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中森康之ブログ

「人間力」養成プロジェクト全体会議

 高専連携教育研究プロジェクト「技術者教育としての課外活動の可能性の提示と「人間力」養成メソッドの開発」、第1回全体会議を行った。豊田高専での研究集会から中1日にも関わらず、函館、沼津、福井、奈良、詫間、八代の全国各地から、実に「濃い」メンバーが集結してくれた。さらに今回はオブザーバーとして、武道部部長の池尾君、第5回演武会実行委員長の加藤さん、稽古に来ていた栄養教諭の栗田さんが参加した。

 優れた実践を重ねてこられた方の報告は、とても刺激的だ。さらにそこから繰り広げられるディスカッションが、これまた面白い。その場でどんどん新しいものが生まれていくライブ感があり、とてもワクワクした。おそらく全員が新しい種をもって帰られたはずだ。私もしっかり頂いた。大事に育てたいと思う。

 圧倒的な実践をされておられる方は、みな共通してとても明るい。その明るいパワーで、学生も地域社会も全部巻き込んでいくのである。そして何より、それを心から楽しんでおられる。
 なんせ最初に書いたように、18~19日の豊田から中1日で再び豊橋に集結したのである。しかも三木先生と岩﨑先生は、28日からの日本高専学会にも来られるので、2週間で3回の来豊である。楽しくなければやってられない。
 
 そもそもこのプロジェクト自体がそうである。みんな「面白そう」だから集まったのである。昨年提案書を書いたとき、1人も応募者がいないかも、と本気で心配した。だったら自分が心底大切だと思い、かつ楽しめる内容にしようと思った。すると、「こんなけったいなこと考えてる人がおんねんな。なんか面白そうやんけ」と(それぞれの方言で)思って、集まって下さったという訳である。
 自分がまず開くこと。その上で、それに共感してくれる人を待つ。という私がいつも学生に言っているやり方をここでも実践したのであるが、それにしてもこんなスペシャルな人が集まるとは夢にも思いませんでした。

武道部再開

 お盆休みが明けて、武道部の稽古が再開した。大阪から裕子さんが来てくれたので、指導してもらう。さすがによく見ている。

 裕子さんと一致した意見であるが、昨日は紫帯が非常によかった。逆に緑帯は変な癖がついていた。お盆休みに自分で間違った稽古をしたのかもしれない。いずれにせよもうすぐ審査である。それまでどれくらい上達できるか、こちらも楽しみだ。継続的に上達するためには、この審査をうまく利用することが大切である。
 かつて入部して二週間で審査をうけた者がいた。

 二週間しかないのに受けてもいいのでしょうか?

 あほ、二週間もあるやんけ!二週間もあったらどれだけのことができるか考えてごらん。「二週間精一杯やろう」と思って必死に頑張った二週間は、たとえ不合格になったとしても、きっとその後の財産になるよ。
 受けるのと受けないのとでは、その二週間の充実度が全く違う。確かに彼は、二週間必死に稽古し、紫帯になった。そしてその3ヶ月後の大会で組手(色帯)の部で優勝してしまった。この時も、彼には一つだけ技をおしえ、それを徹底的に稽古させ、それ以外の技を出さないように教えた。彼は三ヶ月間、それだけを稽古した。そして見事に優勝したのである。もちろん色帯の部だったからではあるが、もし彼が二週間という期間を「二週間しかない」と考えて審査を受験しなければ、その後の大会での優勝もなかっただろう。優勝するしないは別としても、その後の彼の空手人生はまた違ったものになっていたに違いない。
 彼は、今、泰斗武館の館長をしている。

教育教員研究集会

 18日と19日、国立高専機構主催の教育教員研究集会に行ってきた。場所は豊田高専。
 18日のD会場、第Ⅰセッションと第Ⅱセッションの発表者は、私を入れて8人中、4人が私たちのプロジェクト(課外活動)のメンバーだった。もう一人のメンバーである三崎先生は19日に現代GPの発表をされた。その三崎先生と、今年からのメンバーである三木先生が賞を受賞された。
 私がやっているもう一つのプロジェクト(日本語コミュニケーション)の方も、焼山先生がご発表、私の担当分への質問があったので、聴講席から質問に答えることになった。こちらも今年からのメンバーである畑村先生もご発表。畑村先生は、1回目からこの研究集会に参加しておられ、昨年賞を受賞されたという強者である。
 結局、今回二つのプロジェクト関係者が、都合8名発表した。来年はうまくいけば、11名が発表することになる。楽しみである。
 
 終了して帰ってきたら、夜は武道部の稽古がまっていた。

同じことを繰り返す感性

 先日、稽古における「同じことの繰り返し」について書いた(稽古の心構え)が、そのすぐ後に出た「秘伝」9月号で、同じことが話題になっていた。
 こういうことがよくある。まあ他の人でも言えることしか私が言っていないということかもしれないが、それはともかく、「秘伝」の、内田樹さんと成瀬雅春さんの対談である。もちろん内容はよく似ていても、言い方は違う。言い方が違えば、伝わる道筋と力が違う。そして結局、内容も違うということになるのである。でもこの部分だけでいうと、細かいことを抜きにすれば大体同じことを言っていると考えていいと思う。

(成瀬)……ちゃんと技として生かすためには、同じことを何百回、何千回、何万回やって、徐々に徐々に身体が一つのルートを覚えていくわけですね。……それは当然やらなきゃいけないことなんだけど、一方で、同じ動作を「今日僕は百回やりました」っていう人と、同じ動作を百回やりつつも、そのなかで違うルートを探って百回やった人との違いが凄くある。
(内田)そうですね。それは僕もよく稽古のときに言うんです。一回ずつの技はどれも自分の身体を使った実験なんだから、必ずテーマを持ってやってくださいって。仮説を立てて、ある仮説で動いた場合には何が起こるのかをチェックしなさいって。……でも実験精神のない人は同じことをやるんですよね。同じことをやるのは鍛錬の稽古で、筋肉は付くけど、運動の質は変わらない。

