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覚えてどないすんねん!
武道部員が、少し前から朝稽古をやっている(らしい)。らしい、というのは、聞いているだけで、見たことがないからである。誰が参加しているかも知らない。
ただ、初日に張り切って来たものの、その後来なかったり、来たり来なかったり、いろいろな部員がいると聞いている。
冷蔵庫設置の手伝いに来てくれたXくんと朝稽古の話になった。
Xくんは、毎日行ってるの?
いや、僕は風邪がまだ治ってないので。
しかしXくんは、朝稽古の言い出しっぺの1人のはず。そこで、
風邪ひいたって、まだ始まって一週間しかたってへんやん。
はい。
マエチンは高校時代、必ず6時15分に行ってたんだぞ。1日も休まず。雨が降ろうが風が吹こうが。
とまで言ったとき、
試験の前だろうが
とXくんが続けた。
驚いて顔を見ると、実に得意そうに微笑んでいる。
覚えてどないすんねん!
マエチンのこのエピソードも前にブログで紹介した(同じことを繰り返す)。
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マエチンの中高生時代の林先生のお話。
朝7時から朝練習をやっているんだけど、ヤツは必ず6時15分に来て、あそこの壁に向かってずっとボールを蹴っているんですよ。オレもだいたい同じ時間に来るんだけど、アイツは雨が降ろうが風が吹こうが、試験の前だろうが、必ず6時15分に来て一人でボールを蹴っている。一日も休まず、ずっとね。
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確かにあっている。
しかし当然だが、私はこの文章を武道部員に覚えて欲しいわけではないのである。マエチンの精神(心)から何かを感じてほしいのである。もちろん風邪をおして朝稽古に参加しろと言っている訳ではない。倒れられても困るし。しかしせめて少しは、恥ずかしいなあという気持ちをもってもらいたいのである。
風邪ひいてるんだから休んで当然でしょう!
という顔で、「行ってません」と言った後すぐに同じ顔で、「試験の前だろうが」と得意げに言われても……ね。
頭で理解してしまうことの恐ろしさを改めて感じた。西岡棟梁が、小川さんが入門したとき、新聞もラジオもテレビも見るなと言われたというが、私も余計なことを言いすぎているのだと強く反省した。
もう、そういうことを部員に話すのはやめよう、と強く心に決めた次第である。
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なんか違和感が……
- 2012-01-28 (土)
- essay
この前、中学生が学校の話をしているのを耳にした。
先生のことを話題にするとき、呼び捨ての先生、あだ名の先生、きちんと「先生」を付けている先生がいた。生徒によっても違う。ちょっと興味深かったので聞いてみた。
「先生」をつける先生とか、呼び捨ての先生とか、使い分けてるの?
はい。いつもそう呼んでいます。
その使い分けはどういう基準なの?
なんとなくみんなそう呼んでいます。○○先生に関しては、みんなはあだ名で呼んでいますが、私はなんか違和感があり、「先生」を付けて呼んでいます。
なるほど。生徒たちは、その先生をきちんと見て呼び分けているのである。
生徒にとって「先生」としての存在感を持ち得た者のみが、先生と呼んでもらえる。なんと健全で公平なことか。
自分のことを振り返ってみると、高校までは呼び捨てにする先生がいたが、大学生になってからは、先生のことを呼び捨てにしたことがない。実はそのことを学生時代に気づいて不思議に思ったのであるが、それでも呼び捨てにする気にはならなかった。
自分が大人になったからというのもあるかも知れないが、やはり相応の存在感を皆持たれていたのだろう。
自分がそのような存在感を持ち得ているか、甚だ心許ない次第である。
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二つの講演会
今日は学内講演会の目白押し。
そのうちの二つに出席。
1つめは、技術者教育プロジェクトキャリア講演会
講師:栗生 明氏(建築家、千葉大学教授)
演題:水環境と建築
映画の話など、興味深い話題が多かった。
また、「建築は多くの人との協同作業である」「建築は身体感覚とダイレクトに結びつく」「近代都市は水を否定してきたのではないか」「非日常性を楽しむ空間が都市の中にもあっていいのではないか」「自然と建築はどうあるべきかは大きなテーマ」などなど印象的な言葉も多かった。
さらに、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にまつわるエピソード、遺族の方の言葉「私たちは建築はいらなぃただ静かに祈る場所がほしい」というご遺族の言葉を真摯に受け止められたという話に感銘をうけた。
ただ私としてはちょっと違和感があることもあった。その当たりはぜひ学生にどう感じたかを聞いてみたいと思う。
2つめは、実務者を招いての構造エンジニアキャリア講演会「第6回構造工学セミナーin豊橋」
講師:田村達一氏(株式会社 大林組 技術本部企画推進室副部長)
講演題目:「東京スカイツリーの施工技術」
