ホーム > 授業 アーカイブ

授業 アーカイブ

発声練習(おまけ)

発声練習をご指導頂いた矢田部先生の浜名湖義塾の案内にこういうメッセージが載っている。

------
塾長からのメッセージ
私は劣等感の塊(かたまり)でした。市場(いちば)でフライを買った時、「ひとつ」と言ったのに、「ふたつ」と聞き間違えられて2個渡
されました。発音が悪かったのです。その上、「『ひとつ』と言ったんです。」と言い返せず、そのまま、2個分のお金を払って帰ってきました。
 そんな経験はしばしばありました。
それなのに、大人になると、「ぶっきらぼうと口ごもりは自分の個性」と勘違いして開き直っていました。(後略)
------

とてもよく分かる。私にもそういう経験がよくあったからだ。こういう場合、私は「まあいいや」と心の中で自分を納得させてきた。さすがに最近はもうそういうことはない。私の場合は、武道がそんな自分を変えてくれた。矢田部先生の場合は、それが発声練習・朗読だったのである。

学生時代から歌等のレッスンは受けられていたが、本格的に発声や朗読の練習をされたのは、30代半ばからだという。

人は何歳からでも変われる。発声は技術であり、練習すれば誰でも修得できる。

学ぶことの多い発声練習の講座だった。

  • コメント: 0
  • トラックバック: 0

発声練習2

合唱の後は朗読。
これもみんな楽しみながら練習できた。

そしてクイズを交えながらの本格的な発声練習。


みんなそろって~


丹田を意識して~


なぜか武道部員による正拳突き~


口の中に貫手~

そして授業の総仕上げは、やっぱり「翼をください」。

みんな集まって~

練習の成果がとてもよく出ていた。発声の仕方がまるで違っていた。
とてもいい講座だった。
矢田部先生に心より感謝申し上げたい。


お見送りの駐車場でツーショット

  • コメント: 0
  • トラックバック: 0

発声練習1

日本語法2(C)の授業で、矢田部駿一先生をお招きして発声練習・朗読の指導をしていただいた。矢田部先生は、前に見学させて頂いた浜名湖義塾の塾長である。

講座は、いきなり矢田部先生の「翼をください」のアカペラ独唱から始まった。

全員その歌声に感化されたようで、その後の全員合唱がとても素晴らしかった。恥ずかしがらずにみんな大きい声で歌ってくれた。超ド級に歌が下手な私でさえ、生まれて初めてかも、と思えるくらいにみんなと揃って歌えた。

もうこれだけでこの講座は大成功だ、と確信できた。
さすがに経験を重ねられた方は違う。学ばせて頂いた。
その後の展開はまた明日。

  • コメント: 0
  • トラックバック: 0

今日のカフカ

今日の『海辺のカフカ』のプレゼンは2人。

1人めは、「かげについて」
作中に出てくる歌詞の新解釈を披露してくれた。かなり面白い。
また、ナカタさんとカーネル・サンダーズの関係についても、丹念に本文をあげながら説明してくれた。これも非常に面白かった。

2人めは、「暴力とこの現実を生きる意志について」
これもかなり面白かった。「暴力」というキーワードで小説を分析した点、なかなか刺激的だった。村上春樹の講演「壁と卵」も関連してたしね。

今日は秀逸なプレゼン二人組だった。

学生たちは、『海辺のカフカ』の研究論文や評論をほとんど読まずに、徒手空拳で読み解いている。だから彼らの発表のいくつかは、既に『カフカ』研究の常識であることもあるだろう。私も彼(女)らと一緒に徒手空拳で読みたいので、先行研究をほとんど見ていない。

この授業では、生のままで小説を読むという体験をみんなでしたいのである。

  • コメント: 0
  • トラックバック: 0

先生の言ってることが分かりません……

国文学Ⅱ。村上春樹『海辺のカフカ』。

二人めのプレゼンが終了し私の話になろうかという、そのとき、一番後ろに座っていた学生が、こう言った。

先生の言ってることが分かりません。

うぎょ!???

村上春樹が言いたいことが分からない。
先生の言ってることも分からない。
「全部言葉にできなくていい」というが、その意味が分からない。

たいたいそんな感じだっただろうか。

小説は、研究論文とは違うので、明確な結論がまずあってそれを読者に伝達するものではない。最初に「結論」があって、その後に「論証」があるものではない、と何度も言ってきた。

では伝えるものがなくて書いているのか?

と問われるので、

そうではなく、伝えたいものはある。しかしそれは書く前に、明確に言語化できないような「何か」である。

と説明する。

一読して読者が分からないのは、作者の責任ではないか。作者にはきちんと説明する義務がある。

と言われるので、

研究論文はそうかも知れないけれども、小説はそうではない。「モヤモヤ」が残ったり、分からなさが残ったりする場合もあるが、その場合は、その意味を考えることが大切である。
小説にはその分からなさの中に、何か大切なことがあると直観させる力が必要である。それがない小説はダメ。
『海辺のカフカ』も論理的にはよく分からないことが沢山ある。そのように書かれている。そして、ここには大切な「何か」が語られていると私は思う。だから私はそれを問うのである。先週の発表者は、それをとても上手く解いてくれた。あんな風にいろいろ考えてみればいいと思う。もちろん最後まで問うた結果、そこにはたいしたものがなかったということも、ありえない訳ではない。だから問うのである。

