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研究 アーカイブ

鷹は鏡

鷹は鏡なのだという。

鷹は使う人のこころによって、神の化身にも悪魔の手先にもなるという。(大塚紀子『鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術』白水社197頁)

鷹には鷹匠の心が映し出される。鷹を育てるのと人を育てるのとは、全く同じである。鷹を見れば鷹匠が分かる。お弟子さんを見れば師匠が分かる。

ほんとうに恐ろしい話である。

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羽合:人鷹一体

鷹狩り用語に「羽合」(あはせ)というのがある。

「羽合」は日本の鷹匠の独特な猟法の一つで、鷹に加速をつけてやるために、拳から鷹を獲物に向かって投げるように押し出すことをいう。(大塚紀子『鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術』白水社162頁)

昨日私もこれをやらせて頂いたが、かなり難しい。

鷹と鷹匠が呼吸を合わせて、これをうまく成功させたときの技の境地を「人鷹一体」といい、これが、鷹匠が追求する究極の感覚である。(略)カモ猟などで鷹匠が十分に寄せたのち、絶妙の頃合いで羽合が成功したとき、それはまるで自分の拳が伸びたかのように感じられ、鷹の動きが線を描くかのように明確に見えて一瞬で捕らえることができる場合がある。この時の感覚は「羽合拳」といわれる。(同163頁)

鷹を据えているとき、左手の力みをとらないといけない。それは分かる。じっと立っているときは、なんとなく出来た気になった(たぶん錯覚だろうけど)。しかし羽合せようと体を動かし、手を動かした瞬間、手に力が入ってしまった。そしてその瞬間、鷹(の心)が私から離れるのがはっきり分かった。その後鷹は力なく飛んでいった。武道をやっているのに情けない話であるが、私にはとても難しかった。が、とても面白かった。

大塚さんの著書には名人と言われた鷹匠の羽合の写真が掲載されているが、その力みのなさは見事である。

もう1回やったらもう少しうまく出来る気がする。もちろん気がするだけである。でも何事もそうやって上達してゆくのだろう。もう1回、もう1回、といって。

今度やったら、前よりは少し上手くできるような気がする。

そういう希望が、修行を継続させてくれる。
だからまたチャレンジしたい。

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第1回『風俗文選』研究会

第1回『風俗文選』研究会。

前から、「やろう、やろう」と言っていたのであるが、ようやく始動。
メンバーは佐藤さんと塚越さんと私。
場所は和洋女子大学。

それぞれの関心から意見が述べられれ、大変有意義な研究会となった。
3人とも問題意識が違っているようで、共通点があり、しかし違っているようで、でもやっぱり。この微妙な具合がなんとも絶妙である。

まだ手探りで始めたばかりであるが、そのうち軌道にのるだろう。焦らずゆっくり進めたい。

ちなみに第1回、私の担当は許六「師の説」であった。

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さすが技科大生

この前、ある方と話していて、VOCALOID(ボーカロイド)の話になった。恥ずかしながら私は知らなかった。

ボーカロイドってご存じですか?
いえ、知りません。
初音ミクは?
聞いたことあります。
それに使っている技術です。

へぇ~。ということで少しお話を伺った。

今日の日本語法の授業で、「初音ミクって知ってる? 知ってる人、手挙げて」と言ったら、全員手を挙げた。
さすが技科大生である。

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私はこういう苦労をしてきました……

「人間力」「日本語コミュニケーション能力」打ち合わせに浜松へ。

ある技術者の方にお話を聞く。
3時間半ほど様々なお話をした。
中でも、その方の実際に歩んでこられら人生のお話にとても興味を惹かれた。

こういうことが分かったのは、就職してからです。
こういうことが分かったのは、つい最近です。

と明るくおしゃっておられたが、それまでには様々なご苦労をされたようだ。
若い頃、上司に、

○○くんの言っていることは全然分からんな。

と言われてショックだったことや、自分がいかに頭が固かったかを思い知らされた出来事などなど。

技術者という人間として、自分に何が足りなくて、どういうことがきっかけで、今、何が分かったか。そこから見える技術者に必要なものとは何か。

お話を伺っていて、この方がご苦労されてきたことは、卒業して数年の多くの卒業生が直面していることなのではないかと思った。武道部の卒業生を思い出すと、まさしく同じだからである。

私はこういう苦労をしてきました……
そしてこういうきっかけで、こういうことが分かりました……
今、こういうことが大切だと思っています。

私はそれを、学生に直接語って下さるようにお願いした。

こんな話が面白いんですか?

