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研究 アーカイブ
講座:橋爪大三郎氏「石田梅岩と勤勉な日本人」
今日の授業は、日本語コミュニケーションと日本文化論。
日本文化論が終わってすぐ、東京工業大学世界文明センターの講座、橋爪大三郎さんの「石田梅岩と勤勉な日本人」に向かう。
何とか間に合う。
橋爪さんが、石田梅岩をどう解説されるのか。日本思想にどういう展望をもっておられるのか。日本人はいつから、なぜ勤勉になったと橋爪さんは見ておられるのか等々にとても興味があった。
タイトルとは少し違って、お話は、鈴木正三、石田梅岩、上杉鷹山、松下幸之助の4人のひとと思想の解説だった。橋爪さんらしい切り口で、コンパクトにまとまっており、見通しのいいお話だった。いつも思うことだが、キーワードの言い換えが絶妙である。まったく違う次元から言い換えてくれるので実に分かりやすい。竹田師匠とは質が全く違う分かりやすさである。そして個々の解説が必ず本質と結びつくように解説される。話の進め方や間の取り方も勉強になった。
個々のお話はとても面白く勉強になったが、一番聞きたかったことは今回はお預けとなった。そのうち本格的に切り込んでくれるのを楽しみに待ちたい。
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猛暑の岐阜
今日は岐阜。
猛暑。
汗だく…。
猛暑。
詳しくは書けないが、恩人への御恩返しのつもりの作業が一段落。果たしてこれで私が受けたご恩の1%でもお返しできたのかと自責の念に駆られるが、与えらえた条件の中で、精一杯やったと自分を慰めもする。いずれにせよ一段落した。
それにしても暑かった。
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懇親会
6日。これで終わりです。
懇親会。
乾杯~!
北京ダックです
太極スープ???
gahahaとyamahaに囲まれて
最後に集合写真
しかし、熱い議論はまだまだ続きます。
私たちはいつまででも喋ります。
理想を追い求めて。
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徹底討論!! 「理想のコミュニケーション教育とは何か」
まだ6日の続き。
午後からは 徹底討論!! 「理想のコミュニケーション教育とは何か」。
午後の仕切り(ファシリテーターというのだそうです)は、沼津高専の大石加奈子先生。
真面目な議論あり。
その中に笑いあり。
コミュニケーションについての討論でこの笑顔!!
さすがファシリテーター
2時間の徹底討論、あっと言う間に終了。
この後は懇親会へ。
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シンポジウム「技術者の話はなぜ通じないのか」第二部
6日。続き。
シンポジウム「技術者の話はなぜ通じないのか」第二部。
第二部は学生ぬきでディスカッション。
第二部も約90分間、濃いディスカッションが繰り広げられました。
その後は、学生を交えての昼食会。
それぞれのテーブルで、いろいろな話で盛り上がっていました。
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シンポジウム「技術者の話はなぜ通じないのか」第一部
6日。
今日は日本語コミュニケーションデー。
「技術者のための日本語コミュニケーション教育研究会」キックオフシンポジウム・ 高専連携教育研究プロジェクト「日本語コミュニケーション能力」養成プロジェクト事業
(1)-1シンポジウム 「技術者の話はなぜ通じないのか?」第一部
(1)-2シンポジウム 「技術者の話はなぜ通じないのか?」第二部(2) 昼食会(12:10~13:00 ひばりラウンジ)
(3) 徹底討論!! 「理想のコミュニケーション教育とは何か」
パネラーとしてヤマハ株式会社から堀池彰夫氏、Z会(国語力研究所)から堀池香苗氏をお迎えし、高専からも日本語コミュニケーション養成プロジェクトメンバーが集結した。また、武道部卒業生も数名、在学生120名程が参加した。
たくさん集まって下さいました
みなさん熱心に聞いて下さっています
こちらの方々も
パネラーの堀池彰夫氏
パネラーの堀池香苗氏
司会の井上次夫氏
パネラーのわたくし
はげしい議論の応酬
盛り上がってきました
会場が笑顔に包まれて
会場が一体となって
思わず立ち上がるパネラーたち
なんだかんだいって、私が一番楽しそう!
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沼津高専へ
昨日、「明日からアウェー戦である」と書いたけれども、今日はホーム戦だった。
沼津高専に行く。
大石加奈子先生の授業を参観し、その後、いろいろとお話した。
ずばり、
先生は、高専生がどうなってほしいと思ってコミュニケーション教育をされているのですか?
という私の質問に、
私は毎日毎日それを考え続けています。
と前置きされた上で答えられた。
7月6日のシンポジウム、午後の徹底討論にも来て頂く予定である。
(シンポジウムについては近々にこのブログでもお知らせします)
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Z会へ
そびえ立つビル。
こっ、この存在感は…。
Z会!
