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鷹狩り

12月3日。

三河・鷹丘 鷹狩りのふるさと
放鷹術実演、講演会

に行った。
豊橋市西小鷹野にある鷹丘小学校。
土曜の午前中だったので、武道部の稽古を休みにして、総勢29名で見に行った。

大学院(修士)時代の恩師からご案内を頂いた。
豊橋に住んでいるのに、このイベントについて全く知らなかったので、ほんとうに有り難かった。

豊橋に鷹丘地区というのがあり、そこが昔小鷹野と呼ばれていたというのを初めて知った。もう10年以上住んでいるのに恥ずかしい。

さて、朝から暴風で中止かなと思いつつ出かけた。
予定を変更して体育館の中で実演。


精悍な顔つきですね


準備中


鳩!


鳩!2


爪も鋭いですね。


目が合っちゃいました。

鷹自体も非常に刺激的だったが、印象に残ったのは、鷹匠の方と鷹との一体感、鷹匠の歩き方である。鷹が心から安心しているような宗家の歩き方がとても印象的だった。

実演の後は、講演会。
それについてはまた明日。

シンポジウム・問われる成人力

12月2日。

シンポジウム「問われる成人力~国際競争を勝ち抜く」を聴講。


主催:日本経済新聞社、文字・活字文化推進機構
プログラム
基調講演  浅田 次郎氏(作家 日本ペンクラブ会長)
パネルディスカッション
 パネリスト
  浅田 次郎氏(作家 日本ペンクラブ会長)
  近藤 誠一氏(文化庁長官)
  雑賀 大介氏(三井物産代表取締役常務執行役員)
 コーディネーター
  八塩 圭子氏(フリーアナウンサー、学習院大学特別客員教授)

まず聴衆の層に驚く。
サラリーマンらしき年配の方がほとんどだった。

日経新聞主催だからなのか、文字・活字文化推進機構だからなのか、パネリストによるのか分からない。しかし、私がいつもいくシンポジウムとはちょっと違う人達だった。だからどうということもないけれども。

しかし私の隣の方は、浅田次郎さんの講演のときは少々お眠りになっておられたが、雑賀さんのご発言のときは、頷きながらメモをとっておられたので、ああ、そういう方面の方なのかなあ、と思った次第である。実は反対側の隣の方も、おきてはおられたが、ほぼ同様の反応だった。

浅田さんの基調講演はとても面白かった。

自分の本分を忘れてはいけない。

「分」をわきまえる。最近私もよく学生に言う。これは最近の日本が忘れてしまった日本文化の大切な価値観である。

その後、「希望的観測」という語を手がかりに、日本人の国民性について話された。日本人は「希望的観測」に基づいて行動してしまうのだそうだ。この語の初出や戦争の話など、小説家らしい、興味のわく話の展開だった。

そして教育の話。
明治維新は奇跡であり、これが成功したのは国民のレベルの高さゆえであった、という。リーダーの力量以前に、寺子屋の普及などによる日本国民の教育水準の高さが、あの明治維新という奇跡を成功させたのだと。中山道などの宿場には、今多くの記念館が建てられているが、そこには膨大な数の御触書が保存されている。つまりは、それだけみんな文字が読めたということであると言われた。なるほど。そして、

この教育制度について真の誇りを持たねばならぬ。

とおっしゃった。全く同感である。私の考えはまた改めて述べるとして、日本の教育思想とシステムは非常に優れたものだったのである。

しかし、今の成人力は、30年前の7掛け(8掛け)だという。つまり、今の60歳は、30年前の42歳程度、20歳は14歳程度であると。なるほど、なるほど。自分自身を省みて、そうかも知れぬ、と思う。反省せねば。

最後に印象に残ったのが、「節目節目で人間がやらなければならないこと」。『新撰組始末記』が出版されたのが1928(昭和3年)、明治維新から60年後である。ご自身の小説『終わらざる夏』も、終戦から65年後の出版。だいたいそういう節目で人間がやらなければならないことがある、そうおっしゃった。

さて、その後は、パネルディスカッション。90分という比較的長い時間をとってあったこと、さらにパネリストが成人力の高い方だったこともあり、非常に充実したいいシンポジウムだった。

浅田さんは、今日の入場者の学生の割合が3%ほどであることを指摘された。普段大学の講演に行っても、そこの学生はほとんどいないという。いる場合は、出席が授業の振り替えになっている場合、つまり単位となる場合であると。

それに対して、こういうシンポジウムがあると、アメリカでもデンマークでも、半分は学生だと、近藤さんが言われた。

その近藤さんが紹介された、デンマークの話はとても興味深かった。PISAの順位は低いけれども、国民の満足度はナンバーワンなのだそうだ。日本とは正反対である。
そのデンマークの教育は、徹底した教養教育であるという。

雜賀さんは、人のせいにしないことが成人力だとおっしゃった。それと、現実で苦労せよ、と。

それにしても面白かったのは、

浅田さん
「あの人は人物だ」というようなものが「成人力」であり、そういう人が減った。それは、儒教などによる「人間とはかくあるべきだ」という規範を日本が失い、それがないまま目先の利益を追うことに追われたからだろう。

近藤さん
デンマークが徹底した教養教育を行っているように、古典・歴史から学ぶことが重要であり、一見ムダに見えることがその人の教養を作り、自立の基となる。

雑賀さん
(企業としてどういう人が欲しいですか)部屋の中に閉じこもってパソコンばっかりやってる人はいらない。現実の中で、しっかり社会体験している人がほしい。現実を見て苦労していることが大切だ。
(海外留学は?)その前に、自分の中にしっかりしたものをもってから行って欲しい。自分が空っぽで行っても、洗脳されるだけ。

