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2009-06
小3に学ぶ
- 2009-06-13 (土)
- 武道部
尚志館で小3の道場生の三戦の指導をした。今度の演武会で独演をする予定である。
「難しい~」と言いながら、言われたことを直そうと意識していた。前にも指摘されたことを言われた時は、「あ~、絵実子先生に言われたこと、もう忘れてた~」と悔しがった。いい心構えである。
彼は一年生の時、演武会のビデオを毎日繰り返し見ていたという。見様見真似でいろいろやって見せていた。これが実によく見ているのである。
少し前までは稽古中に泣くこともあったが、最近は心が強くなった。この強さと、心構えと熱心さによって、最近めきめき上達してきた。何より体の使い方がとてもよい。おそらく絵実子館長の動き、それも普段の歩き方などをよく見て真似したのだと思うが、見ていてとても勉強になった。
ここのところちょっと考えていたことがあったのだが、彼の動きがその答えを教えてくれた。もちろん本人の預かりしらぬことだが、私は小学3年生の道場生に、とても大切なことを教えてもらったのである。
もちろん普段から教えることによってこちらが学ぶことは沢山あるが、今回ばかりは、彼の形から私自身がダイレクトに学んだのである。
しかしそうやって振り返ってみると、同じようなことはこれまでもあった気がする。今回のことがあるまでそれを意識していなかったということは、相手が小学生だと思ってちょっと傲慢になっていたのだろう。
技科大生、恐るべし!
- 2009-06-10 (水)
- 授業
今日の3時間目は、
だった。
この本は今の学生、特に工学部の学生にとっては難解である。 ここで語られている概念装置の話、「正しさ」ということ、古典としての読み、踏み込んで読むということ、「本を読むからには信じてかかれ」など、非常に面白いのであるが、工学部の学生にとっては、普段教えられている価値観や方法論と全く違っているので、非常に理解が難しいのである。
それゆえぜひ読ませたい本であり、毎年1学期に読む4~5冊の中に必ず入れている。毎年ほぼ8割の学生が難解だというが、必ず2割くらいの学生が、一番面白かったという本である。
さて今日の範囲は、第Ⅰ章「読むこと」と「聴くこと」と。
いつものように学生のプレゼンが始まった。タイトルは「情報の階層と再構築」。へえーと思って聴いていると、
誰がひいても同じ演奏になるような、そういう最大公約数的な、底の浅い平板な理解では、とても正確な理解などとはいえない。(28頁)。
という箇所を引用して、
では正確な理解を得ようとするとなぜ個々人で違いが生じるのか?
と問題提起をした。ほうほう、と思って聞く。
そのためにはまず「情報の階層」を考えなければならない。情報には階層があるのである。云々。
ふむふむ、と思って聞いている。すると、
理解するとは、得られた情報を自己の中で再構築することである。
それで?
その組み合わせは、nCr=n!/r!(n-r)! n:認識した情報の数、r:再構築に用いる情報の数である。
えっ-? びっくり仰天している私をよそに、彼は最後までプレゼンを遂行した。そして「古典としての読み」は、あなたの「情報階層論」ではどう説明しますか?」という学生の質問には、
それについては、分布密度関数で考えれば分かりやすいです。グラフがこうなって・・・
私には何の事やらさっぱり分からんかった。だが彼のプレゼンと質疑応答は、純粋に面白かった。この「情報階層論」をもっと詳しく聞きたい、と思わせるものだったのである。
「師弟」から見た日本人論
- 2009-06-08 (月)
- 研究
重松清氏と鶴見俊輔氏の対談、「「師弟」から見た日本人論」(潮 2009年5月号)を読んだ。
(鶴見)ダメな教師ほど自分を模倣させようとするんです。
なるほど。その通りだ。
(重松)最近、「教え子」という言葉が死語になってきたと思うんです。「うちの生徒は」と言うけれど「私の教え子は」と教師が言わなくなった。「生徒」と言うと学校という組織のなかの構成要素ですよね。でも「教え子」と言ったら教師にとって大事な存在になるはずなんですが、いつの間にか教師は教え子と言わなくなった。
そうなのか、とちょっとびっくりした。この前喫茶店に入ったら学生がいて挨拶された。マスターが「知り合いですか?」と聞いてきたので、私は「教え子です」と答えた。だから私は普段「教え子」と言っていると思うのだが、しかし逆に大学生のことを「教え子」と言っていいのかな? それはともかく、「教え子」が死語になってきたと聞いて、ちょっとショックだ。
