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2009-08

地震

 今朝、東海・伊豆地方で強い地震があった。私は伊豆の国市にいた。阪神淡路大震災の悪夢が蘇ったが、じっと揺れるのを待った。
幸い揺れはすぐにおさまり、ものが落ちてくることもなかった。豊橋に帰る日だったので、東名高速が通行止めになって、ひどい渋滞の中、一般道で帰らなければならなくなったくらいである。幸運だったと思う。
 6:11 静岡県内に帰省中だった部員から、無事を知らせるメールが届く。
その後、卒業生やその他関係者からも、自分たちの無事の報告やお見舞いメールが届く。私が伊豆にいることを知っていた者からは着信があった。
 幸い電波も混んでいる様子もなかったので、返信と折り返し電話をした。

 被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
 

中国茶

 縁あって茶香苑(中国茶専門店)のご苑主と知り合いになり、昨日何人かでお邪魔しました。いろいろ楽しいお話を聞かせていただき、おいしい中国茶を堪能しました。
 瀧澤師匠、ありがとうございました。

一本とられました

 昨夜、蚊がいた。
妻「蚊取るやつあるやん。つけーや」
僕「あれ、何年も前のやで。中の液体腐ったりしてへんか?」
妻「知らん」
僕「つけて寝て、起きたら三人とも死んでたらどーすんねん」

 もちろん何の根拠もないただの洒落である。メーカーさんすみません。

 するとその会話を聞いていた娘がぽつり。

「起きたら三人とも死んでることはありえへんで」。

ごもっとも。うちは三人家族です。

稽古の心構え

 昨日の稽古に行ったら、杖の稽古をしているところだった。受けの粘りの感覚が分からないようだったので、少し手本を見せてから、「約束組手でやると分かりやすいよ」ということで、約束組手になった。すると面白いことが起こった。
 だんだんと意識が違う方を向きはじめたのである。 最初は全員が粘る感じを確かめていた。みなそこに意識を集中していた。だが、そのうち別のことを意識し始める者、漫然とやりだす者が出てきた。隣でそういう者が出ると、すぐ移るので、だんだん増えていった。ちょっと長めに時間をとって見ていたが、最後まで粘る感じを確かめながら稽古していたのは、ほんの数人である。もちろんこの数人が、現在武道部で一番上達している部員である。
 一度止めて、ひとりずつ技を見せたあと、何を意識しながら稽古していたかを言った。正直に言った者もいれば、嘘をついた者もいたが、その前に技を見せているので、ほとんどの者には分かったはずである。 
 武道の稽古は自問自答(自感自答)が大切である。ある感じを求めて、ああでもない、こうでもない、これならどうだ、という繰り返しである。これをやっていると、見た目には同じことを繰り返しているように見えるが、本人の中ではそうではない。すべて別のことである。だから楽しくて飽きないのだが、ただ漫然とやってる人は、同じことの繰り返しになってしまうので、すぐ飽きる。
 何度も何度も三戦をやる。基本をやる。巻藁を突く。同じ技を稽古する。外からは同じに見えても、本人は同じことを繰り返している訳ではない。この楽しみを味わえるようになることが、武道における上達なのである。
 このブログにも何度も書いているし、稽古でも言っているので、全員そんなことは百も承知である。だが西岡さんがいうように、「そんなん知ってますわ」では何の役にも立たない。
 よく基本を繰り返し稽古することが大切だと言われるが、どうも誤解している人が多いようだ。
 一見同じことの繰り返しに見えることを、全て別のことと感じて楽しめる心。これが武道の稽古の心構えであり、この心を身につけることが上達の秘訣である。

西岡常一ほか『木のいのち木のこころ』

 この本は私の人生の書の一つである。何回読んだだろう。読む度に新しい発見がある。つまり、その時々の自分の状態と課題、問題意識などに応じて本書がいろいろなことを教えてくれるのである。
 本書は、徒弟制度における技術伝承の実際とその意味が見事に語られている。何よりすばらしいのは、師匠と弟子と孫弟子の3世代にわたってインタビューされていることである。それによって、教える側、教えられる側の両方のことが分かるし(しかも同じ人の両面が)、その教育によって具体的にどのようなお弟子さんが育つかが分かる。しかも、本書にちょっとだけ名前の出てくる菊池さんがNHKのプロフェッショナルに出られたり、

を出されたりしているので、ますますよく分かる。
 西岡さんの教え方は、弟子の小川さんによれば次のようなものだった。

 「鉋屑はこういうもんや」
 って鉋を1回かけてその鉋屑をくれただけや。それを窓ガラスに貼っておいて、それと同じような鉋屑が出るまで自分で削って、研究しなければあかんのや。(p233)

 そして西岡常一棟梁もその師から同じように教えられた。

 刃物を研ぐというのはどういうことかといいましたらな、人からは教われませんのや。私が弟子の小川にいったのは、自分で削った鉋屑を見せまして、こんなふうにやるんだ、そういっただけですわ。
 私のおじいさんもそうでした。台の上に鉋を置きまして、鉋というのはこういうもんやと言いましてな、キセルの雁首で鉋を引っかけまして、そっと引っ張りましたんや。鉋屑がどこにも出てきませんのや。それで息をふっと吹きかけますと、ひゅるひゅると出てきました。そして「こないふうにやるのや」というだけですわ。