作家も文化庁長官も大企業の代表取締役常務執行役員も、世間で言われている「グローバリゼーション」も「効率化」も「コスト意識」も大切だとは言われなかった。いやむしろその前に、成人力が必要だと説かれたように思う。そういうシンポジウムだと言ってしまえばそれまでだが、これからの日本にも、産業界にも、そんなものは必要ない、必要なのはグローバルで効率・コスト意識の高い人材であるとは誰も言われなかった。そして冒頭でも述べたように、このシンポジウムの聴講は、ほとんどが産業界の方のようだった。しかも、年配の方が多かった。そしてうなずきながらメモをとられていたのである。

一体、誰がどこで、グローバルで効率的でコスト意識のある人材を求めているのだろうか?

講演・モノづくりと危機管理「トヨタ生産方式の本質と進化(深化)」-今何が求められているか-

12月1日。学内の講演会聴講。

榊プロデュース第16弾プレステージレクチャーズ
平成23年度テーラーメイド・バトンゾーン教育
開発リーダー特論 12講義

【講 師】林 南八 氏(トヨタ自動車株式会社 技監)
【テーマ】モノづくりと危機管理 「トヨタ生産方式の本質と進化(深化)」-今何が求められているか-

「トヨタ生産方式は、方法ではなく哲学である」。

とおっしゃった。そしてその哲学をお話下さった。震災の話から始まり、「自働化」「ジャストインタイム」などなど。有名な大野さんのお話も聞けた。
「製品監視ではなく、良品条件の監視」というのもなるほどと思った。
「5回のなぜ」は具体的だ。
「目で見るな。足で見ろ。頭で考えるな。手で考えろ。(鈴村語録より)」もいい。
「トップが現場に立て」も大切だ。
「データの読めない奴は話にならん。データで見れる様になっていない現場もいかん。データしか見ん奴が一番いかん。(大野語録より)」も素晴らしい。

さらに素晴らしのは、「実力を越える課題を与えているか? それによって考えさせる、やらせることが大切」ということ。

また、「集中化、分業化ではなく、スルーに連携する力こそが職場力であり企業の力」とも。

だから学生には、

深い専門性を持った技術者を求めるものの専門バカにはなるな
学部は必要な基礎知識を身につける場
修士課程は未知なものの探り方を学ぶ所

というメッセージが送られた。

そして、

日本でしか造れないモノの確立
日本に残された唯一の資源 人材

が大切だと。

トヨタの方が学生に、「専門バカになるな」「それは私の専門外だから分からないと言うな」などと語って頂けるのは有り難い。講演もとても分かりやすかった。いくつかの箇所については深く共感した。ただ全体として、終わってから何とも言えない違和感が残った。
さてさて、この違和感は何か。

おそらく私がよく分かっていないのだろうと思うのだが、話を聞いていて、「人間」を大切にする感性の不在が気になったのである。この方式の中にいる「人間」の感性、心が語られなかったからだと思う。暖かさや創造性が感じられなかったのである。震災復興のときの人員投入の話なども、復興期間が劇的に短縮された分だけ、個々の「人間」が何を感じ、何を思ったか、それがその人たちの人生に如何ほどの影響を与えたのだろう、と考えてしまうのである。いい影響であろうと悪い影響であろうと、影響がなかったことはあり得ない。しかしそれは語られなかった。その語られなかったことに対する違和感なのだと思う。これが「方法」ではなく「哲学」だということなのでなおさらそう感じたのだと思う。

「方法」なら、ある創造的なものを作り出す「方法」としてそれを採用することが出来る。これには相応しくないからと部分的に採用しないこともできる。しかし、これが「哲学」であるなら、それは価値観と生き方そのものの問題だということである。取捨選択はない。それが「人間」の感性や心を語らない哲学であるならば、私はこの「哲学」では生きられない、たぶんそう感じたのだと思う。

繰り返すが、これはきちんと深く勉強した訳でもなく、たった1時間半の、しかもテーマを絞ったご講演を聴いての漠然とした感想に過ぎない。現に講師の方は実に生き生きしておられた。おそらくほとんどの社員の方もそうなのだろう。もし「人間」の話をして下さいとお願いすれば、非常に面白いお話をして下さっただろう。現に、話の合間に挿入されたエピソードは実に人間的な情緒に溢れたものであった。
だから私の違和感は、ないものねだりであり、講師の方に大変失礼なのである。それはじゅうぶん分かっている。

しかし……。多分弱い私はこの「哲学」では生きられない。ただ、そう感じたのである。

平田オリザさん講演会

11月28日。平田オリザさんの講演会「新しい広場を作る」に武道部員と行く。

都市計画、市場原理、文化の地方格差、文化施策、広場・劇場とは何か、誰かが誰かを知っているゆるやかなネットワーク社会、文化による社会包摂(Social inclusion)等々について話された。『芸術立国論』(集英社新書)と重なる話題もあり、非常に面白かった。

経済活動(市場原理)からは一見無駄に見えるけれども、社会にとって必要な時間と空間が無意識のセーフティーネットを作ることや、このまま市場原理にまかせていると、文化格差が広がる一方であり、文化施策なしに資本力だけに頼っていると、弱者の居場所がなくなるという指摘。その通り、重層性のない社会は生きがたいと私も思う。

質問コーナーもあり、ニシクボくんが現代の大学のありかたについて質問した。

オリザさんは「大学が本当に国際競争力を持ちたければ、文化、芸術が必要である」と答えられた。ありがとうございます。「世界のトップは発想を競うことを、先端の人ほど分かっている」「それが分かっていなければ、世界の30位には入れても、トップ10には入れないだろう」。もちろんこれは工学部や医学部などの話である。

世界の国立大学にあって、日本の国立大学にないものは二つ、教会と劇場であると指摘された。前にもアメリカの大学に勤めていた知人から、「日本の大学のキャンパスにはホールがない(その時は教会の話は出なかった)」という話を聞いて、共感した覚えがある。

この話を聞いて、大学生らしき聴衆が、質問した。

大学の予算は限られており、劇場などに予算を使ってもらえるのでしょうか?

