かったという本である。
さて今日の範囲は、第Ⅰ章「読むこと」と「聴くこと」と。
いつものように学生のプレゼンが始まった。タイトルは「情報の階層と再構築」。へえーと思って聴いていると、
誰がひいても同じ演奏になるような、そういう最大公約数的な、底の浅い平板な理解では、とても正確な理解などとはいえない。(28頁)。
という箇所を引用して、
では正確な理解を得ようとするとなぜ個々人で違いが生じるのか?
と問題提起をした。ほうほう、と思って聞く。
そのためにはまず「情報の階層」を考えなければならない。情報には階層があるのである。云々。
ふむふむ、と思って聞いている。すると、
理解するとは、得られた情報を自己の中で再構築することである。
それで?
その組み合わせは、nCr=n!/r!(n-r)! n:認識した情報の数、r:再構築に用いる情報の数である。
えっ-? びっくり仰天している私をよそに、彼は最後までプレゼンを遂行した。そして「古典としての読み」は、あなたの「情報階層論」ではどう説明しますか?」という学生の質問には、
それについては、分布密度関数で考えれば分かりやすいです。グラフがこうなって・・・
私には何の事やらさっぱり分からんかった。だが彼のプレゼンと質疑応答は、純粋に面白かった。この「情報階層論」をもっと詳しく聞きたい、と思わせるものだったのである。
昨日の授業
- 2009-04-23 (木)
- 授業
昨日は4コマ連続授業の水曜日。
どの授業も明るくノリがいい。
1時間めは、文学的感性をちょこっと磨いてもらう授業であるが、例年のごとく、慣れていない学生が多い。特に「静かに自分と対話する」ということが苦手な学生が多いようだ。今年はノリがいい分、その傾向が強いのかもしれない。ゆっくり、じっくり、微妙な自分の中のざわめきを捉える喜びを味わって欲しい。その説明をした後は、ちょっとそういう空気になったので、次回以降、慣れてくるだろう、と期待している。次回にうまく流れを作りたい。
2、3時間めは、どちらもクラスコミュニケーション。次回からは学生によるプレゼンとディスカッションが始まる。こっちも期待大である。
4時間めは武道のお話。イントロダクションとして、武道の本質説明をイチロー選手の言葉を使ってちょこっとだけやった。その後、今日のメインテーマである「武士道の歴史」と「武道OS論」。まあまあうまく話せたと思う。感想も面白いものが多かった。
「武道OS論」は、昔、橋爪大三郎さんが宗教をOSに喩えて説明されていた(「春秋」1998年)のを読んで以来、「なるほど」と思い、武道に応用して展開しているものである。橋爪さんは「理工系の学生諸君には、これがわかりやすいらしい」と書いておられたが、「武道OS論」もやはり工学部の学生に分かりやすいようだ。もちろん、比喩を借りただけで、武道=宗教論ではない。
次回も頑張ってパワポ作りま~す。
与えられた条件の中で
- 2009-02-06 (金)
- 授業
今日の1限のテーマは、
短いやりとりで、なぜあの人は信頼されるのか?
私は、許された条件で精一杯の努力をするのが苦手だ。すぐ「もっと時間があったら」とか、「もっと場所が広かったら」などと思ってしまう。コミュニケーションでも同じで、自分の思っている自分はかなり複雑なので、とても5分や10分では相手に分かてもらえないと思っている。だから初めから諦めモードで、当たり障りのない自分しか出さない。そして心の中で、「本当の自分はもう少し違った人間なんですけど」と思っている。昨日書いた「嘘の三郎」である。自分はいつでも自分を誤魔化し、人に嘘をついている、そう思って生きてきた。
以前の私はそうだった。でもこういう考えは間違っている。5分でも10分でも1分でも、そこにその人自身は自ずと現れてしまうものなのである。だったら与えられた時間で、自分にできる工夫をする方がいい、そう思うようになった。
与えられた条件の中で、自分にできることを精一杯やる
ようやくこんな簡単なことが分かってきた気がする。考えてみると、最近は「~だったらなあ」と思うことがあまりなくなった。無い物ねだりをしても仕方ない。「5分で説明して下さい」といわれれば、「はい、5分でね」と思うし、「このメンバーで演武をして下さい」と言われれば、「はい、このメンバーでね」となる。そしてその条件の中で、現実に何ができるかを考えるのである。
将棋の棋士の本を読んでいても、野球の監督の本を読んでいても、「今ある戦力でどう戦うかが大切だ」と書いてある。確かに「いま飛車があったらなあ」とか「イチロー選手が自分のチームにいたらなあ」などと思っても仕方ない。