 カッコいい-。こんなおじいさんに私もなりたい(絶対無理だ)。そして次のように言う西岡棟梁も素晴らしい。

 目の前でやって見せてくれるんですから、できますのや。口で「向こうが見えるほどの屑を出してみい」といわれただけでしたら、「そんなん、できるか」と思いますが、目の前で簡単にやって見せてくれるんですからな。やらななりませんやろ。(85)

 なかなかこうは思えない。だがこれが徒弟制度を支える基本なのである。この少し前で西岡棟梁がこう書いている。

 教わるほうは「もっとちゃんと教えんかい」、「これだけじゃ、できるわけないやろ」、「おれはまだ新入りで親方とは違うんじゃ」とかいろんなことが思い浮かびます。しかし、親方がそういうんやからやってみよう、この方法ではあかん、こないしたらどうやろ、やっぱりあかん、どないしたらいいんや。そうやってさまざまに悩みますやろし、そのなかで考えますな。これが教育というもんなないんですかいな。自分で考えて習得していくんです。(75)

 この心構えがないと、よい弟子にはなれない。小川さんの話を聞くと、そのことがよく分かる。小川さんが弟子入りして最初に言われたのは、

「道具を見せてみい」だった。
 「それをちょっと見て、棟梁はぽんと捨てたもんな」。そして、
 棟梁がその後にいったのは、
 「納屋を掃除しておき」
 これだけや。
 「はい」
 って答えて納屋へ掃除に行ったよ。
(206)

 同じことをされて、「はい」と素直に掃除に行く自信は私にはない。だが驚くべきはその次である。

そこには棟梁の道具が置いてあったし、鉋屑なんかがあったな。
 「納屋を掃除しろ」ということは、「そこには自分の道具が置いてある。わしの道具を見てみろ。わしがおまえの鑿や鉋がまったくあかんというてる意味がわかるはずや。(略)掃除をしながらわしの仕事をよーく見ろ」ということだった。

 小川さんは、棟梁の意図をしっかりと受け取ったのである。このような心構えが出来ていないと、小川さんのように優れたお弟子さん、そして師匠になれないのである。「人の道具捨てやがって。なんで掃除せなあかんのじゃ」などと思っていては、この意図が分からない。だから、西岡さんも小川さんも、口を揃えて言うのは「素直さ」の大切さである。

 (西岡)親方のいうことにいちいち反対しているうちは、親方のいうことがわかりませんのや。一度、生まれたままの素直な気持ちにならんと、他人のいうことは理解できません。素直で、自然であれば正直に移っていきますな。そのなかから道が見つかるんです。(75)

 西岡さんの優れた指導法、技術に対する厳しさ、自然や命に対する価値観、人柄に感動し、小川さんの優れた心構えと情熱に感銘を受け、〈人〉まで読み進めると、初めて読んだ時は、非常に驚いた。えっ?これが小川さんのお弟子さん?と失礼ながら思ってしまったのである。しかしよく読むと考えが変わった。これが「徒弟制度は個性を生かす」ということの意味かと思うに至ったのだ。本書の価値を真に理解するためには、この〈人〉が不可欠なのである。聞き手である塩野さんに感謝である。

 究極の技術を伝承するためには、徒弟制度が最も効率がよい。それ以外にないといってもいいくらいである。また徒弟制度は、それぞれの個性を真に輝かせることができる。
 しかしそれゆえ、この優れた教育システムは、非常に危うい面をもっている。プロ仕様の包丁を素人は使えないように、このシステムは、使い方を誤ると悲惨なことになる。現実にはその方が多かったのかも知れない。だから徒弟制度というと非常に評判が悪い。苦い思い出をもっている人も多いだろう。しかし何度も言うが、本当に優れた技術を継承し、なおかつ自分の個性を遺憾なく発揮するためには、徒弟制度は非常に優れた教育システムなのである。あまりにハイレベルなので、師匠も弟子も非常に高い心構えを持っていなければならない。
 本書を読むと私は、いつでも6代目笑福亭松鶴師匠と笑福亭鶴瓶さんのことを思い出す(それについてはまた今度)。
 本書で西岡棟梁は、学校教育と比較して語っているが、私は学校教育に徒弟制度を入れるべきだと考えている訳ではない。それは無理である。目的も、生徒の数も違う。第一、学校は先生を選べない。例えば小川さんは、修学旅行で法隆寺を見て驚き、自分も作ってみたいと思い、西岡棟梁に弟子入りしている(もっとも西岡さんのことはよく分からず訪ねたようだが)。
 徒弟制度は、まず技術の結果(建物など)があって、自分もそれを作りたいという思いと、その技術を持った師匠へのあこがれ、いつか自分も師匠のようになりたいという夢が修行を支えるのであって、その前提がないところでは難しいのである。もちろん、武道などでもたまたま近所の道場に入門した、という場合もある。だが、それでも、必ずどこかで、「自分はこの師匠を自ら望んで選んだのだ」と強く確信し、師匠にあこがれるという、「師匠とその技術を学ぶ意味の掴み直し」経験がなければならない。それが来るまでは、「弟子」ではなく「生徒」である。だから最近の道場では、「弟子」と呼ばず、「道場生」と呼ぶところが多い。もちろん徒弟制度を採用している道場は非常に少ないだろう。

 また本書には、高田好胤さんの話が少し出てくる。これをきっかけに、「話の散歩道」(CD-BOX)を購入して拝聴したが、これまた感動の連続であった。
 あんまりいい本なので、武道部の課題図書に指定してある。

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