日本の大学は予算が厳しく、他に優先されるべきものがあるのであって、劇場などにお金を使う余裕はないのではないか?というのである。彼がそれを是としているのか、現状を嘆いているのかはっきりとは分からなかったが。

じゃあ、なんで大学にプールがあるんですか? プールより劇場の方が大切だと思いますけど。

とオリザさんは答えられた。

また、ある中高一貫のエリート校の話をされた。海外の名門校を真似て作ったそのエリート校は、モデルとした学校とそっくりにした。最後に向こうから逆視察にやってきた方がこう言われた。

完璧だ。だが、たった一つだけないものがある。劇場だ。

非常に象徴的な話である。

終了後、いつもの如く感想会。
いろいろ面白い話がでたが、今回は、マスター(修士)の二人が素晴らしい感想を述べていた。とくにオノくんは最近自己を揺さぶられる経験をしばしばしているが、今回も、オリザさんの言葉を真正面から真摯に受け止め、自分のこれからの人生、技術者としての生き方の問題としていろいろ語ってくれた。

それはそうである。彼ら学生は、最先端の技術者をめざして日々研究をしているのである。そしてそうであるならば芸術、文化、文学の素養と感性が不可欠であると言われたのである。もちろん普段から私も言っているが、私の言葉なら軽く流せていても、平田オリザさんの言葉はそうは行かないだろう。しかもそれがこれからの日本の社会と結びつけて語られたのであるから、自分が技術者として目指している「幸せな社会」とそれがどう関係するかを考えなければ嘘である。

講演、そして感想会に出た武道部員の今後が楽しみである。

(講演内容は、私の拙い記憶をもとにしていますので、誤りがあるかも知れません。誤りは全て私の責任です)。

日本のロックを批評するということ

19日夜。

昨日の日本文学のシンポジウムの前に竹田師匠と喋っていたら、

中森くん、この後の加藤さんのも来るの?
加藤さんとのって、何ですか?
この後、加藤さんとトークセッションあるんだよ。
ええ〜っ? そんなんあるって知らんかった〜。行きます、行きます。

ということで、竹田師匠についていった。こういうこともあろうかと、新幹線の予約を最終にしておいてよかった。

ということで、ジュンク堂池袋店に着きました。

加藤典洋『耳をふさいで、歌を聴く』(アルテスパブリッシング)刊行記念
「日本のロックを批評するということ」
加藤典洋 × 竹田青嗣

前にこのブログにも書いたが、加藤さんは私の恩人である。なぜ私が救われたかといえば、加藤さんが文学の力、批評の本質を教えてくださったからである。それが今日も遺憾なく発揮されていた。もう1時間半中、興奮し続けた。

批評とは何か?
音楽とは何か?
音楽を批評することの本質は何か?

トークセッションの前は、私は軽く考えていた。文芸批評家である加藤さんが、対象を文学ではなく音楽にかえた評論だと。しかし全然違った。文学を批評することと、音楽を批評することとは全く違うことだ、と加藤さんは何度も繰り返された。なるほど、そういうことだったのか。

いつもながらの独特の比喩満載で、とても面白いトークセッションだった。竹田師匠も生き生きしていた。

最後の方で加藤さんはこういうことを言われた。だいぶ前に「他者」について書かれたときにも同様のことを書いておられたと思う。

命がけで努力して、工夫して、もうこれ以上できないというところまで作り上げた作品。それに対して誰かに、これもそれまでの人生をかけ、命をかけて、「お前の作品なんて全然たいした事ないぜ」と言われる。そういうことがあって初めて、次の段階に行けるのである。

私もついこの間、そういう経験をした。ごく限られた字数(たしか1000字くらいだったかな)の中で、もうこれ以上書けないというレベルまで書いて出した原稿に対して、編集者が、もうちょっとこの情報も入れてね、と言ってきた。いくらなんでもそれは無理ですう〜 と思ったが、仕方ないので全部書き直した。字数一杯まで書いていたので、20文字入れるだけでも、全部書き直さないと入らないのである。

しかし書き直した原稿を見ると、明らかに修正版の方がよかった。最初の原稿も精一杯努力したはずなのだが、やはり「他者」からそれを指摘されることがとても重要なのである。もちろん私はそのことも前から知っていたので、最初の原稿を出すときに、もう何を言ってきても無理だよ〜、っと思って出したのであった。しかし、言われてやってみたら、やっぱりできた。

人間とはそういうものなのだろう。

ということは、自分の精一杯に対して、「お前なんて全然だめだよ」と全存在をかけて言ってくれる人がいるということがとても幸せなことなのである。それは友人であったり、師匠であったり、いろいろである。

