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研究 アーカイブ

岐阜1

15日。岐阜へ。
まずは大智寺さんへ。私の恩人のお墓参り。この方がいなかったら私の支考研究者としての人生は今とは全く違っていただろう。私の支考研究者としての出発を支えてくださり、その後も孫のように可愛がって下さった。無精にもしばらく訪れていなかった。2001年10月10日にお亡くなりになってから早いものでもう9年たつ。今でもあの特徴あるお声が耳にしっかりと残っているが、胸をはってご報告できるような成果をあげていないので、恥ずかしい。しかしそれよりもお墓に行けたことが嬉しい。
その後、昼食は例によってこの方が大好きだった岐阜会館へ。ご飯を食べに連れていってくださる時はいつでも岐阜会館だった。そして有頭大海老フライを召し上がられた。それを思い出しながら、私は普通の海老フライを食べた。
その後、お宅へ。実は亡くなる少し前に私に見せたがっておられた資料があった。歴史博物館でお会いしたときにわざわざ持ってきて下さっていたが、その時はよく拝見する時間がなく、そのままになっていたのである。それを拝見に伺った。今年中に伺おうと思っていながらぐずぐずしているうちに、先日息子さんから全く別件でお電話を頂き、その時にお願いして今回の訪問がかなったのである。「中森さん、何をぐずぐずしているの!」と励まして下さったのだろう。

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天理図書館開館80周年記念特別展

 2日。
 ちょっと調べものをしに天理図書館へ。天理図書館では折しも開館80周年記念特別展を開催している。もちろん拝見。
 『伊勢集』も注目だが、私的に今回一番見たかったのは、蝶夢の『遠江の記草稿』。予想以上に綺麗なもので、ちょっと驚いた。しかしいかにも蝶夢らしい。
 そして図録の表紙を飾っている蕪村「取句法」。いいですねぇ~。内容もとても面白い。
 他にも貴重な資料がいっぱい。圧巻である。そして図録の綺麗さ。いやあ、何周もしてしまいました。

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俳文学会第62回全国大会3日目 最終日

 18日 最終日 文学遺跡調査。
 最近はバスでの団体行動がなくなった。いつからなくなったのか記憶にないけれども。
今回は四国大学の凌霄文庫へ。
 参加者は少なかったけれども、その分充実した調査ができた。それにしても調査なれしている方の嗅覚は非常に鋭いものがある。次々に面白い資料を発掘してくる。武道関係の伝書も少しあり拝見した。
 午後からは藍染め体験。こちらは電車の時間があり失礼した。とても残念である。

 今回は岡山経由で帰ることにした。岡山までTさんと一緒。久しぶりにゆっくりと話ができた。岡山からののぞみはそれぞれ指定席がとってあったので、岡山で別れる。私は乗車券を徳島から一本でとってあったので、岡山で新幹線のe特急券を受け取るべく発券機に並ぶ。先頭の人がなにやらトラブっていて異常に時間がかかっている。ようやく諦めて次の人に。その人も「なんでや?」といいながら何度か操作。おいおい、時間がないよ~。
 ようやく私の番に。スムーズに発券。いざ改札へ。こっちもひっかかっている人が多く、三台向こうの改札口からようやく入れた。私の乗るべきのぞみは何番線?と思って電光掲示板を見る。ない!! もう消えていたのだ。咄嗟に東京方面のホームへ駆け上がる。が遅かった。のぞみの最後3両ほどを見送った。そういう訳で、次ののぞみの自由席で帰った。

 PPTファイルがないことに始まって、最後はのぞみに乗り遅れた学会であった。

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俳文学会第62回全国大会2日目

 17日。二日め。

 朝一で、徳島県立文学書道館へ展示「俳人の書」を見に行く。ホテルから歩いて10分ほどのところ。ささっと見て研究発表会場へ。
 最初の研究発表に間に合った。拝聴。今回の大会は留学生が頑張っている。
 昼休みは編集委員会。
 午後から研究発表。
私の発表は一番最後。題して、

『俳諧十論弁秘抄』について ー美濃派研究の可能性、例えば環境問題

 昨夜完成したPPTのスライドを全部使うと、どう考えても時間内に終わらない。急ぎ足で発表。
 まず『俳諧十論弁秘抄』が支考自身による十論講の講義録であることを説明し、現在確認できている諸本を紹介。その後、内容について説明した。
 この本、支考の俳論を実に端的に解説してくれているのである。中でも私が長年主張してきた、支考の虚実論は心の働かせ方であるということを、はっきり語ってくれている。曰く、

