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之を如何せん、之を如何せん

最近また小林秀雄の講演を繰り返し聞いている。その中で『論語』の次の一節に触れている。

子曰わく、之れを如何、之れを如何と曰わざる者は、吾れ之れを如何ともする未(な)きのみ。(『論語 中』210頁 中国古典選4 朝日新聞社より)。

引用の出典は「徂徠は「如之何、如之何」とは、自ずから反省するのをいうのではなく、どうでしょうか、どうしましょうか、と孔子に問いかける言葉であるとするが、そう限定する必要はあるまい」(210頁)と解説するが、小林は自問自答の重要さを説いている中でこの一節を引用している。しかしそんなことはどうでもいいことである。

自問自答せず師匠に質問ばかりするなどということはあり得ないからである。もしそんな弟子がいたら、そのような弟子こそ「吾れ之れを如何ともする未(な)きのみ」である。

静かに自分に問いかけるのも自問自答。
ああでもない、こうでもない、ともがき苦しむ。これも自問自答。

西岡常一棟梁もこの自問自答の重要性を説いておられる。

学びの基本は自問自答である。

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まぐれ

一昨日の天橋立のカモメたちの写真について、ある方にアドバイスを求めたら、

ええよ、なかなか。まあマグレだと思いますが。そのマグレが重なって実力になる。

というお言葉をいただいた。

確かにそうだ。
何かが出来るようになるためには、ある一線を超えなければならない。逆上がりでも、自転車乗りでも武道の技でも。もうちょっとのとこまではいくがなかなかその紙一重が超えられない。そういう経験を重ねているうちに、あるときマグレで超えてしまうことがある。なぜか超えてしまった、という瞬間があるのである。理由は分からないし、もう一度やれと言われてもできない。自分ではどうやったのか分からない。しかし確かにできた。

そういう経験がある。マグレでもなんでも、一回超えてしまえば勝ちである。身体が覚えているからだ。二度目のマグレはそう遠くない未来にやってくる。

ということは、大切なのは、ある一線を超えるコツを知ることよりも、いつマグレが起こってもおかしくないぎりぎりのところまでいく努力を続けて、マグレを待つことである。そうすればマグレは向こうからやってくるのである。

もっとも私の写真は、そういう努力の末のマグレではなく、ほんとうの単なるマグレに過ぎないのだけれど。でも、それでもそういうマグレを重ねてゆけば実力になってゆくはずである。

これからもバシバシ撮影することとしよう。

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頑張った私を褒めてね……

結果よりも、頑張ることが大切である。

どうもそういう価値観が蔓延しているような気がする。
事実、小学校や中学校、高校、高専でそう言われてきたという学生もいる。

適当にやった80点より、一所懸命頑張った60点の方がエライ、という訳である。
なるほど一理ある。しかし現実には、この「理」をとらず、多くの場合、

頑張ったこと自体に意味がある。

となってしまっているように思えて仕方がない。さらにそれは、「頑張った私を認めて症候群」となる。「結果が悪かったけど、私は頑張った。その私の頑張りを認めてほしい」と。

それが、「私の頑張りを認めないのは不当だ」という自己主張となる場合はまだましであるが、自分の頑張りが十分に認められていないと感じたとき、つまりは褒めてもらえないと、多くの場合は黙って傷つく。あるいは不安になる。拗ねることもある。そしてそこに何かしらの理屈を付加して変な自己主張をするようになるのである。こうなるとやっかいである。そういう心の構えは、自分を不幸にするだけだからである。なぜならそれが変な理屈であることは、当の本人がほんとうはよく分かっているからである。

少なくとも、私が関わっている武道ともの作りにおいてはそれでは困る。

武道の最終目的は、生き延びることである。
その意味では、頑張っても頑張らなくても、生き延びられれば、どちらでもいいのだ。そして、実はいわゆる「頑張り」は、私たちの心身のパフォーマンスを逆に低下させてしまうことを武道の先人たちはよく分かっていた。だから武道においては、「頑張って」はいけない。いわゆる「頑張る」ことをせず、心身のパフォーマンスを最大化した方が、結果的に生き延びる確率が上がるからである。

稽古においても、頑張りはときとして我流に走ることとなる。きちんとした指導をうけることなく、間違った稽古をがむしゃらに頑張ったら、ろくなことにはならない。間違った方向にどんどん進んで行くくらいなら、何もしない方がましである。