(重松)若い先生たちは教え子に語るべき自分の人生とか思いというものを持っていないから踏み込んでいかない。踏み込んでいかないから生徒が「教え子」にならなくて「生徒」のままでいる。
なるほど。私も、「語るべき自分の人生とか思い」を持ちたい、とずっと思ってきたが、恥ずかしがらずに語れるようになったのは、ここ数年のことである。
(重松)鶴見先生は--、弟子のほう、教え子のほうは自分の弱いところを知ることで師を求める。師のほう、先生のほうも自分自身の弱点を認めることでその言葉が説得力を持つ。師弟関係というのは、お互いに自身の「弱さ」「弱点」を自覚するところから始まる--とおっしゃいました。そういうことから言うと、日本は明治以降、ずっと自分たちの弱さを認めたくない、弱いと思われたくないということでやってきたのかも知れませんね。
これもその通りだと思う。自分の弱さを自覚していない師匠に弟子入りしたら、たぶん不幸なことになるだろう。もちろん自分の弱さを自覚しない弟子を取ったら、師匠も大変である。
(重松)お稽古事のお師匠さんはまず最初に所作・振舞いを教えますよね。野球のコーチがバッティング・フォームを教えるのも、フォームを固めておけばどんな球でも打てるわけです。だからそれは決して形式主義じゃないんだけれども、僕たちはそういうものを形式主義という名のもとに過剰に排してきちゃったような気がするんです。
私も以前は過剰に排していたが、今は過剰に推進している。もちろん形式主義ではないこと、その重要性が分かったからであるが、それについては今書いている本に詳しく書くつもりである。
(鶴見)私塾というのは「師の思い」が弟子に伝わるんですよ。幕末のころ、スコットランドに、やがて『ジギル博士とハイド氏』を書くスティーブンソンが学生でいたんです。……彼は当時は怠け者で、ただ大学生というだけなんです。そこに脱藩した日本人がやって来るんですよ。その日本人がものすごく勉強する。……その日本人は、なぜ自分が勉強するかというと、「自分たちの先生に吉田寅次郎という人がいて……」と。
(重松)松蔭ですね。
(鶴見)「先生は、捕らえられて処刑されるときも詩を吟じながら刑場に赴いた。先生のことを思えば怠けていられるか」って。
自分が怠けることは、先生に対して恥ずかしいという気持ちを持っていたのだと思うが、おそらく彼は、怠けず必死に勉強しても、なお先生に対して恥ずかしいと思い続けたに違いない。自分の存在自体が、先生の大きな存在に対して恥ずかしい、だから少しでもそれに近づけるように必死に努力する。努力すればするほど先生の大きさが分かってくる。もちろん師は師で、自分の弱点を知っているので、その弟子を見て自分が恥ずかしくなるのである。おそらくよい師弟関係とはそういうものだろう。
ついでに言うと、人は自分のためだけだと、最後の最後で踏ん張り切れないものである。ここで自分が諦めたら、それまで支えてくれた人に申し訳ない、ここで自分が最後の一踏ん張りができたら、あの人が喜んでくれる、そういう思いこそが、土壇場で人を強くするのだと思う。
(重松)こういう時代、インターネット全盛の時代だからこそ、たとえば正座をさせたりしたら、すぐに「権威主義だ」と言うんじゃなくて、「背筋を伸ばせば、能率も上がるよね」という発想が必要なんじゃないかと思いますね。
そのためには、まず教師や指導者が、呼吸が深くなる、能率が上がる姿勢がどういうものかを知らなければならないだろう。自分の心身の能力を最大限に発揮できる姿勢、体の使い方を知らず、いわゆる「気をつけ」などを良い姿勢だと思っていては、自分の語る人生や思いを伝えることは難しいかも知れない。
限界線
- 2009-06-07 (日)
- 武道部
尚志館館長が古傷を少し痛めたらしい。大したことはないようなので安心した。
私は稽古中の怪我は指導者の責任であると教えられてきたし、教えても来た。そして稽古中に怪我をしてはいけない、と。ほとんどの怪我は油断が原因であるし、稽古中に道場生が油断をするのは指導者の責任であることは間違いないからである。
館長自身もそう考えているので、非常に反省していた。僅かな油断があったのは確かだろう。だが今回は、ただの油断ではないと思う。
