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中森康之ブログ

芭蕉翁記念館

 芭蕉翁記念館での調査。
生憎の暴風雨。傘が壊れるかと思った。
記念館に到着した時には、靴がびしょ濡れで、靴を脱いで上がったら、足跡が……。

すみません。靴下脱ぎます。

ということで、素足になって和室の方に上げて頂いた。
調査自体は、順調に終了。

記念館では今、企画展「芭蕉と門人-華開く十人の藝術-」を開催している。興味深く順に拝見してゆく。と、

中川乙由
星山反朱

という記述が目に入り、びっくり。資料は『(伊勢)新百韻』である。冒頭に、「俳諧條々」として、俳席の心得をあげ、その最後に上記の記述がある。
 実はこれ、この前『雲雀野』32号に翻刻紹介した『俳諧十論弁秘抄』の別本、『十論記文秘説』と『十論聞書鈔』に入っている「俳諧條々」と同じなのであった(もちろん『雲雀野』の原稿を書いている時は全く知らなかった)。
 ただし違いがある。『十論記文秘説』『十論聞書鈔』所収の「俳諧條々」は、
 
中川乙由
星山反朱
村瀬支考

と三人の連名になっている。『(伊勢)新百韻』には、「村瀬支考」の名がない。村瀬支考とは、もちろん各務支考のことである。村瀬は母方の旧姓。私はこれまでこれ以外に「村瀬支考」と署名した資料を見たことがない。その意味で非常に興味深く思っていたのだが、本文自体は、版本にあったとは。しかもこれ、古典俳文学大系に翻刻されて入っている。なんと不勉強なことか。恥ずかしい~。

 が、勉強になってよかった。思わぬ収穫である。
 
 調査終了後は、オオガケ夫妻と合流して金谷さんへ(^^)v

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ハートセンター講演

 17日、豊橋ハートセンターで講演。
演題:武道から学ぼう!~負担のかからない日常生活の動作~
 古武道具や動画などいろいろ準備していったのだが、思いつくまま喋っているうちに、いくつかお見せするのを忘れてしまった。それでも、お世話してくれたハヤシさんが喜んでくれたので、とりあえず安心する。
 平日にも関わらず、大勢の人が来てくれたし、学生も何人か来てくれた。卒業生のコバヤシくんやトヨカワくんも、仕事を抜けて駆けつけてくれたし、ヒロデさんもご夫婦で来て下さった。
 来てくれたうちの1人、ワタナベくんは、『ぼくら』シリーズを全冊読んでいるという大の宗田理先生ファンだったので、紹介する。しばらく一緒のソファに座って談笑。写真を撮ってもらったり、握手してもらったり、サインももらっていた。とても嬉しそうだった。「今日のことは一生忘れません」と。
 もう1人の講演者、ハートセンターの馬場寛先生のご講演がとても面白かった。普段見られない心臓の映像も見せて下さり、びっくりだった。
 
 講演会終了後は、珈琲を飲みに行く(宗田先生としゃべりたくて残ったため、帰りの足がなくなったワタナベくんも一緒に連れて行く)。マスター(珈琲師匠)と楽しく談笑して帰った。
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【お知らせ】豊橋ハートセンターで講演

豊橋ハートセンターで講演します。

演題:武道から学ぼう!~負担のかからない日常生活の動作~
日時:平成22年5月17日(月)午後1時30分~
場所: 豊橋ハートセンター 1階ハートホール
参加:無料

武道の考え方と体の使い方を応用した、
冷蔵庫や車のドアの開け閉め
椅子からの立ち上がり方
荷物の取り方
床に落ちてる物の拾い方
ポットの持ち方
高い所に物をのせるときのやり方等々
日常生活の動作を楽に(体を痛めないように)やる方法についてお話します。

HeartCenter.jpg
ハートええじゃないか友の会

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珈琲の淹れ方修行

 9日の日曜日。前に紹介した喫茶店のマスター(こちら)に、珈琲の淹れ方講座をしてもらった。メンバーは私を入れて5人(1回5人が上限)。

マスター「いつも家でやっているようにやって下さい。では先ず中森さんから。」

ということで、いつも研究室でやってるようにやる。

マスター「……」「うちの豆買っていってもらって、その淹れ方で飲んでいただいてるんですよね?」

中森「はい。すみません」(とひたすら恐縮)