タフなiPhoneケース

Touch Lab – タッチ ラボで紹介されていたタフなiPhoneケースが日本国内で販売開始されたらしい。

このケース、どのくらいタフかというと、「米軍の軍用規格「MIL-STD-810F」をもクリアした、最強の防御を可能とした、軍用グレードの保護ケース」(アマゾン)なのだそうだ。

上記Touch Lab – タッチ ラボのサイトにも貼り付けられている下記の動画は衝撃的である。

ハンマーで叩いても、車で踏みつぶしても、テニスラケットやバットやゴルフクラブで打っても大丈夫なのである。

あまりに衝撃的だったので、ちょっと考えてみた。
このようなものを作り出す精神とは一体何なのか。

ここにあるのは、壊れやすいものを絶対壊れないケースで守ろう、という精神である。

この、いかにもアメリカ的な精神を、日本文化は長い間持ち合わせていなかった。

私たちは、命あるものは必ず死ぬということを知っていた。
私たちは、形あるものは必ず壊れるということを知っていた。

だからこそ、

私たちは、そのはかない存在を慈しんできたのである。

桜は散るからこそ美しいと感じ、愛でてきたのである。

これを無常観という。

私たちは、その存在の命を永遠のものとしようとは決してしなかった。それが不可能なことを十分に知っていたからである。

存在は必ずなくなる。しかもいつなくなるかは誰にも分からない。
今、この瞬間かも知れないし、30年後かも知れないし、千年後かも知れない。しかし、

必ず、壊れ、なくなる。

だから私たちは、ただひとつのことだけをしてきたのである。
それは、その命を少しでも長らえるよう、その命を大切にし慈しむことである。

法隆寺を建てた宮大工は、それが千年もつように、木の心を知り、木の命を大切にして五重塔を建てた。
そして私たちは、その美しさを愛し、慈しんできた。

私たちは長い間、壊れやすいものを壊れないケースで守るという発想をとってこなかった。その代わりに、壊れないように丁寧に扱う、という心を育ててきたのである。

それでも、存在するものはいつかはなくなる。それが自然の摂理である。

私たちは、長い間、その自然の摂理に馴染もうとしてきた。
西行も芭蕉も「造化随順」を志した。
私たちは、決してそれを克服し、征服しようとはしなかった。
それが不可能であることを十分知っていたからである。

人間は自然には勝てない。存在するものは必ずなくなる。

私たちは長い間、自然に「勝つ」という発想をとってこなかった。
自然は征服すべき対象ではなく、畏怖しつつ愛でる存在だったからである。
存在を「永遠」にしようという発想をとってこなかった。
存在は、「永遠」を望むべき対象ではなく、今存在することを感謝し慈しむものだったからである。

私はこの文章をずっと過去形で書いてきた。
ここ数十年の間に、それが忘れられていったからである。

そして今回の東日本大震災は、それを思い出させてくれたはずだった。
しかし既にもう忘れられようとしているのかも知れない。

「世界一安全な原発」とは、その忘却の上にしか立脚しえないからである。

ちなみに私はこのタフなケースを買うことはないだろう。
なぜなら私はiPhoneを持っていないからである。

羽生善治・岡田武史『勝負哲学』(サンマーク出版)

羽生善治・岡田武史『勝負哲学』(サンマーク出版)を読む。

羽生ファンの私としては当然面白かった。

将棋の羽生さんとサッカーの岡田さん。競技の違いを越えた共通点を見いだそうという企画であるが、私にとってはその違いが際だっていた。もちろん二人は共感している点が多く、むしろ表面上は意見の違うところもほとんどないのであるが、それゆえに、行間に滲み出る差が越えがたいものであると感じられたのである。それは将棋とサッカーの競技の本質に由来するのかも知れないし、羽生さんと岡田さんという個性に由来するのかも知れない。おそらくは両方だろう。

さて、面白かったところを少し紹介すると、まず羽生さんは、論理と直感の関係を尋ねられ、「その問題は将棋を考える上でいつも思考の中心にあることです」(14頁)と答える。その上で「データは自分の感覚を裏付ける情報でしかない」(15頁)、「一定水準まではデータ重視で勝てる。しかし、確率論では勝ち切れないレベルが必ずやってくる。そうして、ほんとうの勝負はじつはそこからだ」(16頁)だという岡田さんに同意しながら、こう述べている。

そうした確率だけを追究していけば、そこそこのレベルまでは行くと思います。しかし、その先の領域へさらに一歩を踏み出すためには、理論の延長ではなく、次元の異なる方法を考慮に入れなければなりません。(略)つまり、少なくとも実践においては、「論理」には思っている以上にはやばやと限界が来るんですね。おっしゃるとおり、理詰めでは勝てないときが必ず来ます。でも、ほんとうの勝負が始まるのはそのロジックの限界点からなんです。17頁

そして、

データに何をプラスアルファすれば勝利につなげられるのか。そのプラスアルファが感覚の世界に属するものなら、どうすれば、数値化できない非論理的な力を味方につけることができるのか。そのことが大きな問題になってきます。18頁

と述べる。

羽生さんの答えは何か。
一つは、「研鑽」である。

どうやって手を絞り込むかといえば、まさに直感なんです。……直感が選ばなかった他の大半の手はその場で捨ててしまうんです。……研鑽を積んだ者にしか「いい直感」は働かないはずです。22頁

