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研究 アーカイブ

姫街道展

 二川宿本陣資料館で「開館20周年記念 歴史の道~姫街道展~」が開催されている(~11月13日(日))ので行ってきた。資料館は私が本を置いている倉庫のすぐ近くなのである。

今回は図録もある。

現在の写真も展示されており、見ているうちに歩きたくなってきた。
せっかく近くに住んでいるのだから、ぜひ歩いてみたい。

内村鑑三「弟子を持つの不幸」

 山折哲雄さんのCD『親鸞と歎異抄』を聴く。2011年7月19日に京都で収録されたものである。
 その中で、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」と、内村鑑三「弟子を持つの不幸」について語っている。そういえば、『教えること、裏切られること-師弟関係の本質』(講談社現代新書)でも、この二つについて論じられていた。私はこの本に触発されて、短いエッセイを書いたこともある。

 今回もう一度「弟子を持つの不幸」を読み返してみた。
 「弟子を持つの不幸」は、昭和2年8月10日『聖書之研究』325号に掲載された。「原稿箱の底」から発見された「古い原稿」であると注記がある。

 内村はまず、こう述べる。
 自分は生涯において未だかつて、人に向かって「自分の弟子となれ」と言ったことは一度もない。それなのに多くの人は、自分から私を「先生」と呼んで私のもとにやって来たのである。そのような彼らに対して私は、「私はあなたたちの友人であって師ではない。私の宗教においては、師はただ一人キリストである」と忠告し、私の師であるキリストを紹介しようと努めた。

 然るに事実は如何と云ふに、余の此忠告、此努力は百中九十九、或は千中九百九十九の場合に於ては裏切られたのである。(『全集』30巻 390頁)

 内村を先生と呼んで来た者は、そのほとんどが、「自分の懐く理想の実現を想像して」やって来たのだ、という。つまり、内村の信仰について深く追究することなく、「自分の理想」を内村に見てやってきたに過ぎない、というのである。

 実に余の不幸、彼等の不幸、物の譬へやうなしである。390頁

 したがって無数の者が、内村に失望して彼のもとを去ったが、依然として内村に自分の理想を求めてくる者が絶えない。しかし彼等は、

 近代人の悪習として、彼は師を求るに方て之に教へられんとせずして、之に己が理想の実現を迫るのである。391頁

 ほとんどの弟子は、口では「先生」と呼びながら、その実、師に教えられようとするのではなく、師に自分の理想の実現を迫っているに過ぎない、というのである。だから、

 彼等は己が心に画きし理想をそ其の選びし師に移し、其実現を見れば喜び、見ざれば憤るのである。(略)師が教へんと欲するが如く教へられんと欲するのではない、自分が教へられんと欲するが如くに教へられんと欲するのである。391頁

 彼らは、自分の理想を師に映しだし、それが師によって実現されると喜び、そうでないと憤る。つまり彼らは、師が「こう教えたい」と思っていることを教えてほしいのではなく、自分が「そう教えてほしい」と思っているように教えてほしいのである。
 内村はこれを「近代人の悪習」と呼んでいるが、近代に限らず、いつの時代でも人間というものは、ここから逃れるのは非常に難しいのではないだろうか。私の念頭にあるのは芭蕉の弟子たちであるが、芭蕉ほどその人生において俳風を変えた俳人はおらず、どんどん変化し続けた。そしてその芭蕉に、ずっとついていったのはごく僅かな弟子に過ぎない。離れていった者の方が圧倒的に多いのである。
 自分の求めるものから師がズレたとき、自分が求めるものを修正して師について行くのではなく、師が変節してしまった、師はそうあるべきではない、と師に修正を求めてしまうのだろう。だからこそ、芭蕉も空海の言葉としてこう述べているのである。

「古人の跡をもとめず、古人の求(もとめ)たる所をもとめよ」と、南山大師の筆の道(に)も見えたり。(「許六離別詞」)

 「古人」を「師」と置き換えても同じである。弟子は師の求めたるところを求めるのであって、師の跡を求めるのではない。しかし、師を求め、ましてや師をダシにして自分の理想を求めている弟子たちは、自分の教えてほしいように教えてくれない師に対してこう言うのである。