このブログでも何度か書いたように、今回の演武会のテーマは「全身全霊」であり、出演者は卒業生や招待演武者も含め、みな自分の限界にチャレンジしている。そこにチャレンジし続けた者だけが出演できる演武会を目指しているのである。
館長も例外ではない。むしろ、トップレベルのチャレンジをしている。もともと痛めた箇所は、大昔の組手試合で痛めた箇所で、疲労が蓄積したり、無理な動きをすると再発することは、館長自身がよく分かっている。だから長い間再発していないにもかかわらず、今でも毎回の稽古で、細心の注意を払ってケアしているのである。それが今回痛めたということは、自分の限界を超えて稽古していたということである。もちろん自分の限界はよく分かっていたはずだが、そのギリギリのところでチャレンジしているうちに、ちょっとだけ限界線を越えてしまったのである。
幸い大した怪我ではない。本人は「一週間で治す」と言っていた(彼女は「治る」とは言わないのである)。だから敢えて言えば、今回だけは、そして館長に限って言えば、むしろよかったと思う。そういう限界線ギリギリでチャレンジしないと得られないものがある。怪我の直前に見た形は非常によかった。彼女はこれからも限界ギリギリでチャレンジするだろう。そして露ほどの油断もすることなく、もう痛めることもないだろう。そこまで追い込むのは、大会で優勝を重ねていた頃以来である。だかもうそのころとはレベルが違う。久しぶりに、いや最高に感動する形を見せてくれるに違いない。
感動といえば、尚志館で見せてくれた幸美さんのヌンチャクは「かっこいい~」と思った。茶帯であれだけ振れれば大したものだ。彼女の素晴らしいのは、実行委員長の仕事もさることながら、稽古中に指摘したことを次の稽古までに必ず修正してくることである。指摘と言っても、「杖、下手やのお~」とか「もっと、ブンッと振れ」といった程度である。彼女はそれをレベルアップしてくるのだ。だから次の稽古ではさらにハイレベルの課題を出し、その稽古ができるのである。彼女のヌンチャク試割は、演武会の必見演目の一つである。
他の出演者たちも、みなそれぞれギリギリのチャレンジをしている。石井くんも池尾くんも大畑くんも、ここのところかなり上達してきた。東くんは最後の壁にかなり苦しんでいるが、あと一歩のところまで来ているだろう。白帯もかなり頑張っている。
私もこの前の土曜日に、ようやく二つの課題が克服できたので、演武できることになった。感覚は掴んだので、あとはいつでも出来るように稽古あるのみである。
出演者のみなさん、怪我だけは絶対にしないようにしてくださいね~。
演武会リハーサル
- 2009-06-05 (金)
- 武道部
演武会の会場リハーサルがあった。
今年は例年のように時間に追われることなく、むしろ余裕があった。初めてのことである。それがよかったのか悪かったのかは、当日になれば分かる。
新入部員は毎年、この会場リハーサルの後、演武会モードになる。舞台に上がれば、「こんなところで自分が演武するんだ~」と、気合いが入るからである。もちろん色帯以上も、改めて気合いが入る。
各自の演目、舞台での立ち位置も、ほぼ確定した。つまりは、各自の役割がほぼ確定したということである。あとは、各自がそれぞれの場所で、それぞれの役割を確実に、かつ精一杯果たすだけである。それは舞台上だけではない。当日までの準備、当日の受付から客席の案内から、撮影から、全てである。
もちろん自分のことだけを考えていては、それは叶わない。他の部員のこと、全体のことに気配りができていなければ、自分の役割は果たせないのである。
あと1ケ月、武道部は、全員が一つの理想に向かって、それぞれがそれぞれの役割を精一杯果たしながら進んでゆく。
演武会は私たち武道部の「夢」である。
Webサイト開設
- 2009-06-03 (水)
- 日記
6月1日 下記Webサイトを開設しました。
・中森康之研究室
・技術者教育としての課外活動の可能性の提示と教育メソッドの開発
(2008年度 豊橋技術科学大学高専連携教育研究プロジェクト)
研究室の方は、いまやっているプロジェクトの紹介程度ですが、順次コンテンツを充実させていきます。
技術者教育の方は、2008年度に高専の先生方と行ったプロジェクトのサイトで、私の関連では、武道部メソッドの紹介や武道部卒業生の声などが掲載されています。
どちらも武道部の卒業生に作ってもらいました。落ち着いた感じのいいものになっていると思いますので、是非ご覧下さい。
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