その研鑽を積んだ「いい直感」はただのヤマカンとは違う。

選択は直感的に行われるが、その直感は、経験や訓練の厚い層をくぐり抜けてきているという感覚ですね。27頁

そういう直感はたいてい正しい選択をするという。

ぎりぎりまで積み上げた理屈を最後に全部捨てて、最終的な決断は自分のカンにゆだねる。高レベルな判断ほど直感にまかせるーとても納得できる話です。
直感は過失の少ない指針ですよ。盤面をパッと見て、「この手がいい」とひらめいた直感はたいてい正しい選択をします。その七割は正しい、というのが私の経験則にもとづいた実感です。28頁

絶対絶命のときとか大ピンチというときには、人間は意外に正しい判断をするもの。118頁

というのである。
二つめは開き直り。

開き直ることによって選択肢が絞り込まれる。絞り込まれれば直感も冴え、迷いも見切れて正解に近づく。118頁

三つめは「野生」。

私もいま、「野生」の必要性をすごく感じているんです。137頁

データやセオリーに頼りすぎて直感が鈍くなってしまっているということでしょう。138頁

「野生」が必要なのは、やはり「いい直感」のためである。その「直感」によって「決断」するのであるが、その決断はリスクテイクとセットだという。

決断とリスクはワンセットのものだということです。リスクテイクの覚悟のない決断は本来、ありえません。87頁

将棋には「相手に手を渡す」(58頁)というのがあって、他力によるところが大きい競技であると述べた後で、それでも、

他力を利用するような変化球ばかり投げていてもダメです。どこかでギアチェンジして、直球による真っ向勝負を挑まなくてはいけません。
そういうときは相手に手を渡すどころか、相手の得意な戦法の中へも思い切り踏み込んでいって、勝負をかけた血の流れるような斬り合いをする。その覚悟はいつももっているつもりです。62頁

というのである。

さらに羽生さんは恐ろしいことを述べる。

リスクとの上手なつきあい方は勝負にとってきわめて大切なファクターです。
将棋が急に弱くなることはありませんが、少しずつ力が後退していくことはあって、その後退要因として一番大きいのが「リスクをとらない」ことなんです。リスクテイクをためらったり、怖がったりしていると、ちょっとずつですが、確実に弱くなっていってしまうんですね。84頁

リスクをとらないと少しずつ弱くなってゆく……。将棋に限らず、あらゆることにおいてそうなのだと思う。しかもそういう状態のときは、自分がリスクをとっていないことにも気づきにくい。ましてや弱くなっていることも。何と恐ろしいことか。急に弱くなるのであれば、本人も自覚できるが、少しずつというのは……。本人が気づいた時にはかなり後退して手遅れということも多いのだろう。ここに羽生さんのトップを長年維持している秘密があるのかも知れない。

一瞬トップに立つことは、勢いがあれば可能かも知れない。ちょっとの間それを維持することも、才能があれば可能かも知れない。しかし、長年トップを維持し続けることはとても困難である。心を鍛え、日常生活から整えていかなければ、おそらくそれは叶わないのである。

だから私は、経験値の範囲内からはみ出すよう、あえて意図的に強めにアクセルを踏むことを心がけているつもりです。85頁

タイトル戦のような大きな舞台でこそ、いろんな戦法を実践したり、相手の得意な形に飛び込んでいくようなリスクを冒している積もりです。自分で考えても、そこに必要性と可能性を感じたら、かなりの危険地帯にも踏み込んでいく決断をするほうですね。86頁

もちろん羽生さんといえども、リスクをとると失敗することもある。だから、

リスクテイクの是非を、なるべく成功、失敗の結果論では測らないようにしています。
結果的にうまくいったか、いかなかったかではなく、そのリスクをとったことに自分自身が納得しているか、していないかをものさしにするようにしているんです。91頁

そして最後は、場になじむ。自然体。

支配とか制するとかいうと、やっぱり強すぎるかな。もっとやわらかい感じです。「場になじんでいる」ような。場を見下ろすのではなくて、自分も風景のひとつとして場の中へ違和感なく溶け込めている。そういうときは集中力も増すし、まちがいなく、いい対局ができますね。175頁

こと将棋という競技においては、その闘争心がむしろ邪魔になることもあるんです。180頁

だから私は、戦って相手を打ち負かしてやろうと考えたことはまったくといっていいほどありません。181頁

将棋は結果だけが全てである。その世界で長年勝ち続けるためには、「相手を打ち負かしてやろう」と考えていてはとても勝ち続けることは叶わない。

それよりはむしろ、相手に展開をあずける委託の感覚や、もっといえば、相手との共同作業で局面をつくり上げていく協力意識や共有感のほうが大切になってくるのです。181頁

勝負に「熱」は必要ですし、大切なものです。深い集中力も重要だし、法然としたリスクテイクも不可欠です。……しかし一方で、私の経験は、そういう熱っぽい感情をできるだけ制御しないと勝負には勝てないことも教えています。
勝負に一番悪影響を与えるのは「怒」とか「激」といった荒々しい感情です。……だから私は、感情をコントロールすることが将棋の実力につながるんだと思って、闘争心をむき出しにするのではなく、それを抑制する方向に自分を訓練してきたつもりです。182

ここでもまた羽生さんは恐ろしいことをおっしゃる。

「冷えた情熱」というか「熱い冷静さ」みたいなものです。そうでないと、落ち着いた平凡な一手は指せません。凡手の中から価値ある手、深い手を拾い上げてくることはできないんですね。182頁

「落ち着いた平凡な一手」とは……。上に引用してきたことをやれば、羽生マジックといわれるような「優れた一手」を指せるのかと思いきや、そうではないのである。凡人は、いつでも優れた一手を指そうとする。しかしほんとうに目指すべきは「落ち着いた平凡な一手」なのである。そこからしか「価値ある手」は生まれない。

