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2009-07

亀仙師匠はまだ早い!

 亀仙師匠アロハシャツを着て喜んでいたら、「まだお前には亀仙師匠の格好は早い。これでも着ておけ」とばかりに、亀Tシャツを着せられた。これで、師匠と弟子の両方になれるです、はい。
 でも2週間ほど頭を刈ってないので、クリリンにはなれませんでした。kame.JPG
kamebuck.JPG

バーゼルからの便り200907

 スイスのバーゼルにいる留美子さんからメールがきた。

なんと、剣道とベリーダンスを始めたそうである。そしてこう書かれていた。

剣道の先生はドイツ語、ダンスの先生はフランス語で話され、時々しか英語を使いません。ほとんど何をおっしゃっているのかわかりませんが、言葉が聞き取れなくてもわからなくても、何を伝えようとしておられるのかを感じることに努力しています。

 彼女は空手もそうやって上達してきたので、剣道であろうが、ダンスであろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、へっちゃらなのである。
 今武道部にいるマシューくんも日本語がほとんど分からないが、めきめき上達している。ぜひ見習いたいものである。
 そしてメールはこう結ばれていた。

 この地でしか触れることが出来ないことを楽しんで生きたいと思います。

 本当に素敵な若い夫婦である。空手の稽古も続けているようだし、今度会ったときには、空手に加えて、見事な竹刀捌きとベリーダンスを披露してくれることだろう。

 ところで、恥ずかしながらベリーダンスというのを知らなかったので早速検索してみた。びっくりした-!こんなんやってるねんね。るー。

空(くう)の写真家

放映は大分前だったが、水中写真家の中村征夫さんがプロフェッショナルに出ておられた。コウイカの交接の撮影に挑んでおられるとき、こう語っておられた。

 交接とかすぐそこでは行われていても、僕にはただ見えないだけで、魚の方は全部僕の方を察知していると思うんだけどね。だから撮ろう撮ろうとかね、いろいろ考えてちゃうと、その波長というのはもうどんどん相手に届いているんじゃないかと思うんですよ。だから空の状態でいかないと。

スタジオでも、

撮るぞ、撮るぞという意識を持たない。

自分の気をなくすようにリラックスした状態で、来たらシャッターを静かに押そうかなと考えていると、以外にそういういいチャンスに出会えると思うんですよね。

とおっしゃっていた。

 素晴らしい。年来力説しているように、すぐれたプロフェッショナルは、みなこの逆説を生きているのである。そしてこの「逆説」に極めて自覚的であり、その心の状態を意識的に作り出そうとするのが、武道における形稽古であり、約束組手稽古なのである。

先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず

 蝶夢の『蕉門俳諧語録』にも引かれているが、李由・許六『宇陀法師』に次のような文章がある。

 連衆を撰みてすべし。先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず。歴々の門人に俳諧の手筋通ぜぬ人多し。其人と終にいひ捨てもなし。

 仲間を選べ。芭蕉は、自分の「志」を理解しない人とは生涯、一緒に俳諧をしなかった。身分の高い門人に芭蕉俳諧の「手筋」(本質やその技法)を理解しない人が多かった。そういう人とは、芭蕉は、即興の読み捨て俳諧さえもしなかったのである。