最近はZ-KAI。
Z会といえば、私が学生時代の憧れの存在。難易度も超高い上、ぐーたらな私にはとてもあのペースにはついていけなかった、スーパー通信添削である。その私がまさかZ会のビルに足を踏み入れるとは。
何しにきた。
と言われず、入れて頂いた。
実は、今日はここにお招き頂いて、お話をしに来たのである。題して「理系学生のコミュニケーション能力の問題点」。
話を聞いて下さったのは、国語担当の方を中心とした方々だったそうだ。普段学生たちには、「理解できない」「言っていることがおかしい」「むかつく」などと反発されているような内容が、ここではごく当たり前のこととして受け入れられる。むしろ当たり前過ぎて新鮮味がなかったかも知れない。一体これから私は、誰に向かって、どう話せばいいの?とちょっと考えてしまった。まあ、ここはホーム、普段はアウェーといったところだろう。
それはそれとして、その後の食事会も含めて、いろいろとお話ができた。ほとんど私の感覚と共通していてとても楽しかった。裏方の苦労話も聞かせて頂いたし、担当の方がとてもよく考えを練っておられることもよく分かった。
さて、明日からまたアウェー戦である。
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工学的配偶者の選び方
工学的方法は、ある限られた領域、対象については有効であるが、現実にはそうではない領域もたくさんあるのであり、すべて工学的発想と工学的手法で考えることはできない。これは、工学を否定しているのではなく、どのような場合にそれが有効で、どのような場合に有効ではないかをきちんと知っておくことが大切である。例えば「工学的に恋愛する人なんていないでしょ?」と言ったら、学生さんから、「こんなサイトがありました」という感想が寄せられた。
新井民夫先生のサイトに掲載されている「配偶者の選び方」と一緒に掲載されている。
実は最初に「工学的に結婚相手選ぶ人いないでしょ?」と言ったのであるが、いるかも…、と不安になり、「工学的に人を好きになる人いないでしょ?」と修正したのであった。このサイトも「配偶者の選び方」であるが、なかなか洒落の効いた発想で、面白く読ませて頂いた。
もちろんちゃんと最後に、
この方法で配偶者を選べるなら、こんな簡単な事はない。実際には人間の関係はずっと複雑なことはいうまでもない。
と断っておられるが、こうも付け加えられている。
しかし、工学部に在籍する諸君にとって、一度は考えても良いテーマではないのだろうか。工学とは「与えられた条件の中で、最適な方法を求める体系」であるのだから。
工学的に配偶者を選ぶかどうかは別にして、工学は数値化、定量評価できるものを対象にしている。例えば「快適」ということを考えるときも、人間を「快適」にするパラメーターを考え、それぞれの最適値を考える。「快適な部屋」とは、「快適な温度」「快適な湿度」「快適な広さ」「快適な空気の流れ」などといった諸々の条件を満たす部屋である、というように。しかしそれぞれのパラメーターの最適値の総和が、必ずしも「快適な部屋」になるとは限らないというのが現実である。しかしそんなことを言い出すとどうしようもないので、それぞれのパラメーターのKING値の総和がKING of KINGS であると考える事にしているに過ぎないのである。
だが実際に、優れた工学者は、ほんとうはこんなことは誰もやっていないと私は信じている。逆なはずだ。先にものができて、それを一応納得させるために定量評価しているに過ぎないはずだ。
「快適な部屋」を定量評価し、いくつかのパラメーターとそのKING値は分析できるかも知れない。しかし逆にそれを寄せ集めても、決してもとのような「快適な部屋」を作り出すことは出来ないのである。なぜなら、すべてをパラメーター化することはできないからである。
しかしほんとうは、快適かどうかなんて、分析せずとも誰でも分かる。感覚的に分かるのである。分析はあくまで、事後的に行われる結果であり、原因にはなりえない。そのことを否定して、ものづくりはあり得ないと思う。
つまり、自分の恋人や配偶者が誰であるかは、誰でも直観的に分かるのである。もちろん錯覚もあるし、失敗もある。つまり別れることもいくらでもある。しかしそのときは、自分の感覚の未熟さを嘆いて、自分の直観と感覚を磨く努力をせよ。つまり人間に成長する努力をすべし。自分の人間としての全存在をかけて直観と感覚で配偶者を選ぶ。これが「文学的配偶者の選び方」である。
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文学だけでは誤る
加藤典洋さんと橋爪大三郎さんの吉本隆明さんの追悼文を読む。
さすが、それぞれの個性が出ていて面白い。
前に読んだ竹田青嗣師匠は、吉本さんの核心を、加藤典洋さんは吉本さんの独自性を、橋爪大三郎さんは吉本さんの全体像を見事に描いている。
興味深かったのは、加藤さんが引かれた吉本さんの次の言葉である。
加藤さん、あなたは文学青年だったでしょう。そうでしょう? 私もそうだったんですよ。でも、文学青年だけではダメだ、誤る、と戦争で心の底からわかったんです、それが私の出発点なんです。(『新潮』2012年5月号235頁)
この言葉への返答のつもりで加藤さんが『戦後的思考』を書かれたというのにも驚いたが、この吉本さんの「青年だけではダメだ、誤る」というのをとても印象深く思いながら、橋爪大三郎さん・瀬尾育生さん・水無田気流さんの対談「羊は反対側に走っていく」(『現代詩手帖』2012年5月号)を読むと、そこでもやはり瀬尾さんが、
九〇年代初めの湾岸戦争のころ、吉本さんは「文学だけでは誤る」と繰り返し言われたんですが、(88頁)
と語っておられた。
なるほど。確かにその通りかも知れない。
文学はなくてはならないけれども、文学だけではダメだ……。
もう一つ加藤さんが毎日新聞(2012年3月19日夕刊)に書かれた「『誤り』『遅れ』から戦後思想築く」で述べられていたことが印象的だった。
転向論では、当時誰も頭の上がらなかった戦時中抵抗を貫いた非転向の共産党指導者たちをさして、「非転向であることなどにどんな思想的な意味もない」と全否定した。……これは当時、驚天動地の主張で、周囲はみな、腰を抜かした。
吉本さんの徹底ぶりがよく示されている。
ところで、最近、「ブレる」「ブレない」ということをよく耳にする。私はブレません、ということを自慢する人もいる。しかしブレないこと自体にはどんな思想的な意味もない、とちょっと吉本を気取って言ってみたくなった。
軽くてすみません。
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