 では次、どうぞ、ということで、エミコさんがやる。

マスター「いつもは何で淹れてますか?」
エミコさん「お玉です」
マスター「???」

とりあえずやる。残りの3人もやる。

マスター、「今日ほど、講座やってよかったと思ったことはありません。いやー、やってよかった~」「今までやっておられたことは全部忘れて下さい」。

 そんなこんなで修行開始。実に懇切丁寧に教えて頂いた。
マスターは何度も「感じて下さい」とおっしゃった。そして実際に、水を触ったり、目でみたり、色々やった。「ほら、この感じ、覚えて下さいね」。
 姿勢、バランス、体の使い方、呼吸、立ち位置、カップを置く場所なども教わった。基本的には武道で大切にしていることと同じである。しかし、それがなかなか出来ない。
 コーヒーポットから注がれる湯の太さ、勢い、柔らかさ等々。
「コーヒーポットの中の湯の量、状態、水面の角度が感じられてませんね」

うおー、面白かった。
最後に自分で入れたコーヒーを飲みながら、ケーキをいただきました。

 まだまだお伝えしたいことはたくさんあります。本当は、湯を注ぐところだけでも、何時間でもやりたいんですけどね。私らの修行時代は、こればっかり、何時間でもやらされました。もう「修行」なんて死語でしょう
けどね。でもね、あの時は、「なんでこんなことしないといけないか。掃除なんて何の関係があるのか」と思っていたが、今になって、その意味がすごくよく分かりますね。修行の経験の意味が。

 マスターは何度も、「もう『修行』なんて死語でしょうね」と少し淋しそうにおっしゃった。私は静かに聞いていた。

 今回のを「修行」というと、きっとマスターに悲しい顔をされるだろう。でも敢えて「修行」と言ってみた。
 またコーヒー修行に行きたい。coffee.jpg

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今日の語録

 今日のnikkansports.comの野球の記事に、中日の落合監督のコメントが載っていた。先発投手に対するものである。

 コントロールが悪かったんじゃないか。四球はつきものだけど、どこで出すかだ。1人相撲ってやつじゃないか。良ければ勝てる、悪けりゃ負けるじゃダメだ。この世界で何年野球やってるんだ。[2010年4月28日7時24分 紙面から]

 「良ければ勝てる、悪けりゃ負けるじゃダメだ」。なんて当たり前で、奥の深い言葉でしょう。さすがプロフェッショナルです。悪い時にこそなんとか負けないように出来るのが、プロのキャリアなのだろう。それは、身体能力の問題ではなく、心法の問題である。
 そういえばイチロー選手は、「悪い時も、その時なりの100%を出す努力をする」と言っていた。羽生善治さんも、「有利なときも、不利なときも、最善手を指すだけです」と言っていた。
 まさしく武道の心法である。

 もう一つ、保田与重郎の蝶夢に関する論文を読んでいたら、こんな文章があった。

 人が何ごとを思ひ決した時に、蝶夢のしたやうな仕事が出来るのだらうか。

 いいですねえ。「何ごとを思ひ決した時に」この人がやったようなことが出来るのだろうか?その「心の誠」は何なのか。確かにそう思える魅力的な人間が存在するのである。
 保田はこう続けている。

かういふ人の心の誠や、おもひのつみ重ねやくりかへしを明らかにしてゆくことが、歴史の学びであり、文学の仕事でもある。(「蕉門と蝶夢」)。

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トラックボール、デビュー!