(成瀬)同じことを百回やっているなかでも、感性のある人は実は同じでないことに気が付く。この差は大きい。実は全く同じことって二度とできない。本人は全く同じことをやっているつもりでも、少しずつどこか違う。その「どこか違う」っていうのをどの位見つけられるかということですよ。
 成瀬さんは逆から言っているし、内田さんも私とは多少内実が違うが、でもまあだいたいこんなことを、私は自問自答(自感自答)と言っているのである。

秘伝の書(西尾市岩瀬文庫企画展)

 昨日、西尾市岩瀬文庫企画展「秘伝の書」を見てきた。
 和歌や連歌俳諧関係の、非常に興味をそそられる伝書もあり、記憶術や汚れの落とし方の秘伝書もあり、それ以外にも様々な分野の秘伝書が一覧できるという、なんとも贅沢な展示だった。堪能させて頂きました。
 その後は岩瀬文庫の資料を拝見。美濃派伝書ほか、俳諧の伝書を中心に見せて頂いた。詳しく内容を検討したい伝書もいくつかあった。さすが岩瀬文庫。これからもしばしば行きたいですね。

江川坦庵公遺訓

 11日、伊豆を離れる前に、英龍(坦庵)で有名な、重要文化財 江川邸に寄る。
 塾の間に野田蘭洞の額があった。これに関する説明は何もなかったし、自分で調べてもいないので、出典や詳細は不明であるが、ともかくこう書かれていた。
  江川坦庵公遺訓
 
 平素十分の技術も
 時に臨み用をなすは
 五分にして若し其の功
 用八分を得は天下に敵
 なし   蘭洞主人書

 さすが、佐久間象山をはじめ多くの傑物が砲術を学んだ師である。

地震

 今朝、東海・伊豆地方で強い地震があった。私は伊豆の国市にいた。阪神淡路大震災の悪夢が蘇ったが、じっと揺れるのを待った。
幸い揺れはすぐにおさまり、ものが落ちてくることもなかった。豊橋に帰る日だったので、東名高速が通行止めになって、ひどい渋滞の中、一般道で帰らなければならなくなったくらいである。幸運だったと思う。
 6:11 静岡県内に帰省中だった部員から、無事を知らせるメールが届く。
その後、卒業生やその他関係者からも、自分たちの無事の報告やお見舞いメールが届く。私が伊豆にいることを知っていた者からは着信があった。
 幸い電波も混んでいる様子もなかったので、返信と折り返し電話をした。

 被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
 

中国茶

 縁あって茶香苑(中国茶専門店)のご苑主と知り合いになり、昨日何人かでお邪魔しました。いろいろ楽しいお話を聞かせていただき、おいしい中国茶を堪能しました。
 瀧澤師匠、ありがとうございました。

一本とられました

 昨夜、蚊がいた。
妻「蚊取るやつあるやん。つけーや」
僕「あれ、何年も前のやで。中の液体腐ったりしてへんか?」
妻「知らん」
僕「つけて寝て、起きたら三人とも死んでたらどーすんねん」

 もちろん何の根拠もないただの洒落である。メーカーさんすみません。

 するとその会話を聞いていた娘がぽつり。

「起きたら三人とも死んでることはありえへんで」。

ごもっとも。うちは三人家族です。

稽古の心構え

 昨日の稽古に行ったら、杖の稽古をしているところだった。受けの粘りの感覚が分からないようだったので、少し手本を見せてから、「約束組手でやると分かりやすいよ」ということで、約束組手になった。すると面白いことが起こった。
 だんだんと意識が違う方を向きはじめたのである。 最初は全員が粘る感じを確かめていた。みなそこに意識を集中していた。だが、そのうち別のことを意識し始める者、漫然とやりだす者が出てきた。隣でそういう者が出ると、すぐ移るので、だんだん増えていった。ちょっと長めに時間をとって見ていたが、最後まで粘る感じを確かめながら稽古していたのは、ほんの数人である。もちろんこの数人が、現在武道部で一番上達している部員である。
 一度止めて、ひとりずつ技を見せたあと、何を意識しながら稽古していたかを言った。正直に言った者もいれば、嘘をついた者もいたが、その前に技を見せているので、ほとんどの者には分かったはずである。 
 武道の稽古は自問自答(自感自答)が大切である。ある感じを求めて、ああでもない、こうでもない、これならどうだ、という繰り返しである。これをやっていると、見た目には同じことを繰り返しているように見えるが、本人の中ではそうではない。すべて別のことである。だから楽しくて飽きないのだが、ただ漫然とやってる人は、同じことの繰り返しになってしまうので、すぐ飽きる。
 何度も何度も三戦をやる。基本をやる。巻藁を突く。同じ技を稽古する。外からは同じに見えても、本人は同じことを繰り返している訳ではない。この楽しみを味わえるようになることが、武道における上達なのである。
 このブログにも何度も書いているし、稽古でも言っているので、全員そんなことは百も承知である。だが西岡さんがいうように、「そんなん知ってますわ」では何の役にも立たない。
 よく基本を繰り返し稽古することが大切だと言われるが、どうも誤解している人が多いようだ。
 一見同じことの繰り返しに見えることを、全て別のことと感じて楽しめる心。これが武道の稽古の心構えであり、この心を身につけることが上達の秘訣である。

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