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研究 アーカイブ
福井県古俳書大観第九編
- 2009-10-05 (月)
- 研究
少し前に齋藤耕子氏の『福井県古俳書大観第九編』が刊行された。このシリーズは文字通り福井県の俳人の載る俳書を翻刻しているものであるが、その数なんと全320冊余(うち50冊は全冊翻刻)。
齋藤さんはそれ以外にも、『福井県俳人大観』『芭蕉塚物語』『若越俳人列伝』など計20冊以上を自費出版しておられる。さらに若越俳史研究会の機関誌「若越俳史」もすでに116号に達している。大正14年生まれ。驚くべき活力である。
俳諧研究には一つの地方にこだわり、それを徹底的に研究している方が何人かおられる。その代表が前に書いた田坂さんや齋藤さんである。齋藤さんの仕事は、地道に集めた福井県の俳諧資料を翻刻紹介することと、それをもとに福井県に関する従来の俳諧史研究の誤謬を正すものである。地方の俳書は膨大である。また地方に密着しておりその地方でないとよく分からないことも少なくない。その意味でも、私のように支考と美濃派を研究する者にとって非常に有難いのはもちろんのこと、俳諧史研究全般において非常に重要な仕事なのである。
これからも、まだまだ精力的に続けて頂きたいと切に願っている。
蝶夢と支考
- 2009-09-30 (水)
- 研究
昨日は武雄から戻った後T先生と打ち合わせ。
なんとお宅にご案内頂いて、書斎まで拝見させて頂いた。感無量。いろいろ貴重なお話を伺う。
蝶夢や支考の話はもちろんのこと、これまで存じ上げなかった先生の一面も垣間見られて、とても貴重な時間を過ごすことができた。
思想的には、蝶夢は支考の直系である。
このことが今の学会でどのくらい認められるのであろうか。なるべく早くそのことを論証したいと思う。
ようやく会えた
- 2009-09-28 (月)
- 研究
九州大学中央図書館へ。
院生の頃から存在を知っていて、コピーも持っている本と初めてのご対面。ようやく会えた。
しばらく感慨にふける。
そっと開いてみた。
思ったよりきれいな本だった。
何とも言えず懐かしい。
長年恋い焦がれたこの本、名を『俳諧十論弁秘抄』という。支考『俳諧十論』の注釈書である。
私の知る限り、『俳諧十論』研究はもちろん、支考研究に使われたことがない。私も使わなかった。だが私の知る限り『俳諧十論』を最も深くかつ正確に理解している注釈書なのである。当たり前だ。実はこの本の内容は、「十論講」、つまり支考自身による『俳諧十論』講義の講義メモ、又は支考の講義ノートを元に書かれた講義録なのである。もちろん本文は支考自身ではなく弟子筋によるもの(の写し)である。
私の初めての学会発表は、それまで誰も注目しなかった「先後」という言葉に注目し、それを解読したものであるが、この本はその「先後」という語も取り上げて注釈している。当時はこの本のことがよく分からなかったので、「なかなかいい注釈書じゃないか」程度に思っただけで、その発表でもうまく使えなかった。
それ以降もこの本を使わなかった。というよりきちんと読まなかった。この本は支考の考えを実によく伝えるものであるが、それ故に、そのまま使っても当時の学会では受け入れられないと考えたからである。それほど支考の思想(俳諧観)は誤解され、受け入れられていなかったのであるが、しかし要するに私にはこの本を有効に使う力がなかったのである。
それでずっとそのままになっていた。しかし、この本の意味付けを行うのは、私の役割であり責任なのだということだけは思い続けてきた。そこで少し前から、ある方と一緒にこの本を通読し、最近読み終えた。そして今回、意を決して会いに行ったのである。
ちゃんと読んでから会いたかった。
図書館の方にもとても親切にして頂きました。
調査の後、佐賀へ移動。もう何回めになるかなあ、と思いながらいつものお店で夕食をとった。いつもながらとても美味しくいただきました。
日本高専学会(続)
- 2009-08-30 (日)
- 研究
三木先生「課外活動を利用した創造教育-低学年からの技術者教育」の研究発表を拝聴。概略は前の全体会議でお聞きしたが、やはり何度聞いても面白い。だんだん三木メソッドのマジックが分かってきた。その一つは、「教員はできるだけ手をかけず楽をし、かつ楽しむ」というものである。プロジェクトメンバーの三崎先生も同じだし、前に紹介した田尻悟郎さんも同じである。だが真面目な先生であればあるほど、この逆説の理解が困難である。
「手をかけずに素晴らしい成果をあげておられて羨ましい」という聴衆からのコメントがあったが、実は、手をかけないからこれほどの成果が上がっているのである。そのあたりの秘訣をメソッドとして取り出し、多くの方に共有してもらおうというのが、私のプロジェクトの狙いである。
