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研究 アーカイブ
浜松臨江寺の蝶夢句碑
- 2011-05-22 (日)
- 研究
浜松市の臨江寺にある蝶夢句碑の調査に行った。
『浜松市史』第二巻552頁に、写真を掲載した上でこう書かれている。
中でも方壺はもっとも敬慕し、寛政二年(一七九〇)蝶夢の句「村松やみとりたつ中に不二の山」を碑に刻んで、臨江寺の裏山に建てている。
お寺に着いて山門を入ろうとすると、左手に写真とよく似た形の石碑が……。「これやったりして」と思いながら、中に入って、奥の山の方へ。しかし裏山には入れない。ふむ。ひょっとしてと思いもう一度山門に戻る。
果たしてこれだった。
しかしこの句碑、反対向きになっている。句が刻まれている面が壁を向いているのである。むむむ?
寛政七年十二月廿四日は蝶夢が亡くなった日である。むむ?? もう一度調べる必要がありそうだ。
とまれ、
ご住職曰く、
あれ、逆さまになってるから。直さんとね。二人くらいいたら出来るかなと思ってるんやけど。
ええっ~ 自分で地面掘るんですかあ?
今ならご住職と私、大の男が二人いますけど。
と心の中で思ったけれど、口には出さず、笑顔。
でも、句碑の土台ってどのくらいの深さなんだろう。以外に簡単に掘れるのかなあ、と考えているとだんだん興味が湧いてくる。いかんいかん。もうすぐ雨が降ってくる。
それにそのままの方が「裏見の句碑」として名物になるかもしれないし。
その昔裏山の崖崩れで出て来たのを山門のところに設置したとのこと。現在のご住職が来られたときには既に山門にあったらしい。ちなみに現在の山門は新しい山門である。
雨が降る前にお寺を後にする。合掌。
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空海からのおくりもの&現象学研究会
- 2011-05-08 (日)
- 研究
6日。
久しぶりに現象学研究会に出席できる。
その前に、印刷博物館による。
企画展「空海からのおくりもの 高野山の書庫の扉をひらく」を見る。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/110423/index.html
知らないことだらけで、とても面白かった。恥ずかしながら印刷博物館にも初めて行ったが、あんなにいろいろ展示してあるとは知らなかった。今度またゆっくり行ってみたい。
図録も素晴らしい。
表紙は高野版の版木、綴じは粘葉裝をイメージしてあるそうだ。いいですねえ~
http://www.printing-museum.org/blog/?p=3626
その後現象学研究会へ。
会場近くのコンビニでお茶を買っていたら竹田師匠が入ってきた。
中森くん、傘もってる?
もってますよ~
入れてって。
という訳で、師匠と仲良く相合傘で会場へ。
今日はフッサール『イデーンⅡ-2』の最終回。
相変わらずハードな文章だった。
しかしこれでもかこれでもかとこだわるフッサールがなぜか愛おしくなった。
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あなたのやってることに意味があるの?
- 2011-05-07 (土)
- 研究
少し年上の友人からメールがきた。この前「国語と国文学」に書いた論文の感想を頂いたのである。簡単なお褒めの言葉の後に、次のような意味の言葉が添えてあった。
自分はこれまでやってきた研究に意味がないのではないか、ではなぜ意味がないのか? と疑いながら研究を続けている。だから自分の研究対象、あるいは文学研究そのものに意味があると信じきっておられる多くの方から嫌われます。
だから私は彼が信頼できるのである。
文学研究の表現の出発は個人的意味である。まずそこで自問自答がある。文学研究の「思考」の強度は、ほとんどそこでの思考の深さと相関している。
表現するとは、その個人的な意味が、他の人にとっても意味があるかどうかを問うということである。つまり、固有の意味に何とかして普遍性を持たせようとする試みなのである。だからいつでも、意味があるかどうかは、「意味があった」という形で事後的にしか判定できない。
私はそう考えているのだが、ついつい雑事にかまけて怠けてしまうのである。そしてときたま、「俺は何やってたんだ~」とショックをうけるのであるが、彼のメールは、
あなた、それを忘れてないでしょうね?