と、半ば不思議そうに言われた。
私は逆に、若い人がこれほど聞きたい話はないはずだ、と確信できた。

同じような困難に多くの技術者の卵が直面しているはずである。それを克服できるか、できないか。克服できた人は、できなかった人と何が違っていたのか。
武道部の卒業生には、まさしくその分水嶺にいる者もいる。
来年度には、すこし味付けをした企画として実現したい。

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第4回寺子屋

今日は第4回寺小屋。
今回のテーマは『徒然草』。

今回も、熊本や東京やその他各地からメンバーが集まってくれた。
予想以上にみんなしっかり読んでくれていて、とても充実した議論が展開された。


開始前。


ちょっと緊張気味??


精神統一??


真剣に読んでます。


びっくり??


兄弟??


こっちも真剣です。


まろ


何か書いてます。


少し微笑んでる??


1人楽しそうな幹事さん


寝坊したけど間に合った男


最後に恒例の集合写真。

今回もあっという間に時間が過ぎました。
工学部の学生、卒業生が真剣に『徒然草』を読み、ディスカッションしている姿はとても美しく、素晴らしかった。

彼(女)らの人生が豊かになること間違いなしである。

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発声練習(おまけ)

発声練習をご指導頂いた矢田部先生の浜名湖義塾の案内にこういうメッセージが載っている。

------
塾長からのメッセージ
私は劣等感の塊(かたまり)でした。市場(いちば)でフライを買った時、「ひとつ」と言ったのに、「ふたつ」と聞き間違えられて2個渡
されました。発音が悪かったのです。その上、「『ひとつ』と言ったんです。」と言い返せず、そのまま、2個分のお金を払って帰ってきました。
 そんな経験はしばしばありました。
それなのに、大人になると、「ぶっきらぼうと口ごもりは自分の個性」と勘違いして開き直っていました。(後略)
------

とてもよく分かる。私にもそういう経験がよくあったからだ。こういう場合、私は「まあいいや」と心の中で自分を納得させてきた。さすがに最近はもうそういうことはない。私の場合は、武道がそんな自分を変えてくれた。矢田部先生の場合は、それが発声練習・朗読だったのである。

学生時代から歌等のレッスンは受けられていたが、本格的に発声や朗読の練習をされたのは、30代半ばからだという。

人は何歳からでも変われる。発声は技術であり、練習すれば誰でも修得できる。

学ぶことの多い発声練習の講座だった。

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発声練習2

合唱の後は朗読。
これもみんな楽しみながら練習できた。

そしてクイズを交えながらの本格的な発声練習。


みんなそろって~


丹田を意識して~


なぜか武道部員による正拳突き~


口の中に貫手~

そして授業の総仕上げは、やっぱり「翼をください」。

みんな集まって~

練習の成果がとてもよく出ていた。発声の仕方がまるで違っていた。
とてもいい講座だった。
矢田部先生に心より感謝申し上げたい。


お見送りの駐車場でツーショット

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発声練習1

日本語法2(C)の授業で、矢田部駿一先生をお招きして発声練習・朗読の指導をしていただいた。矢田部先生は、前に見学させて頂いた浜名湖義塾の塾長である。

講座は、いきなり矢田部先生の「翼をください」のアカペラ独唱から始まった。

全員その歌声に感化されたようで、その後の全員合唱がとても素晴らしかった。恥ずかしがらずにみんな大きい声で歌ってくれた。超ド級に歌が下手な私でさえ、生まれて初めてかも、と思えるくらいにみんなと揃って歌えた。

もうこれだけでこの講座は大成功だ、と確信できた。
さすがに経験を重ねられた方は違う。学ばせて頂いた。
その後の展開はまた明日。

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グローバリゼーションと現場の力

「グローバルでイノベーティブ」な技術者で紹介した記事に次のような箇所がある。

————-
フミオ、とにかく彼らと働くのは効率が悪い。指示は曖昧。優先順位は付いていない。後先考えない頻繁な指示の変更に説明はない。社内だけに留まればまだ良いが、外で取引先や得意先からも同様の問題を指摘されるのは、競争が激しい中では死活問題だよ。
————-