さて、その後は私の研究発表。「「人間力」養成の試み~日本語コミュニケーション教育と課外活動指導~」。二つのプロジェクトの私の実践をまとめて発表。
企業の方から、「本来人間教育は企業文化という観点から、各企業が独自に行うべきだが、種々の事情があり、現在企業でできることには限界がある。だからこのような試みを大学でやることは、大変価値のあることだ」というコメントを頂く。なるほど。私は、「大学で出来ることと出来ないこと」、「企業で出来ることと出来ないこと」をきちんと考えていなかったので、大変参考になった。
その他、高専の先生や、本学の先生からも色々コメントやメールを頂いた。何人かの方に強い刺激を与えることができ、また私自身もそれによって新しい発見があり、とてもよかったと思う。
前のセッションが長引いていたので、会場前で待つ。何か、楽屋の風景みたいですね。
撮影は絵実子さんです。
日本高専学会
- 2009-08-29 (土)
- 研究
28日~30日まで、本学で日本高専学会第15回年会講演会が開催されている。
28日は、既に書いたように、併催されている高専連携教育研究プロジェクトの学生成果発表会。
29日は、今年度からプロジェクトメンバーになっていただいた奈良高専の三木先生と学生さんの、奨励賞受賞式と受賞講演。三木先生は、先週の教員研究集会で2年連続、3回目の文部科学大臣賞受賞、その一週間後に日本高専学会で奨励賞受賞と、受賞ずくめの二週間である。素晴らしいですね。
午後、日本語コミュニケーションの方のプロジェクトメンバーである有明高専の焼山先生と打ち合わせ。こちらも有意義な打ち合わせができました。
前に書いた喫茶店にご案内したところ、珈琲の味はもちろん、テーブルや壁、店の雰囲気など、大変気に入って頂きました。
明日は、三木先生と私の研究発表である。
プロジェクト学生成果報告会
- 2009-08-28 (金)
- 研究
8月28日~30日の日本高専学会に合わせて、高専連携教育研究プロジェクトの学生成果発表会があった。
私のプロジェクトからは、八代高専の谷くんが発表してくれた。
教育プロジェクトでは唯一の発表で、副学長や高専連携室長などに頑張って説明してくれた。人間力養成の、非常によい実践練習になったようだ。
お2人の様子はこちら
夜は、谷君と岩﨑先生を囲んで、武道部員と夕食会。都合12名で楽しいひとときを過ごした。
翌日、2人は武道部の稽古に参加して、お帰りになりました。
谷君、岩﨑先生、お疲れ様でした。
「人間力」養成プロジェクト全体会議
- 2009-08-21 (金)
- 研究
高専連携教育研究プロジェクト「技術者教育としての課外活動の可能性の提示と「人間力」養成メソッドの開発」、第1回全体会議を行った。豊田高専での研究集会から中1日にも関わらず、函館、沼津、福井、奈良、詫間、八代の全国各地から、実に「濃い」メンバーが集結してくれた。さらに今回はオブザーバーとして、武道部部長の池尾君、第5回演武会実行委員長の加藤さん、稽古に来ていた栄養教諭の栗田さんが参加した。
優れた実践を重ねてこられた方の報告は、とても刺激的だ。さらにそこから繰り広げられるディスカッションが、これまた面白い。その場でどんどん新しいものが生まれていくライブ感があり、とてもワクワクした。おそらく全員が新しい種をもって帰られたはずだ。私もしっかり頂いた。大事に育てたいと思う。
圧倒的な実践をされておられる方は、みな共通してとても明るい。その明るいパワーで、学生も地域社会も全部巻き込んでいくのである。そして何より、それを心から楽しんでおられる。
なんせ最初に書いたように、18~19日の豊田から中1日で再び豊橋に集結したのである。しかも三木先生と岩﨑先生は、28日からの日本高専学会にも来られるので、2週間で3回の来豊である。楽しくなければやってられない。
そもそもこのプロジェクト自体がそうである。みんな「面白そう」だから集まったのである。昨年提案書を書いたとき、1人も応募者がいないかも、と本気で心配した。だったら自分が心底大切だと思い、かつ楽しめる内容にしようと思った。すると、「こんなけったいなこと考えてる人がおんねんな。なんか面白そうやんけ」と(それぞれの方言で)思って、集まって下さったという訳である。
自分がまず開くこと。その上で、それに共感してくれる人を待つ。という私がいつも学生に言っているやり方をここでも実践したのであるが、それにしてもこんなスペシャルな人が集まるとは夢にも思いませんでした。
教育教員研究集会
- 2009-08-20 (木)
- 研究
