中森康之ブログ
西岡常一ほか『木のいのち木のこころ』
- 2009-08-04 (火)
- 読書
発売元: 新潮社
この本は私の人生の書の一つである。何回読んだだろう。読む度に新しい発見がある。つまり、その時々の自分の状態と課題、問題意識などに応じて本書がいろいろなことを教えてくれるのである。
本書は、徒弟制度における技術伝承の実際とその意味が見事に語られている。何よりすばらしいのは、師匠と弟子と孫弟子の3世代にわたってインタビューされていることである。それによって、教える側、教えられる側の両方のことが分かるし(しかも同じ人の両面が)、その教育によって具体的にどのようなお弟子さんが育つかが分かる。しかも、本書にちょっとだけ名前の出てくる菊池さんがNHKのプロフェッショナルに出られたり、
を出されたりしているので、ますますよく分かる。
西岡さんの教え方は、弟子の小川さんによれば次のようなものだった。
「鉋屑はこういうもんや」
って鉋を1回かけてその鉋屑をくれただけや。それを窓ガラスに貼っておいて、それと同じような鉋屑が出るまで自分で削って、研究しなければあかんのや。(p233)
そして西岡常一棟梁もその師から同じように教えられた。
刃物を研ぐというのはどういうことかといいましたらな、人からは教われませんのや。私が弟子の小川にいったのは、自分で削った鉋屑を見せまして、こんなふうにやるんだ、そういっただけですわ。
私のおじいさんもそうでした。台の上に鉋を置きまして、鉋というのはこういうもんやと言いましてな、キセルの雁首で鉋を引っかけまして、そっと引っ張りましたんや。鉋屑がどこにも出てきませんのや。それで息をふっと吹きかけますと、ひゅるひゅると出てきました。そして「こないふうにやるのや」というだけですわ。
カッコいい-。こんなおじいさんに私もなりたい(絶対無理だ)。そして次のように言う西岡棟梁も素晴らしい。
目の前でやって見せてくれるんですから、できますのや。口で「向こうが見えるほどの屑を出してみい」といわれただけでしたら、「そんなん、できるか」と思いますが、目の前で簡単にやって見せてくれるんですからな。やらななりませんやろ。(85)
なかなかこうは思えない。だがこれが徒弟制度を支える基本なのである。この少し前で西岡棟梁がこう書いている。
教わるほうは「もっとちゃんと教えんかい」、「これだけじゃ、できるわけないやろ」、「おれはまだ新入りで親方とは違うんじゃ」とかいろんなことが思い浮かびます。しかし、親方がそういうんやからやってみよう、この方法ではあかん、こないしたらどうやろ、やっぱりあかん、どないしたらいいんや。そうやってさまざまに悩みますやろし、そのなかで考えますな。これが教育というもんなないんですかいな。自分で考えて習得していくんです。(75)
この心構えがないと、よい弟子にはなれない。小川さんの話を聞くと、そのことがよく分かる。小川さんが弟子入りして最初に言われたのは、
「道具を見せてみい」だった。
「それをちょっと見て、棟梁はぽんと捨てたもんな」。そして、
棟梁がその後にいったのは、
「納屋を掃除しておき」
これだけや。
「はい」
って答えて納屋へ掃除に行ったよ。(206)
同じことをされて、「はい」と素直に掃除に行く自信は私にはない。だが驚くべきはその次である。
そこには棟梁の道具が置いてあったし、鉋屑なんかがあったな。
「納屋を掃除しろ」ということは、「そこには自分の道具が置いてある。わしの道具を見てみろ。わしがおまえの鑿や鉋がまったくあかんというてる意味がわかるはずや。(略)掃除をしながらわしの仕事をよーく見ろ」ということだった。