実は私はスカイツリーの建設自体には最初から反対だった。それは、あんな高いものを立てるのは傲慢に過ぎる、人間は分を弁えないといけないと直感的に感じたからである。ただそれだけだ。
それはそれとして、施工技術の話はとても面白かった。さすが日本の技術力は素晴らしい。そして技術者の心も素晴らしい、と感じた。
未知の工事を請け負うのに、何が何でも納期と費用を守るというのがプライドだと言われた。そしてそれができたのは創立120周年の技術と心をもつ大林組だからだ、と。自分の会社と技術と心に誇りを持っておられるのである。素晴らしいと思う。
今回の工事では、「全てのことを想定内へ」という心構えでやったと言われた。やりすぎるくらいに安全対策もやった。東日本大震災のときも、全く損傷がなかった。そしてとにかく人と物が下に落ちないように気をつけた。
もう一つ印象深かったのは、思ったより手作業が多かったことだ。あれほど手作業が多いとは想像していなかった。
そして、現場の人達の生き生きとした表情。最後の記念撮影なども、みなさんとてもいい表情をされていた。
構造のことなど何も分からない素人が聞いても、とても面白い講演だった。
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グローバリゼーションと現場の力
「グローバルでイノベーティブ」な技術者で紹介した記事に次のような箇所がある。
————-
フミオ、とにかく彼らと働くのは効率が悪い。指示は曖昧。優先順位は付いていない。後先考えない頻繁な指示の変更に説明はない。社内だけに留まればまだ良いが、外で取引先や得意先からも同様の問題を指摘されるのは、競争が激しい中では死活問題だよ。
————-
アメリカにある現地法人のトップ(日本人)を批判したものである。
後半はともかく、前半の、「指示が曖昧」「頻繁な指示の変更(に説明がない)」という点が興味深かった。この方の具体的なケースはおいておいて、これを一般論として考えるととても面白いのである。
おそらく日本人トップの「曖昧で頻繁に変更される指示」は、昨日今日に始まったことではない。ずっと前からそうだったはずである。
ということは、日本が景気がよくて日本企業が強かった時代からそうだったのである。つまり、「曖昧で頻繁に変更される指示」ばかりであっても、日本企業は大丈夫だったということだ。そして、この「曖昧で頻繁に変更される指示」が原因で日本企業が弱くなったり、日本の景気が悪くなった訳ではないということである。
なぜトップの指示が「曖昧で頻繁に変更される指示」であっても日本企業がうまくいっていたかというと、現場の人たちの能力が極めて高かったからである。曖昧な指示であろうが、急に変更された指示であろうが、即座に完璧に対応できる能力が多くの日本人にあったのである。それが日本の教育の賜物だった。もちろん愚痴や上司の悪口は言っただろうが、それだけである。言われてる上司の方も、若いとき同じようにしてやってきたのだから、それでいいのである。
「曖昧で頻繁に変更される指示」が原因で、会社全体が悪い方向に向かうのは、現場の底力が弱い場合である。現場の力が弱い場合は、明確で細かい指示がなければどうにもならない。現場の一番下の立場の人が、臨機応変に的確な判断と行動ができない(やらせない)ことを前提に、トップが具体的で明確な指示を出す。グローバリゼーションとはそういうことだ。
先日の大学入試センター試験の1日めの朝、たまたま事務の方数人が試験場の点検をされているのを見た。そのとき、大変失礼ながらこの方たちがとても優秀なのに驚いた。何が優秀なのかというと、見る場所が実に的確なのである。例えば施設環境課の方は、入室する際、ドアクローザーをチェックし、入室するなり床、天井、壁等々のチェックをする。天井の空調のフィルタの僅かなズレを見逃さない。別の課の方は、他の場所を見ている。もちろん全体を見ている方もいる。
1日めが終了し、夜にまた点検をされた。
そして2日めの朝、私はまたまた驚いた。廊下のタイルがズレそうなところにきちんとテープが貼ってあったのである。私が1日めの夜そこを通ったのは、点検の後である。そしてそのときはタイルについて全く注意しなかった。ズレていたら気づいただろう。おそらくズレる可能性があった程度だったはずである。担当の事務の方はそれを見逃さなかったのである。しかも点検のときにはテープがなかったのだろう。試験本部が解散された後、彼は1人でそこにやってきてテープを貼ったに違いない。それは受験生が万が一ズレたタイルで滑りでもしたら大変だ、という心遣いであった。
翌朝、これもたまたま、入試課の方がそのテープについて、「○○さん、テープありがとうございました」と言っているのを聞いた。その方も朝点検していて、自分のいなかった夜遅くに何が行われたかに気づいたのである。
さてこの点検、トップからの指示は、「試験場の点検」だけである。チェックリストも何もない。しかし各人が「試験場としてあるべき状態」と「万が一にも起こりうること」を想定してできるだけ手を打っておくのである。その判断は現場の1人1人がやるのである。
そして何よりも大切なのは、もし具体的で明確な指示(チェックリスト)があったら、おそらくあの廊下にテープが貼られることはなかったであろうということなのである。
試験場の点検とグローバル企業の仕事と一体何が違うというのだろうか?