そのために、

あまり気負わず、自然体でやっていきたいですね。そのほうが自分の力を出しやすいようにも思えます。185頁

だから、「タイトルにも執着はないということですか」と聞かれ、こう断言している。

ないですね。……それがモチベーションのいちばん上に来ることはありません。186頁

内村鑑三「弟子を持つの不幸」

 山折哲雄さんのCD『親鸞と歎異抄』を聴く。2011年7月19日に京都で収録されたものである。
 その中で、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」と、内村鑑三「弟子を持つの不幸」について語っている。そういえば、『教えること、裏切られること-師弟関係の本質』(講談社現代新書)でも、この二つについて論じられていた。私はこの本に触発されて、短いエッセイを書いたこともある。

 今回もう一度「弟子を持つの不幸」を読み返してみた。
 「弟子を持つの不幸」は、昭和2年8月10日『聖書之研究』325号に掲載された。「原稿箱の底」から発見された「古い原稿」であると注記がある。

 内村はまず、こう述べる。
 自分は生涯において未だかつて、人に向かって「自分の弟子となれ」と言ったことは一度もない。それなのに多くの人は、自分から私を「先生」と呼んで私のもとにやって来たのである。そのような彼らに対して私は、「私はあなたたちの友人であって師ではない。私の宗教においては、師はただ一人キリストである」と忠告し、私の師であるキリストを紹介しようと努めた。

 然るに事実は如何と云ふに、余の此忠告、此努力は百中九十九、或は千中九百九十九の場合に於ては裏切られたのである。(『全集』30巻 390頁)

 内村を先生と呼んで来た者は、そのほとんどが、「自分の懐く理想の実現を想像して」やって来たのだ、という。つまり、内村の信仰について深く追究することなく、「自分の理想」を内村に見てやってきたに過ぎない、というのである。

 実に余の不幸、彼等の不幸、物の譬へやうなしである。390頁

 したがって無数の者が、内村に失望して彼のもとを去ったが、依然として内村に自分の理想を求めてくる者が絶えない。しかし彼等は、

 近代人の悪習として、彼は師を求るに方て之に教へられんとせずして、之に己が理想の実現を迫るのである。391頁

 ほとんどの弟子は、口では「先生」と呼びながら、その実、師に教えられようとするのではなく、師に自分の理想の実現を迫っているに過ぎない、というのである。だから、

 彼等は己が心に画きし理想をそ其の選びし師に移し、其実現を見れば喜び、見ざれば憤るのである。(略)師が教へんと欲するが如く教へられんと欲するのではない、自分が教へられんと欲するが如くに教へられんと欲するのである。391頁

 彼らは、自分の理想を師に映しだし、それが師によって実現されると喜び、そうでないと憤る。つまり彼らは、師が「こう教えたい」と思っていることを教えてほしいのではなく、自分が「そう教えてほしい」と思っているように教えてほしいのである。
 内村はこれを「近代人の悪習」と呼んでいるが、近代に限らず、いつの時代でも人間というものは、ここから逃れるのは非常に難しいのではないだろうか。私の念頭にあるのは芭蕉の弟子たちであるが、芭蕉ほどその人生において俳風を変えた俳人はおらず、どんどん変化し続けた。そしてその芭蕉に、ずっとついていったのはごく僅かな弟子に過ぎない。離れていった者の方が圧倒的に多いのである。
 自分の求めるものから師がズレたとき、自分が求めるものを修正して師について行くのではなく、師が変節してしまった、師はそうあるべきではない、と師に修正を求めてしまうのだろう。だからこそ、芭蕉も空海の言葉としてこう述べているのである。

「古人の跡をもとめず、古人の求(もとめ)たる所をもとめよ」と、南山大師の筆の道(に)も見えたり。(「許六離別詞」)

 「古人」を「師」と置き換えても同じである。弟子は師の求めたるところを求めるのであって、師の跡を求めるのではない。しかし、師を求め、ましてや師をダシにして自分の理想を求めている弟子たちは、自分の教えてほしいように教えてくれない師に対してこう言うのである。

 彼等は先生として仰ぐ人に向つて曰ふのである、「先生、貴方は斯う信じ又教ふべきであります。貴方の信仰は斯くあるべき筈であります」と。391頁

 そしてそれが受け入れられないと分かると、

 彼等は失望し、憤り、罵り、其師を呼ぶに偽善者を以てし、彼を去り、彼に反き、弟子は変じて敵と化し、全然絶交的状態に入るのである。391頁

 こういう者は、枚挙に暇がない、そう内村は嘆いている。

 しかし内村は、これらはいくつかの点に注意をすれば、多くの場合においては避けることは難しくないという。
 一つは、自分の「天与の特長」を忘れないことである。内村は、自分は「労働者(はたらきて)」であって「指導者(リーダー)」ではなく、師たる資格を具えない者であると言う。つまり、

 余の如きは如何なる場合に於ても如何なる人とも師弟の関係に入るべからざる者である。(着)カーライルもベートーベンにも弟子と称すべき者は一人も無(なか)つたやうに、余も亦彼等の跡に従ひ、一人の弟子なくして世を去るべきである。392頁

というのである。それが自分の「天与の特長」なのであると。

 第二に、内村は、自分が人に何を与えることができるかをよく知ってもらいたいという。自分は「旧式の基督者(クリスチャン)である」と。だから、それ以外の物を自分に求める者は失望せざるを得ないのであると。