 彼等は先生として仰ぐ人に向つて曰ふのである、「先生、貴方は斯う信じ又教ふべきであります。貴方の信仰は斯くあるべき筈であります」と。391頁

 そしてそれが受け入れられないと分かると、

 彼等は失望し、憤り、罵り、其師を呼ぶに偽善者を以てし、彼を去り、彼に反き、弟子は変じて敵と化し、全然絶交的状態に入るのである。391頁

 こういう者は、枚挙に暇がない、そう内村は嘆いている。

 しかし内村は、これらはいくつかの点に注意をすれば、多くの場合においては避けることは難しくないという。
 一つは、自分の「天与の特長」を忘れないことである。内村は、自分は「労働者(はたらきて)」であって「指導者(リーダー)」ではなく、師たる資格を具えない者であると言う。つまり、

 余の如きは如何なる場合に於ても如何なる人とも師弟の関係に入るべからざる者である。(着)カーライルもベートーベンにも弟子と称すべき者は一人も無(なか)つたやうに、余も亦彼等の跡に従ひ、一人の弟子なくして世を去るべきである。392頁

というのである。それが自分の「天与の特長」なのであると。

 第二に、内村は、自分が人に何を与えることができるかをよく知ってもらいたいという。自分は「旧式の基督者(クリスチャン)である」と。だから、それ以外の物を自分に求める者は失望せざるを得ないのであると。

 余を通うしキリストの福音を看出せし者は永く余の友人として存し、年を経るも余を去らない。十字架の福音以外のものに惹れて余の許に来りし者は、遅かれ早かれ余を離れ、余とは全然関係の無き者となつた。393頁

 第三に、自分は基督者(クリスチャン)であると同時に「旧式の日本人である」という。もし基督教が日本武士の理想を実現する者であるとの事が解らなかったら、自分は基督者(クリスチャン)に成らなかっただろう、というのである。この点は興味深い。

 是れ聖化されたる武士道であつて、余は此道に歩まんとして努むる者である。故に基督者(クリスチャン)であると雖も、英米流の基督者たる事は出来ないのである。(略)余は大抵の事は聖書や基督教に問ふまでもなく日本人の道徳に依て決する。先づ厳格なる日本人であり得ない者は基督信者たる能はずである。394頁

 三つめの話は内村のキリスト教に対する態度が伺われて興味深いのであるが、それはともかく、師も弟子も、自分の本性をよく知り、弟子に与えることができる物、師から与えてもらえる物をよく理解すれば、お互いの不幸はだいぶ避けることができる、というのである。
 
 しかしながら、内村には気の毒だが、師弟ともに、「近代人の悪習」を去り、お互いの本性をよく知り、何を教えることができて、何を学ぶことができるかを十分理解していたとしても、結局は師は弟子に本質的に裏切られることを避けることは出来ない。内村もほんとうはそのことをよく分かっていたはずである。むしろ「近代人の悪習」をもって、自分の理想を師に迫る程度の弟子の方が、裏切り度合いは低い。ただ近寄ってきて、ただ去って行くだけだからである。千人のうち999人は、師をほんとうの意味で裏切ることさえ出来ないのである。
 内村のいうような努力をすればするほど、つまり弟子が真に師から学べば学ぶほど、師は弟子に本質的に裏切られる。逆にいうと、そこまでいって初めて、弟子は「私は師から確かにこのことを学び得た」といい得る。千人のうち999人が去り、最後に残った1人だけが、師を「本質的に」裏切ることができるのである。
 本質的な裏切りを含まない学びは、浅くて薄っぺらい。
 内村の嘆きは、ほんとうは、去った999人に向けられたのではなく、残った1人に向けられていたのかも知れない。

齋藤孝『結果を出す人の「やる気」の技術』(角川oneテーマ21)

 齋藤孝『結果を出す人の「やる気」の技術』(角川oneテーマ21)を読む。

 いつもの「齋藤新書」である。私たちの世代にとってはそれほど驚くことはないが、若い人に対する感覚には共感できるし、彼(女)らに対しそれをどう語ることができるかという点で、大変興味深かった。