18日と19日、国立高専機構主催の教育教員研究集会に行ってきた。場所は豊田高専。
18日のD会場、第Ⅰセッションと第Ⅱセッションの発表者は、私を入れて8人中、4人が私たちのプロジェクト(課外活動)のメンバーだった。もう一人のメンバーである三崎先生は19日に現代GPの発表をされた。その三崎先生と、今年からのメンバーである三木先生が賞を受賞された。
私がやっているもう一つのプロジェクト(日本語コミュニケーション)の方も、焼山先生がご発表、私の担当分への質問があったので、聴講席から質問に答えることになった。こちらも今年からのメンバーである畑村先生もご発表。畑村先生は、1回目からこの研究集会に参加しておられ、昨年賞を受賞されたという強者である。
結局、今回二つのプロジェクト関係者が、都合8名発表した。来年はうまくいけば、11名が発表することになる。楽しみである。
終了して帰ってきたら、夜は武道部の稽古がまっていた。
秘伝の書(西尾市岩瀬文庫企画展)
- 2009-08-13 (木)
- 研究
昨日、西尾市岩瀬文庫企画展「秘伝の書」を見てきた。
和歌や連歌俳諧関係の、非常に興味をそそられる伝書もあり、記憶術や汚れの落とし方の秘伝書もあり、それ以外にも様々な分野の秘伝書が一覧できるという、なんとも贅沢な展示だった。堪能させて頂きました。
その後は岩瀬文庫の資料を拝見。美濃派伝書ほか、俳諧の伝書を中心に見せて頂いた。詳しく内容を検討したい伝書もいくつかあった。さすが岩瀬文庫。これからもしばしば行きたいですね。
先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず
- 2009-07-17 (金)
- 研究
蝶夢の『蕉門俳諧語録』にも引かれているが、李由・許六『宇陀法師』に次のような文章がある。
連衆を撰みてすべし。先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず。歴々の門人に俳諧の手筋通ぜぬ人多し。其人と終にいひ捨てもなし。
仲間を選べ。芭蕉は、自分の「志」を理解しない人とは生涯、一緒に俳諧をしなかった。身分の高い門人に芭蕉俳諧の「手筋」(本質やその技法)を理解しない人が多かった。そういう人とは、芭蕉は、即興の読み捨て俳諧さえもしなかったのである。
芭蕉ほど生涯のうちにその俳風を変えた俳人はいない。それゆえ、ついて行けない弟子もたくさんいた。弟子に対して実に細やかな配慮を見せる芭蕉であるが、俳風やその志においては容赦がなかった。ついてこれない弟子はどんどん置いていかれ、新しい弟子をどんどん受け入れた。それゆえ、弟子の間で芭蕉の理解の相違もあった。芭蕉から聞いたと言って、芭蕉の教えを語る支考を、「自分は芭蕉先生からそんな話は聞いてない。だからお前は嘘つきだ」と越人が批判したのも、そういうことである。
だが、一方で、弟子を型にはめることはなかった。むしろそれを嫌った。其角は芭蕉の初期からの弟子であるが、特に晩年、芭蕉と其角の俳風は全く異なる。しかし、芭蕉は其角を批判するどころか、きちんと認めていた。
『俳諧問答』にこういう話がある(これも『蕉門俳諧語録』にある)。
芭蕉と其角の俳風があまりに違うので、困った許六は芭蕉に直接こう訊ねた。「其角は師の高弟ですが、その師弟の考えがこうも違っていては、信頼できません。どういうことでしょうか?その疑問に答えて下さい。一体、師は何を教え、弟子の其角は何を学び得たのですか?」(「師ト晋子ト、師弟は、いづれの所を教へ、習ひ得たりといはむ」)。
芭蕉はこう答えた。
自分と其角の俳風は、「閑寂」と「伊達」という違いがある。しかしこれは、それぞれの「すき出たる相違」、つまり、自分の「好き」(数寄)なところ、つまり個性の現れの相違に過ぎないのである。そして、
師ガ風、閑寂を好でほそし。晋子が風、伊達を好でほそし。此細き所、師が流也。爰に符合スといへり。
自分は、「閑寂」を好んで「ほそし」。其角は「伊達」を好んで「ほそし」。この「細き所」が私の流儀であり、その点で、私たち師弟は一致しているのである。
つまり、個性の現れ出たその出方は全くことなるが、本質的な部分で、其角は師である芭蕉の教えをきちんと受け止め、その血脈を継承しているのである。
其角が芭蕉に入門したのは、14,5歳の頃と言われている。そのとき芭蕉、32歳前後。以後、芭蕉が没するまで師弟関係は続く。
学問も、説の違いなど大した問題ではない。志の通ずる人と文学を語り合うことほど楽しいことはない。武道も然り。志を同じくする人と稽古しているときほど、幸せなことはないのである。
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