小川さんは、棟梁の意図をしっかりと受け取ったのである。このような心構えが出来ていないと、小川さんのように優れたお弟子さん、そして師匠になれないのである。「人の道具捨てやがって。なんで掃除せなあかんのじゃ」などと思っていては、この意図が分からない。だから、西岡さんも小川さんも、口を揃えて言うのは「素直さ」の大切さである。
(西岡)親方のいうことにいちいち反対しているうちは、親方のいうことがわかりませんのや。一度、生まれたままの素直な気持ちにならんと、他人のいうことは理解できません。素直で、自然であれば正直に移っていきますな。そのなかから道が見つかるんです。(75)
西岡さんの優れた指導法、技術に対する厳しさ、自然や命に対する価値観、人柄に感動し、小川さんの優れた心構えと情熱に感銘を受け、〈人〉まで読み進めると、初めて読んだ時は、非常に驚いた。えっ?これが小川さんのお弟子さん?と失礼ながら思ってしまったのである。しかしよく読むと考えが変わった。これが「徒弟制度は個性を生かす」ということの意味かと思うに至ったのだ。本書の価値を真に理解するためには、この〈人〉が不可欠なのである。聞き手である塩野さんに感謝である。
究極の技術を伝承するためには、徒弟制度が最も効率がよい。それ以外にないといってもいいくらいである。また徒弟制度は、それぞれの個性を真に輝かせることができる。
しかしそれゆえ、この優れた教育システムは、非常に危うい面をもっている。プロ仕様の包丁を素人は使えないように、このシステムは、使い方を誤ると悲惨なことになる。現実にはその方が多かったのかも知れない。だから徒弟制度というと非常に評判が悪い。苦い思い出をもっている人も多いだろう。しかし何度も言うが、本当に優れた技術を継承し、なおかつ自分の個性を遺憾なく発揮するためには、徒弟制度は非常に優れた教育システムなのである。あまりにハイレベルなので、師匠も弟子も非常に高い心構えを持っていなければならない。
本書を読むと私は、いつでも6代目笑福亭松鶴師匠と笑福亭鶴瓶さんのことを思い出す(それについてはまた今度)。
本書で西岡棟梁は、学校教育と比較して語っているが、私は学校教育に徒弟制度を入れるべきだと考えている訳ではない。それは無理である。目的も、生徒の数も違う。第一、学校は先生を選べない。例えば小川さんは、修学旅行で法隆寺を見て驚き、自分も作ってみたいと思い、西岡棟梁に弟子入りしている(もっとも西岡さんのことはよく分からず訪ねたようだが)。
徒弟制度は、まず技術の結果(建物など)があって、自分もそれを作りたいという思いと、その技術を持った師匠へのあこがれ、いつか自分も師匠のようになりたいという夢が修行を支えるのであって、その前提がないところでは難しいのである。もちろん、武道などでもたまたま近所の道場に入門した、という場合もある。だが、それでも、必ずどこかで、「自分はこの師匠を自ら望んで選んだのだ」と強く確信し、師匠にあこがれるという、「師匠とその技術を学ぶ意味の掴み直し」経験がなければならない。それが来るまでは、「弟子」ではなく「生徒」である。だから最近の道場では、「弟子」と呼ばず、「道場生」と呼ぶところが多い。もちろん徒弟制度を採用している道場は非常に少ないだろう。
また本書には、高田好胤さんの話が少し出てくる。これをきっかけに、「話の散歩道」(CD-BOX)を購入して拝聴したが、これまた感動の連続であった。
あんまりいい本なので、武道部の課題図書に指定してある。
亀仙師匠はまだ早い!
