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研究 アーカイブ
特別展「明治の傑人岸田吟香~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~」
3月10日
平成24年度豊田市郷土資料館特別展
明治の傑人 岸田吟香 ~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~
を見に行く。
巷では、卵かけご飯を広めた人として有名らしいが、私は恥ずかしながら、この傑人のことを全く知らなかった。不明を恥じるのみである。
いや、ほんとうに恥ずかしい。日本の近代化は、こうい傑人たちによって成し遂げられた。まだまだ知らない傑人が大勢いる。もっと勉強したい。素直にそう思った。
それにしてもこの吟香、知ればしるほど傑人であった。
図録も充実しており、ほんとうに立派な展示だった。
ちょっと無理したけど、行ってよかった。
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薬師寺両塔特別公開
奈良高専の帰りに薬師寺による。
奈良高専は、法隆寺、薬師寺と、隣といっていいくらいの距離である。
現在薬師寺では、東西両塔特別公開が行われている。
現在の西塔の姿
東塔はいまこんな姿をされています。
覆いが思ったより大きくて驚いた。
その東塔の心柱最上部祀られてきた仏舎利も今回公開されている。
私もご参拝。
この仏舎利は明治33年の改修の折に東塔に納められたと考えられるという。
ボランティアの方のお話では、また心柱最上部に戻されるというから、もしそのようになれば、次の大がかりな解体修理まで見る事ができない。つまりはもう私は生きている間に見る事ができないのである。私は別にこれに合わせて奈良高専に行った訳ではない(いや、ほんとうに)。前に買ったお守りをお返ししようと思って、薬師寺に寄ったのである(正確には寄ろうと思ってHPを見て特別公開を知ったのである)。貴重な機会を得られてほんとうにありがたい。
特別公開は3月20日まで。
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タイムリミット
今日はゼミ。
卒論や修論に関しては、毎回のように同じ事を繰り返している。
このペースでは間に合わない。
何に間に合わないかというと、卒業(修了)である。
研究には「いつまで」というタイムリミットは、ほんとうは「ない」。依頼原稿には締め切りがあるし、自分で投稿しようと思った原稿にもそれはある。本の出版も同じで、出版社の方と話を始めれば、いつ頃入稿という話になる。
しかし、それは目先のことであって、ほんとうはタイムリミットは「ない」のである。
敢えて言えば、自分が研究を「やめるとき」である。そしてそのときにどのくらい進んでいなければならないという客観的な基準もない。つまり、何をいつまでにどのくらいのレベルまでもっていくかは、「ない」のである。全てはあくまで結果に過ぎない。
今、ビジネスの世界でも、大学でも、目標を設定して、そこから逆算して今やるべきことを決めるという方法が流行っているようである。そしてその達成度なるものが評価される。
だが、少なくとも研究においては、ある研究を進めてゆくうちに、始める前は全く予期しなかったテーマが現前してくるのが普通である。だからほんとうは「逆算」できない。
だから私は、自分の仕事について、この「逆算」をしない。
なのに、学生には「卒業(修了)」のタイムリミットから逆算してものを言ってしまう。
これは猛省しなければなるまい。
これ以上「間に合わない、間に合わない」と言い続けていると、学生も私も壊れてしまうだろう。
少なくとも私は、もう毎日そのことが心から離れなくなってしまっている。ふと気がつけば、心の中で反復している。ルサンチマン状態である。そして身体中を掻きむしっている。
かなり危ない。
そこで、なぜ私は「間に合わない、間に合わない」と焦っているのかを考えた。
そもそも何に「間に合わない」のか。
それは最低年数での卒業に、である。
しかしよく考えてみたら、私は修士課程を修了するのに3年かけ、博士課程を単位取得退学するのに上限の6年を要している。
なのになぜ自分の指導する学生は、最低年限で卒業(修了)しなければならないと勝手に思い込んでいるのか。
少なくとも本人が何としてでも最低年数で卒業(修了)したいと考え、そのペースを指導してほしいと望んでいるのでなければ、私がそのようなことを考えるのは大きなお世話である。
そして何より、そもそも卒業(修了)ギリギリレベルの卒論(修論)なんて、私も学生も望んでいない。そんな低い志は私たちはもっていない。
いい研究がしたいし、いい論文を書きたい。ただそれだけだ。
やっとそのことに気付いた。
思えば私の師匠も、私を見て、じれったく思っていたに違いない。今でもそうだと思う。しかし何も言われない。
私が大学院に入ったときに言われたのは、ただ一度、「年に2本論文を書いていれば、私たちの学会では研究をしていないとは言われない。だからそのくらいのペースで書くようにね」ということだけであった。
そしてその達成度を評価されたこともない。言われたのも1度だけ。そしてたくさん書いても、1年間1本も書かなくても、何も言われたことがない。
同様のことがもう一度だけあった。
10年ほど前、「そろそろドクター論文まとめた方がいいかも知れないね」と言われたことがある。
これもただ一度。
それ以降、これまた一度も言われたことがない。昨年もお会いしたときに、「すみません。まだです」と申し上げたら、「焦ることはないよ。自分が納得するものを書く方が大切だよ」とおっしゃった。
竹田師匠も、私に何も言わない。院生の頃、一度だけ合宿の飲み会で「何やってるの」と言われたことがあるだけである。「何やっているの」とは早く本を書け、ということである。しかしそれから20年以上、何も言われたことがない。