 芭蕉ほど生涯のうちにその俳風を変えた俳人はいない。それゆえ、ついて行けない弟子もたくさんいた。弟子に対して実に細やかな配慮を見せる芭蕉であるが、俳風やその志においては容赦がなかった。ついてこれない弟子はどんどん置いていかれ、新しい弟子をどんどん受け入れた。それゆえ、弟子の間で芭蕉の理解の相違もあった。芭蕉から聞いたと言って、芭蕉の教えを語る支考を、「自分は芭蕉先生からそんな話は聞いてない。だからお前は嘘つきだ」と越人が批判したのも、そういうことである。
 だが、一方で、弟子を型にはめることはなかった。むしろそれを嫌った。其角は芭蕉の初期からの弟子であるが、特に晩年、芭蕉と其角の俳風は全く異なる。しかし、芭蕉は其角を批判するどころか、きちんと認めていた。
 『俳諧問答』にこういう話がある(これも『蕉門俳諧語録』にある)。
 芭蕉と其角の俳風があまりに違うので、困った許六は芭蕉に直接こう訊ねた。「其角は師の高弟ですが、その師弟の考えがこうも違っていては、信頼できません。どういうことでしょうか?その疑問に答えて下さい。一体、師は何を教え、弟子の其角は何を学び得たのですか?」(「師ト晋子ト、師弟は、いづれの所を教へ、習ひ得たりといはむ」)。
 芭蕉はこう答えた。
 自分と其角の俳風は、「閑寂」と「伊達」という違いがある。しかしこれは、それぞれの「すき出たる相違」、つまり、自分の「好き」(数寄)なところ、つまり個性の現れの相違に過ぎないのである。そして、

 師ガ風、閑寂を好でほそし。晋子が風、伊達を好でほそし。此細き所、師が流也。爰に符合スといへり。

 自分は、「閑寂」を好んで「ほそし」。其角は「伊達」を好んで「ほそし」。この「細き所」が私の流儀であり、その点で、私たち師弟は一致しているのである。

 つまり、個性の現れ出たその出方は全くことなるが、本質的な部分で、其角は師である芭蕉の教えをきちんと受け止め、その血脈を継承しているのである。

 其角が芭蕉に入門したのは、14,5歳の頃と言われている。そのとき芭蕉、32歳前後。以後、芭蕉が没するまで師弟関係は続く。

 学問も、説の違いなど大した問題ではない。志の通ずる人と文学を語り合うことほど楽しいことはない。武道も然り。志を同じくする人と稽古しているときほど、幸せなことはないのである。

書類の山からゲラが……

 溜まっている書類の山の中から、今日締め切りのゲラが出てきた。すっかり忘れていた。計画的に仕事をしようと試みてはいるが、ちょっと一つの仕事に神経をとられているうちに、すっかり忘れてしまった。現実はなかなか厳しいものである。
 ともかく、急いでやって、投函。編集者さん、一日遅れるけど許してね。

持てない手

 今日は大学主催のリーダーズ研修会(各サークルの現部長と次期部長候補の研修会)に4人参加しており、欠席。うち二人は武道部以外の部としての参加で、武道部員が他のサークルでも信頼されていることが伺われる(しかし兼部とは大変ですね)。

 今日は全員に三戦、茶帯に砕破を教えた。昔は入門したら2年も3年も三戦ばかり稽古したという話をよく聞くが、三戦はそれほど大切な形である。しかし「大切だ」と頭で分かっていても、続けられない者も多い。三戦を、そして武道を続けるコツは、その都度の状態を敏感に感じ、それと対話し、またやって感じる。その喜びを味わえる感性を育てることである。というよりも、三戦をやっていると自然と育ってくる。余計なことを考えて、その邪魔をしないことである。
 何度も何度も、そして何年も何年も三戦をやっても、新しい感覚があり、新しい発見があり、新しい喜びがある。もちろん新しい困難も。これが面白くて面白くて仕方ない。
 そしてその面白さが、帯が上がるに従って増してくるのである。白帯も色帯も黒帯も、ぜひ味わって欲しい。

 もう一つは、茶帯の砕破。仄聞するところによると、池尾部長は、リー研に行くのを嫌がっていたらしい。今日、茶帯に砕破を教えることを知っていたからである。そして1回抜けることの大きさを十分認識しているということである。

