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2009-10

桑名本願寺・梅花仏鑑塔

 10月10日、小川さんの講演でいなべ市にいく前に、桑名の本願寺に支考の分骨墓を見に行った。桑名市の指定文化財となっている。本願寺は現在は建物はなく、お墓のみがあり、細い路地をはなさんでその向かい側にあった。
 享保16(1731)年支考が亡くなったとき、「東海道往来の風雅士」が参拝しやすいように、雲裡坊杉夫が建立したという。すぐ側の伊勢湾岸道をいつも通っていたので、今回初めて参拝できでよかった。
 それにしても、本家の獅子門は現在でもますます盛んであるし、雲裡坊の「間遠社」は、昭和18年頃まで、約200年間存続したという。大分前に論文に書いたが、支考は希有な経営センスをもっていたのである。CIMG5594.JPG

久しぶりのコモンズ会

 昨夜、久しぶりのコモンズ会を開催した。コモンズ会とは、武道部員との雑談会である。
 やはり話題は小川さんの講演会の話になった。参加者の多くが、自分は「察せよ」修行コースを歩みたいと表明。
 とても楽しみである。

技科大生再び

 以前技科大生、恐るべし!で紹介した学生が、2学期応答プレゼンに登場した。応答プレゼンとは、前週にプレゼンされたお薦め本を読んできて応答するというものである。取り上げられた本は藤原正彦『国家の品格』、応答プレゼンのタイトルは、

 日本的情緒と豊橋技術科学大学の基本理念に関する分析

 前週のプレゼンで、大学の基本理念が話題に上げられていたのであるが、それにきっちり応答して見せたのである。
 さすがである。

 ちなみに実際の彼はとても人間的な笑顔を持っていることを申し添えておきたい(^^)

新城市立作手中学校

 愛知県達人派遣事業で新城市立作手中学校に行ってきた。なんと私は「俳句の達人」なのである。
 
 1年生と3年生に授業をしたが、とても素直で熱心な生徒さんで、楽しく授業ができた。3年生は私の話への食いつきがよかったし(ちゃんと笑ってくれた)、1年生は、初めは私が動き回っていたのだが、そのうち待ちきれない生徒さんが席を立って私に見せにやってきて、その後列ができて、そんでもってチャイムがなって、となった。最後にきちんとまとめて終わるという落ち着いた授業にならなかったので達成感がやや心配だが、ダイナミックに楽しんで貰えたのではないかな、と勝手に期待している。私自身は楽しかったし、生徒さんのピュアな心に打たれた。

 終了後、何年かぶりに、学校で作っているという自慢の給食を頂きました。とても美味しく頂きました。

http://www.city.shinshiro.ed.jp/tsukude-jh/

(番外編)
 すっかり作手の空気が気に入って、雑談しているときに「住みたい」と言ったら、分譲している場所を校長先生が詳しく教えて下さり、地図まで書いて頂きました。もちろん見て帰りました。家に帰って早速家族に言いました。

 作手に住まへん?
 ???

 しばらく間が空いて、何事も無かったかのように我が家の時間が再び流れ始めました。まあいつも訳の分からんこと突然言い出しますからね、僕。

木村秋則さん講演会

 特別な三連休、三日め。
 10月12日。木村秋則さん講演会。
 以前このブログでも紹介した奇跡のリンゴの木村秋則さんの講演会があった。COP10開催1年前記念行事、生物多様性フォーラムの記念講演である。
 木村さんひとりによる講演ではなく、聞き手による対話によって行われ、ときおり会話に行き違いがあったのが少し残念だったが、ほんとうはそんなことどうでもよい。ナマの木村さんを見られただけで、大感激だった。
 緩んだ力みのない自然体で、非常にスケールの大きい話をされていた。スケールの大きい話とは、宇宙大の話であり、目に見えない小さい虫の話である。私たち人間が、目に見えない小さい虫たちの命に支えられていることを感じる心と、宇宙の中の地球を想像できる心とは同じものであることを教わった。私もそのような豊かな心をもちたいと思う。

 面白いことがあった。
 講演前にオープニングセレモニーがあり、何人も挨拶されたのだが、それを見ているうちに首が痛くなった。端に座っていたから当然といえば当然である。ところが、木村さんの姿を1時間ほどずっと見ていても、首は全く痛くならなかった。木村さんのあの緩んだ自然体と笑顔によって、私の体と心も緩んだのであろう。木村さんのそばにいるだけで、自然と心と体が解放される、そういう力をもっておられるのである。私は憧れモード全開で見ていたのでそうなったが、逆にこちらに邪心があると、非常に疲れるのではないだろうか。こちら側の心をそのまま映してしまうほどピュアな存在感だった。