という確認の声だったのである。
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初対面の方との打ち合わせ
- 2010-12-20 (月)
- 研究
20日。
大阪は梅田で、研究打ち合わせ。
初対面で、研究分野が全く違う方だが、とても盛り上がった。
実は何回かメールでやりとりするうちに、既にだいぶ「なかよし」になっていたのである。会ったこともなく、研究分野も全く違っている方とメールだけで「なかよし」になった経験はこれが初めてだったので、ちょっと不思議な感じがしたが、後から考えると、なるほど、自分が普段言っているコミュニケションの極意というのはこういうものなのか、と改めて実感した。これは相手に恵まれないとなかなかできない。
研究分野もアプローチも全く違うが、目指すところはかなり近いと思う。
友野伸一郎『対決!大学の教育力』(朝日新書)では教養を「自分の専門以外の人と協働できる、つまり「他者とコラボレーションする能力」と規定している(25頁)。これは内田樹『街場の教育論』(ミシマ社)を踏まえたものだが、私はそれを「人間力」と呼んでいる。普段エラソーに「人間力」「人間力」と言っている私自身に、どのくらい「人間力」があるのかが、今後暴露されてしまうだろう(汗)。
でもそんなことはどうでもいいのである。それより、どんなコラボレーションになるかとても楽しみだ。
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第7回身体開発研究会
- 2010-12-19 (日)
- 研究
19日。
第7回身体開発研究会。
今回は、小山田良治さん「右と左」。
九州、群馬、富山などといった遠方からの参加者も多かった。
それに値する話であった。
会の様子と懇親会のようすは →こちら
研究会前のネギ焼きのようすは →こちら
ネギ焼きの後みんなでミスドへ。そこで私にとって大変重大なことが起こりました。そのようすは……、また今度。
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日本語コミュニケション2とその名は蔦屋重三郎
- 2010-12-15 (水)
- 研究
15日。
「日本語コミュニケーション」P全体会議2日め。
朝から各メンバーの発表とディスカッション。みなさん、とても真摯に取り組んでおられ、お互いにいい刺激をうけた。ディスカッションも盛り上がった。
私たちの取り組みは、研究発表やHPで紹介している。しかし、それは実践内容をアピールしたいからではない。もちろん発表もアピールもせず、真摯に日々の教育実践に取り組んでおられる方が多いことも知っている。むしろその中にこそ生きた教育実践があると考えている。しかしそれでも、そのような実践をされている方が、年に1回か2回集まって、率直にディスカッションすることの楽しさもまた真実なのである。だって、すごく元気がでるもん。
人間、一人でできることなんてたかが知れている。学生に本当に向き合い、本当に自分自身に限界を感じた時、同じ志をもって真摯な取り組みをしている人の存在が、とても勇気を与えてくれるのである。
ということで、昼食後、メンバーはそれぞれの現場に戻っていった。
私はサントリー美術館「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展によって帰る。こちらは大盛況だった。
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歌麿と日本語コミュニケション
- 2010-12-14 (火)
- 研究
14日。
小山高専に行く前に栃木文化会館へ。今日から栃木市所蔵の歌麿の肉筆画が一週間限定で、一般公開されているのである。
栃木市のHPによると、
「鍾馗図」は紙本墨画で縦81cm、横27・5cm。
「三福神の相撲図」は紙本墨画淡彩で縦82・3cm、横39cm。
栃木市委託で地域資源を発掘調査する市民団体「アートなまちづくり研究会」が今年6月に発見し、両作品は栃木市に寄託後、市が10月に買い取ったものだとういう。幸運にも「日本語コミュニケション」プロジェクトの全体会議と日程が重なったのである。
世界に40点ほどしかない歌麿の肉筆画とあり、それはもう凄い人かと思いきや、そうでもなかった。ゆっくり見られてよかった。いいですね~歌麿。
さすがに初日とあって、地元のテレビ局が取材にきていて、インタビューされてしまった。いやあ、目の前にカメラがあるとなかなかうまくしゃべれません~、って、これから、
「プロジェクトで、予想しない事態やストレスがかかった時にこそパフォーマンスが上がるのがコミュニケション能力(人間力)だ!」って話をする予定なのに……。でもこれでまたいい失敗例ができた、と少し嬉しくなる。
これまた幸運にも「アートなまちづくり研究会」の方ともお話ができた。
さて、歌麿を堪能した後は、いよいよ小山高専へ。
今回はメンバー以外の先生も参加して下さった。
まずは、柴田先生と井上先生の授業を参観。実際に授業を見るのはとても勉強になる。研究発表で聞いている授業だとなおさらだ。その後は、お二人の先生の授業について、自由に意見交換。なるほど、色々な見方があるのだと、ここでも勉強になった。
終了後は懇親会。
いい雰囲気のお店で、小山の名物「おとん」を頂き、本日は終了。
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講演「人間力」
- 2010-12-04 (土)
- 研究
4日。今日は自分の講演。
関東工学教育協会高専部会というところにお招き頂いて、「技術者教育における「人間力」とは何か―高度な技術者養成キャリア教育にむけて―」という演題でお話をしてきた。
私の前の方の講演時間の30分ほど前に到着。のはずが、なんと私が到着したのは別の大学だった……。慌ててほんとうの会場に向かう。3分前に何とか到着。