 虚実の二論は心法にあり。

 その他、「諷諫」「滑稽」「時宜」「人和」などこれまで私が解読してきた支考俳論用語も、実に的確にに解説してくれる。

「時宜」は「人和」なり。
「諷諫」則「媒」也。

などなど。
 いい加減、「虚実」を「虚構と真実」だなどという過った解釈をし続けるのはやめなければならない。「詩歌・連俳といふ物は、上手に嘘をつく事なり」(『二十五箇条』)の呪縛から逃れよう! と訴える。
それに囚われているかぎり、支考の俳論の本質、そして「諷諫」「滑稽」「時宜」「人和」などの意味、相互の関係が全く理解できないからである。
 さらには支考俳論の俳諧史的展開が見えて来ない。
 例えば、支考が説く俳諧が「心の俳諧」であり、「虚実は心法である」ということが理解できれば、それが蝶夢の「まことの俳諧」へと受け継がれてゆくことがみえてくる。それは文芸に限定されない、普通の人が日常を生きる人間の道としての、「心の俳諧」である。ということで蝶夢の俳諧観についても簡単に説明した。
 その他、十論講の様子が少し具体的に分かる、『為弁抄』の性格が明確になるなど、本書の意義についてもいくつか説明。
 最後に、俳文学研究の今後の可能性の提案として、環境問題への可能性について提案した。
 俳諧が心法であり、俳諧が普通の人が日常を生きる人間の道であるなら、その俳諧観を受け継いでいる膨大な美濃派の俳書群は、今までとは違った価値をもってくるのではないか。卑俗、低俗とマイナス評価されているそれらは、まさにそのことによって、当時の人の普通の感覚や思考パターンを反映しているとも言えるからである。
 例えばこれから環境問題を考えようとするとき、社会システムや制度、政策、テクノロジーなど様々な観点が必要であるが、もう一つ不可欠なのは、その社会の中で実際に生活する、人間の意識であり、価値観の問題である。これからの環境社会に相応しい意識、価値観とはどのようなものか。それを明らかにするでなければ、真に有効な環境研究はなし得ないだろう。そして文学研究、とりわけ俳文学研究は、その点について役割を果たすことが可能ではないか。これまで、江戸時代の日本が優れた環境社会であったことは、社会制度、社会システムなどの観点から数多く指摘されているが、その中で実際に生きて生活していた人間の意識、感覚、価値観について、俳文学研究は多くの知恵を持っているはずである。 というようなことを言った。
 最後に文学と工学の共同研究について、句碑の解読の事例を紹介して発表を終えた。2〜3分の超過で済んだ。

 質疑応答は、十論講の聴衆の知的レベルと関心について。これは非常に重要な問題である。その場で考えを述べたが、今後もよく考えたい。
 もう一つは、環境問題に関して。私のような考えが、むしろ俳文学研究をダメにし、環境問題もダメにするとは考えられないか?というもの。つまりそんなことを考えた文学研究はツマラナイ、と。サービス精神旺盛の質問だった。
 それを承知の上で、私の考えはこうだ。
 指摘されていることはよくわかる。しかし、文学研究が閉じられた世界で「文学」の研究に終始してきた、まさしくその意識と価値観、研究方法によって、支考は不当に評価され、蝶夢は無視されてきたのではないか?いわゆる「純粋な国文学研究」の観点と方法論でしか支考の俳論を見ることができなかったから、支考が「俳諧は何のためにするのか?」を繰り返さざるをえなかった理由が理解できなかったのではないのか。
支考は、俳諧そのものの存在意義と魅力を、俳諧に初めて触れる人に説いてまわった。外に向かって、その面白さ、意義を説かなければ、それを普及させられないと考えたからである。
 「名人」(=天才)はそんなことをする必要はない。ただ「(俳諧の)道」に遊んでいればいい。しかしそうでない「上手」は、その「名人」が切り開いた「道」を普及させる役割がある。そう支考は考えていたのである。
 俳文学研究にも「名人」と「上手」がいるだろう。私は俳文学会あげて環境問題に取り組めと言ったのではない。俳文学研究が環境問題など、他領域に道を開いておく必要があるのではないか、と言ったのである。
 今の若い人の多くは、環境問題に関心を持っている。そういう人に、環境問題をやりたければ文学部に行って俳諧を研究しなさい、ということもあっていいはずである。何度も言うが、俳諧は普通の人が日常を生きる人間の道なのだから。
 環境問題というのは非常に刺激的なトピックだったようで、その意味では大成功だった。もちろん私が本当に伝えたかったことが理解されるのは、まだまだ先の話である。
 ただ、その後の公開講演のためにちょっと早く来て私の発表を聞いたという一般の方が、発表終了後、「工学などの分野に文学的なものを入れるのは非常に大事だと私も思う」と言いに来てくださった。
 私の発表で62回全国大会は終了。その後堀切実先生の公開講演。
 堀切先生とは支考俳論、虚実論の解釈も全く違うし、他にも違う点が多々ある、そんなことはどうでもいい。私は堀切先生の志を支持しているのである。だからこそ安心して批判できるのである。
 終了後も、「虚実論はこれからもずっとやりますよ~」とバトル宣言された。嬉しい限りである。