 ただただ憧れる。
 終了後はいつものように感想会。1次会はお茶会、2次会は食事会となった。帰りの電車が一緒だった二人とは電車の中で3次会。といっても2次会以降はほとんどひとりで喋ってました。たぶん二人はへとへとに疲れただろう。
 まだまだ木村さんの境地にはほど遠いようである。

制引鎮特別講習会

 特別な三連休、二日め。
 10月11日。制引鎮特別講習会。
 今回は、制引鎮の本質的な体の使い方と「弓張」の分解。基本的なものからかなり応用的なものまで色々やった。自分としても新しい展開があり、かなり楽しかった。
 それにしても制引鎮は素晴らし形である。もっともっとこの形を深く身に付けたいと思う。

小川三夫さん講演会

特別な三連休、一日め。
 10月10日。
 平成21年度いなべ市生涯学習事業 歴史と文化の講座で、鵤工舎設立者の小川三夫さんの講演会「木のいのち 木のこころ-技を伝え、人を育てる-」があった。言わずと知れた法隆寺宮大工西岡常一棟梁の唯一の内弟子をされた方である。日本文化論Ⅰ聴講生Nさんに紹介していただいた。残念ながら日本文化論Ⅰの受講生は誰も来なかったが、方寸塾生、武道部員が14名ほど参加した。

 この講演会は私にとって驚きと感動の連続だった。
 最初に驚いたのは手だ。小川さんの手は、とても柔らかく神経の行き届いた「生きた手」だった。もうそれをナマで見られただけで大感激し、講演が始まる前からかなり興奮してしまった。あのくらい「生きた手」であってこそ、木のいのちを感じ、生かすことが出来るのだろう。それにしても凄かった。

 にこやかに会場に入って来られた小川さんは、本でイメージしたよりも、人当たりのよい優しい感じがした。しかし時折非常に厳しい表情もされた。
 正中線は屹立しており、尋常でない腹の据わりである。そしてあの柔らかい生きた手。

 これほどの人の前に出たら、こちらが素直になるしかない。誤魔化しても無駄である。幸い講演修了後、控え室でご挨拶させていただき、お話をして頂いた。小川さんは余計な言葉も行動も一切ない。必要最低限のことだけである。しかしその一つ一つが、実に温かい心に満ちていた。

 それで察せよ

 西岡棟梁の教えを見事に受け継いでおられる。どのくらい私が察せられたのか甚だ心許ないが、ただ言えるのは、小川さんの前で私の心は裸になっていたということである。

 話を講演に戻す。講演で何より驚いたのは、小川さんの話が進むにつれて、会場の空気が一つになったことである。始まる前に司会の方が、「講演中はなるべく席を立たないようにお願いします」とおっしゃっていたので、そういうこともよくあるのだろう。私は一番前に座っていたが、講演中、後ろの空気が全くざわつかなかった。全員の気がまっすぐに小川さんに集まっていた。これぞ法隆寺口伝、
 
 百工あれば百念あり、これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる、これ正なり。

 を実践して見せて下さったのである。これが小川三夫棟梁の器なのである。講演の内容もとても面白く勉強になったのだが、これには度肝を抜かれたという他ない。決して流暢に話す訳でもなく、ユーモアを交えるでもなく、プレゼンのテクニック本とは正反対の、ただただ自然体で話をされただけなのである。そこには余計な装飾など一切ない。くしくもTくんが言った。
 
 小川さんそのものが法隆寺みたいな方ですね

 その通りだと思う。余計な装飾が全くなく、ただ自然体でそこに立っておられる。その姿そのものが美しい。だから言葉にほんとうの力が宿るのである。そこには自分をよく見せようとか、聴衆を満足させようとか、そんなことが一切ない。ただただ自分ができる話を、自分ができるように、そのまま話されたのである。「それ以外に何が出来る?」と言われるかも知れないが、それをこれほど見事に実践する人を私は見たことがない。

 おそらくほとんどの聴衆は、小川さんの言葉が、自分の心のどのくらい深くにまで届いたのか気づかなかったのではないだろうか。少なくとも私は、このとき、その深度をよく分かっていなかった。
 ほんとうの力を宿した美しい言葉は、外ではなく内から影響を与える。だから必要以上に「大袈裟な感動」は与えない。内から湧き上がる静かな感動と幸せを与えるのである。だから良質の温泉のように、芯から温まり冷めにくい。実はこのエントリーは三日後に書いているのだが、私はまだ興奮している。というより、時間がたつにつれて興奮が増してきているのである。私が思った以上に、小川さんの存在は、私の深くまで届いていたのである。