 余を通うしキリストの福音を看出せし者は永く余の友人として存し、年を経るも余を去らない。十字架の福音以外のものに惹れて余の許に来りし者は、遅かれ早かれ余を離れ、余とは全然関係の無き者となつた。393頁

 第三に、自分は基督者(クリスチャン)であると同時に「旧式の日本人である」という。もし基督教が日本武士の理想を実現する者であるとの事が解らなかったら、自分は基督者(クリスチャン)に成らなかっただろう、というのである。この点は興味深い。

 是れ聖化されたる武士道であつて、余は此道に歩まんとして努むる者である。故に基督者(クリスチャン)であると雖も、英米流の基督者たる事は出来ないのである。(略)余は大抵の事は聖書や基督教に問ふまでもなく日本人の道徳に依て決する。先づ厳格なる日本人であり得ない者は基督信者たる能はずである。394頁

 三つめの話は内村のキリスト教に対する態度が伺われて興味深いのであるが、それはともかく、師も弟子も、自分の本性をよく知り、弟子に与えることができる物、師から与えてもらえる物をよく理解すれば、お互いの不幸はだいぶ避けることができる、というのである。
 
 しかしながら、内村には気の毒だが、師弟ともに、「近代人の悪習」を去り、お互いの本性をよく知り、何を教えることができて、何を学ぶことができるかを十分理解していたとしても、結局は師は弟子に本質的に裏切られることを避けることは出来ない。内村もほんとうはそのことをよく分かっていたはずである。むしろ「近代人の悪習」をもって、自分の理想を師に迫る程度の弟子の方が、裏切り度合いは低い。ただ近寄ってきて、ただ去って行くだけだからである。千人のうち999人は、師をほんとうの意味で裏切ることさえ出来ないのである。
 内村のいうような努力をすればするほど、つまり弟子が真に師から学べば学ぶほど、師は弟子に本質的に裏切られる。逆にいうと、そこまでいって初めて、弟子は「私は師から確かにこのことを学び得た」といい得る。千人のうち999人が去り、最後に残った1人だけが、師を「本質的に」裏切ることができるのである。
 本質的な裏切りを含まない学びは、浅くて薄っぺらい。
 内村の嘆きは、ほんとうは、去った999人に向けられたのではなく、残った1人に向けられていたのかも知れない。

齋藤孝『結果を出す人の「やる気」の技術』(角川oneテーマ21)

 齋藤孝『結果を出す人の「やる気」の技術』(角川oneテーマ21)を読む。

 いつもの「齋藤新書」である。私たちの世代にとってはそれほど驚くことはないが、若い人に対する感覚には共感できるし、彼(女)らに対しそれをどう語ることができるかという点で、大変興味深かった。

 本書の前提は次のような認識である。

 若い人のナイーブで傷つきやすく心が折れやすい傾向は、修業感覚を味わっていないがゆえの弱さだと私は思っています。97頁

 私も同様の認識を持っている。しかもこの傾向がますます強くなっているように感じている。武道部ではこの「修業感覚」を存分に味わってもらえるようにしているが、それが年々難しくなってきている。
 つい最近も、この前「武道部に入って本当によかった」とtwitterでつぶやいていた部員が、今度は「モチベーションが上がらないから休部したい」と言ってきた。ちょっとしたことでモチベーションが上がったり下がったりする。もちろんそんなことは誰でも一緒である。しかしその揺れ幅が極端で、しかもすぐにそれで行動してしまうのである。

 モチベーションを行動原理とするのは彼(女)らの責任ではない。「自分のやりたいことをやりなさい」「自分がほんとうにやりたいことを見つけなさい」「自分を大切にしなさい」という言説の中で、むしろそれが奨励されてきたからである。その言説の中では、「やるべきこと」よりも「やりたいこと」が優先されるのは当たり前である。
 しかし、モチベーションを行動原理とすることの困った点は、一つのことを長く続けられないということである。一つのことを長く続けられないと、あることを「深める」という感覚、ましてや「極める」という感覚をもつことができない。何か一つのことを続けていれば、モチベーションが上がるときもあれば上がらないときもある。長く続けている人は、たとえ今下がっていても、続けていればそのうちまた上がってくるという経験を誰でも持っているものである。最近はその経験を持たない人が増えているのであろう。
 
 私は何もこの「やるべきこと」を、外からの強制と考えている訳ではない。これはあくまでも、自分の内的な決心として決めることである。 
 たとえば武道部は、入部も退部も自由である。当たり前である。だがその前提で、敢えて心構えとして言えば、いったん入部したからにはやめないという強い意志が大切である。「嫌ならやめればいい」という甘えは、本当に苦しいときの逃げ道をあらかじめ用意しておくことだからである。逃げ道があれば、ほんとうに苦しいときに踏ん張りきれない。これは小川三夫師匠が、他ではやっていけない人しか採用しない、とおっしゃる通りである。退路を絶ったところから修業は始まる。齋藤さんも「おわりに」でこう書いている。

 最近大学生がOB・OGとのつき合いがうまくないのでもったいないと感じる。先日、運動部出身の三十歳くらいの人に「先輩から飲みに誘われて、断ったことありますか」と訊いたら、「考えたこともありません」という答えだった。断るという選択肢がないというのは、強い。そんな人には精神力を感じる。
 いま一番欲しいのは、そんなタフな精神力を持ったビジネスパーソンだ。202頁