グローバリゼーションというものが、ごく一部の優秀なリーダーの「明確で具体的」な指示通りに現場の人が動くことを求めるのであれば、それは現場の底力など不要であるといっているのと同義である。現場の人は、リーダーの指示をきちんと実行しなさい、ということは、指示されなかったことは実行しなくてもいい、ということだからである。底力とは、まさに不慮の事態に際し、指示されていないことをその場の判断で行える力のことだからである。
底力のある組織のリーダーに必要なのは、高度な専門知識ではなく、「徳」である。そして「徳」のある人は、だいたいにおいて、明確で具体的な指示など出さないものである。ただ問題なのは、「徳」もなければ能力もない人も、明確で具体的な指示を出さないことだ。
それを見分けるのも、徳であり、見識なのである。
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研究室紹介は呼び込みにあらず
兼務している建築・都市システム学系の3年生に対する研究室紹介があった。私も参加。
兼務教員の研究室は学部生は各学年上限1名と決められているし、研究内容から考えても私のところにくる学生はほとんどいないと思われるのであるが、この研究室紹介は、実は「単なる呼び込み」ではないのである。
この研究室紹介は、原則としては、全教員が全学生(3年生)に現在行っている研究内容を説明するというイベントである。この意味するところは、少なくとも、自分にあまり興味のない領域も含めて、建築・都市システム学の一通りの研究の最前線を理解して下さいね、ということなのである。そして学内再編で私たちが兼務教員になったのは、建築・都市システム学を学ぶ学生に、人文社会の価値観や素養を身に付けて欲しいということであった。だから私が参加して、私が大切だと思うことを伝えることには、大きな意味があるのである。
そしてもう一つ重要なのは、各教員のプレゼンテーションを見てね、ということである。
これから研究室に入ってプレゼンをする機会も増える学生に対して、各教員がプレゼンの見本を見せるのである。僅か5分の間に、自分の研究の何をどのように紹介するのか。そのお手本を示す必要がある。教員は大変である。言い訳はできない。しかし高度なテクニックを駆使する必要はない。上手い下手もどうでもいい。ただこういう場面で、逃げたり誤魔化さずに真正面から向き合える人間かどうかを学生さんは見ている。そして自ずと現れれる各教員のプレゼンの個性から、いろいろ学んでくれるのである。
各教員はそういう思いを持っているはずである。
研究室紹介は単なる「呼び込み」にあらず。
そのイベントで学生に伝えたいことは、他にある。
そうしてそれを受け止め、さらには、私たちが意図しなかったことまでをも受け止めてくれる。
そういう場になれば、このイベントは大成功である。
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「人間は間違う」と「機会は壊れる」と畏怖
- 2012-01-11 (水)
- essay
ある方こうおっしゃった。
人間は必ず間違うものだから、その前提に立って、ヒューマンエラーがあっても大丈夫なシステムを設計しなければならない。
そうだろうと思う。しかしその反対も考えなければならない。
機械は必ず壊れるものだから、機械が壊れても大丈夫な人間を育てなければならない。
これは対立でも矛盾でもない。お互いがそれを本気で目指している場所でだけ、かろうじて安全は保たれる可能性があるということである。「本気で」というのは、システムを設計者は人間を、教育者はシステムを十分にリスペクトするという意味である。人間は間違う必ず間違うものだ、ということの中に、人間に対する信頼が裏打ちされていていなければならない。逆もまた然りである。
そうして、それでも手に負えないと思われるものには、慎み畏れて、手を出してはいけない。それが人間の分をわきまえるということである。
自然は人間の手には負えないものである。
原発も人間の手には負えないものである。
分をわきまえなければならない。
自然を畏怖せねばならない。
当たり前の思想と感性を取り戻したい。
「グローバルでイノベーティブ」な技術者
- 2012-01-10 (火)
- essay
興味深い記事を読んだ。
特にこの部分。
——————-
「彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。
——————-
「自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明」し、「政治や国際問題について語」ることを求められるのは、何もビジネスエクゼクティブだけではない。研究者でも、技術者でも同じである。とりわけ、「グローバルでイノベーティブ」な技術者であればなおさらである。
だがほんとうに、「グローバルでイノベーティブな技術者」教育は、それを叶える方向に向かっているのだろうか??