 部員たちも、それまでと全く違っていた。小川さんと話を終えて控え室から出てきた私を待っていた部員たちを見て、びっくりした。全員が静かに感動していたのがありありと分かった。そしてピュアな心が一つになって、私を待っていたのである。

 講演会後の行動やもらったメールから、みながどのくらい深く小川さんの存在と言葉を受け止めたかがよくわかる。例えばKさん。Kさんは私と一緒に控え室に入り、私と小川さんの話を聞いていた。私に遅れないようについてきたら、気づいたら部屋の中だったという。それまでのKさんなら、「自分が部屋に入っていいのだろうか?」と考えて、躊躇し、部屋の外で待っていたはずだ。「やらなければいけないこと」「やってはいけないこと」を頭で強く考えてしまい、それが上達の妨げになることがしばしばあったのだが、この時はただひたすら心を空(くう)にして、私の「気」を感じて、その感覚に惹かれるように行動したのである。
 これまで、Kさんだけではなく、私は部員と行動するとき、いつでも「重さ(抵抗)」を感じていた。何と言えばいいだろう。私の気(期待)と部員の気(行動)がゴム紐で繋がっているとすると、いつでもそれが引っ張られた状態で、抵抗が生じていたのである。いつでもこちらが引っ張らなければならず、それが「重い」のである。しかし講演会後のKさんは、ゴムが適度に緩んでいて、それが引っ張られることが一度もなかった。抵抗や違和感を全く感じず、Kさんといてとても心地よかった。私があることを期待する直前に、いるべきところにいて、とるべき行動をとっていた。まさに植芝先生に桶を出す塩田さん状態だったのである(このエピソードを知らない方も多いかも知れませんが)。
 鵤工舎での修業は10年間で、修行の意味が分かっていてきちんと修行した弟子は、7年目あたりから急成長するという。Kさんは武道を始めて丁度7年目である。これまで本当に必死に、「それで察せよ」という修行をしてきた。この講演会でブレークスルーして、今後急成長することは間違いない。ほんとうに嬉しく思う。
 それにしても、Kさんをこれほど変えてしまう小川さんの存在の凄さを感じずにはいられない。もちろんKさんだけではない。多かれ少なかれ、部員全員が同じように変わった。願わくば元に戻ることなく、それが続きますように、と祈っている。

 小川さんを駐車場でお見送りした後、Nさんの豪邸に御招待頂いて、楽しいひとときを過ごした。その後部員の感想会に合流したが、電車時間の都合でほとんど話が出来なかったのが残念だった。
 しかし私たちにとって特別な一日となったことだけは間違いない

台風18号

 お電話頂いた方もあるので、一応現状を書いておく。
 豊橋でもいろいろ被害があったようだが、私自身には幸い特に被害はなかった。朝方、数時間の停電と断水したくらいである。
 ただ隣りの棟の銀杏の木が倒れた。
kansyaityou.JPG
 10時頃大学に行ったが、ほとんどの信号が停電で消えており、飛ばされた看板も目に付いた(建物に備え付けの看板も、いくつか壊れていた)。
 大学の中庭の木も倒れてた。
daigakutree.JPG
 ご心配頂いた方、ありがとうございました。
 被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
 

とよはし中日文化センター(こども空手・剛柔流)

 絵実子さんの、とよはし中日文化センターの空手教室(こども空手・剛柔流)が始まった。
秋の新講座
 二面鏡張りの広くて綺麗な教室。絵実子先生は、さすがに手慣れたもので、子どもの心をうまく掴んで、楽しく、かつきちんとした指導をしていた。
 子どもたちも初めは緊張していたが、だんだん元気が出てきて、帰りの挨拶の時には、目を輝かせて帰って行った。
 尚志館とはまた違った雰囲気の、とてもよい教室になるだろうと思う。
 興味のある方は、ぜひ一度覗いてみて下さいね。 

本人が満足してるんだからいいんじゃないの?

 心配な黒帯がいる。かなり姿勢が崩れているのだ。もう随分と前からその傾向があったが、ここのところかなり顕著になってきたのである。もちろんそれとなくは伝えてきたが、私としてはずっとがまんして見守ってきた。半年や1年のことではないので、とうとう我慢がしきれなくなって絵実子さんに、「はっきり言った方がいいかなあ?」と軽く言った。

 本人がそれで満足してるんだから、いいんじゃないの?

 恐れ入りました。なるほど。本人が現状に満足しているのであれば言っても聞こえないし、満足していなのであれば、言わなくてもそのうち気づいて、自分で修正するか、向こうから聞きに来る。それまでほっとくしかないでしょ、という訳だ。
 それにしても、「本人がそれで満足している」。慧眼という他ない。
 絵実子さんは私なんかよりよほど腹が据わっているのである。

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