まず、私が感じている最近の技科大生の特徴についてお話をする。技科大生の8割は高専卒生だから、みなさん、微笑みと頷きをもって聞いて下さる。「学食醤油かけられ事件」「Nくんノートン削除事件」などのエピソードも紹介。
言いたかったのは、高専~技科大生は、真面目で素直でポテンシャルが非常に高いので、他者関係の中で揉まれ、鍛えられ、身体レスポンスがよくなれば、もっとその能力を生かせるということである。順調なときは自分の興味のある専門分野に非常な力を発揮する学生が、予期しない事態に直面したり、ストレスがかかると途端にパフォーマンスが低下するのは、実にもったいない。
だから授業でも、武道部でも、そこを必死に鍛えているのである。武道において、予期せぬ事態に出くわしたとき、心身が固まってしまってはどうしようもない。しかしほんとうは、それは日常のほとんどのことに当てはまる。もちろん仕事もそうだ。
高専生や技科大生が目指している高度な技術者は、今やひとりでものを作ることなどできない。自分のポテンシャルを十全に発揮しようとすれば、必然的に、他者と関わり、他者関係の中でそれを顕現させなければならない。
そのとき求められるのは、コミュニケーション能力であり、主体性であり、積極性であり、行動力であり、その他諸々である。そしてこのような能力は、個別に鍛えるよりも、全部まとめて鍛えた方がいい。だから私はこのような、現実の他者関係の中で自分の能力を発揮する力を「人間力」と呼んで、それを鍛えることを提唱しているのである。
では、どこで、どうやってそれを鍛えるのか?それを私の授業と武道部での指導、そしてプロジェクトメンバーの実践を中心にお話した。
懇親会でもいろいろお話ができてよかった。終了後は明日の予定に備えて、急いで豊橋に戻った。
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物は自然の妙にいたれば……
- 2010-11-26 (金)
- 研究
先日、島津忠夫先生の講演会(「天性の詩人・西山宗因―連歌と俳諧と―」平成22年7月31日 於八代ロイヤルホテル)の資料を見ていると、岡西惟中の『近来俳諧風体抄』の次の箇所が引かれていた。
物は自然の妙にいたれば、感応ある事多し。余にことし正月廿一日より源氏物語講ずべきよし、門下の人々所望ありければ、桐つぼの巻よりよむべき事に成ぬ。余が家月次廿日の発句を、十九日に成て梅翁へこひ申ければ、
初会や殊にすぐれて時めき給ふ
とあそばし給りぬ。是、源氏桐つぼの巻の詞也。奇妙の事也。
島津先生がこれをどう解説されたかは分からないが、このような「感応」を惟中が意識していたと知り、とても嬉しくなった。
物は自然の妙にいたれば、感応ある事多し。
のちに芭蕉が実践し、支考が解説するように、俳諧はこの「自然の妙」に至ることを重視する。もちろん、芭蕉は「造化に帰れ」とはいうが、「感応」については言わない。支考も「道理」とか「虚実自在」とはいうが、「感応」については論じていない。「感応」自体は直接句作と結びつく訳ではないから、当たり前と言えば当たり前である。しかし芭蕉や支考も、この「感応」をしばしば体験していたことは間違いないだろう。
武道の修行を続けていると、この「感応」の感度が上がってくる。単に流れにのっているだけなのに、あらかじめそれが全て用意されているかのように、出来事や物が向こうからやってくるのである。
チクセントミハイのフロー理論によって基礎づけられた「燃える集団」を可能にする「長老型マネジメント」を提唱している天外司朗がよく口にする「共時性」も、これとほとんど同じである。
「共時性」が感じられたら、即それに乗っていくのが良い結果を生む。(『マネジメント革命』61頁)
当然惟中もそうした。
やがて脇に、
七十以上の梅の下風
とつかうまつり、廿日の会めでたくミちぬ。
もちろん「感応」は結果であって目的ではない。「感応」を求めるとろくな事はないだろう。惟中も、「自然の妙にいたれば」結果として「感応ある事」が多くなると言っている。
私は武道を研究・修行しながら、俳諧を研究し、哲学・思想を勉強している。さらに「人間力」と「コミュニケーション」を研究・教育しながら、それと関連したマネジメントも勉強している。この一見何の関係もないものは、私の中では、この「妙」と「感応」という点で繋がっているのかもしれない。惟中は「自然の妙」と言っているが、それが自分自身の問題であることは、惟中もよく分かっていたはずだ。そして私は西田耕三『近世の僧と文学』(ぺりかん社)の副題を思い出す。妙幢浄慧の言葉。
妙は唯その人に存す
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岐阜2
- 2010-11-16 (火)
- 研究
16日。岐阜二日め。
朝から岐阜県図書館。『十論記文秘説』『俳諧十論発蒙』の調査である。前にも見せていただいたが、今回また拝見できた。
岐阜県図書館は前の場所にあったころからお世話になっているが、私の大好きな図書館である。係の人はとても親切だし、建物も素晴らしい。郷土資料をコピー製本して開架図書として誰でも気軽に見られるようにしてあるのも、とてもいいことだと思う。
初めて岐阜県図書館に行ったとき、「獅子吼」を創刊号から順に全部だしてもらい、1号ずつページを繰っていったのを思い出す。まだ何も分からず、それらしいページを片っ端からコピーしていった。
終了後、美濃派再和派の水上道場へ。ここも昨日書いた方に連れていってもらった。その時は何も分からず、ふーんこんなところがあるんだ、くらいだったが、それでも心のどこかにずっとひっかかっており、もう一度行きたいと思っていた。やはり今来ると感じ方がまったく違っている。私もそれなりに成長したのかな。
その後、岐阜市歴史博物館。「洛中洛外図に描かれた世界」を見る。抹茶をいただいて帰る。
自分の研究のルーツをたどったような2日間だった。
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