もちろん武道の稽古において、「頑張った私を認めて症候群」になったら大変困ったことになることは言うまでもない。武道の技において大切なのは、出来ているか出来ていないか、つまりは結果だけだからである。

もの作りも同様である。

この家は雨漏りがするけれども、一所懸命作ったのでそれを認めて買って下さい。

とか、

このテレビは音がでないけれども、一所懸命作ったのでそれを認めて買って下さい。

と言っても、誰も買ってはくれない。

100点満点のものしか製品として出せない。プログラムなどでは後でバクが見つかることもよくあるが、しかしあらかじめバグがあることが分かっていて売り出す製品はないはずである。

誤解のないように言うと、私はもの作りにおいて、それを作った人の魂、といって悪ければ「人間力」が重要であると信じている。魂の込められたもの、人間が浮き彫りにされているものを私は愛する。しかしそれは、「頑張った私を認めて症候群」とは無縁の精神である。

私は現代において、武道を学ぶ意味の一つがここにあると考えている。武道の価値観は、現代の風潮とは逆行するものがたくさんある。しかしだからこそそこに光明があると考えるのである。

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講演会・塚本昌彦氏「ウェアラブル・ユビキタスコンピューティングによってかわる未来のくらし~新しいくらしのスタイルを作り出せ~」

学内講演会を聴講。

講 師: 塚本 昌彦 氏(神戸大学教授)
日 時: 平成24年3月9日(金) 13:00~14:30
場 所: A2-201
対 象: 本学の学生および教職員
題 目: 「ウェアラブル・ユビキタスコンピューティング
    によってかわる未来のくらし~新しいくらしのス
    タイルを作り出せ~」

「暮らしの未来予想25」は同意できるものとそうでないものがあったが、塚本先生自身が非常に個性的な方で、とても面白かった。身体性の重要性を説かれていた点も共感できた。何よりご自身がとても楽しんでおられるのがよくわかった。こういう研究室からどんどん素敵なものが生まれてほしい。きっとそうなんだと思う。

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鷹は鏡

鷹は鏡なのだという。

鷹は使う人のこころによって、神の化身にも悪魔の手先にもなるという。(大塚紀子『鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術』白水社197頁)

鷹には鷹匠の心が映し出される。鷹を育てるのと人を育てるのとは、全く同じである。鷹を見れば鷹匠が分かる。お弟子さんを見れば師匠が分かる。

ほんとうに恐ろしい話である。

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羽合:人鷹一体

鷹狩り用語に「羽合」(あはせ)というのがある。

「羽合」は日本の鷹匠の独特な猟法の一つで、鷹に加速をつけてやるために、拳から鷹を獲物に向かって投げるように押し出すことをいう。(大塚紀子『鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術』白水社162頁)

昨日私もこれをやらせて頂いたが、かなり難しい。

鷹と鷹匠が呼吸を合わせて、これをうまく成功させたときの技の境地を「人鷹一体」といい、これが、鷹匠が追求する究極の感覚である。(略)カモ猟などで鷹匠が十分に寄せたのち、絶妙の頃合いで羽合が成功したとき、それはまるで自分の拳が伸びたかのように感じられ、鷹の動きが線を描くかのように明確に見えて一瞬で捕らえることができる場合がある。この時の感覚は「羽合拳」といわれる。(同163頁)

鷹を据えているとき、左手の力みをとらないといけない。それは分かる。じっと立っているときは、なんとなく出来た気になった(たぶん錯覚だろうけど)。しかし羽合せようと体を動かし、手を動かした瞬間、手に力が入ってしまった。そしてその瞬間、鷹(の心)が私から離れるのがはっきり分かった。その後鷹は力なく飛んでいった。武道をやっているのに情けない話であるが、私にはとても難しかった。が、とても面白かった。

大塚さんの著書には名人と言われた鷹匠の羽合の写真が掲載されているが、その力みのなさは見事である。

もう1回やったらもう少しうまく出来る気がする。もちろん気がするだけである。でも何事もそうやって上達してゆくのだろう。もう1回、もう1回、といって。

今度やったら、前よりは少し上手くできるような気がする。

そういう希望が、修行を継続させてくれる。
だからまたチャレンジしたい。

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さりげなく離れるという配慮

学生と一つのモニターを見ながら作業をすることがたまにある。
そのとき、パスワードの入力が必要なときがたまにある。
また、テンキーロックのかかった資料室に一緒に入ることがある。
そのとき、やはりパスワードの入力が必要である。

私がパスワードを入力するとき、さりげなく離れる学生がほとんどである。
しかしたまにそのまま私のすぐ側にいる学生もいる。パスワードを見ているのか見ていないのか分からないが、側にいる。私個人のパスワードはともかく、資料室のテンキーは私個人の部屋ではないので、さすがに学生に見られたら困る。だから、

見るんじゃない!

