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武道部 アーカイブ

また調子にのってしまいました

 昨日の稽古は、試験が近づいた学生や、インフルエンザ濃厚接触者になってしまった学生が多く、なんと3人だった。
 人数が少ないときは特別稽古になるという武道部の伝統にしたがって、スペシャル稽古をした。
 新部長のリクエストによって、投げ技を教えた。そこまではよかったのだが、終了時間になってもう帰ろうと思ったら雨が降っていた。武道場に来るときはやんでいたので、傘がない。しかたがないので、ちょっと監督に技をかけて遊んでいた。投げ技の説明をしているときに感じていたことを試してみたのである。
 と、とんでもないことになってしまった。もちろんいつものように調子にのってやっていたのであるが、エスカレートしすぎて、今まで明確にはできなかった技ができた! のである。
 具体的な技についてはここでは書けないが、新部長はあまりの不思議さに、ただ呆然としていた。私自身も、いつものようにはしゃいで大笑いせず、「ふーむ」といいながら、何回も試していた(と自分で思ってるだけで、結構はしゃいでいたかも知れない)。他の人も、楽しそうというよりは、静かにキョトンとして見ていたように思う。笑っていたのは、黒田くんだけだっただろう。彼はとても楽しそうだった。
 土曜日は他の黒帯で試してみよーっと。

久しぶりのコモンズ会

 昨夜、久しぶりのコモンズ会を開催した。コモンズ会とは、武道部員との雑談会である。
 やはり話題は小川さんの講演会の話になった。参加者の多くが、自分は「察せよ」修行コースを歩みたいと表明。
 とても楽しみである。

制引鎮特別講習会

 特別な三連休、二日め。
 10月11日。制引鎮特別講習会。
 今回は、制引鎮の本質的な体の使い方と「弓張」の分解。基本的なものからかなり応用的なものまで色々やった。自分としても新しい展開があり、かなり楽しかった。
 それにしても制引鎮は素晴らし形である。もっともっとこの形を深く身に付けたいと思う。

とよはし中日文化センター(こども空手・剛柔流)

 絵実子さんの、とよはし中日文化センターの空手教室(こども空手・剛柔流)が始まった。
秋の新講座
 二面鏡張りの広くて綺麗な教室。絵実子先生は、さすがに手慣れたもので、子どもの心をうまく掴んで、楽しく、かつきちんとした指導をしていた。
 子どもたちも初めは緊張していたが、だんだん元気が出てきて、帰りの挨拶の時には、目を輝かせて帰って行った。
 尚志館とはまた違った雰囲気の、とてもよい教室になるだろうと思う。
 興味のある方は、ぜひ一度覗いてみて下さいね。 

本人が満足してるんだからいいんじゃないの?

 心配な黒帯がいる。かなり姿勢が崩れているのだ。もう随分と前からその傾向があったが、ここのところかなり顕著になってきたのである。もちろんそれとなくは伝えてきたが、私としてはずっとがまんして見守ってきた。半年や1年のことではないので、とうとう我慢がしきれなくなって絵実子さんに、「はっきり言った方がいいかなあ?」と軽く言った。

 本人がそれで満足してるんだから、いいんじゃないの?

 恐れ入りました。なるほど。本人が現状に満足しているのであれば言っても聞こえないし、満足していなのであれば、言わなくてもそのうち気づいて、自分で修正するか、向こうから聞きに来る。それまでほっとくしかないでしょ、という訳だ。
 それにしても、「本人がそれで満足している」。慧眼という他ない。
 絵実子さんは私なんかよりよほど腹が据わっているのである。

武道部、尚志館の昇級審査と打ち上げ

 武道部と尚志館の昇級審査があった。
まずは武道部。当然のことながらみんな気合いが入っていた。今回は無事全員が昇級できた。喜ばしいことである。
 人間の心はそんなに強くない。武道を修行するものは別に級や段がほしくて修行している訳ではない。だから級や段など別になくてもいいのであるが、しかし昇級するとみな嬉しいし、自信も出てくる。だから、昇級したとたんに見違える者がほとんどである。その小さな目の前の目標と喜びを繰り返し、上達していく。上達してゆくと、この繰り返しのサイクルが大きく、かつ深くなってゆくのである。