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俳文学会第62回全国大会

 16日から俳文学会第62回全国大会。
 松山からバスで徳島へ。いきなりバスが遅れてきたが、無事到着。
 昼食もすませて会場へ。
kaizyou.jpg
 委員会に出席しようとしたところ、入り口で捕まって、発表会場へ連れていかれる。PCチェックである。無事プロジェクタと仲良くなってくれた。途中から委員会へ出席。

 予定通り研究発表が行われる。
 総会の後、懇親会。懇親会では、四国大学の学生さんが特別に阿波踊りを披露してくれた。
 必然的に私の目は足に……。おお、外旋させてる~!
 懇親会終了後はpptを完成させるべくさっさと部屋に戻る。

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四国松山道後温泉・円満寺の仮名詩碑

akasyatu2.jpg
 
 15日。赤シャツ先生にお迎えいただき、四国は松山道後温泉へ。
もちろん調査です~。明日からの俳文学会第62回全国大会の前に、円満寺の仮名詩碑の調査にきたのである。

 が豊橋出発早々大変なことが発覚! 昨日一日がかりで8割くらい完成させた発表用パワーポイント。あとは新幹線の中で最終チェッ~ク、っと思ってUSBメモリーを突っ込んだら、ない!!!???
 一昨日までの古いファイルならある。昨日の夜PCに保存して残してきたか、古いファイルで上書きしたか。
 仕方ないので、昨日の記憶を手がかりに、再作成開始。ネタ用画像や文書ファイルは、フォルダに残っていたり、Gmailにあったりしたので、何とか進む。最近やや困ったこともあるGmailだが、こういう時は使っててよかった~って思う。

 そんなこんなであっと言う間に松山到着。松山と言えば路面電車。路面電車と言えば坊ちゃん号。
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いたいた、運良く会えた。

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からくり時計も出迎えてくれました。
この時計、毎時0分に動き出すようだが、前を通るたびに動き出して、3回も拝見。
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 さてホテルに荷物を置いて、本来の目的である円満寺へ。
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 支考25回忌、宝暦5(1755)年に臥牛洞狂平が建立した仮名詩碑。碑面は摩耗していて、読めるようで読めないようで、全文は読めない。が、立派に立っていてくれている。きちんと保存して下さっていて有り難い。せっかくだからこの仮名詩碑の写真もpptに貼り付けようーっと。

 一通り見て、まだ少し時間の余裕があったので、坂の上の雲ミュージアムへ「新聞『日本』と子規」を見に行く。
 初めて来たが、「何だろう?この建物の感覚は?」と思っていたら、安藤忠雄さんの設計だと書いてあった。納得。