私には「自国の歴史や文化を正確かつ興味深く」語れないグローバルでイノベーティブな技術者をうまく想像することが出来ない。
同様に、コミュニケーション能力。
——————–
「英語の問題だと思うか?」という私の問いに応える。
「それも否定出来ないが大きな問題ではない。むしろ能力や知識、人間性の問題だよ。最大のものは、コミュニケーション能力かな。英語では無いよ。つたなくても、伝えるべき内容を伝えることが出来れば、ボスの話をちゃんと聞かない社員は居ない。
——————–
伝えるべきものをきちんと持っていること、それをきちんと伝えたいという意志(欲望)を持っていること。これを欠いたコミュニケーション能力を、私はやはりうまく想像することができないのである。
なぜか?
答えは簡単である。
「自国の歴史や文化」、「政治や国際問題」、「伝えるべき内容」等々に対する感度が低いということと、人間(の感性)に対する感度が低いということとは、同義だからである。
人間(の感性)に対する感度が低い人が、一体どうやって世界の人々を幸せで豊かにする革新的なものをつくることができるのだろうか?
「人間力」養成プロジェクト、「日本語コミュニケーション能力」養成プロジェクトで私が考えているのはそういうことなのである。
「グローバルでイノベーティブな技術者」像を、私たちはまずきちんと考えなければならない。
先日の全体会議の時に私が使ったのは、「見識」という言葉であった。自国の歴史であれ、文化であれ、政治や国際問題であれ、原発問題であれ、技術であれ、何事に対してもきちんとした見識を持っていること。そしてそれをきちんと伝えようという意志があること。
それは、人間(の感性)を信じるということでもある。
人間(の感性)への信に基づいた見識を欠いては、グローバルもイノベーションも空虚な標語にしかなりえないのではあるまいか。私にはそのように思えて仕方がない。
新撰大和詞
支考の『新撰大和詞』の板本を購入した。
院生時代にマイクロからコピーしたものを持っていたが、現物が欲しくなって。
幸い安価で手に入った。
仮名詩を創案した支考は、その一方で「大和詞(大和真名)」というのも創案した。
日本人は日本の言葉で詩を書くべきである、というのが支考の主張である。だから仮名詩を創案した。しかし一方で、日本においては古来から和文と漢文の両方が用いられてきた。だから「仮名と真名との通用」を知らなければならない。というわけで「大和詞」の解説書を書き、自らもそれを用いた文章を残した。
仮名詩の方は、その後の、蕪村の仮名書きの詩、明治の『新体詩抄』などもあり、一般化して受け継がれたと言ってよいだろう。「大和詞」の方は、支考の絶筆『論語先後抄』がこれで書かれているが、この文体を受け継ぐものはなく、管見では、ほとんど顧みられた形跡がない。
だから『新撰大和詞』も古書店でそれほど高い値段がつかないのだろう。手元に届いた本も綺麗な本である。
もちろん支考も、仮名詩の方が書いて楽だったに違いない。しかし漢文である『論語』の注釈は、一見漢文体である「大和詞」で書かなければならないと考えたのである。支考は「机から離れるときは死ぬときだ」といって書き続けた『論語先後抄』を完成させることはできなかった。広告は出たが、出版はされなかった。この本を読んだ人はほとんどいない(私も前の方しか読んだことがない)。出版されたとはいえ、『新撰大和詞』も一体どれだけの人が真剣に読んだのだろう。
支考自身も、「大和詞」が多くの人に支持され、普及するとは考えていなかったに違いない。ただ、「仮名」と「真名」の両方を視野に入れた文章(文体)を考えなければならないと信じていたのである。支考はそのような壮大な視点で俳諧の文章(文体)を考えていた。明治になって田岡嶺雲が絶賛したのもその点を見抜いてのことである。
年末ぎりぎりに手元に届いた本を眺めながら、『新撰大和詞』を書き、『論語先後抄』を執筆していた支考の気持ちを想像してみるのである。
習ふて書べし
許六『宇陀法師』に次のような文章がある。