私が長年不義理をしているP社のO氏も、私の原稿をただ黙って待って下さっている。
ほんとうに有り難い。
ただ私のような怠け者は、口うるさく言っていただいた方が有り難いのであるが、それはただの甘えである。
自分はそのように育てていただいているのに、学生には「間に合わない。間に合わない」とは、何たることか。
やはり、猛省に次ぐ猛省をしなければなるまい。
学生諸君には、大変申し訳ないことをした。
これからは、研究の内容に関する、前向きな話だけをすることにしよう。
きっと楽しいゼミになるはずである。
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研究室追いコン
1日は中森康之研究室の追いコン。
ミツイさんがめでたく卒業。
乾杯〜
ミツイさんも上機嫌です
色紙と花束のプレゼント
私の顔入り
ご挨拶
大懸夫妻と
この男にはミツイさんがメインという意識がまったくありません
4月から研究室にやってくるちゃきくん
最後はツーショット
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三島へ2
三島二日め。
今日もZ会さんへ。
そして、大岡信ことば館を見学。
現在は「大岡信の万葉集展 家持と女たち」展を開催中。
初めて中に入ったが、斬新な手法での展示だった。
面白い。
その後、井上靖文学館へ。
恥ずかしながら、私は井上靖をじっくり読んだことがない。
何冊かもってはいる。
今回文学館へ行って、じっくり読んでみたいと思った。
これで三島は終わり。
雪化粧の富士山に別れを告げて、豊橋へ戻る。
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山崎文庫の調査
今日は大阪府大山崎文庫の調査。
親友の西田くんとも会えた。
図書館の方も、とても親切に気持ちよく対応して下さった。
ほんとうに有り難い。
今回は俳諧伝書を中心に調査した。山崎文庫には、ペン写も含めて、結構伝書が所蔵されているのである。伝書などというものはいかがわしいもの、という時代にあって山崎喜好は、伝書も集め、読んでおられたのである。このことは注目しておくべきことである。というのも、以前「支考俳論の語られ方ー田岡霊雲と大西克礼」(『連歌俳諧研究』114号)に書いたが、大西の『風雅論』が刊行されたとき、井本農一によって、辛辣な書評が書かれた。それは、「美学者」の仕事としてはまあいいけれども、「国文学徒の立場」から見る限り、文学史の「現実」をかけ離れており、あまりにも「空虚」だというものであった。支考の虚実論が正面から論じられていたことも井本は批判した。「支考の俳論を蕉風の中心的俳論であるかの如く取扱はれたのは如何であろうか」と。井本は、当時の俳文学研究における常識を根拠に、『風雅論』には多くの事実誤認と方法論的誤りがあると指摘したのである。
しかしその前月、山崎によって『風雅論』を高く評価した書評が出されていた。曰く、「俳諧の殆どあらゆる面は豊富に、縦横に論じられてあり、のみならず適宜な解明が施してある本書はどれほど私たちの思考に多くの糧を供給してくれることであろうかと思う」と。
井本の主張が当時とその後の俳文学研究の主流であったことは、その後の俳文学研究において、『風雅論』がほとんど顧みられることがなかったことからも分かる。
私が拙稿を書いたとき、なぜ山崎が『風雅論』を評価できたのか、不思議に思い、山崎に興味をもった。今回、その一端を垣間見ることができた気がした。芭蕉以降の俳諧を考えるとき、支考と蝶夢、そして伝書は不可欠なのでるが、そのいずれも山崎文庫には揃っているのである。
山崎の頭にあった俳諧史を今一度見直してみたいと思った。
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研究室の新しい仲間
一昨日、来年度4年生で、私の研究室に配属される学生が決まった。
1名。
ありがたいことに希望者が2名いたので、そのうちの1名である。
できれば2名とも来てもらいたかったが、きまりだから仕方ない。
外れた学生さんには、ほんとうに申し訳なく思う。
一方、決まった学生さんは、今から楽しみである。
どんな刺激を与えてくれるだろうか。
いろんな可能性にチャレンジしてほしい。
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15歳がいい。18歳では遅い。
年末からの研究室の片づけを続けている。
2010年7月16日(金)の竹中工務店東京本店でにシンポジウムのメモが出てきた。小川師匠の言葉である。
(弟子入りは)15歳がいい。18歳では遅い。15歳で来ると、身体が仕事の体になってゆく。大学卒、体ができてからだとキツイ。朝も寝てたい。身体が出来て頭を使う。身体がしんどいので頭で考えるようになると、ズルを考えるようになる。
これは私のこれまでの経験とよく合う。
15歳と18歳というのは、ちょうど高専と技科大に当たる。それぞれ高度な技術者を養成するという使命を掲げているが、それぞれに果たすべき役割があるはずである。そのとき、学生の年齢というものを考慮しなければならない。
高専ではできるが技科大ではできないこと。またその逆もある。高専の年齢のうちにやっておかないと、技科大にきてからではもう遅いということもある。技科大できちんとやると、それまでの高専での経験が飛躍的に伸びるということもある。
高専と技科大は現在様々な連携を行っているが、高専(年齢)でこれをやってくれていたおかげで、技科大で飛躍的に伸びた、また、技科大(年齢)でこれをやってくれたおかげで、高専での教育が十二分に展開された。そういう連携を構築したいものである。
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