 もちろんそんなことは一言も言っていないのだが、武道部の長期的な稽古の流れと私の指導方針、性格などを考えれば容易に想像がつく。池尾部長もそれが分かるようになり、かつ先回りして考えられるようになったということだ。嬉しい限りである。
 これまでのことを総合的に判断して、これから何が起こるかが予想できること(本当は「予想」ではないのだけれど)、これは武道には不可欠である。毎回の稽古にそういう参加の仕方をしている部員とそうでない部員がいるが、差は歴然としている。
 そういえば、今スイスのバーゼルにいる荒川くんは、黒帯の稽古会には、いつでも稽古内容を予想して参加していた(黒帯の稽古会では、数週間前にテーマが知らされる)。もちろん私にはそれを満足させ、かつその予想をよい方に裏切ることが課せられていた。これがなかなか楽しいのである。
(荒川君、留美子さん、演武会へのメッセージとお菓子ありがとう。パーティーでみんなで美味しく頂きましたよ~)

 閑話休題。茶帯に、掴まれた手を外す約束組手を説明していたとき、いつものようについ調子にのって、「持てない手」をつくってみた。すると石井くんが、「これは……」と言って動かない。「これは……、掴めません……」。何も感じない人は、とりあえず掴むことはできるのだが、武道の感度が上がると、掴めなくなるのである。
 1年とちょっとでここまで来るとは、びっくりである。

第5回演武会

 何度もこのブログに書いてきたが、7月11日の第5回演武会が無事終了した。
 善し悪しは見に来て下さった方が決めることであるが、現部員も、修了生も、ほぼ全員、現在の持てる力を全て発揮出来た。あれ以上は現在の武道部にはできないだろう。もちろんそれぞれ細かいミスもあったが、それも含めて、現在の力を出し切ったと言っていいと思う。

 何より良かったのは、今回の目標だった「気持ちのいい全身全霊」が、それぞれのレベルで精一杯出せていたことである。会場の空気、お帰りになるお客さんの顔、アンケートを見ても、十分それが伝わったようだ。

 私も会場で見ていたので、全ての演目についていろいろ書きたいのであるが、少しだけ。
 やはり何と言っても吹奏楽団とのコラボが、非常に見応えがあった。私は会場の一番後ろで見ていたが、天地人の基本と三戦はみんなの気迫が会場中に行き渡っていたし、今回私が最後の最後まで追い込んだ來原さんと絵実子さんの制引鎮は感動的だった。二人が見事に調和していた。しかも、こんな感じは初めて、という感覚にしてくれる調和だった。ほんとうにいいものを見せてくれたと思う。
 裕子さんの十三手も、それをうまく引き継いでいたし、彼女自身の気持ちもこれまでとは全く違っていたので、それがうまく表現できていて、とてもよかった。
 武道部と吹奏楽団が、それぞれ刺激しあって、調和して、非常にいい空間を作り上げていた。アンケートのほとんどで、良かった演目に上げられていたことからも、それがよく分かる。

 大懸館長も去年とは全く別人の演武だった。本人はあまり気づいていないようだが、ここ1年の成長は目覚ましく、今、まさに大切なものをつかみかけている。たぶん上手くつかんでくれるだろう。飛躍する日も近い、と思う。
 豊川くんも、余計なことを一切考えず、演武会に溶け込んでいたように思う。彼は幸せ感にあふれていた。これまで色々あったこともあり、あの場にいられる幸せを一番感じていたのは、間違いなく彼だった、と思う。そばにいるだけで、こっちまで幸せになって、非常によい三戦体になれた。豊川くん、ありがとう。

 そしてやはり実行委員長の幸美さんが一番頑張ってくれた。実行委員長の重責を担いながら、自分の独演もやり切った。演武会全体に気を配りながら、自分の演武にも集中することは、とても難しいのであるが、ヌンチャク独演、そして空中に浮かぶ風船を割るという高度な試割も見事に決めてくれた。すばらしい集中力だった。といっても、彼女はまだ武道歴1年2ヶ月なのである。これを糧に、ますます成長してくれるだろう。