 今回の審査で強く感じたのは、部員の技が雑だということである。これは受験していた色帯部員もそうだが、自由組手の相手をしていた黒帯も同様である。もちろん普段から見て私は知っているのだが、それを本人がどのくらい感じられたかが次のステップに繋がると思う。

 収穫もあった。今年次席審査委員になって、今回初めて採点に加わったKさんが、実に正確な採点をしていたことである。これは口で言うほど簡単なことではない。それまで長い間、準備をしてこないとできない。審査委員になってから準備をはじめても遅いのである。Kさんは、審査委員になるずっと前から、審査の時、自分なりに評価、予想、反省をきちんとやってきたのだろう。もちろんだからこそ審査委員に推薦したのである。
 武道部ではあらゆる役割について、いつ自分が急にその立場になっても出来るように、予想と準備をしておくことになっている。口で言うのは簡単だが、実行はとても難しい。

 夕方は尚志館の審査。
こちらも子どもたちが一所懸命やっていた。特に、上級者が頑張っていたのだが、KくんとCさんがとりわけ頑張った。
 Kくんは事情があって夏休み稽古に来られなかった。本人は来たかったに違いない。復帰してすぐの審査だったが、それでもチャレンジしたいと言って受験した。ちなみにKくんは5年生。
 それはもう、驚くほどの頑張りだった。ほんとうによかった。
 Cさんは中1であるが、ここのところ成長著しい。これからまだまだ成長するだろう。楽しみである。

 ここでも別の収穫があった。さっきのKさんが尚志館では号令をかけたのだが、見事に失敗した。もちろんどうしなければいけないかは十分に分かっていたのだが、こちらは予想と準備だけでは無理で、実際に経験を積まないと出来るようにならない(こちらに関しては準備も不足していた)。
 では何が収穫か?
 本人がそのことを自覚し、自分の今のレベルと、自分に何が必要かをはっきりと認識したからである。次はもっとうまくできるだろう。

 夜は恒例の打ち上げ。これまた恒例になっている「一人一言」ももやった。一人一言はいつでも面白い。これは級・段に比例して深い内容のことを話さないといけないという、実に厳しいものなのである。そういう意味では、色帯にはさらなる頑張りを期待したい。

 今回の受験者で、個人的に話をしにきたのは数人だった。私は武道部の飲み会では、自分から個人的に部員に話しかけることをめったにしない。むしろ、何か話したそうにしていると、その場から逃げる。そういう難関を乗り越えて私を捕まえた部員とだけ話すことにしている。
 ここ数回、その関門を突破するのは、ほぼ決まったメンバーになっている。今年入部の部員は誰も来なかった。
 そんな面倒くさい関門を突破してまで話をしたいと思わせる魅力が私にないのだろう。昔はもうちょっと人気があったのになあ。まあ誰も来なくなったら、飲み会に出るのをやめるまでである。

気配を察知する感性

 どうしても外せない急用ができて、現象学研究会をドタキャン。
それで武道部の稽古に1時間ほど遅れて参加できた。
 階段を踊り場まで上ったとき、いつものように入り口を見上げた。それと同時に、ふっと絵実子さんが顔を覗かせた。
 いつものように扉は開いていたのだが、たまたまその横に立っていたようだ。そして私の気配を察知して覗いたのである。別に気配を消して階段を上った訳ではないが、音を立てて上った訳でもない。
 絵実子さんにはこんなことはよくあるが、今回はあまりにもタイミングが良かったので、ちょっと面白かった。
 ちなみに踊り場の段階で外を見た学生は今まで記憶にない。

ようわかったな。
それくらい分かります。

さすがですね。

演武会報告会と研修会と形講習会

いろいろあって、だいぶ更新をサボってました。
大変遅ればせながら、メモ程度に書いておきます。

8月22日、武道部の稽古後、二つ行事があった。
まずは、武道部第5回演武会実行委員会による、部内報告会。
いろいろ問題があったが、なんとか終了。実行委員はもちろん、部員たちにとっていい経験になったはずである。重要なのは、実行委員ではなく、報告を聞いた部員がどのくらい勉強できたか、である。