と注意しなければならない。しかし、そう言うとおそらく、

見てませんよ~

と言うだろう。おそらくほんとうに見ていないのだと思う。しかし、教員共同の資料室を開ける以上、見てるか見ていないか分からない場合は、「見るな」と注意せざるを得ない。

さりげなく離れる学生は、そのあたりの配慮をしてくれているのである。そしてそのような配慮ができる学生がほとんどである。

しかしごく稀に、そうでない学生がおり、そしてごくごく稀に、凝視する学生がいる。別に知ったからといって何をする訳でもないのだが、隠されたものは見たくなるのである。それは分かる。しかしそれではあまりにも幼すぎる。もう大学生なのだから、さりげない大人の振るまいを期待したいものである。そのようなことまで注意しなければならないなんて、あまりにも悲し過ぎるというものである。

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さすが技科大生

この前、ある方と話していて、VOCALOID(ボーカロイド)の話になった。恥ずかしながら私は知らなかった。

ボーカロイドってご存じですか?
いえ、知りません。
初音ミクは?
聞いたことあります。
それに使っている技術です。

へぇ~。ということで少しお話を伺った。

今日の日本語法の授業で、「初音ミクって知ってる? 知ってる人、手挙げて」と言ったら、全員手を挙げた。
さすが技科大生である。

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私はこういう苦労をしてきました……

「人間力」「日本語コミュニケーション能力」打ち合わせに浜松へ。

ある技術者の方にお話を聞く。
3時間半ほど様々なお話をした。
中でも、その方の実際に歩んでこられら人生のお話にとても興味を惹かれた。

こういうことが分かったのは、就職してからです。
こういうことが分かったのは、つい最近です。

と明るくおしゃっておられたが、それまでには様々なご苦労をされたようだ。
若い頃、上司に、

○○くんの言っていることは全然分からんな。

と言われてショックだったことや、自分がいかに頭が固かったかを思い知らされた出来事などなど。

技術者という人間として、自分に何が足りなくて、どういうことがきっかけで、今、何が分かったか。そこから見える技術者に必要なものとは何か。

お話を伺っていて、この方がご苦労されてきたことは、卒業して数年の多くの卒業生が直面していることなのではないかと思った。武道部の卒業生を思い出すと、まさしく同じだからである。

私はこういう苦労をしてきました……
そしてこういうきっかけで、こういうことが分かりました……
今、こういうことが大切だと思っています。

私はそれを、学生に直接語って下さるようにお願いした。

こんな話が面白いんですか?

と、半ば不思議そうに言われた。
私は逆に、若い人がこれほど聞きたい話はないはずだ、と確信できた。

同じような困難に多くの技術者の卵が直面しているはずである。それを克服できるか、できないか。克服できた人は、できなかった人と何が違っていたのか。
武道部の卒業生には、まさしくその分水嶺にいる者もいる。
来年度には、すこし味付けをした企画として実現したい。

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第4回寺子屋

今日は第4回寺小屋。
今回のテーマは『徒然草』。

今回も、熊本や東京やその他各地からメンバーが集まってくれた。
予想以上にみんなしっかり読んでくれていて、とても充実した議論が展開された。


開始前。


ちょっと緊張気味??


精神統一??


真剣に読んでます。


びっくり??


兄弟??


こっちも真剣です。


まろ


何か書いてます。


少し微笑んでる??


1人楽しそうな幹事さん


寝坊したけど間に合った男


最後に恒例の集合写真。

今回もあっという間に時間が過ぎました。
工学部の学生、卒業生が真剣に『徒然草』を読み、ディスカッションしている姿はとても美しく、素晴らしかった。

彼(女)らの人生が豊かになること間違いなしである。

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