もちろんそんなことは知っていた。でも、そんな簡単なことが、つい最近まで、私には出来なかったのである。
もう一つ、コミュニケーションにおいては、そこに自分が現れることに対するとまどい、恥ずかしさ、照れ、不安などの心理的防衛が働いてしまうことが多い。
私はそんな話をした。学生たちも、自分のバイトの体験などを話し、いつものようにディスカッションした。
他の授業もそうだが、この授業もとても楽しい。
だがこの授業、特に3学期には強敵がいる。それは蒲団である。8時半に間に合うためには、寒くて暗いうちに、蒲団から出なければならないのである。
授業は、2月の末まで続く。みなさん頑張りましょう~
太宰治『ロマネスク』
- 2009-02-05 (木)
- 授業
3学期2限は太宰治を読んでいる。昨日は『ロマネスク』。
娘に惚れられたくて、仙術を使って津軽いちばんのよい男になった「仙術太郎」。しかしそのよい男とは、天平時代のよい男であった。参考にした仙術の本が古すぎたのである。
しかも太郎はもとに戻れなくなってしまった。太郎が使った仙術の奥義は、「面白くない、面白くない」と何百ぺん繰り返し、無我の境地にはいりこむものだったからである。
修業をして喧嘩が強くなった「喧嘩次郎兵衛」。しかし彼は実際に喧嘩をする機会が得られないまま、男をあげてしまう。そして自分が喧嘩に強いことを認めてもらいたかったのだろう、「おれは喧嘩が強いのだよ」と言って、喧嘩の仕方を説明しながら妻を殺してしまう。彼は本当の強さは手に入れられなかったのである。
岩に囁く
頬をあからめつつ
おれは強いのだよ
岩は答えなかった
「ひとに嘘をつき、おのれに嘘をつき、ひたすら自分の犯罪をこの世の中から消し、またおのれの心から消そうと努め、長ずるに及んでいよいよ嘘のかたまりになった」「嘘の三郎」。「人間万事嘘は誠」とうそぶく。
最後は、三人が居酒屋で出会い、酒を飲みながら語らう。「いまにきっと私たちの天下が来るのだ」「私たちは芸術家だ」。
ちなみに私は、最後の場面で「三聖吸酸図」を思い出した。
プレゼン担当の学生2人は、基本的にほぼ同じ読みをしていた。キーワードは「本当の価値」と「堕落」。それをもとに、
三人ともホンモノにはなれなかったようだ。
でもそもそもホンモノ、ニセモノとは何なのか?
太宰は、なぜこの「三つ」(仙術、喧嘩、嘘)を描いたのか?
太宰は、ホンモノになれなかった三人を決して否定的に描いていない。
理想のホンモノから見ると、間抜けな三人だが、むしろ現実に生きてる人間ってこういうもんではないのか?
などなどの議論があった。
太宰のユーモラスな文体を私も堪能している。久しぶりに太宰を読み返してみて、やはり太宰の筆力には驚愕するほかない。もっとも、若いころは「暗い太宰」が好きだったが、最近は「明るい太宰」が何ともいえず好きである。
学生の議論
- 2009-01-28 (水)
- 授業
今日の3限めは国文学。この授業は大きく3部構成となっている。
プレゼンテーション
応答プレゼンテーション
お勧めシート閲覧会
応答プレゼンというのは、前回プレゼンされた本を別の学生が読んできて行うプレゼンである。今回は、小松和彦『妖怪学新考―妖怪からみる日本人の心』(洋泉社MC新書)。
一通り内容やそれについてのコメントを述べた後、発表者が問題を提起した。
我々が「闇」を排斥し続けることで、一体何を失うのか?
それに関連して、
公共の場から排斥された「闇」はどこに行ったのか?
近代化、科学の進歩が「闇」を排斥したのか?
インターネットなど、新しいコミュニケーションの在り方における「闇」とは何か?
などなど、いろいろな議論があった(議論は、本の主題から離れて自由に行ってよいことになっている)。
とりわけ、技術科学大学で勉強し、卒業後高度な技術者を目指す学生にとって、次の問題は、とても大きい問題であった。
科学技術の進歩によって、私たちは何を得、何を失うのか?
自分たちの生きる工学の世界によって、自分たちが関わる技術によって、そして自分たちの技術が作るものによって、人間は何を得、何を失うのか。それが人間の幸せとどう関わるのか。そのことを学生のうちによくよく考えてほしいと思っているので、とても面白く議論を聞いていました(たまに口出しもした)。
来週も期待していますよ~
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