- 2009-07-27 (月)
- 日記
バーゼルからの便り200907
- 2009-07-24 (金)
- 日記
スイスのバーゼルにいる留美子さんからメールがきた。
なんと、剣道とベリーダンスを始めたそうである。そしてこう書かれていた。
剣道の先生はドイツ語、ダンスの先生はフランス語で話され、時々しか英語を使いません。ほとんど何をおっしゃっているのかわかりませんが、言葉が聞き取れなくてもわからなくても、何を伝えようとしておられるのかを感じることに努力しています。
彼女は空手もそうやって上達してきたので、剣道であろうが、ダンスであろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、へっちゃらなのである。
今武道部にいるマシューくんも日本語がほとんど分からないが、めきめき上達している。ぜひ見習いたいものである。
そしてメールはこう結ばれていた。
この地でしか触れることが出来ないことを楽しんで生きたいと思います。
本当に素敵な若い夫婦である。空手の稽古も続けているようだし、今度会ったときには、空手に加えて、見事な竹刀捌きとベリーダンスを披露してくれることだろう。
ところで、恥ずかしながらベリーダンスというのを知らなかったので早速検索してみた。びっくりした-!こんなんやってるねんね。るー。
空(くう)の写真家
- 2009-07-22 (水)
- 日記
放映は大分前だったが、水中写真家の中村征夫さんがプロフェッショナルに出ておられた。コウイカの交接の撮影に挑んでおられるとき、こう語っておられた。
交接とかすぐそこでは行われていても、僕にはただ見えないだけで、魚の方は全部僕の方を察知していると思うんだけどね。だから撮ろう撮ろうとかね、いろいろ考えてちゃうと、その波長というのはもうどんどん相手に届いているんじゃないかと思うんですよ。だから空の状態でいかないと。
スタジオでも、
撮るぞ、撮るぞという意識を持たない。
自分の気をなくすようにリラックスした状態で、来たらシャッターを静かに押そうかなと考えていると、以外にそういういいチャンスに出会えると思うんですよね。
とおっしゃっていた。
素晴らしい。年来力説しているように、すぐれたプロフェッショナルは、みなこの逆説を生きているのである。そしてこの「逆説」に極めて自覚的であり、その心の状態を意識的に作り出そうとするのが、武道における形稽古であり、約束組手稽古なのである。
先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず
- 2009-07-17 (金)
- 研究
蝶夢の『蕉門俳諧語録』にも引かれているが、李由・許六『宇陀法師』に次のような文章がある。
連衆を撰みてすべし。先師一代、志の通ぜぬ人と俳諧せず。歴々の門人に俳諧の手筋通ぜぬ人多し。其人と終にいひ捨てもなし。
仲間を選べ。芭蕉は、自分の「志」を理解しない人とは生涯、一緒に俳諧をしなかった。身分の高い門人に芭蕉俳諧の「手筋」(本質やその技法)を理解しない人が多かった。そういう人とは、芭蕉は、即興の読み捨て俳諧さえもしなかったのである。
芭蕉ほど生涯のうちにその俳風を変えた俳人はいない。それゆえ、ついて行けない弟子もたくさんいた。弟子に対して実に細やかな配慮を見せる芭蕉であるが、俳風やその志においては容赦がなかった。ついてこれない弟子はどんどん置いていかれ、新しい弟子をどんどん受け入れた。それゆえ、弟子の間で芭蕉の理解の相違もあった。芭蕉から聞いたと言って、芭蕉の教えを語る支考を、「自分は芭蕉先生からそんな話は聞いてない。だからお前は嘘つきだ」と越人が批判したのも、そういうことである。
だが、一方で、弟子を型にはめることはなかった。むしろそれを嫌った。其角は芭蕉の初期からの弟子であるが、特に晩年、芭蕉と其角の俳風は全く異なる。しかし、芭蕉は其角を批判するどころか、きちんと認めていた。
『俳諧問答』にこういう話がある(これも『蕉門俳諧語録』にある)。
芭蕉と其角の俳風があまりに違うので、困った許六は芭蕉に直接こう訊ねた。「其角は師の高弟ですが、その師弟の考えがこうも違っていては、信頼できません。どういうことでしょうか?その疑問に答えて下さい。一体、師は何を教え、弟子の其角は何を学び得たのですか?」(「師ト晋子ト、師弟は、いづれの所を教へ、習ひ得たりといはむ」)。
芭蕉はこう答えた。
自分と其角の俳風は、「閑寂」と「伊達」という違いがある。しかしこれは、それぞれの「すき出たる相違」、つまり、自分の「好き」(数寄)なところ、つまり個性の現れの相違に過ぎないのである。そして、