じゃあ、ひとことで言えば、分からなくていいということですね。

いやいや、それはひとこと過ぎで……

途中からもう一人加わって、三人でだいたいこんなやりとりをした。

聞いていた学生も面白がって聞いていた。たまに発言しながら。

文学好きの人と話しても絶対出てこない疑問などが出て来て面白い。そして鍛えられるのである。

  • コメント: 0
  • トラックバック: 0

工学部ならではのプレゼン

12日。

今日の国文学のプレゼンはバラエティに富んでいた。

1人め。
手書きのプリントでプレゼン。彼女独特の世界を披露してくれた。「人間は正しく生きねばならぬ」という強い意志を感じた。

2人め。
最近減った理系プレゼン。まず前提をおく。そしてその前提に従って、仮説を立てて話を組み立てる。そして結論を導く。久しぶりにこの方式を聞いたような気がする。ただ文学作品でこれをやると結構難しい問題が起こってくる。前提条件そのものの検証が必要だし、解釈が一義的に決められないものもあり、その一義的に決められないことの意味を問うこともまた大切だからである。特に『海辺のカフカ』は難しい。
もちろん彼はそれがわかっていて、あえてこの手法を採用したのだろう。それはそれで面白い。

3人め。
『海辺のカフカ』の多重性、微妙さを見事に言い当てたプレゼンだった。素晴らしい、と思った。曖昧な問題を、その曖昧であることの意味を問うという形で示してくれた。

工学部でこういう作品をやると、ほんとうにバラエティに富んだプレゼンが聞けるのである。学生さんの発表なので、具体的に詳述できないのが残念だ。

話したいという欲望

11日。冬休み明けの授業再開。

今日は日本語法2(C)。
例によって一人ずつ朝の挨拶。

久しぶりなので、みんなよくしゃべった。
素晴らしい。

授業が始まった頃は、無理やり話していた学生もいたが、今日は、みんないろいろ話したいという欲望を持っていた。

話すべきものを持つと、それを話したいという欲望が強くなる。それがまた話すべきものを増やしてゆく。この循環がコミュニケーション能力の基礎力を徐々に高めてゆくのである。

日本語コミュニケーション能力養成プロジェクト全体会議2

日本語コミュニケーション能力養成プロジェクト全体会議2日め。


今日はV字ディスカッション。


新メンバーのお二人。国語ではなく、待望の工学の専門からの参加。

毎回思うのは、高専の先生方は本当に熱心に教育を考え、実践しておられることである。技術者を育てる上で、コミュニケーション能力をどう養成するかということを日々工夫されておられる。

技術者は、自分の専門の技術を「持っている」だけでは何の役にも立たない。それを他者との関係の中で生かさなければならない。そのためにコミュニケーション能力は不可欠である。私たちがコミュニケーション能力と呼んでいるのは、スキルだけではない。自分の専門内でのコミュニケーションでもない。(異分野の)他者と関わろうとする意欲こそがコミュニケーション能力である。他者と積極的に関わることによって、自分も他者も生きてくる。その実感を持てるような授業をそれぞれが工夫されている。

専門の技術力のベースに「人間力」がある。その大きな部分をコミュニケーション能力が占めている。そして最近強く思うのが、さらにそのベースとなる基礎力である。今回国語力検定を受けてみて、さらにその思いを強くした。

そしてもう一つ。技術者が、その専門技術を身に付け、生かす中で、人間として生きる意味や充実感を犠牲にしてはならないということ。そのためにも他者と関わる喜びを感じて欲しい。

13時に解散。
メンバーはまたそれぞれの高専に帰って行った。
さらに質を高めた実践をめざして。

国語力検定

昨日の稽古後、国語力検定の結果を返却。
みんなとても楽しみにしていたようです。
想像以上に盛り上がりました。
問題も一緒に返却したので、あちこちで勝手に小グループができて、検討会が始まりました。
1時間以上みんなわいわいやってました。

これにはびっくりしました。
技術者の卵たちが、国語力検定でこれほど盛り上がるとは。
さすが武道部です。

問題も非常によく練られた良問でした。そして楽しく受けられる工夫がしてありました。さすがです。

1年次入学生と3年次入学生(続)

昨日、1年次入学生の1年生と3年次入学生の3年生にかなりの違いを感じるようになったという話を書いた。なぜこのようなややこしい言い方をしているかというと、1年次入学生でも、2年生、3年生となるにつれて3年次入学生と馴染んでゆくからである。しかしそれでもここ数年、3年生、4年生になっても、1年次入学生だと分かるようになってきた。これも興味深い問題である。

さて、今日は国文学2、村上春樹『海辺のカフカ』。
ここでも、やはり1年生と3年生の違いを顕著に感じた。何度もいうが、良い悪いではない。しかし違う。

たとえば、『海辺のカフカ』は、うちの学生にとって、非常に難物で、最初はみんな文句を言っていた。

作者が何を言いたいか分からない。それは作者の責任である。結論を明確にすべきである。自分が書くとしたら、まず結論を先に書く。

などなど。

しかし、このような主張は、高専卒生の3年生ではなく、ほとんどが高卒の1年生から出たものである。これも大変興味深い問題である。

もちろんこれは最初の反応であって、ディスカッションを重ねるうちに、様子は変わってくるのであるが、それにしてもじっくり考えたい問題である。

さて授業の方は、「文学」の表現とはどういうものかを私が時々説明しながら、みんなであれこれ読み解いている。毎回3人ずつプレゼンをしているが、大分読みが深まってきた。これは1年生も3年生も同じ。

授業も半分ほど過ぎたが、最初の頃のようなことは誰も言わなくなった。もちろん読みについては、いろいろ意見がでる。そして工学部の学生たちは、私にはない視点と発想を持っている。これが面白いのである。

この調子でどんどん読み解いてほしい。

ホーム > 授業 アーカイブ

カレンダー
« 2025 年 4月 »
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最近の投稿
最近のコメント
カテゴリー
アーカイブ
リンク
中森康之研究室
武道部
俳文学会
現象学研究会

ページトップに戻る