その後、平成21年度第1回研修会。
今年度は研修会もコモンズ会もできず、ようやく第1回研修会ができた。ただし、報告会の時間がかなり伸びたので、簡単にすませる。
今回は「先輩」の役割についても話す。だが、数日後の出来事を見ていると、今のところ効果は出ていない。これからに期待したい。

その後、尚志館の稽古に行く。

8月23日は、制引鎮特別講習会。
今回は、かなり難しかったようで、ほとんどの人から「難しかった」とメールが来ていた。ちょっと張り切り過ぎました(^^;

武道部再開

 お盆休みが明けて、武道部の稽古が再開した。大阪から裕子さんが来てくれたので、指導してもらう。さすがによく見ている。

 裕子さんと一致した意見であるが、昨日は紫帯が非常によかった。逆に緑帯は変な癖がついていた。お盆休みに自分で間違った稽古をしたのかもしれない。いずれにせよもうすぐ審査である。それまでどれくらい上達できるか、こちらも楽しみだ。継続的に上達するためには、この審査をうまく利用することが大切である。
 かつて入部して二週間で審査をうけた者がいた。

 二週間しかないのに受けてもいいのでしょうか?

 あほ、二週間もあるやんけ!二週間もあったらどれだけのことができるか考えてごらん。「二週間精一杯やろう」と思って必死に頑張った二週間は、たとえ不合格になったとしても、きっとその後の財産になるよ。
 受けるのと受けないのとでは、その二週間の充実度が全く違う。確かに彼は、二週間必死に稽古し、紫帯になった。そしてその3ヶ月後の大会で組手(色帯)の部で優勝してしまった。この時も、彼には一つだけ技をおしえ、それを徹底的に稽古させ、それ以外の技を出さないように教えた。彼は三ヶ月間、それだけを稽古した。そして見事に優勝したのである。もちろん色帯の部だったからではあるが、もし彼が二週間という期間を「二週間しかない」と考えて審査を受験しなければ、その後の大会での優勝もなかっただろう。優勝するしないは別としても、その後の彼の空手人生はまた違ったものになっていたに違いない。
 彼は、今、泰斗武館の館長をしている。

同じことを繰り返す感性

 先日、稽古における「同じことの繰り返し」について書いた(稽古の心構え)が、そのすぐ後に出た「秘伝」9月号で、同じことが話題になっていた。
 こういうことがよくある。まあ他の人でも言えることしか私が言っていないということかもしれないが、それはともかく、「秘伝」の、内田樹さんと成瀬雅春さんの対談である。もちろん内容はよく似ていても、言い方は違う。言い方が違えば、伝わる道筋と力が違う。そして結局、内容も違うということになるのである。でもこの部分だけでいうと、細かいことを抜きにすれば大体同じことを言っていると考えていいと思う。

(成瀬)……ちゃんと技として生かすためには、同じことを何百回、何千回、何万回やって、徐々に徐々に身体が一つのルートを覚えていくわけですね。……それは当然やらなきゃいけないことなんだけど、一方で、同じ動作を「今日僕は百回やりました」っていう人と、同じ動作を百回やりつつも、そのなかで違うルートを探って百回やった人との違いが凄くある。
(内田)そうですね。それは僕もよく稽古のときに言うんです。一回ずつの技はどれも自分の身体を使った実験なんだから、必ずテーマを持ってやってくださいって。仮説を立てて、ある仮説で動いた場合には何が起こるのかをチェックしなさいって。……でも実験精神のない人は同じことをやるんですよね。同じことをやるのは鍛錬の稽古で、筋肉は付くけど、運動の質は変わらない。

(成瀬)同じことを百回やっているなかでも、感性のある人は実は同じでないことに気が付く。この差は大きい。実は全く同じことって二度とできない。本人は全く同じことをやっているつもりでも、少しずつどこか違う。その「どこか違う」っていうのをどの位見つけられるかということですよ。
 成瀬さんは逆から言っているし、内田さんも私とは多少内実が違うが、でもまあだいたいこんなことを、私は自問自答(自感自答)と言っているのである。

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