 本書の前提は次のような認識である。

 若い人のナイーブで傷つきやすく心が折れやすい傾向は、修業感覚を味わっていないがゆえの弱さだと私は思っています。97頁

 私も同様の認識を持っている。しかもこの傾向がますます強くなっているように感じている。武道部ではこの「修業感覚」を存分に味わってもらえるようにしているが、それが年々難しくなってきている。
 つい最近も、この前「武道部に入って本当によかった」とtwitterでつぶやいていた部員が、今度は「モチベーションが上がらないから休部したい」と言ってきた。ちょっとしたことでモチベーションが上がったり下がったりする。もちろんそんなことは誰でも一緒である。しかしその揺れ幅が極端で、しかもすぐにそれで行動してしまうのである。

 モチベーションを行動原理とするのは彼(女)らの責任ではない。「自分のやりたいことをやりなさい」「自分がほんとうにやりたいことを見つけなさい」「自分を大切にしなさい」という言説の中で、むしろそれが奨励されてきたからである。その言説の中では、「やるべきこと」よりも「やりたいこと」が優先されるのは当たり前である。
 しかし、モチベーションを行動原理とすることの困った点は、一つのことを長く続けられないということである。一つのことを長く続けられないと、あることを「深める」という感覚、ましてや「極める」という感覚をもつことができない。何か一つのことを続けていれば、モチベーションが上がるときもあれば上がらないときもある。長く続けている人は、たとえ今下がっていても、続けていればそのうちまた上がってくるという経験を誰でも持っているものである。最近はその経験を持たない人が増えているのであろう。
 
 私は何もこの「やるべきこと」を、外からの強制と考えている訳ではない。これはあくまでも、自分の内的な決心として決めることである。 
 たとえば武道部は、入部も退部も自由である。当たり前である。だがその前提で、敢えて心構えとして言えば、いったん入部したからにはやめないという強い意志が大切である。「嫌ならやめればいい」という甘えは、本当に苦しいときの逃げ道をあらかじめ用意しておくことだからである。逃げ道があれば、ほんとうに苦しいときに踏ん張りきれない。これは小川三夫師匠が、他ではやっていけない人しか採用しない、とおっしゃる通りである。退路を絶ったところから修業は始まる。齋藤さんも「おわりに」でこう書いている。

 最近大学生がOB・OGとのつき合いがうまくないのでもったいないと感じる。先日、運動部出身の三十歳くらいの人に「先輩から飲みに誘われて、断ったことありますか」と訊いたら、「考えたこともありません」という答えだった。断るという選択肢がないというのは、強い。そんな人には精神力を感じる。
 いま一番欲しいのは、そんなタフな精神力を持ったビジネスパーソンだ。202頁

 冒頭にも書いたが、本書は「齋藤新書」である。当然「特訓モード」「修業感覚」など、モチベーションを上げ、成果を出すための具体的なノウハウも書かれているが、それについては省略する。

 さて、そのようなタフな精神は深く沈潜する。

 ゾーンをつかむためには、とにかく没入してみることです。57頁

 いまの時代は、一つのことに深く沈潜していく集中力を鍛える必要があると私は思っています。日常生活の中で、意識が非常に拡散しやすくなっているからです。58頁

 この「ディープに「沈潜」して核心をつかむ」ことは、非常に重要だと思う。沈黙して沈潜する。この能力を鍛えた方がいい。ちなみにそれには武道の形は最適である。黙って、黙々と同じ形を何度も何度も繰り返しやった人なら、この意味が分かるはずである。

 意味とか意義に関して考えることを一旦保留して、そこに没入してこなす。技術を高めることで余計なストレスを減らす。
 意味はあとからついてくるはずです。66頁

 齋藤さんは、「十代、二十代は「人生の修業期」と定めよう」(95頁)と述べている。

 しかし今の学校にはそれ(修業の要素ーー中森注)がありません。(略)「苦しい」と感じることを続けて、がんばったことを讃えるようなカリキュラムがないのです。
 そのため、無理難題のカベを突き破ることへの恐れがあります。自分の限界を超えることに挑戦しようという気持ちが湧きにくくなっている。
 学校から厳しさがなくなり、ゆるくゆるくなってしまったことがいいことだとは私には思えません。96頁