師ガ風、閑寂を好でほそし。晋子が風、伊達を好でほそし。此細き所、師が流也。爰に符合スといへり。
自分は、「閑寂」を好んで「ほそし」。其角は「伊達」を好んで「ほそし」。この「細き所」が私の流儀であり、その点で、私たち師弟は一致しているのである。
つまり、個性の現れ出たその出方は全くことなるが、本質的な部分で、其角は師である芭蕉の教えをきちんと受け止め、その血脈を継承しているのである。
其角が芭蕉に入門したのは、14,5歳の頃と言われている。そのとき芭蕉、32歳前後。以後、芭蕉が没するまで師弟関係は続く。
学問も、説の違いなど大した問題ではない。志の通ずる人と文学を語り合うことほど楽しいことはない。武道も然り。志を同じくする人と稽古しているときほど、幸せなことはないのである。
書類の山からゲラが……
- 2009-07-16 (木)
- 研究
溜まっている書類の山の中から、今日締め切りのゲラが出てきた。すっかり忘れていた。計画的に仕事をしようと試みてはいるが、ちょっと一つの仕事に神経をとられているうちに、すっかり忘れてしまった。現実はなかなか厳しいものである。
ともかく、急いでやって、投函。編集者さん、一日遅れるけど許してね。
- コメント: 0
- トラックバック: 0
持てない手
- 2009-07-15 (水)
- 武道部
今日は大学主催のリーダーズ研修会(各サークルの現部長と次期部長候補の研修会)に4人参加しており、欠席。うち二人は武道部以外の部としての参加で、武道部員が他のサークルでも信頼されていることが伺われる(しかし兼部とは大変ですね)。
今日は全員に三戦、茶帯に砕破を教えた。昔は入門したら2年も3年も三戦ばかり稽古したという話をよく聞くが、三戦はそれほど大切な形である。しかし「大切だ」と頭で分かっていても、続けられない者も多い。三戦を、そして武道を続けるコツは、その都度の状態を敏感に感じ、それと対話し、またやって感じる。その喜びを味わえる感性を育てることである。というよりも、三戦をやっていると自然と育ってくる。余計なことを考えて、その邪魔をしないことである。
何度も何度も、そして何年も何年も三戦をやっても、新しい感覚があり、新しい発見があり、新しい喜びがある。もちろん新しい困難も。これが面白くて面白くて仕方ない。
そしてその面白さが、帯が上がるに従って増してくるのである。白帯も色帯も黒帯も、ぜひ味わって欲しい。
もう一つは、茶帯の砕破。仄聞するところによると、池尾部長は、リー研に行くのを嫌がっていたらしい。今日、茶帯に砕破を教えることを知っていたからである。そして1回抜けることの大きさを十分認識しているということである。
もちろんそんなことは一言も言っていないのだが、武道部の長期的な稽古の流れと私の指導方針、性格などを考えれば容易に想像がつく。池尾部長もそれが分かるようになり、かつ先回りして考えられるようになったということだ。嬉しい限りである。
これまでのことを総合的に判断して、これから何が起こるかが予想できること(本当は「予想」ではないのだけれど)、これは武道には不可欠である。毎回の稽古にそういう参加の仕方をしている部員とそうでない部員がいるが、差は歴然としている。
そういえば、今スイスのバーゼルにいる荒川くんは、黒帯の稽古会には、いつでも稽古内容を予想して参加していた(黒帯の稽古会では、数週間前にテーマが知らされる)。もちろん私にはそれを満足させ、かつその予想をよい方に裏切ることが課せられていた。これがなかなか楽しいのである。
(荒川君、留美子さん、演武会へのメッセージとお菓子ありがとう。パーティーでみんなで美味しく頂きましたよ~)
閑話休題。茶帯に、掴まれた手を外す約束組手を説明していたとき、いつものようについ調子にのって、「持てない手」をつくってみた。すると石井くんが、「これは……」と言って動かない。「これは……、掴めません……」。何も感じない人は、とりあえず掴むことはできるのだが、武道の感度が上がると、掴めなくなるのである。
1年とちょっとでここまで来るとは、びっくりである。
第5回演武会
- 2009-07-14 (火)
- 武道部
何度もこのブログに書いてきたが、7月11日の第5回演武会が無事終了した。
善し悪しは見に来て下さった方が決めることであるが、現部員も、修了生も、ほぼ全員、現在の持てる力を全て発揮出来た。あれ以上は現在の武道部にはできないだろう。もちろんそれぞれ細かいミスもあったが、それも含めて、現在の力を出し切ったと言っていいと思う。