アメリカにある現地法人のトップ(日本人)を批判したものである。
後半はともかく、前半の、「指示が曖昧」「頻繁な指示の変更(に説明がない)」という点が興味深かった。この方の具体的なケースはおいておいて、これを一般論として考えるととても面白いのである。

おそらく日本人トップの「曖昧で頻繁に変更される指示」は、昨日今日に始まったことではない。ずっと前からそうだったはずである。
ということは、日本が景気がよくて日本企業が強かった時代からそうだったのである。つまり、「曖昧で頻繁に変更される指示」ばかりであっても、日本企業は大丈夫だったということだ。そして、この「曖昧で頻繁に変更される指示」が原因で日本企業が弱くなったり、日本の景気が悪くなった訳ではないということである。

なぜトップの指示が「曖昧で頻繁に変更される指示」であっても日本企業がうまくいっていたかというと、現場の人たちの能力が極めて高かったからである。曖昧な指示であろうが、急に変更された指示であろうが、即座に完璧に対応できる能力が多くの日本人にあったのである。それが日本の教育の賜物だった。もちろん愚痴や上司の悪口は言っただろうが、それだけである。言われてる上司の方も、若いとき同じようにしてやってきたのだから、それでいいのである。

「曖昧で頻繁に変更される指示」が原因で、会社全体が悪い方向に向かうのは、現場の底力が弱い場合である。現場の力が弱い場合は、明確で細かい指示がなければどうにもならない。現場の一番下の立場の人が、臨機応変に的確な判断と行動ができない(やらせない)ことを前提に、トップが具体的で明確な指示を出す。グローバリゼーションとはそういうことだ。

先日の大学入試センター試験の1日めの朝、たまたま事務の方数人が試験場の点検をされているのを見た。そのとき、大変失礼ながらこの方たちがとても優秀なのに驚いた。何が優秀なのかというと、見る場所が実に的確なのである。例えば施設環境課の方は、入室する際、ドアクローザーをチェックし、入室するなり床、天井、壁等々のチェックをする。天井の空調のフィルタの僅かなズレを見逃さない。別の課の方は、他の場所を見ている。もちろん全体を見ている方もいる。

1日めが終了し、夜にまた点検をされた。

そして2日めの朝、私はまたまた驚いた。廊下のタイルがズレそうなところにきちんとテープが貼ってあったのである。私が1日めの夜そこを通ったのは、点検の後である。そしてそのときはタイルについて全く注意しなかった。ズレていたら気づいただろう。おそらくズレる可能性があった程度だったはずである。担当の事務の方はそれを見逃さなかったのである。しかも点検のときにはテープがなかったのだろう。試験本部が解散された後、彼は1人でそこにやってきてテープを貼ったに違いない。それは受験生が万が一ズレたタイルで滑りでもしたら大変だ、という心遣いであった。

翌朝、これもたまたま、入試課の方がそのテープについて、「○○さん、テープありがとうございました」と言っているのを聞いた。その方も朝点検していて、自分のいなかった夜遅くに何が行われたかに気づいたのである。

さてこの点検、トップからの指示は、「試験場の点検」だけである。チェックリストも何もない。しかし各人が「試験場としてあるべき状態」と「万が一にも起こりうること」を想定してできるだけ手を打っておくのである。その判断は現場の1人1人がやるのである。

そして何よりも大切なのは、もし具体的で明確な指示(チェックリスト)があったら、おそらくあの廊下にテープが貼られることはなかったであろうということなのである。

試験場の点検とグローバル企業の仕事と一体何が違うというのだろうか?

グローバリゼーションというものが、ごく一部の優秀なリーダーの「明確で具体的」な指示通りに現場の人が動くことを求めるのであれば、それは現場の底力など不要であるといっているのと同義である。現場の人は、リーダーの指示をきちんと実行しなさい、ということは、指示されなかったことは実行しなくてもいい、ということだからである。底力とは、まさに不慮の事態に際し、指示されていないことをその場の判断で行える力のことだからである。

底力のある組織のリーダーに必要なのは、高度な専門知識ではなく、「徳」である。そして「徳」のある人は、だいたいにおいて、明確で具体的な指示など出さないものである。ただ問題なのは、「徳」もなければ能力もない人も、明確で具体的な指示を出さないことだ。

それを見分けるのも、徳であり、見識なのである。

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