 もちろん、はじめにも書いたが、それぞれに色々なミスをしている。しかりその足りないところを知ることも、演武会の大きな目的のひとつである。自らの足りないところを克服するために、またこれから一人一人が地道に稽古を続けてゆくだろう。
 数年前、武道部は、それまで年1回だけ出ていた試合に出るのをやめた。他人と競うのもやめた。試合に出ることのメリットもよく分かっているが、それでもやめた。今の自分をしっかりと見据え、成長させるための地道な稽古をするためだ。そこにあるのは、自問自答である。それは困難な道ではあるが、実に楽しい道なのである。一端その味を知ったら、もうやめられないのである。
 だから明日からまた武道部はいつものように週2回、いつもの稽古をするのである。

 会場にきて下さった方、どうもありがとうございました。皆様の温かい心が、部員を勇気づけ、力を与え、これからも頑張ろうという気持ちにして下さったと思います。心より御礼申し上げます。
 
 演武会終了後は恒例のホテル日航豊橋での同窓会をかねたパーティー。やはり29階ラメールからの眺めは最高です。今年は修了生もたくさん来てくれて、とてもいいパーティーでした。
 そこでなんと、みなさんから誕生日プレゼントを頂きました。それも、尊敬する亀仙人師匠ばりのアロハシャツと半ズボン。感謝感激です。あんまり嬉しかったので、翌日早速着てみました。甲羅は、今度自分で作ります。 
aroha.JPG
 

最高潮!

 演武会を土曜日に控え、武道部の空気は最高潮です。白帯も色帯も黒帯も、全員演武会モード全開です。私も全開になってしまって、調子にのって稽古後、知里さんに技をかけまくって遊んでしまいました。「知里さんが豊川君になってしまいました!」と誰かが言ったとか言わないとか。
 武道部演武会史上最強の演武会、これが今年の目標です。この調子でいけば、達成されることは間違いない。あとは油断せず、最後の最後まで、稽古あるのみです。
 まあ、毎年言ってるんだけどね。「武道部演武会史上最強」って。目出度く今年で5回めです(^^)

 でも本当に今年の演武会は、今までにない演武会になると思う。私はそう信じている。

特別講習会

5日。
制引鎮特別講習会。
非常に楽しい稽古だった。
最後に演武会用に、絵実子さん・央さんが制引鎮、裕子さんが十三手、鶴岡くんが十八手をやる。全員かなりよかった。
その後、私が、制引鎮、十三手、三十六手、壱百零八手を一人でやる。
結構、頑張りました。が、とても楽しい時間でした。

七夕古書大入札会

3日。
明治古典会の七夕古書大入札会の下見展観。
まず「伝書」をみた。入札会は、色々な分野の「伝書」がたくさん出品されるので、大変有難い。普段の調査は俳諧伝書だけで手一杯で、なかなか他の伝書まで見ることができないからである。いろいろな伝書を見ていると、人々が伝書なるものを作りたくなる気持ちが何となく分かってくる。特に武道伝書は、個人的な興味もあって面白い。今回もちょっと面白いものがあった。
 俳諧では、4年ほど前に新聞で報道された、蕪村の「春興」(毛筆8行)が出ていた。それと当日新聞を賑わせた、子規の「幻の選句集」「なじみ集」。個人的には和田克司先生が朝日新聞で語っておられた「〈なじみ〉の顔が誰なのか、子規の周辺の人との結びつきもこれで明らかになる」という点が興味深かった。ぜひ明らかにしていただきたい。帰りに、その和田先生と入り口でばったりお会いした。
 もう一点、新聞に出ていた三島由紀夫の書簡と写真。写真の綺麗さに驚いた。「憂国」の切腹シーン6枚の他、目録には「「血と薔薇」聖セバスチャンの殉教2枚(篠山紀信撮影一枚は家族や出版社からの意見で使われなかった幻の未発表写真」とある。
 他にもいろいろ見せていただきました。

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