何より良かったのは、今回の目標だった「気持ちのいい全身全霊」が、それぞれのレベルで精一杯出せていたことである。会場の空気、お帰りになるお客さんの顔、アンケートを見ても、十分それが伝わったようだ。
私も会場で見ていたので、全ての演目についていろいろ書きたいのであるが、少しだけ。
やはり何と言っても吹奏楽団とのコラボが、非常に見応えがあった。私は会場の一番後ろで見ていたが、天地人の基本と三戦はみんなの気迫が会場中に行き渡っていたし、今回私が最後の最後まで追い込んだ來原さんと絵実子さんの制引鎮は感動的だった。二人が見事に調和していた。しかも、こんな感じは初めて、という感覚にしてくれる調和だった。ほんとうにいいものを見せてくれたと思う。
裕子さんの十三手も、それをうまく引き継いでいたし、彼女自身の気持ちもこれまでとは全く違っていたので、それがうまく表現できていて、とてもよかった。
武道部と吹奏楽団が、それぞれ刺激しあって、調和して、非常にいい空間を作り上げていた。アンケートのほとんどで、良かった演目に上げられていたことからも、それがよく分かる。
大懸館長も去年とは全く別人の演武だった。本人はあまり気づいていないようだが、ここ1年の成長は目覚ましく、今、まさに大切なものをつかみかけている。たぶん上手くつかんでくれるだろう。飛躍する日も近い、と思う。
豊川くんも、余計なことを一切考えず、演武会に溶け込んでいたように思う。彼は幸せ感にあふれていた。これまで色々あったこともあり、あの場にいられる幸せを一番感じていたのは、間違いなく彼だった、と思う。そばにいるだけで、こっちまで幸せになって、非常によい三戦体になれた。豊川くん、ありがとう。
そしてやはり実行委員長の幸美さんが一番頑張ってくれた。実行委員長の重責を担いながら、自分の独演もやり切った。演武会全体に気を配りながら、自分の演武にも集中することは、とても難しいのであるが、ヌンチャク独演、そして空中に浮かぶ風船を割るという高度な試割も見事に決めてくれた。すばらしい集中力だった。といっても、彼女はまだ武道歴1年2ヶ月なのである。これを糧に、ますます成長してくれるだろう。
もちろん、はじめにも書いたが、それぞれに色々なミスをしている。しかりその足りないところを知ることも、演武会の大きな目的のひとつである。自らの足りないところを克服するために、またこれから一人一人が地道に稽古を続けてゆくだろう。
数年前、武道部は、それまで年1回だけ出ていた試合に出るのをやめた。他人と競うのもやめた。試合に出ることのメリットもよく分かっているが、それでもやめた。今の自分をしっかりと見据え、成長させるための地道な稽古をするためだ。そこにあるのは、自問自答である。それは困難な道ではあるが、実に楽しい道なのである。一端その味を知ったら、もうやめられないのである。
だから明日からまた武道部はいつものように週2回、いつもの稽古をするのである。
会場にきて下さった方、どうもありがとうございました。皆様の温かい心が、部員を勇気づけ、力を与え、これからも頑張ろうという気持ちにして下さったと思います。心より御礼申し上げます。
演武会終了後は恒例のホテル日航豊橋での同窓会をかねたパーティー。やはり29階ラメールからの眺めは最高です。今年は修了生もたくさん来てくれて、とてもいいパーティーでした。
そこでなんと、みなさんから誕生日プレゼントを頂きました。それも、尊敬する亀仙人師匠ばりのアロハシャツと半ズボン。感謝感激です。あんまり嬉しかったので、翌日早速着てみました。甲羅は、今度自分で作ります。
最高潮!
- 2009-07-08 (水)
- 武道部
演武会を土曜日に控え、武道部の空気は最高潮です。白帯も色帯も黒帯も、全員演武会モード全開です。私も全開になってしまって、調子にのって稽古後、知里さんに技をかけまくって遊んでしまいました。「知里さんが豊川君になってしまいました!」と誰かが言ったとか言わないとか。
武道部演武会史上最強の演武会、これが今年の目標です。この調子でいけば、達成されることは間違いない。あとは油断せず、最後の最後まで、稽古あるのみです。
まあ、毎年言ってるんだけどね。「武道部演武会史上最強」って。目出度く今年で5回めです(^^)
でも本当に今年の演武会は、今までにない演武会になると思う。私はそう信じている。
-
« 2025 年 12月 » 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 -