 トラックボールを購入。同僚が使っていて、ちょっと気になっていたのだが、マウスの調子が悪いので新しいマウスを購入しようと、サトル君にオススメモデルを問い合わせたとき、トラックボールのことも話題にした。そしてマウスとトラックボールの良さそうなものを紹介してくれたのである。

 いい。とてもいい。凄く気に入った。新しいもの好きなせいもあるかもしれないが、でも、いい。しばらく楽しめそう。

トラックボールは左手で操作している。右手にはペンタブレット。ちなみに真ん中のキーボードはRealforce(長らく使っていたHappy Hacking Lite2はXPマシンで使用中)。最強である。もちろん私は、ゲームもしないし、画を描くわけでもない。ほんとうはマウス1個あれば十分なことしかしない。

でも、いいわー、これ。

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巡り合いと即レス

 カンブリア宮殿は「理想の人材SP第二弾」。番組中で、日本マクドナルドの原田泳幸氏が社員にこういう話をしておられた。

 若いときにキャリアディベロップメントなんてあんまり考える必要はない。私のアドバイスは、日々、皆様の今の仕事、今の課題を期待以上にやり遂げる。これを繰り返していくと、キャリアは皆さんが作っていくのではない。世の中から巡り合いで、皆さんのところにキャリアがやってくるんです。

 人生とは「巡り合い」である。武道において、心身を開いて、常に即レス状態になっていることを説くのは、そうでないと、この「巡り合い」がうまく巡ってこないからである。あるいは、巡ってきてもそれに気付かず、逃してしまうからである。なぜそれが問題なのかというと、「巡り合い」にうまく同調できない武道家は、最終的に敗れてしまうからである。
 「今、ここに意識を集中して、やるべきことをきちんとやる」。それは、「即レス」、つまり余計なことをごちゃごちゃ頭で考えないで、開かれた心身で「今、ここ」に反応するということでもある。もちろん場当たり主義ではない。
 このあたりの感覚が、なかなか難しい。しかしこの感覚が分かってくると、「皆さんのところにキャリアがやってくるんです」という感覚が分かる。ここでは社員に向けて話されているのでキャリアの話であるが、実は私たちの人生において、ほとんど全てのものは「向こう」からやってくるのである。
 人間は欲望存在であるというのが、我が竹田師匠の欲望論である。そして欲望は「告げ知らされる」という形で、必ず「彼岸」(向こう)からやってくる。深い欲望であればあるほど、それは私の意識を越えて、向こうからやってくるのである。
 人やものとの出会いも一緒である。心身が開かれてさえいれば、つまり「即レス」できてさえいれば、出会うべき人とは出会い、出会うべきものとは出会える。一見主体性がないように見えて、それが真の主体性であるという逆説を、武道の心法は教えているのである。

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なんと、ひみつ箱が開いた

 前に書いた箱根の寄木細工のひみつ箱。12回で開くやつである。
 クリハラさんが挑戦。なんと開けてしまった。
 「こんなん知らんかったら絶対開けられへんで-」と言いながら僕が珈琲を入れている間に。さすがです。僕なんか説明書を見ながらでも苦労したのに。やはり人それぞれにいろんな才能があるのですね。

追伸)
これで、中の説明書を取り出すことが出来ました。よかった(^^)

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三十六特別講習会

 今日で4回目。
 今日は、開始前に、持って行った木刀を使って、イチローのバッティングを武道的に分析して見せた。ここ数日、『逆説の武道』の、イチローのところを書いていたので、それを実際の動きで試してみたのである。「少年野球ではこう習いました」などと続々と昔話が出て、結構盛り上がってしまった。
 武蔵が『五輪書』で説明していることと非常によく合うし、それ以外の点でも、やはりイチローのバッティングは非常に武道的である。
 今度の身体開発研究会で、ちょこっとそんな話もしようと構想中である。

 三十六手の講習自体は、いつもながらとても楽しい稽古ができた。とくにイワサキくんが初めてオープンマインドの意味が分かったようだ。元に戻らないことを願っている。

 もう一つ、クリタさんの怒り爆発事件もあった。私は見ていなかったが、あるメンバーが、謙虚さと丁寧さと感謝の心を失した振る舞いをしたようである。人間というのは、初めは特別な思いがあっても、知らず知らずのうちに慣れてしまって、それが当たり前だと思ってしまう。それを見逃さなかったのはさすがである。