 ホテルに戻ってからはかなり頑張ってppt作りました。
明日は徳島へ。

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現象学研究会

 4日、久しぶりの現象学研究会。

 朝からホテルの下のカフェで『イデーン2-1』の今日の範囲を読む。身体論を楽しみにしているのだが、例によってフッサールの執拗な記述が続く。『イデーン1』から一体何が深められているのかなあと思いながら読み進める。昼食後ナガタさんと『俳諧十論』の注釈書の翻刻についての打ち合わせを済ませて、現象学研究会の会場へ。
 ここ2回ほど欠席していたので久しぶりである。とこれまた久しぶりのNさんと再会。何年ぶりだろう。ハイデガーやレヴィナスをやっていた頃は毎回会っていたことを懐かしく思い出す。
 さて今回は、前半が『イデーン2-1』、後半は竹田青嗣『完全解読 カント「純粋理性批判」』の合評会?。
 前半のレジュメ担当者は二人。いつも通りの明快な報告。次回はいよいよ身体論が出てくる(のかな?)。期待したい。
 後半は、カミヤマさんによる竹田青嗣論といってもいい内容。非常に興味深かった。竹田さんと同世代であるカミヤマさんは、私とはまた違った竹田論を持っている。それがよく分かって面白かった。またある方が展開された「竹田青嗣と宮崎駿」論は非常に刺激的だった。
 なんで師匠、文芸批評やめちまったんだよ~、と思っていた私であるが、実は文芸批評をやめて哲学に行ったのではなく、哲学の仕事の中に文芸批評家としての感性や本領が生き続けていると見るべきだったと思い改める。
 ところで、この場で恐ろしいことが判明。なんとこの本、最後まできちんと読んでないメンバーが結構いたのである。かくいう私も、である。というか、本自体を家に忘れてきてしまった~
 もちろんきちんと読めていないのは、私を含め、皆この本を大切に読みたいと思ってのことである。忙しい現代において、時間をとってゆっくり読書することは、もう誰であってもほぼ不可能であることがよく分かった。時間ができてから、と思っているその時間は永遠にこないのである。

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日本武道学会第43回大会

 9月1日、夜東京入り。
2日・3日、日本武道学会第43回大会。

 この学会に入ったのが今年なので当たり前だけど、初めての参加である。知り合いもいないし、要領も分からなかったが、ともかく受付時間に会場へ。
 会場の明治大学和泉キャンパスも初めて。駅を降りて人の流れに乗って歩いていたら、ある会社に入ってしまった。おっ?と思っていると警備員さんが飛んできた。
 
 どちら様ですか?

 名前を名乗っても仕方ないので、「ここ明治大学じゃないですか?」と尋ねる。親切に教えてもらって無事会場に到着。
 とりあえず、面白そうな発表がある部屋へ。質疑応答の時、○大学の○先生が発言される。ん?そういえばデラさが○大学の先生と知り合いだと言ってたような気が……。この先生かなあ、と思っていると、タイミング良くデラさからメールが来た。返信メールで聞いてみると果たして知り合いだった。ということでご挨拶。目出度く知り合い?が1人できた。
 こういうことはもう普通のことになったけれども、この学会でもいい流れでタイミング良くいろんな方と会えた。名前だけ知っていて顔を知らなかった方が発表者として登場されたり、質疑応答で発言されたり。また発表後すぐお話できなかった方とも、トイレの行き帰りや食堂などで遭遇することが叶った。
 昨年の鹿屋体育大学の身体儀礼文化フォーラムに参加したとき、一日中一番目立つところにいた私たちに「どちらから来られたのですか?」と声をかけて下さったH先生にも目出度く会うことができた。
 そんなこんなでいろんな方とちょこちょこお話ができた。中でも江戸時代の柔道伝書を紹介された方とのお話は非常に興奮した。また空手のある流派の方ともご挨拶。前から知りたかったその流派の「引き手」について確認できた(思っていた通りだった)。
 そんなこんなでかなり多めに持って行った名刺が、2枚を残すのみとなった。こんなに一度に名刺交換したのは初めてである。

 日本武道学会の発表は「人文・社会科学系」「自然科学系」「武道指導法系」に分かれており、それぞれの発表は、ほとんどが柔道や剣道などのトピックに分かれていた。各種目を超越した「武道」として何かを論じるものはほとんどないなあと思っていると、2日の本部企画で、寒川恒夫氏が、類概念としての「武道」はグローバル化していない、という話をされた。「武道は、これに含まれる種目が持ついわば種概念としての精神文化とは別に、それらを武道として認識するための類概念としての精神文化を必要とする」(『抄録』13頁)。

 その本部企画の前に特別講演。『日本型イノベーションのすすめ』(日本経済新聞出版社)『なんとなく、日本人』(PHP新書)の著者、小笠原泰氏による「武道とはいかなる意味で日本的なのか-国際化を『モノ』と『こと』から考える」。日本武道学会に来てこのような話を聞けると思っていなかったので、非常にラッキーだった。しかもこの前の身体開発研究会で話題になったばかりの「日本的」なるもの。小笠原氏が公演中でも触れられた、これぞまさしくセレンディピィティー。
 「グローバル・パラドクス」ということをまずお話になる。おお「逆説」ではないか。さらにそれを基礎とした「日本的」なるものについて、持論を展開された。
 講演終了後、個人的にお話を伺う。もちろん「日本的サッカーなるものはありえるか」ということも質問する。なんと小笠原氏はサッカーにも非常に詳しい方だった。