 冒頭にも書いたが、本書は「齋藤新書」である。当然「特訓モード」「修業感覚」など、モチベーションを上げ、成果を出すための具体的なノウハウも書かれているが、それについては省略する。

 さて、そのようなタフな精神は深く沈潜する。

 ゾーンをつかむためには、とにかく没入してみることです。57頁

 いまの時代は、一つのことに深く沈潜していく集中力を鍛える必要があると私は思っています。日常生活の中で、意識が非常に拡散しやすくなっているからです。58頁

 この「ディープに「沈潜」して核心をつかむ」ことは、非常に重要だと思う。沈黙して沈潜する。この能力を鍛えた方がいい。ちなみにそれには武道の形は最適である。黙って、黙々と同じ形を何度も何度も繰り返しやった人なら、この意味が分かるはずである。

 意味とか意義に関して考えることを一旦保留して、そこに没入してこなす。技術を高めることで余計なストレスを減らす。
 意味はあとからついてくるはずです。66頁

 齋藤さんは、「十代、二十代は「人生の修業期」と定めよう」(95頁)と述べている。

 しかし今の学校にはそれ(修業の要素ーー中森注)がありません。(略)「苦しい」と感じることを続けて、がんばったことを讃えるようなカリキュラムがないのです。
 そのため、無理難題のカベを突き破ることへの恐れがあります。自分の限界を超えることに挑戦しようという気持ちが湧きにくくなっている。
 学校から厳しさがなくなり、ゆるくゆるくなってしまったことがいいことだとは私には思えません。96頁

 齋藤さんが「特訓」や「修業の感覚」の復興を願うのは次の理由からである。

 現代の日本人が修業感覚を失ったことが、感情のコントロールが効かなくなったことと結びついていると考えるからです。179頁

 非合理なこと、理不尽なことは世の中に当たり前にある。そういう状況に、現代人はもう少し慣れなくてはいけないと思うのです。181頁

 その自分ではどうしようもない状況を肯定して生きることが、人間の肚を作るという。

 芸事でもそうですが、ある流派に入ったら、「ここの教えは自分とは合わないから別の流派に行く」などということはありえない。能ならば宝生流に行ったら、宝生流が運命、観世流に行ったら観世流が運命になる。
 師に就くというのは、ある種、人生をそこに託すことなのです。
 自分の環境をわが運命と受け入れて、そこで肚を据えてかかるしかない。そういった選べない状況が、むしろ人を強くしたのです。
 ところが自由や選択の余地があまりにも許されるようになったことで、メンタルが鍛えられなくなった。182頁

 「快か不快か」という価値基準を中心に物事を考えるようになってしまうと、努力したけれども報われないこと、快適ではないが意味のあることへの意欲が萎えてしまいます183頁

 今、私たちは、刹那的な「快・不快」、「主体性」、「個性」などによらない行動原理と倫理、夢と誇りをもてる物語を構築しないといけないように思う。その意味で、竹田青嗣師匠の「竹田欲望論」は非常に希望がある。全面展開されることを切に願う。

第16回身体運動文化学会

 第16回身体運動文化学会「心と身体の統合性を探る」に出席した。

 午前中は研究発表、午後は基調講演とシンポジウム。
研究発表も興味深いものがあったが、何と言っても私のお目当ては、基調講演とシンポジウムであった。

基調講演  :佐藤雅幸氏「イップスにみる心と身体の関係~スポーツにおける心と身体の統合性~」
シンポジウム:「中国思想における心と身体の関係」
       土屋昌明氏(コーディネーター)、加藤千恵氏、鈴木健郎氏

 「イップス」については恥ずかしながら全く知らなかったので勉強になった。
 シンポジウムの方は、道教の専門家によるお話で、非常に興味深かった。と同時に、心や気の話を、道教の専門家でない聴衆に語ることの難しさと戸惑いが感じられ、その点でも大変共感できた。この学会には様々な専門分野の方がおられるので、どこに焦点をあてていいかに戸惑われたのだろうと思う。
 「気」とか「宇宙」については、どのあたりで共通理解が成立しているのかよく分からない。私も一般向けの講演で芭蕉の思想を説明するとき『荘子』の話をするし、学生に武道の話をするとき「宇宙」や「気」の話をするが、どのような語り口でどこまで説明すればいいのかが、とても難しいと感じるからである。

 さて、道教の修行の話を聞いていると、武道における修行論と非常によく似ていると感じた。

 顔回が言った、「どうか心斎について教えてください」。
 仲尼(孔子)が答えた、「あなたは志を一つにしなさい。耳で聴くのではなく、心で聴きなさい。さらに心で聴くのをやめて、気で聴きなさい。耳は聴くだけであり、心は符合させるだけである。気は虚のままで物の現れを待つものである」。(『荘子』人間世篇 加藤氏レジュメより)。

 気を(身体じゅうに)充満させて、きわめて柔らかな嬰児のようでありなさい。(『老子』第十章 加藤氏レジュメより)

 しかし、武道において、道教の影響が色濃くあったという話を知らない(私が知らないだけかも知れない)。そもそも道教は、日本文化や日本文学において本質的にどのような形で享受されていったのだろうか。だいたい私は、「道教」と「老荘思想」がどう使い分けられているのかもよく知らない。また話を聞く限り、道教における「心」と、西行や芭蕉、あるいは武道における「心」という言葉の意味が違うようである。そういうことも含めていろいろ勉強したいと思った、刺激的なシンポジウムであった。
 大変興味がありながら、恐れ多くて近寄れなかった分野なので、これを機にちょっとだけでも足を踏み入れてみたいと思った。

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