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テクノロジーの進化と身体感覚

 1年生のオリエンテーション。
 まずは浜松のスズキ歴史館。「ゆっくり見ないと時間が余るほど時間をとってます」と聞いていたが、なんのなんの全く足りないほど面白かった。もっとゆっくり全ての説明映像を見たかった。また行こう。
 最初に見たのは、鈴木式織機。そこにあった映像で、織機の歴史が紹介されていた。地機(じばた)→高機(たかはた)→ちゃんから→足踏織機(あしぶみしょっき)ときて、鈴木式織機が登場する。その歴史は発明の歴史であり、画期的なテクノロジーの進化である。簡単に言えば、複雑なものも織れるようにもなり、生産性も上がり、操作も楽になった。しかしその映像を見ていて印象深かったのは、それに比例して、高度な身体感覚が失われていったということである。地機は、腰、足、手の微妙な操作を同時にやらないといけなかったが、新しい機械によって、だんだんそれが楽になってゆく。それ自体はいいことだが、身体感覚という点でいうと、だんだん退化していっているのである。
 それに比べると、車の普及が足腰を弱くしたなどといった体力的なことなんて大した問題ではない。補えるからである。もちろんそれは、車を使って短縮した時間によって失われた体力を補うために、時間とお金を使ってジムに通うというおかしなことにはなるのだが。
 しかし、身体感覚や身体操作は、「ちょっとジムに行って体力作り」、というのと訳が違う。一度失われたそれを取り戻すのは容易なことではないのである。
 テクノロジーの進化はよいことである。しかし、それと同時に、この失われつつある身体感覚と身体操作を伝承することもまた同時に大切なことである。特に新しい技術を創造してゆくことを使命としている本学の卒業生には、自分たちの技術によって何が得られ、何が失われるかをよくよく考えてほしいと思う。
 大分前になるが、画期的な質問システムを開発したと聞いたことがある。最近の学生はなかなか自分から質問をしない。馬鹿にされないかとか、冷たくあしらわれたらどうしよう、とかいろいろな心理的プレシャーがあるのだろう。しかし、メールを使えばそのハードルがかなり低くなる。だから誰でも授業中にメールで質問でき、それが他の学生にも有効な質問だと教師が判断すれば、瞬時に教室のスクリーンに映すことができるシステムなのだ。これで「誰でも簡単に質問ができます。」まさに画期的である。
 しかしこのシステムによっては決して教えることができない大切なことがある。それは、「質問とは、諸々の心理的ハードルを乗り越えてするものである」ということである。質問は、質問者によって発する前に鍛えられなければならない。今それを聞いていいのかどうか、この人に聞いていいのかどうか、どういう聞き方をすればいいのか、その質問をして馬鹿にされないか、などなどの心理的プレッシャーを乗り越えて質問は発せられるものである。本当に自分に必要だと思い、知りたいと思ったら、自らそのハードルを越えてきなさい、そういうハードルが必要なのではないだろうか。そういうハードルを自ら越える力を養成することは、大切な教育である。
 もちろん私は、このシステムが画期的でないと言っている訳ではない。逆である。画期的であればあるほど、それを使う人の見識が試されてしまうと言っているだけである。
 最初のハードルを低く設定して、徐々に上げてゆくということは有効である場合が多い。小さい成功体験の蓄積が非常に重要であることは、私もしばしば説いている。その意味で、このシステムもうまく使えば非常に有効だと思う。しかしそれだけに、使う人の教育観が試されている、非常に恐ろしいシステムなのである。そんなことを思いだした。
 それはさておき、各所に設置された映像は、どれも、スズキの方々が、情熱と工夫と技術によって、次々に新しいチャレンジをし、新しいものを生み出してゆくドラマがコンパクトにまとめられていて、素晴らしかった。最初にも書いたが、もっと見たかった。

 さて、その後は再びバスにのって中田島砂丘へ。各クラスで昼食をとり、自己紹介などをして、砂丘散策。砂丘を疾走するスズキの車。
って、これ歴史館でもらったミニカーです。
そんなことをして遊んで、3時半頃、無事大学到着。
CIMG6224.JPG


 その後尚志館へ。新しい技の感覚を試してみる。かなりいいみたいなので、さらに磨くことにしよう。

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