 小笠原氏の特別講演の後は、先に触れた本部企画。「武道の国際的普及をめぐって―武道に期待されているもの ―」。パネリストは寒川恒夫氏と金子明友氏。寒川氏については上述した。金子氏のお話は、フッサールやら現象学やらが出て来て驚いた。恥ずかしながら私は金子氏の御著書を読んだことがなかったのである。早速その場で『わざの伝承』をネットで検索、注文した。そうだ、4日の現象学研究会に備えて『イデーン2』を読まねば。

 学会2日目(9月3日)。
 午前中は研究発表聴講。
 午後から専門分科会。私は空手道の分科会にいくのが普通なのだが、剣道専門分科会企画で、小笠原流礼法の小笠原清忠宗家がご講義される。身体儀礼フォーラムでお話を伺ったこともあり、剣道の専門分科会に参加。
 ご講演の後実技指導。もちろん出来なかったが、面白かった。特に最近よく言われている武道的身体動作は、いかに楽に、合理的に、有効に身体を使うかという話が中心だが、小笠原流は、当たり前だが礼法なのであった。つまり自己のパフォーマンスを最大値にすることだけではないということである。そのことが、ごく僅かではあるが実体験してみてよく分かった。
 終了後ご挨拶する。鹿屋でもご挨拶したので覚えていて下さった。
 その後、途中から空手の分科会に参加。

 ということで初参加の学会が無事終了。
明日は久しぶりの現象学研究会である。

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第6回身体開発研究会

 29日は第6回身体開発研究会(於聖トマス大)。
 正門に着いたとき、ホテルに預けたカバンにデジカメ入れたままだったことに気づいた(。。;
 わーどーしよ~と騒いでいるところへ、デラさ・常人歩人さんたちと遭遇。「初めてでない初めまして」の挨拶を交わす。やっぱり黄色いわ、常人歩人さん。
6-shintai.jpg 
 さて研究会は、中村先生と木寺先生のお話。大変勉強になった。中村先生のお話は、日本文化論とも関連するお話で、「「日本(的)とは何か」とは何か」の難しさを改めて考えさせらられた。「日本的なサッカーって何いい~?」。
 私は「個の確立論」をあまり信じていないが、自立した個の有機的連関ではなく、自他が分離していない一つの統一体と化したチームがあるとしたら、それを「日本的」と言ってもいいのかもしれないが、多かれ少なかれサッカーにはその要素が不可欠な気もするし。でもそんなレベルの高いチームを作ろうと思ったら大変ですね。それは難しいから、お前は与えられたポジションで、与えられた仕事(お前がやるべきこと)を確実にこなせ、という方が簡単。おお、なんと西欧的。そんなこと日本人には出来ないよ~、と思ったが、最近の日本人なら出来るかも、とも思う。

 木寺先生のお話は「屈曲動作」(こちら)。随所に小山田さんの実技指導が入る。これからスーパーストレッチやろーっと。

 研究会後の打ち合わせ→懇親会。ここでも「右と左」の話などで盛り上がる。次回は小山田流「右と左」論全開の予定
楽しみだ~って、いいかげんに覚えてちょうだい。僕だってば!

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追加・研究集会の受賞者

 一つ前のエントリーで書いた研究集会のプロジェクトメンバーの受賞者が漏れていた。実は翌日の関西出張のため、私は表彰式を失礼したのである。メンバーからのメールで受賞を知ったのであるが、ブログを書いてからお知らせメールが届いた方が一人いた。
 既に昨日の文章も修正したが、めでたいことなので改めて書いておきたい。
 受賞は下記の通りである。

〔教育研究分野〕 
 井上次夫先生(小山高専) 文部科学大臣賞
 鍵本有理先生(奈良高専) 理事長賞
〔学生指導分野〕
 三木功次郎先生(奈良高専)文部科学大臣賞

 教育教員研究集会の賞は、上記の2分野あり、文部科学大臣賞は各1名、理事長賞は前者6名、後者2名の計8名に与えられる。つまりプロジェクトメンバーは、文部科学大臣賞を独占、理事長賞を合わせて全10名のうち3名が受賞したのである。
 三木先生はこれで何と3年連続の文部科学大臣賞受賞である。また昨年は三崎先生(香川高専)も理事長賞を受賞している。
 快挙という他ない。

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