 齋藤さんが「特訓」や「修業の感覚」の復興を願うのは次の理由からである。

 現代の日本人が修業感覚を失ったことが、感情のコントロールが効かなくなったことと結びついていると考えるからです。179頁

 非合理なこと、理不尽なことは世の中に当たり前にある。そういう状況に、現代人はもう少し慣れなくてはいけないと思うのです。181頁

 その自分ではどうしようもない状況を肯定して生きることが、人間の肚を作るという。

 芸事でもそうですが、ある流派に入ったら、「ここの教えは自分とは合わないから別の流派に行く」などということはありえない。能ならば宝生流に行ったら、宝生流が運命、観世流に行ったら観世流が運命になる。
 師に就くというのは、ある種、人生をそこに託すことなのです。
 自分の環境をわが運命と受け入れて、そこで肚を据えてかかるしかない。そういった選べない状況が、むしろ人を強くしたのです。
 ところが自由や選択の余地があまりにも許されるようになったことで、メンタルが鍛えられなくなった。182頁

 「快か不快か」という価値基準を中心に物事を考えるようになってしまうと、努力したけれども報われないこと、快適ではないが意味のあることへの意欲が萎えてしまいます183頁

 今、私たちは、刹那的な「快・不快」、「主体性」、「個性」などによらない行動原理と倫理、夢と誇りをもてる物語を構築しないといけないように思う。その意味で、竹田青嗣師匠の「竹田欲望論」は非常に希望がある。全面展開されることを切に願う。

第16回身体運動文化学会

 第16回身体運動文化学会「心と身体の統合性を探る」に出席した。

 午前中は研究発表、午後は基調講演とシンポジウム。
研究発表も興味深いものがあったが、何と言っても私のお目当ては、基調講演とシンポジウムであった。

基調講演  :佐藤雅幸氏「イップスにみる心と身体の関係~スポーツにおける心と身体の統合性~」
シンポジウム:「中国思想における心と身体の関係」
       土屋昌明氏(コーディネーター)、加藤千恵氏、鈴木健郎氏

 「イップス」については恥ずかしながら全く知らなかったので勉強になった。
 シンポジウムの方は、道教の専門家によるお話で、非常に興味深かった。と同時に、心や気の話を、道教の専門家でない聴衆に語ることの難しさと戸惑いが感じられ、その点でも大変共感できた。この学会には様々な専門分野の方がおられるので、どこに焦点をあてていいかに戸惑われたのだろうと思う。
 「気」とか「宇宙」については、どのあたりで共通理解が成立しているのかよく分からない。私も一般向けの講演で芭蕉の思想を説明するとき『荘子』の話をするし、学生に武道の話をするとき「宇宙」や「気」の話をするが、どのような語り口でどこまで説明すればいいのかが、とても難しいと感じるからである。

 さて、道教の修行の話を聞いていると、武道における修行論と非常によく似ていると感じた。

 顔回が言った、「どうか心斎について教えてください」。
 仲尼(孔子)が答えた、「あなたは志を一つにしなさい。耳で聴くのではなく、心で聴きなさい。さらに心で聴くのをやめて、気で聴きなさい。耳は聴くだけであり、心は符合させるだけである。気は虚のままで物の現れを待つものである」。(『荘子』人間世篇 加藤氏レジュメより)。

 気を(身体じゅうに)充満させて、きわめて柔らかな嬰児のようでありなさい。(『老子』第十章 加藤氏レジュメより)

 しかし、武道において、道教の影響が色濃くあったという話を知らない(私が知らないだけかも知れない)。そもそも道教は、日本文化や日本文学において本質的にどのような形で享受されていったのだろうか。だいたい私は、「道教」と「老荘思想」がどう使い分けられているのかもよく知らない。また話を聞く限り、道教における「心」と、西行や芭蕉、あるいは武道における「心」という言葉の意味が違うようである。そういうことも含めていろいろ勉強したいと思った、刺激的なシンポジウムであった。
 大変興味がありながら、恐れ多くて近寄れなかった分野なので、これを機にちょっとだけでも足を踏み入れてみたいと思った。