俳諧文章の事、習ふて書べし。惣別俳諧の文章といふ事、いにしへの格式なし。『うつぼ』『竹取』『源氏』『狭衣』の類、皆々連歌の文法也。故に先師一格をたてて門人に伝申され侍る。みだりに書ちらす人もあれど、当流の格式をしらざれば、片腹痛事共多し。序・記・賦・説・解・箴・辞など、少づつ差別有べし。真名文章は字法有て慥にわかり侍れど、仮名物には無念の事のみ多し。
俳諧の文章には俳諧の文章の「格」がある。「序・記・賦・説・解・箴・辞」にも、すべて格の違いがあるという。しかしなかなか普通の人にはそれが分からない。だから、
俳諧文章の事、習ふて書べし。
なのである。正しくそれを習って書かなければならない。いかにも武家の許六らしい。
ところで、蕉門俳人で文章の格についてしばしば言及するのは、この許六と支考である。この2人は、芭蕉が夢見て果たせなかった俳文集を編纂して出版した。しかしそこには本質的な違いがあった。それは、『風俗文選』と『本朝文鑑』の収録作品を見れば明らかである。『風俗文選』には『徒然草』は収められていない。
さて、許六は支考を批判して、こうも言っている。
此坊発句大下手也。一生秀逸の句五句となし。文章もしさゐらしく書つづけ侍れど、口より奥まで趣意が通らず、言葉つづき半分なぐり、つゐに決定したる所なし。何の格、かの格と彼がいふは、みな嘘也。惣じて和文に格なし。ましてはいかいの文章には古格として用る物なし。只手短に、持て廻らぬやうに書を俳諧文章の格式也と、先師より慥に相伝したり。此坊がいふ事うけがふべからず。(『俳諧問答』)
俳諧の文章には古格はない、という点は『宇陀法師』と同じである。しかし、「序・記・賦・説・解・箴・辞など、少づつ差別有べし。」の方はどうなったのだろうか?
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鷹狩り2
(昨日の続き)
放鷹術実演の後は、公開講演会。
講師:二本松康宏氏(静岡文化芸術大学准教授)
演題:鷹狩りの文化と伝承ー三河吉田藩と小鷹野をめぐってー
「王朝の鷹狩り」から「三河吉田藩の鷹狩り」まで、通史的にざっくり概観された。また、鷹狩りの文化史的意味、「野」という領域の意味に言及された。非常にわかりやすくて面白い話だった。鷹匠の身分など、初めて知ったことも多かった。
その後、昼食会。
田籠善次郞鷹師(諏訪流放鷹術保存会第十七代宗家)とお話しながら会場へ。
鷹の育て方、性質、鷹匠の修行法などについてお聞きする。
聞けば聞くほど、人間と一緒である。
食事会でも、興味深いお話をお聞きする。
若いお弟子さんが多かったが、とても真摯に取り組んでいるのがよく分かったし、しっかりと自分の考えをもって修行されている。なにより、屈託がなく、明るかった。そうでないと鷹が馴染んでくれないのだろう。
田籠鷹師は、ここでも面白いお話をして下さった。
若い頃、鷹をつれて遊びに行ったら、師匠に全て見抜かれたというお話。
鷹の顔を見れば、何をしてきたかが全て分かるのだそうだ。
人間は嘘をつくが、鷹は嘘をつかない。
田籠鷹師はこうもおっしゃった。
自分の師匠の言葉は宝の山だった。あちこちに宝石をばらまいてくれた。私はそれを全部集めて持って帰りたいと思ったが、なかなか全部拾いきれなかった。
正確ではないが、そのような意味のことをおっしゃった。
自分の正直な思いであり、またお弟子さんにも語っておられるのだろう。
私にも覚えがある。
師匠の教えは、自分の能力に応じてしか受け取れない。しかしその100分の1も受け取れていないことだけは分かる。だから歯がゆい。しかし自分がレベルアップするしかそれを受け取る方法はない。宝石のように、集めて袋に入れて持って帰ることはできない。言葉だけを覚えていても意味がない。メモしても、録音してもダメなのである。
受け止めきれない膨大な教えを慈しみながら、今自分に受け止められる教えを真正面から誠実に受け取る以外にない。そうやって、時間をかけて少しずつ少しずつ進んで行くしかない
師匠もそうやって師匠になった。
だから師匠はいつでも本質的に、待っていてくれる存在なのである。
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