宍倉佐敏氏講演会 「文字を記し、古くから伝わる和紙」

 『必携 古典籍・古文書料紙事典』(2011年7月 八木書店)の刊行を記念して、著者である宍倉佐敏氏の記念講演会が開催されたので参加した。

演 題:「文字を記し、古くから伝わる和紙」
講演者: 宍倉佐敏氏(繊維分析研究者/宍倉ペーパー・ラボ)
場 所: 東京堂書店神田神保町本店6階

 料紙について全く知識がないので、非常に勉強になった。江戸時代の料紙の特徴、なぜ江戸時代の紙に虫食いが多いのか、使っている紙によって、その人間の地位や教養、経済力が分かるという話、信長・秀吉・家康がどのような紙を使っていたか等々。また、西鶴は話の内容によって料紙を使い分けている、というのも興味深かった。ちょっと考えてみたい内容である。
『奥の細道』についても少しお聞きした。

 ところで、本を執筆された動機は後継者問題だという。「おわりに」でもこう述べられている。

 以上の調査研究の時に、多くの人々に指摘されたのは後継者問題であった。私の培ってきた製紙技術全般の後継については、育った環境の違い・好みや性質などに加え、時代の変化もあり、現在の日本における利潤追求型の企業や大学では、繊維分析などの基礎研究をする人の養成は難しい。また、私はほぼ独学で植物繊維の研究をはじめたため、後継者の育成法を知らないということも、育たない要因の一つとも思う。(略)後継者が現れることを切に願っている。451頁

 職人技が消えかかっているのは、いずこも同じなのである。

 最後に本の中で紹介されている素晴らし言葉。

 和紙は千年、洋紙百年

和紙の耐久性は極めて高いのである。

俳文学会第63回全国大会(2)

ホテル近くのカフェを出て、歩いて東洋大学へ。
20分ほど歩く。
何やら歩道の両脇に数人の人が。

直前問題です~
頑張って下さい~

頑張ります。
でも、今回は研究発表しないんですけど。


インテリアコーディネーター資格試験

あら、同じ場所で試験があったんですね。
どっから見てもインテリアコーディネーターを目指しているように見えるらしい。わたくし。

インテリアコーディネーターの試験って、どんなんだろう??
と興味をひかれつつも、わたしくしはこっちに出席せねばならぬ。


俳文学会第63回全国大会

どっから見ても俳諧研究者に見えないわたくし、研究発表を聴講。

さらに午後の部後半の司会をつとめ、研究発表は無事終了。

もう一人の司会の方と話していて席に戻るきっかけを失ってしまった。最後のご挨拶、終了宣言まで司会者席に座っていた司会者は、たぶん私たちくらいだろうと思う。

来年は尾崎さんの山口大学。研究発表しますよ~

俳文学会第63回全国大会(1)

 俳文学会第63回全国大会(於東洋大学)に出席。

 少し早めに行って、記念展示「久富哲雄の『奥の細道』写真展」を見る。
 素晴らしい展示だった。古い写真には味がある。「時間性」を持っているからである。それが「いのち」というものなのであろう。何十年も前に撮った写真が、今撮ったものと変わらないのではなんとなく違和感がある。古い写真は古くあってほしい。

 同時展示の「追懐 俳文学会草創期」も素晴らしかった。
 昭和26年11月3日~4日の「俳文学会秋季大会」集合写真。名前だけしか知らない有名人が勢揃いである。
 「俳文学会会報」第1号(昭和26年5月20日)。俳文学会設立についての熱い思いが語られている。
 井本農一宛書簡。井本農一手書メモ。当時の研究の状況や井本先生のちょっとしたお考えが書かれていてとても面白かった。

 その他にも興味深い資料が沢山あった。普段の学会展示とは違った展示を試みたということであったが、私は、この展示を見ただけで、もう学会にきた甲斐があったというものである。

 さて、至福の時を過ごした後は委員会に出席。そしていよいよ大会が始まった。
 初日はシンポジウム「俳句記念館の明日を考える」。

 これも普段の全国大会にはない企画で、とても勉強になった。

 その後は懇親会。ここでもかなり興奮する資料を見せて頂く。

 ということで初日は興奮の連続であった。

21世紀日本文学ガイドブック5『松尾芭蕉』

 21世紀日本文学ガイドブック5『松尾芭蕉』(ひつじ書房)が届いた(佐藤勝明編 奥付は2011年10月8日)。

http://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-512-2.htm

 私は「蕉門を彩る人々」という章を担当した。
 届いたばかりでまだじっくり読んでいないけれども、ぱらぱらと見た感じでは、入門書ではあるが学会の最先端の研究を盛り込んだ高い水準の本にしたいという編者の佐藤さんの意気込みに各執筆陣が応えているようである(あくまで自分の文章は棚に上げてですけど)。
 かなりの力作揃いだと思う(あくまでぱらぱらと見た感じですけど)。
 何より、この執筆陣がどんな説を披露しておられるのか、私自身が知りたい(あくまで自分以外の執筆者のことですけど)。
 私自身がじっくり読んでみたい本である。

 表紙の画は、編集の方のご友人の作とか。侘びさびの詩人芭蕉とは違った、新しい芭蕉像が提示されていることを暗示しているような装幀である。

白川静「文字講話」DVD完全収録版

白川静「文字講話」DVD完全収録版全24回の第一話「文字以前」を見る。

 恥ずかしながら白川静さんが話しておられるお姿を初めて拝見した。もちろん。お声も初めて聞いた。
 第一話は88歳(89歳の直前)。非常に力強い講義である。聴衆に媚びず、凛とした態度で講義されている。切れもテンポもいい。話のレベルも極めて高い。
 余計な装飾が一切無く、学問の話だけに集中した講義。すばらしい。「学者」の講義とはこういうものだと思わせる。それが、ご本人の「声」で聞けるのが有り難い。本から聞こえてくる声と生の声は全く違うからである。ちなみに私が今まででその違いに一番驚いたのは小林秀雄だった。

 学者の中の学者のご講義。これから順番に、心を引き締めて聴講致します。

学問の私物化

 大学院生の頃の話。
 私は院生になり学会に入って、研究発表をするようになった。私の研究は、芭蕉の高弟、蕉門随一の論客と言われる各務支考の俳論である。しかし当時(いまでも)学会において支考の評価は極めて低く、研究する者もほとんどいなかった。そんな中、堀切実先生(現早稲田大学名誉教授)が、長年支考研究を続けてこられ、いわゆる第一人者であった。

 「それまでの研究が何を明らかにし、何を明らかに出来ていないか。自分の研究はそれまでの研究に何を加えられるか」を明確にするのが研究(学問)のルールだと私は思っていた。だから必然的に私の研究発表は、堀切説を引用し、その達成と限界を指摘した上で、自分の説を提示し論証するという方法をとることになった。

 私は論文や学会発表で堀切説を批判し、堀切先生も私の発表の質疑応答で自説を述べられた。もちろん私たちは、感情的に対立していた訳ではない。むしろ、研究に対するお互いの態度を信頼し合っていたと信じている。だから懇親会などでも親しく、かつ楽しくお話をして頂いた。

 ところが、である。ある日、ある先生にこう言われた。

 なぜ君は、堀切さんをそんなに目の敵にするんだ。彼の研究は優れているんだよ。

 若かった私は、驚く他なく、この方が何をおっしゃっているのか理解できなかった。ただこの方と私は、信じているものが違うんだ、ということだけは分かった。堀切先生と私は学問というものを信頼し、この方は別のものを大切にしておられたのだろう。
 
 それから数年して、全く別の話であるが、私のとても尊敬する先生が、学会でのちょっとした事件について話して下さった。

 学問を私物化するからああいうことが起きるんです。学問を私物化してはいけない。学問はみんなのものだ。何かを「自分が発見した」などと傲慢になるからおかしなことになるんです。それまでの研究の積み重ねがあったから、自分の研究を進めることが出来たのだということを忘れてはいけません。

 私はとても嬉しかった。学問は、みんなで少しずつ進めていくものである。学問の前では、人は謙虚にならざるをえない。またそうであるからこそ、従来の説を批判することができるのである。それを曖昧にすることは、学問の冒涜に他ならない。

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